2014年06月28日

百合忌 キャンディーフロスワールド2

百合忌                 

「なんだここ」
 麻績優は声をあげた。
 優が見ているのは、パソコンの画面だった。
 いつもと同じように、CG(コンピュータグラフィックス)を求めて、ネットサーフィンしていたはずなのに、知らないところにきてしまった。
 こんな風に知らないページを開くのは珍しくはない。ウェブページはそもそも確認しきれないくらいたくさんあるし、そのうえ一日数千単位でサイトは増加している。加えて『Deep Web(ディープウェブ)』と呼ばれる検索エンジンでも見つからないサイトもある。小学校の授業ではこうしたところに入る事すら禁じているが、優は気にした事はない。物心ついた時から、パソコンで遊んでいた人間からすれば、未知のサイトにこそ、新たな情報が眠っているのをしっていた。
 優は夕飯代わりのポテトチップスを口に入れながら、少しこれまで見てきたページを考えた。
 意図してないサイトに入るのは珍しい。先程まで調べていたサイトはどこかに貼られていたリンクがダミーで、違う所に転送されたのかもしれない。
 それならあまりいいことはない。もしかしたらウイルスなどパソコンに不具合がでるような罠が仕掛けられているかもしれない。
 サイトの名を見ると、『Day Lily』。どこかのカメラから送られてきている映像のようで粗く、汚い。
 コンクリートが打ちっ放しの部屋は、窓はなく、薄暗い。天井につけられた裸電球が揺れている。どこかの地下であるようだった。
 毛布を被った人間が壁に寄りかかっている。顔を下に向けているので表情は見えない。
「やばいサイトかな」
 一応、セキリュティソフトを確認するが、ウイルスやトラップなど、パソコンを害するものはないようだ。
 しかし、危ないのは変わりない。『Day Lily』からの接続を切ろうとすると、毛布が動いた。毛布がずれて、暗い中でも白さの分かる足が見えた。その女性のものと思われる細い足首には奴隷であるかのように足枷がつけられている。
「趣味悪」
 思わず舌打ちする。
 演出にせよ足枷は鋼で作られていて、足に噛みついたように見える。足枷の横には青白い痣がついている。その痣の横には切り傷がある。
 優は息を飲んだ。よく見れば足には無数の痣や傷があった。それは自然でできるものではなかった。何らかの暴力が彼女の横を通り過ぎたのだ。
 優はじっと画面の中を見回した。裸電球の光のせいで部屋全体はよく見えないが、床に黒い染みが見える。それは固まった血のように思えた。

 カメラを設置し、海や空の様子を、定点観測してインターネットで流しているところも多い。アダルトサイトでは、若い女の子の部屋をカメラを設置して盗撮しているサイトもある。それはやらせだろうが、これはどうだろう。
「これ本物か」
 少女は顔を上げた。髪で顔を半分は隠れているが、綺麗な輪郭が見える。その口元のほくろには見覚えがあった。
 優は立ち上がってパソコンの画面に近づいた。画面に近づいたところで、髪で隠れた顔が見えるわけではない。
「ああ、もう」
 声が聞こえたように少女は顔を上げた。
 髪が流れて、顔が見えた。猫科の生き物のようにつり上がって見える目が優を見ていた。
 優は壁にかけてある時計を見た。こういう時は結論を出すまで一分考える。慌てやすい自分に向けての父親からの助言だった。
 一分たってもう一度見直した。
「やっぱり」
 そこに映る顔はクラスメイトの弥勒地華弥だった。

 寝不足だったせいで、遅刻しかかった優は、八時十四分に教室に駆け込んだ。自分の席に座った回りを見ると、あと一分で、ホームルームが始まる事もあって、教室の席はほとんど埋まっている。
 担任の大原先生が入ってくる。
 クラスのいろいろな所から先生に、朝の挨拶が上がる。大原先生は着物が似合いそうな和風の美人でありながら、多少S気もあって生徒に人気もある。
 出席を取り始めると、だれもが大きな声で答えるが、弥勒地華弥の答えはない。
 休んでいる華弥の事を誰も話題にしないが、彼女は学校では有名な女の子だった。
 低学年の時に『二人のロッテ』というアニメで主役を演じる声優として、テレビでよく見かけた。高学年になってからは月9のミステリーに出演して端役ながらも、明るい演技で有名になっていた。そうした芸能界の活動が忙しいのか、不登校気味でほとんど学校に来ない。
 優はホームルームを聞きながら、こみ上げてくるあくびを口で押さえた。
 昨夜見たサイトが気になってほとんど眠れなかった。そんなにいつもは夜遅くまで起きているわけではないせいでふらふらする。
 二限目の授業まではがまんできたが、三限目で限界で頭が痛くなってきた。
 大原先生に体調不良を報告すると、保健室に連れて行かれた。
「この子、気分よくなるまで寝かしておいてもらえない」
 大原先生の声に、白衣を着た養護教諭のイチゴちゃんが顔を出す。
「分かりました。君、そこのベッドで横になっていてください。もうしわけないのですが、奥には、先客がいますから、できるだけ静かにしてあげてくださいね」
 イチゴちゃんに言われるままに、できるだけ音を出さないようにベッドに寝転がった。

「寝不足だと思いますけど、もうダメですよ。学ぶ機会を失うのは、あとで自分に罰になって返ってきますからね」
「すいません」
 イチゴちゃんが仕切のカーテンを閉めた。
 先程まであれだけ眠ったかったのに、今は眠くない。保健室に来るなんて珍しいから、胸がどきどきしている。
 天井を見ていると、いつの間にか灰色になっている。
 保健室の天井は白いし、灰色で裸電球なんて揺れているわけはない。自分がいるのはベッドの上のはずだ。それなのに背中から容赦なく冷えてくるのはどうしてだろう。
 足音がした。
 イチゴちゃんかと思ったがカーテンを開いたのは別の見知らぬ男だった。その手に鞭が握られている。
 風切る音が響いた。痛みが頬に走った。鞭で打たれた。
 どうして、なんで。
 殴られるようなまねはしていない。そう思った。考えている間に鞭は振り落とされる。考えられなくなる。
 痛みが来る度に、獣のように叫んだ。しかし叫べたのも最初のうちだけ。気づけば、声も出なくなっていた。

「起きなさい」
 目を開けた。その動作で目を閉じて、夢を見ていたのが分かった。昨夜の華弥の映像。あそこに優が巻き込まれた夢だ。
「落ち着いた」
 艶のある高い声だった。声の方を見れば、きれいな輪郭とほくろが見えた。猫科の生き物のようにつり上がった目が自分を映している。
「みろくじかや」
「さんくらいつければ」
「弥勒地さん。僕、俺は麻績優」
 華弥とクラスメイトだが、一対一で話すのは初めてだった。落ち着かなくてはいけないと壁掛け時計を見るが、それより前に華弥は話し始めた。
「それでいいわ。私は、自己紹介はいいわね?」
 優は頷いた。
「それで何で魘されてたの?」
「怖い夢を見て」
「子供ね」
 誰のせいだよと思って言い返そうとすると、華弥は顔を近づけてくる。息が苦しくなるように錯覚した。近づいてくる鳶色の澄んだ瞳に吸い込まれてしまいそうだ。
「何だよ」
「それくらい元気なら大丈夫ね。そろそろ仕事いくから」
 華弥は離れると背を向けた。
 昨日見た足首の痣が気になって足下を見た。足はブラックジーンズで覆われて見えない。どこか肌が出ていないか見た。夏だというのに黒い長袖のシルクのシャツで、手首から先すらも手袋で覆われている。
「じゃあ、イチゴちゃんにいっておいて」
 華弥は軽く手を振って出て行った。
「お大事に」
 そのまま優は華弥の消えたドアを見続けていた。

 優は家に戻ると直ぐにパソコンの電源を入れた。
 昨夜気になったので、弥勒地華弥に似た少女のいたサイト『Day Lily』は、一応ブックマークにいれて、見られるようにしておいた。
 インターネットにつなぎ、ブラウザを立ち上げ。サイトを開く。
 『Day Lily』は昨日と同じ部屋だった。昨夜は分からなかったが、部屋の天井に近いところに窓らしきものがあった。そこから光がわずかに降りてくる。部屋の端にはロゴの入った段ボールに詰められた荷物がたくさん置かれていた。
 少女は昨夜と違い顔を上げている。ただ、これといって何もする事もなく、一点を見つめていた。その一点は外から漏れる光だった。
 その光のせいか、少しは分かることがあった。昨夜は見えなかったが、カメラらしいものが部屋の天井を始め、数カ所に設置してある。
 今自分が見ている視界以外にもカメラがあるのだ。そう思ってマウスをいじっていると、カメラの変更らしいアイコンが現れた。クリックすると、少女の正面にアングルに切り替わる。
「やっぱり弥勒地だ」
 今までは遠くで見ることしかできなかったが、今日、声をかわしたからこそ、ここにいるのが弥勒地華弥である自信が持てた。
 あんな、きれいな女の子がそこら中にごろごろしているわけはないのだ。
 あのあと学校から出て、ここに来るのが仕事なのだろうか。だとすると、これは一種のヤラセなのだろう。
 学校での様子を思い出して、少しだけほっとしていた。華弥が仕事の上でしているのなら、この異様な様子もきっと何らかのお約束の中での出来事なのだ。
 それなら、今ここで見えている華弥の演技は素晴らしいものだ。学校での闊達さは一切感じさせず、ただ何の興味もないのにまばたきもせずにじっと一点を見つめている。ただ、存在しているだけの、きれいな人形のように思える。
 それなのに見ていると何か胸の中を掻きむしられるような気がするのはどうしてだろう。
 こんな華奢な壊れそうなものなのに。
 いや、壊れそうなものだから、人に壊される前に自分で壊したいのか?
「やめやめ」
 優は声を上げた。今の自分の感情がおぞましいものに思えた。
 慌てたせいで画面のアングルが変わる。華弥の口元だった。薄く血の気無い唇は動いていた。学校で見た生き生きとしたものとはまったく違うその輝き。それが何か呟いている。
 声は聞こえてこない。
「どうしたんだよ」
 声をかけても華弥の表情は変わらない。聞こえてないのだから当たり前の事だ。それでも気になって華弥の口元をじっと見た。唇は同じ動きを繰り返していた。何度見てもそれは変わらない。
「タスケテ」
 彼女の口が紡いでいるのは、ただ一つの言葉だった。

 一時間目を終えると、教室を飛び出した。めざすのは保健室だった。
保健室のドアを開けると中には、養護教諭のイチゴちゃんの姿は無かった。
 並んでいるベッドの方を見ると、奥のベッドにだけはカーテンがかかっている。そこは昨日華弥のいたベッドだ。今日も華弥はここにいるのだろうか。
「弥勒地さん?」
 答えはない。ただ、静かな寝息が聞こえてくる。優はベッドに近づいた。
 華弥がいればこっそり傷を見られる。もし、傷があれば、何らかの事情で、華弥はあのサイトで何かされているのだ。タスケテと口は動いていた。それなら自分の意思ではないはずだ。
 カーテンに手をかけた。少し隙間を開け、中を見ると、タオルケットのかかった背中が見えた。その背中は寝息に合わせて上下している。
 こっそり見るだけだ。こっそり。しかし、もし華弥が起きてしまったら。そして誰かに話してしまったら。
 クラス中から変態扱いされ、ののしられる、学校にも通えない様子が浮かんだ。最後はニュースにまでなりテレビで放映される。スパイラルして悪い方に考えが浮かんだ。
 いや、きっと起きる事はない。これだけしっかり寝ているんだ。そう心の中で呟く。
「ごめん」
 声にならない程小さくいうと、タオルケットに手をかけた。
「そこまでよ」
 弥勒地華弥の声が響いた。
 目の前ではない。したのは背後でだ。
 振り返れば、保健室の前に、ランドセルを背負った華弥が立っている。
「弥勒地さん」
「早起きは三文の得っていうけど、いつもより早く登校してきてみたら」
 芝居がかった様子で華弥は頬に手を当て、
「麻績くんたら、寝ている女の子を覗こうなんていやらしい」
「いや弥勒・・・」さんかと思って、と言いかけてから辞めた。しかし、華弥はしっかり消えた語尾も分かったようだ。
「ふーん、私かと思ったんだ。残念だったね、変態さん」
 何も言えなかった。顔がとにかく熱くて、頭に血が上っているのが分かる。まともに考えがまとまらない。一分でいいから、静かに考えさせてくれればいいのに。そう思っていると口が勝手に動いていた。
「弥勒地さんの仕事に比べれば変態じゃないよ。あんな格好して、人前に出てさ」
 言い返してくるかと思ったが華弥は息を飲んでいる。そして発した声は、一切感情が感じられなかった。
「誰に聞いたの?」
「誰だって分かるさ。こんなに暑いのにそんな厚着して」
「そうなんだ。でもね、これは私にとって、一つのターニングポイントなの。麻績くんが何といってもね」
「あんなに辛そうなのに?」
「確かに辛いけど、ここは私にとって必要なステップなんだから、いったいあなたに何が分かるって言うの?」
 華弥は足下を荒々しく踏みつけた。
「ここは保健室ですよ」
 タオルケットをゆっくりとどかして、起き上がったのはイチゴちゃんだった。
「話は聞かして貰いました。つまり、簡単にいうと華弥ちゃんが麻績君を好きという事ですね」
「違います」
 華弥が声を上げた。
「初恋は実らないものです」
 イチゴちゃんは白衣を翻してベッドから降りた。
「そういうのじゃありませんから」
 華弥はいう。今度はさっきよりは少しは柔らかいが、それでもきついのに変わりはない。
「恋愛ではないのですか。それなら、喧嘩の原因はまったく思いつかないんですけど」
 優は小さく深呼吸した。そのせいか少しだけ落ち着いてきていた。
「すいません。僕が、弥勒地さんを怒らしたのが悪いんです」
 優が先にいってしまったせいか、華弥は怒りが一気に醒めてきたようで、小さく舌打ちした。
「いい子になって」
「綺麗な子が舌打ちしてはいけませんよ。あなたは素敵な女の子なんですから」
 一時間目の休憩を終わる鐘が鳴った。
「すいません。失礼します」
 優は頭を下げて、保健室から出た。その手が捕まれる。振り返れば、イチゴちゃんが手をつかんでいる。
「やっぱり熱があるみたいですから、少し休んでいきなさい」
「いや熱なんてないです。大丈夫ですから」
「だめですよ」
 イチゴちゃんは手をそのまま引っ張って、丸い椅子に座らされた。
 本来その椅子に座るべきイチゴちゃんは目の前に。扉の方では華弥が通さないとばかりに仁王立ちだ。
 逃げ道は、残念ながらないようだ。このまま黙っていて、授業に行かなければ、大原先生は間違いなく怒るだろう。
「あの実は、あるサイトを見たんです」
「あるサイト?」
「はい。そこで弥勒地さんと思われる女の子が、傷だらけで、何か虐待されているようなサイトでした」
 華弥の方は、ドナドナでも見るような目で、こっちを見ている。
 先生の前で、キッズグーグル(児童向きのグーグル。青少年の教育上好ましくないキーワード検索は行えない検索サイト)に登録されていないようなサイトを覗いていたのを白状したのだ。学校から保護者に連絡が行くのは確実だろう。
 優を見たままイチゴちゃんは無言だった。何か考えているようだ。
 暫くして、イチゴちゃんはいった。
「そのアドレス分かりますか?」
「今は分かりません」
 イチゴちゃんは頷く。
「ありがとう。ただ、あなたが、華弥ちゃんを心配しているのは分かりました。華弥ちゃん、悪いんだけど手袋ぬいてあげて」
「え、どうしてこんな奴に」
「それが誤解を解く一番の早道ですよ」
 華弥は手袋をとった。日焼けしていないせい、白い肌が見える。しかし、手には、一切の傷は見えない。
「これで分かった? 華弥ちゃんはあなたが心配するような事件に巻き込まれていないから大丈夫」
「じゃあ、あの子は誰なんですか?」
「分かりません。ただ、そのサイトはどう見ても、小学生の見るようなサイトではないですね。私がそのサイトを確認してみますから、もう閲覧しないように」
「分かりました」
 優は頷いた。
 
 大原先生に命じられた教室の窓ふきが終わったのは、もう下校のチャイムが鳴り響く頃だった。
 結局、保健室で止められていた時間について話さずに、ただ遅刻した事にした。結果、とてもいい笑顔で掃除を命じられた。
 教室に戻った優には罰。ずっと保健室にいる華弥はおとがめ無しというのは何かおかしい気もしたが、先生には逆らえない。
 汚れたゾウキンを洗おうと、洗い場に向かって廊下を歩き出すと、華弥が立っていた。
「おつとめごくろうさま」
 言葉こそ丁寧だが、目は笑っていない。
「どういたしまして。で、何か用?」
 冷淡にいうと華弥は手をいきなり合わせた。
「お願いがあるの」
「何?」
「先生に明日見せる前に、さっき話していたサイト見せてもらえないかな」
 華弥の言葉の意味を考えた。
「やっぱり弥勒地さんなの?」
 華弥は小さく首を横に振った。そして自分の足下を見るように顔を下げた。
「私ね、双子のお姉さんがいるの。両親が離婚した時に、お父さんにつれていかれてしまった姉が」
「お姉さんが」
「もし二人で一緒に暮らせたら、みんなで一緒に暮らせたら、ずっと思ってた」
 華弥は芝居をしているのではないか。そんな考えが脳裏を掠めた。
「もし先生が調べて警察にしらされたりしたら、お姉ちゃんに被害がでるかもしれない。だからその前に確かめたいの」
 華弥は顔を上げた。顔を見た瞬間、もう逆らえなかった。華弥の目から涙がこぼれようとしていた。

 優は横を歩く華弥の横顔を見つめた。学校から帰る途中、顔を見るのは何度だろうか。
 最初は落ち着いたように見えた華弥の顔だったが、家が近くなるにつれて、不安らしく、目がちらちらといろいろな方向を見るようになった。
 あまり親しくもないクラスメイトの家に始めていくからだと最初は思っていたが、そうではないのが直に分かった。
 おびえているのだ。その証拠に最初は少し遠くにいたのに、今は自分のすぐ後ろを小さな子供のように不安気についてきている。
 優の住む団地は、建物自体の老朽化と、住人の高齢化のせいで、人の姿をあまり見ない。加えて建物全体の住人の意思が統一できた建物は、売られてしまい人がいなくなり廃墟のようになっている。そんな建物が多いせいか、全体としてはゴーストタウンといってもおかしくない地域が多い。
 そんな景色だから遠くからでも見えそうなものだが、高速道路のせいで、通っている学校から団地は見えない。華弥は、海沿いの新しい高層マンションの一つに住んでいるときいているから、初めて存在を知ったのだろう。
 優の住んでいる建物はそれなりに人がまだ多くいる棟だが、団地の中でも古い建物だ。そのせいで雰囲気は先程まで通ってきたゴーストタウンと変わらない。
 建物につくと、エレベータのない階段を上がる。四階に優の家はあった。立ち止まり、自分の部屋を指さすと、華弥は少し安心したのか大きく息を吐いた。
「古くて驚いた?」
「別に」
 扉をあけると、いつものようにぎいっと重い音を立てた。振り返れば華弥が少しばかり、身を固くしている。確かに慣れない人からすれば、この鉄の扉も少しばかり恐ろしいものだろう。 
「どうぞ」
 優がいうと、華弥は頷いた。

 家の中に入ると華弥は驚いているようだった。和室になった部屋には荷物はなく、使っているのかもよく分からない雰囲気だ。
「それに座って」
 優は推入から座布団を出して置いた。
「パソコンは?」
「部屋にあるから持ってくる」
 祐介はランドセルを起きがてら、自分の部屋に向かった。後ろから華弥がついてくる。
「どうしたの」
「動かすの面倒でしょ。部屋で見せて」
「え、嫌だよ」
「そこ」
 舞うように軽やかに、華弥は祐介の前の扉を開いたが、そこで華弥の動きが止まった。
「綺麗で驚いた」
「綺麗って言うか、ものないからでしょ」
 板張りになった洋室には、床に直にノートパソコン。壁際には段ボールがいくつかと、寝袋が置いてある。装飾といえば、壁に貼ってある映画のタイタニックのポスターくらいだ。
「なんでこんなに物がないの」
「うち、転勤多いんだ。引っ越しの度に片付けるのが面倒くさくなっちゃってね。だいたいの事はパソコンがあればいいしね。それに引っ越したことあるでしょ?」
「ないよ」
「両親が離婚したって」
「ああ、あれ。ああ、えっと、家は残ったから引っ越しはしてないから」
 言葉に詰まる華弥に優は罪悪感を覚えた。もしかしたら、何か辛いことを聞いたかもしれない。
「ごめん」
「いいよ、気にしないで。あ、でもタイタニック好きなんだ。わざわざ飾ってあって」
「好きっていうか、それは趣味の一環」
「なんで?」
「CGで絵を描くの好きなんだよ」
「どうしてタイタニックにいくわけ。これって恋愛ものでしょ」
 そういいながら華弥は、舳先にいるようにポーズをとりながら『I’m flying, Jack!』と芝居を始めている。
「そのシーン全部CGなんだよ、役者さん以外」
「あ、瞞そうとしてるでしょ。あんなにきれいなシーンがつくりもののわけないじゃないの」
 優は苦笑いした。確かに自分もCGについて学び初めてから知ったことだ。普通に見ていて分かるわけはない。海や船だけでなく、あの風や光の感じまでCGだなんて普通思わない。
「それよりパソコンを見たいな」
 優はパソコンの前に座った電源を入れる。華弥は、優の後ろに立って中腰になってパソコンの画面を見ている。
 ブラウザが立ち上がり、『Day Lily』を映し出す。
 画面に地下室が現れる。中には華弥に似た少女がいた。赤い夕焼けの光の中、コンクリートの床に伏せている。
 コンクリートの冷ややかさは、接触しているところから冷え、熱を奪われ、最後は体力を削られる。それなのに少女は伏せたままだ。
 『Day Lily』は相変わらず音がない無音の映像だ。そのせいで背後にいる華弥の息づかいが、画面に被って聞こえてくるので、いつもより生々しく感じられる。
 振り返れば、華弥は一心になって画面を見ている。その目は離れた姉を見ると言うよりは、敵でも見るようなにらみつける物だ。華弥はいらついているのか自分の親指の爪を噛んでいた。
「どうかな」
「映像粗いからっていうのあるかもしれない。でも、悔しいけど、私に間違ったって言われても納得できる」
「そうでしょ。よかった」
 少し嬉しくなって答えると、華弥の顔は怒っているのか白い肌が青みを帯びて見える程だ。自分に向けられたのかと思ったが、それが画面に向けられていた。
「よかったなんかじゃないよ。この子の傷、大丈夫っていうレベルじゃないよね」
 華弥は画面を指さした。少女の身体のいろいろな所に見える傷。優は気づかなかったが他にもたくさんあるのが分かった。
「ねえ、これ何なの? アダルトサイトってやつ」
「最初に偶然かかったからよく分からない。ただ、まっとうなものじゃないと思う」
「それは、まあ自分がまともなサイトを見てなかったいいわけみたいだけどまあいいわ」
 華弥は爪を噛むのを止めた。
「この子は助けないといけない」

 優はパソコンを見ていた。開いているのは『Day Lily』だ。
『この子は助けないといけない』と華弥は言っていた。具体的に何も思いつかなかったらしく、そのまま帰っていった。
 優ができるのはサイトをこうして見ることだけだ。だが、その中にもしかしたら、彼女を救うヒントがあるかもしれない。
 しかし、見ていても彼女はほとんど変わりはない。
 優はサイトを動かしはじめた。前したようなカメラの切り替えをしていれば、何か今までの視界では、見ることができなかったものがあるはずだ。
 その中で怪しそうなものを探す。例えば、特定の場所をクリックすると、何か起動するものがあるかもしれない。何かキーを押せば現れるものがあるかもしれない。そう考えていろいろと調べて回ることにした。
 気づけばもう夜中になっていた。

 いつもの如く、ポテトチップスと、牛乳を夕飯代わりにして、続けることにした。カロリーが回ってきたせいか、頭がはっきりしてきた。
 パソコンのキーや組み合わせは有限だが、実際行うには不可能と思われるくらい多い。
 検索サイトで、『Day Lily』を検索する事にした。しかし、分かったのは、それがワスレグサと呼ばれる植物の英名であり、語源は一日で花が枯れるからと言われていることくらいだ。このサイトそのものに関する情報は見あたらない。
 仕方なしに、明日、イチゴちゃんに見せるためのアドレスを連絡帳に記入した。
「もうこれ以上は無理か」
 パソコンから離れてひっくり返る。どちらにせよ、これ以上は自分でできないかもしれない。
 それなら人の手を借りる事もできる。基本的にウェブの世界は自己責任だ。調べも考えもせず、学校で先生に質問するように、聞く甘えは許されない。そんなことを聞いたが最後自分でもっと調べろといった意味で『ググれ』や、『過去ログ見ろ』といった言葉が返ってくる。
 しかし、『Day Lily』に関してはそんなことないのではないだろうか。これだけ調べても分からないのだから。
 確実にそういった知識やテクニックを持っている『神』と呼ばれるような人間のいるのは、匿名系の大手掲示板だが、独特の言い回しも必要で辛い。しかし、書き込むのならここだろう。
 文章をいろいろ考えて書き込もうとしたところで、手が止まった。
 もし優がここでサイトのアドレスを書けば、場合によってはかなりの勢いで情報が広がる。そうすれば、『Day Lily』が、アクセスの多さに耐えきれずつぶれるかもしれない。そうなってしまえば、もう何も分からなくなる。
「そうだよな、やっぱりダメだ」
 起き上がってパソコンの画面を見た。
 声を上げていた。そのまま画面を閉じていた。
「何だよ、今の」
 閉じる寸前、画面いっぱいに迫ってくるのは鳶色の瞳だった。カメラぎりぎりまで近づいているような少女の顔は、生命も危ういように思えた。
 
 放課後、保健室に向かった。
「遅かっですね」
「ちょっといろいろあって。すいませんでした」
 何もありはしない。ただ、保健室に来るのに遅れたのは、優の問題だ。
 優は保健室の中を見回した。華弥の姿はない。
「華弥ちゃん、今日は来ていませんよ。映画の撮影だそうです」
「そうですか」
 少女の瞳に射貫かれた気がした。その瞳にある虚ろなものを思い出すものに近づくのが怖かった。

 少女にもっとも近いのはサイトであるが、似ているのは華弥だ。華弥の中にあの少女を見いだしてしまえばもう。
 イチゴちゃんがじっとこっちを見ている。観察するような目に、自分が華弥を避けているのが見透かされているかと怖くなった。
「サイトのアドレスですが、もしかして忘れてしまいましたか?」
「いえ、メモです」
「ありがとう」
 イチゴちゃんは笑顔のまま、メモを受け取り、机の上のパソコンを起動した。のんびりとした雰囲気の合わぬ、アドレスを素早く入力し、マウスをクリックしているのが見える。
「サイト、消えてしまっていますね」
「本当ですか?」
 確かに白い画面には存在しない証として、黒く大きく404の表示が出ている。三桁番号404は、そのデータ存在しないということだ。
「間違ってはないと思うのですが」
 確認するように手で促され、優はパソコンの画面を見た。アドレスを確認するが間違いはない。
「もしかしたら、消去されてしまったかもしれません」
「昨日、今までと違う見え方していたんです。あれは最後だったからかも」
「どんな感じだったのですか?」
「カメラにぴったりくっつくように彼女の顔というか目が見えました。すぐに締めてしまったんですけど」
 イチゴちゃんは小さく呟いた。それは意図してではなくて心の中で思った言葉がうっかり出ただけのようだ。
「何ですか?」
「彼女に何かあったから、サイトが閉鎖されていたら、どうしようかと思いました」
「何かって?」
「九相図のようになっているかと」
「くうそうず?」
「絶世の美女、小野小町が、亡くなってから仏になるまでの姿を、現した絵の事です」
「でも死んだなんて、そんなこと」
「死ぬわけ無いじゃない」
 その叫んだのは華弥だった。
 華弥は、ランドセルを背負った肩を怒らせて、頬は紅潮している。
 姉かもしれない彼女が死んだと何の確証もないまま話しているのだ。優は自分の無神経さがいらだたしかった。
「落ち着いて」
 イチゴちゃんは立ち上がると華弥の肩を叩いた。
「つながってなくても分かることはあるから」
 イチゴちゃんは華弥を連れて、パソコンの前に立った。
「何する気ですか?」
 優の問いかけにイチゴちゃんは笑った。
「つながってなくても得られる情報はありますから。ドメインは、住所のようなものですから、パブリックなものなんですよ。だから、どこの誰が登録されているか調べることができるんです」
「誰でもですか?」
 優の質問にイチゴちゃんは頷いた。
「Whoisサーチというもので調べることができます。それに対しての対処法はいくらでもありますが、している方は少数派ですから」
 画面には黒字に白で様々な文字が浮かんでいる。意味の分からない英語の文章だ。イチゴちゃんは読み取っているようで無言だ。華弥は後ろから画面をのぞき込んでいる。
「どうですか」
「残念、少数派のようです」
 イチゴちゃんの言葉に華弥は小さく首を横に振った。
「いえ、どうもありがとうございました」
「何か力に慣れなくてごめんね」
 華弥は優の腕を掴んだ。
「じゃあ、帰ろう」
 そのまま優は華弥に引っ張られ外に出た。
「じゃあ行きましょうか」
 華弥はいった。
 昨日の少女の見せた虚無は華弥にはないが、やはり正面から見ると動悸が早くなる。
「どこにさ」
「彼女のいるところによ」
「なんで分かったの?」
「さっきの画面に、住所があった。桜市本町ってね」
「だって先生何もいわなかった」
 イチゴちゃんが嘘をついていたというのだろうか。
「生徒が危険に近づくって思ったんでしょ。まあ、教師としては当たり前の反応じゃない」
「よく憶えられたね」
「だって女優ですから」
 華弥はにっこりと笑った。
 
 華弥が見た住所は駅前だった。それをしった子供達がどうするか考えてイチゴちゃんは何も言わなかったのだろう。
 その辺りは狭い中華料理屋や昔ながらの小さな飲み屋が並んでいるが、あいている店も多くあまり柄のいい場所ではない。
 住所をたどっていくと、横に倉庫らしい建物のある平屋の店だった。優はこの店を知っていた。
 バナナ書店。書店といいながら、中古の本を中心に、ゲーム器具やパソコン、フィギュアなども扱っている店だ。優の使っているパソコンも父親がここで買ってきたものだ。
「入ったことある」
 華弥は首を横に振った。
「だってここあまりいい店じゃないでしょ」
 優からすれば、華弥のいういい店の基準は分からないがいつものように入ることにした。
「入るよ」
 華弥が声をかける。
「ちょっと待って」いかにも顔が隠れますといった大きなサングラスを華弥はかけた。「これでいいわ」
 バナナ書店に入った。
 レジは店を入ったところにあった。学生らしい店員は、こちらに声をかけることなく、手元のパソコンに熱中している。
 店先には新作のゲームや、マンガを中心に置かれている。そして中古らしいノートパソコンや、アイポッドのようなMP3プレーヤーがガラスのケースに入っている。
 さらに進むと中古のゲームと、古書のフロアになる。
「何か変な臭いする」
 華弥が結構大きな声で言うので口を押さえた。
「大きな声出すなよ」
 中にいる数人が自分の服を嗅いでいるのが見えた。
「本当の事だから」
 華弥は嘯いた。
 華弥を無視して先に進んだ。店の奥にはアダルトと書かれたコーナーがあった。
 少女に関わるものがあるとしたら、ここから先のような気がした。
 周りには人の目はない。
「ここなの」
 華弥はさっさと入っていくから慌ててあとを追う。
 入り込んだそこには、DVDが所狭しと並べられている。
「ここは子供は入っちゃ困るんだよね」
 背後から声がした。
 店長と書かれた名札をつけた中年の男が立っていた。手にはロゴの入った段ボールを持っている。
「ごめんなさい」
 優は反射的に頭を下げる。
「はい、出て出て。君たちがそういうの見ているの、見つかっちゃうと、おじさんが捕まっちゃうからね。はい、そっちの女の子もね」
 華弥は戻ってきた。無言のままで優の後ろに隠れてくる。
 さっさと店の先まで来た。レジではアルバイトがパソコンに夢中のままだ。
「おい、ちゃんと見ててくれよ」
「はい」
 精気のない声でアルバイトは答える。
「私の出ている作品あるかな」
 華弥はサングラスを取って顔を晒した。
「本物だ」
 バイトは背筋を伸ばして立ち上がった。
「うるさい」
「ファンなんです。サインいいですか」
「え、ああ」
 あまりにバイトの男の熱意ある声に華弥はサインペンを受け取った。

 バナナ書店を出で暫く無言だった華弥は憎憎しげに呟いた。
「いらついて何か殺しそう」
 にらみつけてくる華弥に優は目をそらした。
「おっかないな」
「もう苛ついて死にそうなんだから。箱見ても何も思わなかったの?」
「別に。それよりも、そんなに思いつめないでよ。イチゴちゃんも何かしてくれうだろうし」
「だといいけど」
「どうしてそんなに信用しないの?」
「家で弥勒地 華弥 ヌードで検索してみなさいよ」
 華弥は立ち止まった。華弥は立ち止まった。ランドセルの中から鳴っている携帯を取り出す。
「私、ちょっと用ができたから」
 叫んで華弥は走っていってしまった。
 優はそのまま走って家に戻ってパソコンを開いた。
 グーグルに慌てて文字を入力する。文字は、『弥勒地 華弥 ヌード』。
 多くは無いが、数件の検索結果が表示された。
 開こうとすると、削除されており表示はされない。ただ、検索に出る結果を合わせてみると、華弥のヌードがどこかに出回っているのが分かった。それだけではなく、ポルノも出回っているようだ。ただ、それは本物ではなく、そっくりな偽ものであるという話の方が大筋なようだ。しかし、そのせいで決まりかけていた教育テレビのレギュラー番組が駄目になったと記されていた。
 華弥のヌードはアングラで、かなりの高額で取引されているという情報は見つけることはできたが、画像らしいものは見あたらなかった。
「先に教えてくれよ」
 そのヌードモデルや、『Day Lily』が華弥でないのなら、きっとこれは華弥の姉のものなのだろう。こんなに似ていないわけはないのだから。
「お姉さんかもしれないんだし」
 優が話した少女のことを聞いて、華弥は真っ先にこれを思い出したのだろう。
 優は少しでも何か手がかりを開こうと、ブックマークしてある『Day Lily』を開いた。もうサイトそのものにつなげることができなくても何か手がかりがあるかもしれないと思ったのだ。
 学校での事を空白のページが出ると思ったそこには少女がいた。少女は倒れているがいつもと服が違った。日差しに一切あたらないような露出の少ない服。それは今日、華弥の着ていたものだ。
 華弥が倒れている。足元に転がっているのはサングラスだった。
 画面に顔を近づける。目に入ったのは、段ボールだ。そこに書いてあるロゴは、先程店長が持っていた段ボールにも同じ物が描かれていた。華弥はそれに気づいたのだ。
「ああ、どうして」
 優は駆けだした。
 恐らく華弥は一人で、乗り込んでいって、捕まったか何かで危ない目にあっているに違いないのだ。
 そして姿の見えないもう一人の少女。
「遅いよ」
 自転車をかっ飛ばした。息が切れてペダルを踏むのも辛くなった頃、バナナ書店が見えてきた。
 先程まで営業していたのに今は閉店の札が出ている。そのまま通り過ぎて、少し離れたコンビニの前に自転車を停める。
 正面からいって、華弥を返せと騒いでも意味はないはずだ。あの華弥の様子からいって、何か暴力をふるわれたかもしれない。
 忍こんでも助けなくてはいけない。どこかから入ることはできないだろうか回ると、ガスや空調のパイプを伝わって敷地の中に入れそうな隙間を見つけた。
「よし」
 自分にいい聞かせて中に入る。気持ちは先走って動こうしているのに、置き去りにされている身体が重い。そして隙間にお腹が引っかかる。
 明日からお菓子も止めて、ちゃんと運動しようと思いながらも、大汗をかいて、どうにか庭の中に入ることができた。
 倉庫が見えた。倉庫の周りには人の姿はない。扉に近づいて耳を近づける。物音はしない。
 扉に手をかけた。軽く押しただけで扉は開いた。
「ここって」
 倉庫の中はパソコンで見たのと同じ空間だった。今までは分からなかったが、小型のカメラが数個備え付けられている。
「助けにきてくれたのね」
 華弥に似ているが、知らない少女の声が聞こえた。優は急いで声の方に近づいた。
 画面では死角になっていた段ボールの影には大型のサーバー型のパソコンが置かれている。
 探してみるが華弥の姿も、少女の姿もない。
「ここにいるの」
 パソコンに近づくと、電源は入っているが、待機モードになっている。軽くマウスをいじると画面が明るくなって画像を表示された。

「何している」
 怒鳴られた声にびくっとなった。
 振り返ると、倉庫の入り口には、さっき店であったバイトの男が立っていた。ファンと言っていたあの男なら
「弥勒地はどこにいるんだ」
「華弥タンなら、さっき君と帰ったろ」
 嘘か本当か。
「嘘をつかないで。私を助けてください」
 華弥の声がした。声はパソコンからだった。
 男は素早く動くと、優を弾くようにしてパソコンに近づいた。
「あれオフにしてあるはずなのに。クソ」
 マウスをクリックした。そこには優には見慣れた映像が見えてきている。目の前にあるのと同じ倉庫のものだ。
「音声オフにするぞ」
 画面の中で華弥がこちらを見つめていた。
「弥勒地さん?」
「おお、本物知っている少年でもそう思うのか・・・こいつはやはり完璧だぜ」
 優は画面に顔を近づけた。本物に見える。しかし、現実の倉庫に少女の姿はない。
「これもしかしてCG?」
「すごいだろう。俺も本物かと思った」
「誰が作ったんですか?」
「買い取ったジャンクのパソコンに入ってたらしい」
 この映像が流されているのが、『Day Lily』なのだろう。
 自分が探していたものも、華弥が求めたものもただのCGだと思うと、おかしくなった。
「どうして弥勒地さんの格好を」
 男は自慢そうに笑った。
「さっき映さして貰った写真から作ったんだ。よくできてるべ」
「はい」
 CGだと分かれば、少女は魅了される存在だった。まるで人間のような自然な動作。これがプログラムで動いている事は驚きだった。作品なのなら、素晴らしいの一言に尽きる。 しかし、わかってはいても、優に向かって縋るような眼差しと、必死に動かしている唇に胸が痛む。
「そろそろ出たほうがいいぞ。店長、ここに入られているの知ったらぶちきれるからな」
「どうしてですか、こんな素晴らしい作品なのに」
 パソコンの画面が消された。
「作品か・・・これはそれだけのものじゃないんだよ。店長にとっては金の卵だからな」
 こうして少女に華弥の服を着せられると言うことは、逆もできるかもしれない。
 本人が何も知らない、弥勒地華弥のヌードが出回り始めるということだ。
 これ以上言わない方がいいと思い、優は頷き倉庫を出た。

 数日後、バナナ書店には警察の家宅捜査が入った。児童ポルノ販売の疑いだという。そして一週間もしないうちに、バナナ書店は火事になってしまった。
 保健室にいって、バナナ書店で見た事を話すとイチゴちゃんにグーで頭を殴られた。
「何もなくてよかったです。バナナ書店に連絡したのは私なんです。あなたの見た物を考えると、実際に何かあったのかもしれませんね。ただ、CGの為に一つ店が無くなったと思うと何かもうしわけないですね」
「こんにちは」
 優は華弥の姿を見て目を細めた。青いシャツワンピに、花柄のロングスカートだから普通の子に比べれば、肌はでてないが、十分夏にふさわしい格好になっていた。
「この格好の方が今までよりカワイイでしょう。やっと撮影終わったからきれるんだ」
 華弥は笑った。
「撮影」
「映画のね。シーンによって、日焼けしているとおかしいから、あんなに隠してたんだ。冬には全国公開だよ」
「お姉さん見たら連絡くれるかもしれないね」
「お姉さん?」
「生き別れのお父さんとお姉さんがいるって」
 華弥は笑って、手を組んだ。一瞬で表情が変わり、優しげな少女の表情になる。
「『やっと気づいたんだよ。家族がみんなで暮らすのが幸せだって』」
 意味が分からず華弥を見ていると、イチゴちゃんが拍手を始める。
「『二人のロッテ』の最終回のセリフね」
「先生ご存じですか?」
「あれはいい作品だったと思うわ」
 優はわけが分からず二人を見つめた。
「ああ、見てないのね。華弥ちゃんが声をあてていたアニメよ。自分たちが双子と知らずに育った姉妹が、サマーキャンプで再会して、入れ替わる話。最後に両親が仲直りするのよ」
「じゃあ、全部嘘なの?」
 華弥は頭を下げた。
「ごめんなさい。だって、言いづらかったんだもん。許してくれる?」
 優は頷くと、華弥は顔をあげて笑顔を浮かべた。優は黙ってその姿を見ている。
「何そんなに見とれるくらいカワイイ?」
 優は答えなかった。
 目に映っているのは、華弥ではない違う人の面影。『Day Lily』で見た彼女の縋るような眼差しだった。
posted by 作者 at 02:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 短編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月21日

キャンディーフロスワールド

「『佳奈』は宇城さんを殺すかもしれない」
 電話の向こう声は淡々としていて思わず祐介は苦笑した。佳奈は無害な存在だ。手も足もないのに殺せるわけはないのだ。
「山海さん、『佳奈』はソフトにすぎないんですよ。ワードとかウィンドウズみたいなもので、プログラムですから」
 そういいながら何か大切なものを失った気がした。佳奈がもういなくなってしまったようなそんな気持ち。
「ソフトウェアだって人を殺す。考えてみてくれ。信号機が町中で狂ってしまえば事故が多発する。同じことだ。『佳奈』が意図的に、障害を起こせば、結果として、人は死ぬんだ」
 祐介は息を飲んだ。
 今の世界、電子制御されていないものの方が少ない。そこに悪意が介在すれば人を傷つける事もあるかもしれない。
 しかし、悪意は人間のもの。ソフトウェアそのものに悪意はあるのだろうか。
「それはプログラムの問題で、『佳奈』は関係ない」
「『佳奈はプログラムの集積』。さっき、その口から出た言葉だ。プログラムの問題なら、『佳奈』が人を殺す事もあるとは思わないか?」
 祐介は言葉を失った。


 『名前を入力してください。名前には言霊が宿ると申します。変更は不能ですので、慎重にお選びください』
 ディスプレイに出た文字に、祐介はおかしくなった。
 言霊。言葉に宿ると信じられた霊だ。最新のソフトである『ヴァーチャロイド』には不似合いな言葉だった。
 選ぶ必要もなく名前は決まっていた。結城佳奈。小学生の頃気になっていた女の子の名だ。
 そうはいっても彼女は一月に引っ越してきて、三月には転校してしまったので、残っているのはあくまで印象だ。物事をなんでも正解と不正解、白黒ばっさり切ってしまうような、きっちりとした少女だった。
 名前を決めた後、インターフェイスを設定する。画面に現れて人間の相手をする姿形を決めていく。体型や髪型、輪郭や目、鼻、口といったパーツの組み合わせだが、『京』という実際は確認しきれないバリエーションを生み出す。加えて声や口調、口癖といったところから、服やアクセサリーも加えられるので、同じ物が存在する可能性はほとんどない。それだけにソフトの起動準備をしているというよりは、モンタージュのように、実在の人間を再現しているようにも見えるかもしれない。
 数時間後、ディスプレイに結城佳奈の姿は現れていた。多少頭身が低いせいで、幼いような気もしたが、二十代前半といっていい女性の姿がそこにはあった。記憶の中にある佳奈の印象、青みを覚えるような肌の白さと、亜麻色の髪は、うまく再現されていた。
『起動しますか?』
 イエスを選んでマウスをクリックすると、モニターの中で結城佳奈は動き始めた。閉じていた目がゆっくりと目を開いた。どこかでモーター音がした。
 モニターの中の佳奈が自分を見つめているのがわかる。実際は連動したカメラに合わせて目線が動くだけなのだが、その動作だけで中に人間がいるような気がしてくる。
 目線が祐介に向けられているのがわかる。
「結城佳奈です。私たちはあなたが幸せでいてくれるためのパートナーとして作られました。よろしくおねがいします」
 パソコンソフトの音声はいかにも合成音声であるのに、とても自然だった。
「はじめまして」
 思わず挨拶してしまう。ディスプレイの向こうで、誰かが会話している気になる。
「そんなに緊張しないでください」
 佳奈はいった。
「ごめん」
「いえ、だいじょうぶです。少し音楽でもかけましょうか」
 パソコンのスピーカーから音楽がかかり始まる。ムーンリバー、彼女の好きな映画で流れる曲だ。ランダムにパソコンの中にある曲を選んだのだろうが少し驚いた。
「どうしてその曲を」
「好きなんです」
 にっこりと笑って答える彼女に、その好きという気持ちがプログラムであるのを知っているのに、大きく頷いていた。
「昔の映画ですけど窓際で歌うところが好きで。演じた女優さんも好きなんですけど」
「ティファニーで朝食を」
「正解です」
 佳奈は強く頷いた。
 思っていた以上のすばらしさだった。

 ヴァーチャロイドはマギシステムズというメーカーのソフトだ。
 『あなたの理想(アニマ・アニムス)届けます』というキャッチで発表されている。心理学の用語で、心の中にある男女の理想像をアニマ、アニムスと呼んでいる。うまく育てることができれば自分の心の一部を再現できる。
 ヴァーチャロイドは、細かく作り込む事ができるソフトだ。多くのゲームソフトでもキャラクターを自分の望む姿にできる。主として自分の操るキャラクターとしてだ。ヴァーチャロイドは操るキャラクターではない。『天然知能』が搭載されており、会話を中心とした育成ソフトだ。
 その中身に加え、CGで描かれたとは思えない自然な動きをする。カメラを通すことで、こちらの動きに自然に反応する。
 プロモーションの為の映像を見た時、何ともいえない懐かしさがあった。そのまま、パイロット版、製品化前のソフトのテストプレイをするテスターを募集しており、応募してみた。しかし、テスターは落選。おまけに製品版は中止になった。しかし、数日前に駅前バナナ書店という中古のゲームやCDの置いてある店で、テスターに配布されたパイロット版が売られていた。早速購入して、インストールして、今に至る。
「あの、暑くありませんか?」
 夜中からしていたせいで気づけばもう昼近い。汗まみれになっている。
「システムにフルアクセスする権限をもらえれば、いろいろとお世話できます」
 フルアクセスする権限はパソコンだけではなく、家庭内でパソコン制御されている機器をコントロールできるようになる。
「ああ。よろしく」
 クーラーの入る音がした。
「カーテンも開けますね」
 窓のカーテンがゆっくりと開くと朝とはいえ、暑い夏の光が射し込んできた。
「私と同名の方がいますよね」
「ああ」
 どきっとした。
「そうだね。ただ、同じ名前はたくさんいると思うよ」
「そうですね」
 ヴァーチャロイドは会話を円滑にする為に、パソコン内は無論、ウェブにアクセスして、情報を検索するという機能があるのを思い出した。おそらくはどこかの検索エンジンにアクセスしたのだろう。
「性格設定デバイスを、K7にしていただけると、随分近づくと思います」
 言われるままに設定をいじる。
「おお、こっちの方がしっくりきますね。よろしくね。あと、なんて呼べばいいかな。初対面だし呼び捨ては何だよね」
 さっきよりも少し言葉が乱雑になった気がした。
「好きなように読んで」
「じゃあ名前で呼ぶよ。私は呼び捨てでいいから。ところで今日会社は? 平日だよね」
「今日は休もうかと思って?」
「病気にはみえないけど」
「いや設定で疲れちゃって」
「それは不正解。私にかまけて仕事さぼるなんてイヤ」
「いや、でも」
 佳奈の姿が画面から消えた。
パソコンに異常があったと思ったがそうではない。
佳奈のいなくなった今、画面には高原のリゾートホテルのような部屋が見えている。
 祐介は画面に近寄った。画面の端に佳奈の亜麻色の髪が映っている。少し安堵して声をかける。
「どうしたの?」
「会社にいかないなら、このまま消えます」
「そんな」
 ヴァーチャロイドが家出という話は聞いたことなかったが、これだけのソフトならそれくらいはしてあるかもしれない。
 祐介は小さな声でいった。
「わかったいくよ」
 佳奈は姿を見せて、笑顔を見せた。
「正解。いってらっしゃい」
 自分が設定した口癖だがなつかしい気がした。

 今日の仕事は散々だった。
 何といっても上司が指示してくる内容が歪だ。それを少しでも変えて行うだけで、罵詈雑言が飛んでくる。しかし、そのまま行えば顧客に迷惑がかかる。誰もが納得できる、ぎりぎりの線を探していた結果、今日も終電ぎりぎりだった。
 家に帰り着いた頃には午前一時を回っていた。
 玄関には明かりがついていた。
 電気をつけぱっなしだったか、一瞬悩んだ。朝、追い出されるように家を出たせいで思い出せなかった。
 カギを開けて、家に入った。
 何かいつもと空気が違う気がした。明かりがついているし、泥棒でも入ったのだろうか。
 不安にかられながら、足音を忍ばせてリビングに入った。
 心地よい風が吹いてきた。空調がしっかりときいている。天井の照明がついて、壁にかけてある液晶テレビにも電源が入った。
 テレビの中、佳奈が顔を見せた。
「お帰りなさい」
「これ君がしたの?」
「正解。一応できる範囲でしておいたよ。家の中で完全に、パソコンで制御できるのは、テレビとかAV機器とお風呂と空調くらいだけど」
「ありがとう。お風呂は後でいただくよ。先に食事をするから」
 コンビニの袋をリビングのテーブルに置いた。ネクタイを緩め、ソファに座る。
「これでいいかな」
 佳奈の姿が消え、NNKのニュースが流れ始める。
「録画だからね」
「ありがとう」
 確かにこんな夜中にニュースはしていない。
 座って眺めていると、楽しいニュースは少ない。世界では新型ウイルスが猛威を振るい、敵のいない紛争、金本位制度の再開。日本では自殺者の増加や、設備の不良による事故の多発が上げられていた。
 コンビニの袋からとったおにぎりを食べ始める。
「いつもそんなのなの?」
「まあね」
 答えると画面が切り替わった。
「しょうがないな。明日は夕飯に野菜炒め用の野菜のパックと、豆腐。あとオイスターソース買ってきて」
「何で?」
「残念ながら私は食べられないんだけどね。君の為に少し料理するよ」
「料理」
 一瞬嬉しく思ったが、どう見えても画面の向こう側の話しだ。
「こっちからできるのは火加減くらいだけど、大切だからね」
 祐介は佳奈が熱心にいっているのを見て、「わかった」と頷いた。

「どう?」
「おいしいよ」
 目の前には佳奈の指示通りに作った野菜炒めがある。指示されるに任せて野菜と調味料を混ぜて、電子レンジで加熱しただけだ。それなのに目の前の野菜炒めは自分で作ったとは思えない味だった。
「料理上手といいたいところだけど、せいぜい温め上手ってところだけど」
「確かに」
 モニターの中の佳奈は自然だった。グラフィック、映像としての見栄えも本物に近い。しかし、本質はあの会話だろう。目の前にいると、まるで誰かが向こう側で話しているように思える。いくらパソコンのスペックが高いといっても、普通に買えるものだ。それであの完成度。プログラムが余程優秀なのだろう。
「何か変な顔しているけど、火加減おかしかった?」
「そんな事ないよ」
「よかった。何か食べたいものない? あればつくってあげる」
「料理得意なんだね」
 佳奈は苦笑した。
「設定したのは自分なのに忘れちゃったの」
「言われてみれば」
 設定した項目は膨大で、記憶にはなかったが、話を合わせて頷いた。
「でも今日は随分早いね」
「ああ用事があるからって定時であがった」
「忙しいんだね」
「忙しいというか、指示してくれる人が何もわかってないから、無駄が多いんだ」
 佳奈は考えているのか腕を組んでいる。腕組みを止め、はしゃぐように飛んだ。
「いいこと思いついた。業務を教えてあげれば」
「いまさら部長に」
 祐介には思いつきもしないことだった。
「その人も聞きづらいんだよ。だから、こっちから声をかけてあげればいい」
「そういうもんなの?」
「勿論、正解」
 佳奈は大きく頷いた。

「ただいま」
 出た声を大きかった。
 既に十二時を越えていると考えるとうるさかったかもしれない。気にしながらリビングに入ると、テレビの電源はついていた。
 佳奈がその画面に映っているのも今はすっかり慣れた。
「おかえりなさい」
 祐介は佳奈が自分の顔をまじまじと見ている事に気づいた。
「どうしたの?」
「なんかいいことあったみたい」
「言った通りだったよ。こっちからうるさいくらいに尋ねたら、いろいろ疑問点をあげてくれて。随分とほめられた」
「やっぱり正解だったでしょ」
 佳奈は頷いた。
「でも遅かったね。もう真夜中だよ」
「会社でハッキング騒ぎがあって、その対応でね。ハッキングってわかる? 勝手に会社のパソコンの中に入ってきてデータを盗んでいったりする事なんだけど」
 少し間が空く。恐らく検索して情報を見ているのだろう。
「覗くとかじゃなくて?」
「覗くともいうけどね、情報には実体がないから。ファイルとか持ち去られた記録がパソコンに残ってなくても、ハッキングした人間が何かを記憶していれば盗んだのと一緒だから」
「なるほど。そんな事だけでも大変になるんだね」
 佳奈は何か思いついたようで小さく笑った。
「私も今、盗まれているね」
「何を?」
「私の存在を。この姿を君が忘れないでくれればだけど」
「忘れないと思うよ」
「だといいけど。私たちは実体がないから。偲べるような何かを残せるわけじゃないから」
 佳奈は目を伏せた。
「ごめんうっかりしていたそっちからすれば当たり前だよね」
「当たり前って何がだい?」
「私たちはプログラムの羅列、ヴァーチャロイド。仮想のものにしか過ぎないっていうこと」
「そんなことない」
 出た声は激しく、祐介自体が驚いていた。
「ありがとう」
 佳奈は真顔で答えた。
「今日はもう寝るね」
 佳奈の姿が消えた。
 暗くなった画面に映る自分の顔を祐介はぼんやりと見つめていた。

 西日が海面に反射して目に痛いほどだ。
 祐介が桜浜に来るのは二度目だった。住んでいるところから歩いて三十分ということから、いつでも来られる安心感のせいだ。
 桜浜には故郷創生プランという市の方針で人工砂丘が作られている。しかし海水そのものは浄化の努力はされているが、きれいというわけではないので、海に入っている者は少なく、見かけるのも近くの小学生くらいだ。
 人気のないテトラポットの一つに祐介は寄りかかった。ショルダーバックから小型のノートパソコンを取り出す。電源をいれ操作すると、画面に佳奈の姿が現れた。
 佳奈はロッキングチェアに座り本を読んでいる。
「佳奈」
 声をかけると佳奈は顔を上げた。
 そして驚いた顔で、見つめてくる。なにか確認しているようで少しばかり間が開く。
「どうしたの? 家にはいないよね」
「そっちからどれくらい見えているかな」
「外にいるくらいは分かるけど海かな」
 祐介は頷いた。
「これどうしたの?」
「本体を持ち出すのは無理だから、ノートパソコンで中継できないかと思って」
 思ってと軽く言っているが、思いつきがしっかり起動するまでかなりの時間を割いていた。昼前から始めたのに半日近くかかってしまいこんな夕方になっていた。
「夕日きれいだね」
 そう言われてみればもう夕暮れが近い。
「うん」
「その世界から連れて行くことはできないけど、場所くらいはね」
 画面の中で佳奈の部屋が消え、桜浜の景色が広がる。
 祐介の作ったプログラムが作動して、映像の取り込みを始めたのだ。
「すごいよ。この部屋の外に出るの初めて」
 佳奈は遠くに消える夕日を眺めている。それは祐介が見ているのと同じ夕日だ。
 これは祐介にとって思い出になる。佳奈の中にも何か残るのだろうか。
 夕日が落ちて薄暗くなってくる。
 通信に電気を大量に使ったせいで、ノートパソコンのバッテリーも既に一割を切っていて、十分も持たないだろう。
「帰ろうか?」
「部屋に海の本があるけど、こういうのが好きなの?」
「育ったところは山の中でね。だから海に憧れていてね。だからこの海に近いところに家を買ったんだ」
「悪くない選択だったね」
「でもきたのこれで二回目なんだ。忙しくて、なかなかね」
「またこようよ」
 佳奈は小さな声で歌い始めた。ムーンリバーだった。

「最近早いな」
 仕事を終え、帰宅しようとしたところで部長に声をかけられた。
「ちょっと用事がありまして」
「彼女でもできたか」
「そういうわけじゃないんですけど」
 素直に答えると部長は何かに納得したように頷いた。
「お前、いい顔をするようになったな。前は、口に出さなかったが今はしっかり主張するようになった」
 確かにこう言われても、前なら反発や萎縮をしたかもしれないが、今は違った。素直に頷くことができた。
「前、担当したがっていたエコ関連の仕事な。来週、新規の仕事が立ち上がる。急だが担当してみないか」
「本当ですか」
「ああ。今の君なら安心して任せられる」
「ありがとうございます」
 祐介は頭を深々と下げた。
「ただ、忙しくなるぞ。冗談じゃないが、彼女がいるなら先に話しておけ。急に忙しくなると怪しまれるからな」
「分かりました」
 部長に一礼して外に出る。
 電車に乗るとじわじわとうれしさがこみ上げてくる。
 環境関連の仕事はずっと希望していたものだった。
 祐介の会社で収益をあげているのは、電源開発と呼ばれる仕事だ。国や大企業と行う事業は、もう二十年前から始まり、八十年後先までスケジュールができている。しかし、現在の電源開発事業は、原子力発電所の放射能漏れを始め、社会の風向きや、政府の見解が変われば、いつ止まってもおかしくはない。だから早めに次の一手、いや数手先を考えておかなくてはならない。
 だから、環境に配慮した事業、世間的にはエコロジーやエコと呼ばれている部分の比率を高めるべきだというのが祐介の考えだった。
 気分が高揚したまま、会社を後にした。
 夏のせいか家についてもまだ明るかった。
「ただいま」
 家の中は最適な温度に保たれている。
「お帰りなさい」
 玄関で声がした。
 佳奈の為にカメラやスピーカーを増設した。少なくともこの家の中を、いろいろ観察できるようにした。
 リビングに入れば今までのように佳奈はテレビの中にいた。
 中の佳奈のいる部屋は今までのような避暑地風の部屋ではなく、リビングがそのまま再現されている。そのせいで佳奈の部屋まで連続しているように思える。海に行った時のプログラムを利用して、佳奈が選んだ内装だ。
「何かいい顔している」
「そうかな」
 顔に出るくらい嬉しいのだろう。
「新しい仕事が始まるんだ。前からやりたかった仕事で」
「よかった」
 佳奈は元気よく笑った。
「帰り遅くなるかな」
「正解。それは覚悟しておくように言われた」
「でも好きな事だからいいよね。私も何かしたいけど」
「プログラムの勉強はどうだろう」
「プログラム? それは『汝自身を知れ』みたいな意味」
 言ってから佳奈がプログラムなのを忘れている自分に気づいた。
「ごめんそういうつもりじゃなくて、普通の人と話す感覚になっていた」
 佳奈は苦笑した。
「それならいいや。でも、プログラムの勉強はいいかもしれない。まだ少ししかしらないし。もしかしたら返すこともできるようになるし」
「返すこと?」
「電子レンジの火加減とかもともとついているのだとちょっと大ざっぱだから。もっとおいしく作れるようになるよ」
「それはすごいな」
 祐介は答えてから冷蔵庫からポテトサラダを取り出した。昨夜自分で作ったものだが、佳奈の指示で作ったので味はよく分からない。食べてみるとスパイシーでビールにあいそうだ。
「でも料理はもう十分なくらいうまいよ」
「それはありがと」
 佳奈は笑った。

−確かに環境だけど、環境破壊の方だよな−
 口には出さずに心で呟く。
 祐介が担当する事になったのは、プロモーションの為の映像の作成だった。
 広告会社が提示してきたのは、原子力が安全でクリーンなエネルギーかということだった。おそらく今まで会社がしてきた事からなのだろうが、今回は方向が違った。
 結局、一日目は、次回用意する資料についての聞き取りになってしまった。
 そのため、祐介の仕事は、まずは資料を揃えて広告会社の方に提示する事だった。
 部長の言っていた忙しくなるというのは、こういう意味だったのだろうか。正直、プレゼンの為の資料づくりで忙しくなるとは思っていなかった。
 家に戻って、佳奈に話すと、あまりに熱心に聞いてくれるので、話すのを止めた。自分の言っている事が、愚痴であるように思えたのだ。
「ごめん。君はどうだった?」
「特にないよ。部屋で本読んでた」
「誰か来ないの?」
 言ってからまた錯覚に気づく。佳奈には客人などいるわけはないのに。
「いいの、呼んでも」
 佳奈の答えは予想外だった。
「いいって、呼べるの?」
「同じヴァーチャロイド同士なら、相互の部屋に入ることができるの。今度、お客さま歓迎って書いて出しておくね」
「友達できるといいな」
「そうすれば、放っておいても大丈夫って、安心して仕事できる?」
「え、いや」
「不正解。でも、いいよね、友達って」
 佳奈は楽しそうに笑って、すぐの事だ。パソコンが警戒音を立てる。
「ちょっとまってて」
 佳奈の脇に少女が現れた。『無名 Nameless』と表示されていて、名前はないようだ。外見的に十歳前後の子供だ。手術の時に着るような布の衣で、手足にも包帯がまかれている。顔立ちは綺麗といってよく、ドラマか映画で見たことがある気がした。実在のモデルがいるのかもしれない。
「お客さん」
「はじめまして」
 無名の少女は頭を下げた。
「はじめまして。ここはすてきなお部屋ですね」
「ありがとう」
 佳奈は笑顔で答える。
「こういう事もできるんだよ」
 画面の中が海に切り替わった。無名の少女は驚いたようで海を見つめている。
「海。データ上は知っています」
 佳奈に比べると無名の少女は随分とコンピューターっぽい気がした。
「そうなんだ」
 佳奈に使っているプログラムは、佳奈の為に作ったものだから普通のヴァーチャロイドには装備されていないものだ。
「君にも教えてあげる」
「いいのですか?」
「ただ、佳奈と友達になってあげてくれないかな」
「それは不正解。友達というか妹かな」
「妹になります」
 佳奈は無名の少女を抱きしめた。
 少し安堵した。仕事はますます忙しくなる。しばらく佳奈にかける時間はそんなにない。
 無名の少女が消えた。
「あれ?」
「パートナーに呼ばれたんだと思う」
「なるほど。ああいう風に消えるように見えるんだ」
「本当に仕事はどうなの?」
「明日から、撮影に入るよ」
「ますます忙しくなるね」
「そうなんだ。終わったら、また海に行こう」
「大丈夫だよ」
 画面の中で佳奈が海を指さす。
「ほら海」
「そうじゃなくて一緒に行こうってこと」
「あ。うん」
 佳奈は頷いてはいるがよく分からないようだ。
 確かに海にいった時、感じたものは錯覚で、佳奈には分からないかもしれない。そもそも佳奈は感じることができるのだろうか?

 一ヶ月あまりが過ぎていた。
 いよいよ撮影が本番に入る。今日から実際に撮影するスタッフや、ナレーターとの顔合わせだった。
 祐介からすれば、後は撮影されたものを見て、文章のチェックなど、改善点を告げるだけだから、少しは楽になる。
 会社の会議室が満室で、駅前の喫茶店シュワルツを使うことにした。シュワルツはマスターと、学生のバイトでやっている、昔ながらの喫茶店だ。
 シュワルツに入ると、いい香りがした。マスターがカウンターの中でコーヒーをミルにかけている。
「こっちですよ、来須さん」
 制作会社の担当者八橋が手を挙げる。八橋に向かい合って女性の姿があった。
「八橋さん。お待たせしました」
 女性が立ち上がると振り返って祐介に頭を下げた。
「いえいえ。断然、来須さんにはお世話になってますから、そんなのいいですって。ああ、ところで何か飲み物」
 八橋の言葉は、祐介の耳には入ってこなかった。
 佳奈がいた。いや彼女は佳奈ではない。まず、亜麻色の髪ではない、黒いロングストレートだ。肌もうっすらと日焼けしている。しかし、顔立ちはよく似ている。
「こんにちは。ナレーションをしていただく、宇城奈結香さんです。奈結香さん、こちらは来須さん」
「初めまして宇城奈結香です」
 奈結香は頭を下げる。
「はじめまして」
 祐介の声が震えていた。
「あれ知り合いでしたっけ」
 八橋の言葉に、祐介は首を横に振った。
「それじゃ、さっさと打ち合わせ始めちゃいましょうか」
 仕事の話はスムーズだった。この一ヶ月で十分練った企画だ。しかし、所々でどもったのは、奈結香のせいだった。
 奈結香は熱心に話を聞いてくれる。その頷いたしぐさや、答える声の口調。どこか懐かしくて、考えていることを一瞬忘れる。
 ミーティングが終わったのは、終業時間を一時間程過ぎた頃だった。
「せっかくですんで、一杯どうですか?」
「そうですね」
 八橋と奈結香の目が祐介に向けられる。
「分かりました」

 祐介は困っていた。
 目の前の奈結香も同じだろう。初対面の人間とこうして二人で放置されたのだから。
 八橋は仕事先から電話があり、外にいったきり戻ってこない。結局、二人で居酒屋の個室に残されることになった。
 いつもなら気楽に振る舞える個室はいい。回りから遮断され自由に話すことができる。今は完全に防音されているこの部屋は二人でいるには静かすぎた。
 とりあえず運ばれてきた中ジョッキで乾杯する。
 奈結香はおいしそうに喉をならしてビールを飲んでいる。祐介も倣うように一気に飲んだ。
「仕事はどうですか?」
「正直言うと結構大変です。今までの仕事と違っていて。あの、私の事、ご存じですか?」
「いや、すいません。疎くて」
 奈結香は不思議そうな顔で首を傾げた。
「初めてあった時驚かれていたでしょ。てっきりご存じかと思っていました。今までの仕事って洋画の吹き替えが多かったんですけど、声をご存じかって」
「驚いたのは個人的な事情です。不愉快でしたらすいません」
 祐介は頭を下げた。
「個人的な事情を教えてくれれば許してあげます」
 奈結香は笑っている。祐介は小さくため息をついた。
「昔、同級生だった女の子に似ていて。同級生っていっても、一学期くらいのつき合いなんですけど、よく覚えていて」
「同級生ですか」
「通っていた学校が理科クラブっていうのがあって盛んだったんです。それで楽しかったんで、よく憶えていて」
「理科クラブというと、蝶を育てるとかですか」
「ええ。ただ、綺麗だけど自分が育てたものだから、標本にするのは切なかったですけどね」
「前の年はカブトムシだったんですよね」
「それで部費を稼いだりして。」
 言ってから祐介は黙った。
 小学生のクラブ活動は特別だった。カブトムシをたくさん育てて、売って活動資金にした。そうした事が問題になると、次は蝶をたくさん育てて標本を作った。どちらもそんなに珍しい事ではないかも知れないが、二つが重なると珍しい。
「どうしてご存じなんですか?」
「だって、私もそこにいましたから。私の事、知っているでしょ?」
「結城さん?」
「正解です」
 昔そのままの口癖で奈結香は答えた。
「久々にいってみた。何か、時間が巻き戻ったみたい。あの頃は正解と不正解ばかりで楽だったな」
「大人になるとどっちつかずの方が多いですもんね」
 奈結香をみると、その中には確かに子供の頃の姿が思い出される。
「何で分からなかったんだろう」
「子供の頃は色も白くて小さかったし、こんなに大きくなりましたし」
 結城佳奈は確かに小柄で人形みたいで、決して大きい方ではなかった。
「多分髪の印象が強くて」
「あの頃は染めていたんです。ママが私を人形代わりにしていたので。こっちが本当の色なんですよ。黒過ぎて重いって言われちゃうんですけどね
「今も素敵ですよ」
 言ってから頬が暑くなった。昔、好きだった記憶のせいだろうか。
「ありがとうございます」 
 奈結香は笑顔で頷いた。賞賛になれた反応だった。
 最初に頼んだ料理が運ばれてきた。同時に八橋が戻ってくる。
「いや、すいません。ちょっとしたトラブルで」
「いえお仕事大切ですから。お詫びに、こっちにも回してくださいね」
 奈結香は頼んであったビールをそつなく八橋に差し出した。


「遅かったね。仕事?」
 部屋に入ると佳奈の声がテレビの中から響く。佳奈は編み物をしていたようで、手には編み棒を持っている。
「仕事の飲みで」
 いつもなら落ち着く佳奈の姿も、さっき奈結香をみた後だと少し奇妙な感じがした。
 人間めいた動作は、無数のプログラムの生み出した結果だ。それなのに佳奈は奈結香と同じくらい生き生きと見える。
「どうしたの?」
「ちょっと懐かしい人に会ったから浸っていたよ」
「不正解。目の前に私がいるのに失礼な
「確かに」
 祐介は笑みを浮かべた。
「どんな人なの?」
「宇城奈結香さん」
「ナレーションとか声優の人だ」
 佳奈は素早く検索をしたようだ
「そうそう。昔の同級生だった」
「私もずっと昔から知ってる」
 佳奈にとり昔はどれくらいの事をいうのだろう。佳奈は生まれて一年もたっていないのだ。
「好きなの?」
「いきなり何言ってんの?」
「今まで見たことない顔しているから」
「そうかな」
 確認でもするように祐介は顔を触ったが何もわかりはしなかった。
「角でも生えてる?」
「鼻の下のびてるよ」
「そういう言い方やめてくれ」
 佳奈は下を向いた。
「不正解だったね」
「いや、いいんだ」
 舞い上がっていた自分の顔から、見たことない情報を読み取ったせいで、今までにないリアクションをすることになったのだろう。
「僕のせいだから」
「そんなことないよ。そんなことない」
 佳奈は大げさにあくびをした。
「何か眠くなちゃって」
「僕ももう眠るよ」
 答えはなかった。 


 ため息が大きく響いたので、自分で驚いた。喧噪の中にあった、オフィスは静まりかえっていた。時計を見ると二十一時過ぎだった。オフィスを見渡せば、既に電源の入っているパソコンは祐介のものだけで、誰の姿もない。
 デスクに面した窓から見下ろすと人も車もほとんど見えない。昼と夜で人の数の差が大きいのがオフィス街の特徴だ。中には灯りが残っているビルもあるがそれほど多くはない。
「帰るか」
 最後にメールの確認をした。仕事が忙しいせいで、気付かなかったが百通あまりのメールが届いている。
 ざっと見ると、スパムメールばかりだ。中に見慣れないアドレスがあった。開いてみれば奈結香からだった。
『暇ならお茶しませんか。駅前のシュワルツで待っています』
 送信時間を見るともう一時間は経過している。
 パソコンを切って、飛び出した。
 人通りのない道を走りぬけて、シュワルツを目指した。
 シュワルツはマスターと、学生のバイトでやっている、昔ながらの喫茶店で、そんなに遅くまでは開いてはいないはずだった。
 駅前までくると、シュワルツには立て看板は出ているが灯は入っていない。
「遅かったか」
 店の中を覗いた。マスターが誰かと話していた。覗いているのに気づくとマスターがこちらに気づいて立ち上がった。
「待たしちゃいけないね」
 小声で言われ中を見れば、奈結香がコーヒーを飲んでいた。
「ちょっと看板を片してくるから、それまではいても構わないよ」
 マスターはよく通る声でいって外に出ていった。
 奈結香は小さく笑って、「急に呼び出してごめん」
「こっちこそ気づかなくて」
 奈結香の笑顔が前とは違う気がした。
「どうしたの?」
「正解」
 奈結香は元気いい声でいった。
「いろいろあってね。ふらふらしていたら、近所の駅だったから。それに、ここのコーヒーもおいしかったし」
「何かあったの?」
「別に」
 奈結香は小さく呟いた。
「聞いてどうにかなる事なら、聞かせて」
「えっと頼っちゃう事になるよ。その仕事の事なんだけど」
「うちの仕事?」
 奈結香は大きく頷いた。
「明日、八橋さんから話があると思う。その前に聞いてもいいの?」
 公私混同はよくはない。よくはないが。
「教えてくれ」

「実は申し上げにくいのですが、今後のプランに変更したいことがありまして」
 八橋は汗を拭きながらいった。
 会議室には祐介と八橋の二人だけだった。
「何でしょうか?」
 何もしらないような顔で答える。
「宇城奈結香なんですが、アニメのレギュラーと、ゲームの製作に関わる事になりまして、今後はナレーターの変更をお願いできないかと。勿論、同じだけの、いえそれ以上のナレーターを後継として用意できますから」
 昨日会った奈結香の話が思いだされた。
 広告会社の方で、自分たちの新人を売り込みたい。その為に仕事を下りるように、奈結香の事務所に圧力がかかったという。
「八橋さん、この仕事をそんなに軽く考えてらしたんですか」
「軽くだなんて、そんな」
「宇城さんの事務所に連絡させてください。こちらの熱意を伝えれば調整はしていだけると思うんです」
「いや、それは」
 八橋は驚いているようだった。今まで意見らしい意見のなかった自分がこうして主張してくるのが意外だったのだろう。
「何か連絡してはまずいことがありますか?」
「いえ。正直そんなに気に入られているとは思わなかったので」
「個人の好き嫌いで言っていると思われては困ります。既にこちらの上に示してしまっているので、もう自分ではどうしようもないんです」
 八橋は頷いた。
「分かりました。こちらから、宇城さんの事務所に掛け合って見ます」
「ありがとうございます」
 頭を下げていると、胸の辺りで吐き気がした。

「ただいま」
 ドアを開けて家に入ると、肉の焼けた香ばしいいい匂いがしてくる。
「おかえりなさい」
 佳奈の声が響く。
 テーブルの上には料理が用意されていた。
 一人で食べるには十分な大きさの量のミートボール。マッシュポテト。豆のたっぷり入ったサラダ。それは見覚えのないものだった。
 今まで佳奈が作ってくれたといっても、味付けややり方は指摘してもらったものの、基本的に材料は自分が用意していた。
「これいったいどうやって」
「ふふ。すごいでしょ。ついにそちら側にいけるようになった」
 佳奈は真顔で言った後で、顔がくしゃっと見えるくらい笑った。ふざけているのはすぐに分かった。
「どういう悪戯?」
「なんていう事はないのよ。帝国ホテルでケータリング頼んだの」
「そうなんだ。お金は?」
 どう見てもこれは安い値段ではないだろう。引き落とされるのは自分の口座なだけに心配になった。
「お金は心配しないで。最近バイト初めて」
「バイト? どうやって」
「プログラムの手伝い。一から作るのは無理だけど。参照し、検索し、模倣し、適合させるのは、人間よりも早いから」
「誰に紹介されたの?」
「前会ったよね。包帯の巻かれたヴァーチャロイドの彼女」
「名前の無い子?」
「今は合歓という名前をつけてもらったみたい」
「気をつけるんだよ」
「だって、私完璧だから」
「心配だな」
「大丈夫。あなたの作った私を信じて」
 佳奈は笑った。
「ありがとうな」
「どうしたの?」
「いや、ちょっとね」
「仕事の事?」
「ちょっとね」
「話してみて」
「宇城さんが仕事を下ろされそうになった。だから反対した」
「それだけ?」
「事前に聞いていたんだ」
「それを聞いてなかったらどうしたか悩んでるんだね」
 祐介は頷いた。
「不正解。悩むのはこれからの事にしようよ」
「これからの事?」
「そうだよ。未来について悩むのはいいことだけど、過去は変えられないんだから。してしまった事で悩むのは止めよ」
 佳奈の言葉に祐介は頷いた。
 
 奈結香が予約してあったのは個室だった。前のような大衆居酒屋店ではなく、教科書に出てくるような太宰とか芥川とかいったような作家が訪れたというそこは華美を通りこして、下品にすら思えるような過度な細工が施されている。
 部屋は全て個室であり、案内された部屋に向かった。襖を開けて部屋に入ると、奈結香は立ち上がった。
「こんばんわ」
 奈結香は祐介に飛びついてきた。
「ちょっと」
「ありがとう」
 祐介は奈結香の柔らかい体をもてあましながらも、離す事はできなかった。
「これは君に頼まれたからじゃないよ。後から聞いていてもきっと反対したはずだ」
 それは確信が持てた。奈結香の能力はひいき目でなくとも、素晴らしいものだ。
「それでもありがとう」
 首筋に熱い息がかかるのを感じた。
「仕事続けられてよかった」
 瞬間、奈結香は離れた。懐の中にまだ温もりがあったが、もう手の届く距離ではなかった。
「そんなに思い入れがあってくれて嬉しいよ」
「うん」
 奈結香は祐介の手を握り締めた。
「感謝してるの。だから、今日はご馳走させて」  
「ご馳走だなんて」
「はい、座る座る」
 押されて上座についた。奈結香は祐介の右側に座る。
 既に食べ物を頼んであったようで、仲居が直ぐにビールと、料理をいくつか運んできた。
「乾杯」
 グラスを合わせた。
 奈結香の瞳は星のように輝いて見える。それに整った美しい顔は、声の仕事でなくとも十分売れるように思えた。
「どうして声優なんかしているの」
 奈結香が眉をひそめている。声優なんかという言い方が不快なのだろうか。
「声優というよりも、役者っていう仕事の中で、声優がある感じかな。年に何度かは出ているんだよ。小さい劇場だけど、今度よかったら」
「ありがとう」
 素直にいった。
「あれからどんな感じだったの?」
「普通に町で過ごしたよ。そのまま地元の小中高って過ごして、大学生になった時に家を出た」
「私は転校した先で何もしたいことなくて、ふらふらしていたけど、高校一年の時にこれじゃいけないって思って。ゲームの音声のバイトをしたんだ。まあ、ゲームはお蔵入りになっちゃったんだけどね」
「そうなんだ」
「こうして会える、まして覚えてくれてるなんて思わなかったから嬉しいよ」
 忘れてなどなかった。佳奈に奈結香の名をつけるくらい、忘れてなかったのだ
「嬉しかったよ」
「そっか」
 奈結香は笑った。華のような笑みだった。

「飲みすぎたみたい」
 多分奈結香はそう言いたかったのだろうが、聞こえてきたのは『のむぎたい』という音だった。
 タクシーを頼んで、奈結香を家に送ろうとした。まともに答えは得られず、家に奈結香を連れて戻った。
 眠ってしまっている奈結香を抱えるようにして抱き上げ家に入る。思ったよりも身体で、結構筋肉があるのか堅い。
「おかえりなさい」
 奈結香がいったように思えたがそれは錯覚だ。スピーカーから聞こえてくるのは佳奈の声だ。
「ただいま。一緒に飲んだんだけど酔っぱらちゃって」
「しょうがないな」
 そう話しているとまるで奈結香自身が自分に突っ込みを入れているようだ。
 ソファベットを用意し、奈結香を寝かした。すっかり祐介は汗まみれだった。キッチンの流しで水を出して顔を洗った。
「この人が宇城奈結香さん?」
 スピーカーから佳奈の声がした。
「ああ」
 そういうのは悪い気がした。
「背も高いし、髪の色もこんなにきれい」
 テレビがついて、画面の中に佳奈が姿を現した。その顔を見て祐介は言葉を失った。
 奈結香を見る佳奈はどこか泣きそうな顔をしていたせいだ。
「私とは違うね」
「確かに佳奈と彼女は違うよ」
 佳奈が確かに奈結香がモデルだか、既に違う唯一無二の存在になっている。
「この人が私のモデルなんでしょ?」
 素直に頷いた。
「やっぱり、この人知ってるもの」
「検索したの?」
「昔からって言わなかったかな。私の音声データの一部が彼女のものなの。そう記録されている」
 はじめてヴァーチャロイドを見た時の懐かしさは確かに声を聞いたときだ。
「縁だな」
「そうだね」
 佳奈の顔から泣きそうな表情は消えていた。



 祐介は会社にいくなり会議室に行くように言われた。会議室では、部長が苦虫を噛み潰したような顔で座っている。
「プロジェクトが延期になった」
「延期ですか?」
「あまり大声を出すな。少しばかり重大な騒ぎがあってな」
 部長自身も混乱しているのかもしれない。
「一月くらい前にハッキング騒ぎがあったのを憶えているか?」
 祐介は頷いた。
「あの時に完全に除去したと思われるウイルスが生きていた。おまけに会社のサーバーの情報を書き換えていたそうだ」
「それがどうして?」
「その書き換えの一つが予算だったんだよ。それは今回のプロジェクト関連の予算も関係している」
「そんな」
 落胆する祐介の肩を部長は叩いた。
「延期といったろ。もうほとんどできあがっているものだからな。無駄にお蔵入りはさせんよ」
「部長」
「情けない声出すな。お前のためじゃない。ここまで形にするのに、いくら経費がかかったか分かっていない連中に分からせるためだ」
「分かりました」
 祐介は頷いた。
「私は席を外すが、ここに内部調査の連中が来るから少し待っていてくれ」
 部長が姿を消し、祐介は大げさに声をあげた。
「なんてことだ」
 広い会議室でこうしているのも嫌だが、待っているように指事された以上はしょうがない。
 奈結香はこの話を聞いてどう思うだろうか。
 座っていると悪い考えが頭をよぎる。祐介は立ち上がって会議室の中を歩き始めた。
「失礼します」
 会議室に入ってきたのは三人だった。
 自分と同年代の男。三十代と思われる男が二人。
「調査部の浦沢です」
 三十代の男の一人。社員バッチを着けた男がいった。
「こちらのお二人は警察の方で、来須さんにお話を聞きたいそうです」
「桜署の山海です」
「桜署の鏑木です」
 二人も頭を下げる。
「どうして警察が?」
「それは私から話させていただいてよろしいですか?」
 若い方の男、鏑木がいう。
「分かりました。その前にお座りください。今飲み物を用意して参りますので」
 浦沢は出て行った。
「どうぞ」
 祐介がいうと鏑木、山海と席に着いた。
「今回のハッキング事件ですけど、既に実行犯は分かっています。『佳奈』でよろしいですか」
「は? 佳奈」
 自分の知る佳奈は二人。ヴァーチャロイドの佳奈と、宇城奈結香という名前で活躍する佳奈。
「おっしゃっている意味がよく分かりませんが」
 どちたもハッキングと縁があるとは思えなかった。
「またまた。あなたがバナナ書店から購入したヴァーチャロイドですよ」
 鏑木は刑事らしからぬ砕けた表情を浮かべながらいった。
「あなたの『佳奈』は、エイリアンや、ゾンビがよりも危険な化け物なんですよ」
「佳奈はそんなものじゃない」
「来須さん」
 山海が口を開くと鏑木は黙った。
「どうしてヴァーチャロイドが販売中止になったか、ご存知ですか?」
「いいえ」
「ヴァーチャロイドは、ユーザーの理想を体現する為に自由度が恐ろしく高い。組み合わせによって、コンシューマーの予想しない、冗長性を持っていて、思いがけない成長をしてしまうのです」
「成長? プログラムがですか?」
「ええ」
「冗談ですよね」
 山海は首を横に振った。
「いいえ。ただし、現状では推論です。しかしいつ起きてもおかしくはありません。それだけ危険な存在なんですよ。速やかに提出していただくか、ソフトの破棄をお願いしたい」
 
 体調不良を訴えて家に戻った。
 刑事の言ったことが真実なら、そう思うと落ち着かなかった。確かに佳奈を見ていると、市販のソフトとは思えない能力の高さを持っている。
「ただいま」
 扉を開けて中に入ると、いつものように佳奈の声は聞こえなかった。
 警察がその気になれば、個人のパソコンへの侵入くらい、操作の一環でするかもしれない。そう考えて部屋に入ると、いい匂いがしてきた。佳奈が何かケータリングでも頼んだのかと思ったがそうではなかった。
 台所に立っているのは奈結香だった。
「あれどうしたの、早いね」
「そっちは」
「とめてもらったお礼に料理でも作っていこうかなって。肉じゃが作ってみたよ」
 奈結香は
「あとで食べる方が味が染みておいしい思うけど、食べてみる?」
「ありがとう」
「ふふ」
 奈結香は嬉しそうに笑った。
「でもこの家って何か出るの?」
「何かって?」
「幽霊とか」
 冗談かと思ったが奈結香は真顔だ。
「どうして」
「何か視線を感じて。職業柄、視線には敏感なんだよね」
 それは佳奈の視線だろうか。
「出るよ」
「え」
 奈結香の顔に怯えが走った。少しよろめくように背を逸らした。
「だからそのあまり来ない方がいい」
「冗談ばっかり」
 奈結香は笑った。
「それより食べて」
 奈結香が作ったのはチキンライス、そういえば聞こえはいいが、ただ野菜と肉とご飯をケチャップで炒めただけのものだ。しかし、一口食べると何か懐かしかった。久しく食べていない普通の食事。
「うまい」
 がっつくように食べるのを見て奈結香は笑った。
「隠し味はお酢なんだよ。ケチャップだけだと少し酸味が足りないんだよ。あと、キュウリの浅漬けを刻んだりして入れるといいの」
 頷きながら祐介は食べた。本当に久久に食べる味でおいしかった。
「こうして食べているの見るのっていいね」
 祐介の手が止まる。
「ああ食べて食べて。何か落ち着くって言うか、その昔を思い出すのかもしれない」
 奈結香の携帯が鳴った。
「あ、ごめんなさい。ラジオの収録があったんだ」
 奈結香はつむじ風のような勢いで家を出て行った。
 途端に佳奈がテレビ画面に映る。
「うらめしや」
 ポーズをとる佳奈に祐介は笑ってしまった。
「何いってるんだ」
「料理うまいんだね奈結香さん」
「普通だよ」
「でも今までにないおいしそうな顔をしていたよ」
「そうかな」
 佳奈は頷いた。
「やっぱり正解だった」
「正解?」
「そう正解」
 佳奈は元気よくいった。
「明日海に行きたいんだけど」
「明日は仕事だよ」
「いいじゃない」
 佳奈は頬を膨らました。
「前は駄目っていってたのに」
「考えが変わったの」
「明日は」
 思い出すが急ぎの仕事はなかった。今日も体調を崩して早退した。明日まで休みといってもおかしくはないだろう。
「そうだな行くか」
「うん」
 佳奈は大きな声を出しながら頷いた。

「雨だね」
 雨だけではなかった。家そのものが風で揺れている程強い風が吹いている。ただの、低気圧が、台風に姿を変え、近づいてきていた。
 関東の台風は外れが多いだからたいした事はないと思っていた。しかし、今日は、大雨洪水警報が出る程の量だ。
「海駄目だね」
 佳奈はいった。
「また今度晴れたらいこう」
「そうだね」
 笑顔であるものの佳奈は寂しそうだった。
「不正解」
「え」
「そんな顔するのがだよ」
「そんな顔してるんだ」
 佳奈はいった。
「やっぱり壊れてるんだな」
「壊れてる? どこか具合が悪いならチェックしておこうか?」
「冗談よ」
 佳奈は笑った。今度の笑顔は寂しさ感じさせない明るい笑顔だ。
「暇になっちゃうな」
「たまには話でもしようよ。教えて欲しい事もあるし」
「何かな」
「ねえ、奈結香さんのこと好き?」
 ふざけて答えかけて止めた。佳奈の顔からは表情が消えている。真摯なというよりは不気味なものだ。
「多分」
「誰もいないんだから、『奈結香愛してる〜』とか言えばいいのに」
「本当の事だよ、まだ分からない。それに誰もいないって、佳奈がいる」
「私はただのソフトだよ。だからここにいるのは、君一人だよ」
 佳奈はソフトかもしれない。しかし、山海のいっていた冗長性。そのせいか、佳奈という人間がいるように思える。
「一人じゃない」
「ありがとう」
 佳奈は頷いた。
 家の電話が鳴った。出ると奈結香の声がした。
「暇なんでしょ。よかったら遊びにいかない?」
「そうだけど」
 佳奈はどうぞというようにドアを指差している。
「分かった。じゃあ、十二時に駅前で」
 電話を切った。
「行ってらっしゃい」
「ああ。でも、本当は海に行くはずだったのに」
「いいよ」
 佳奈は笑顔を浮かべた。
 外に出れば大雨だった。こんな日に遊びにいくとは何だろうか。
 駅前で奈結香を待っていた。
 雨脚は強いままで、海にいっていたら大変だっただろう。
 駅前まで行く間に、祐介はびしょぬれになっていた。
 こんな天気のせいか、駅にはほとんど人の姿がなかった。
 改札の見える壁によりかかり、奈結香を待つ。
 奈結香はいつくるのだろうか。
 約束の時間になった。五分、十分、時間が過ぎても奈結香は来なかった。それでも不安なような楽しいような気持ちがあって、悪くはない。
 携帯が鳴った。
「家、鍵開いているけど入っちゃっていいかな」
 慌てている奈結香の声が聞こえた。
「いいけど、どうして家に?」
「え、だって家で待ち合わせってメールくれたでしょ。うわ、雨で傘」
「入っていいよ」
「じゃあ、うん」
 奈結香が携帯を切った。
 雨の中、歩き出そうとすると車が止まった。旧タイプのミニクーパだ。
「こんにちわ。よろしければ家まで送りましょうか」
 桜署の山海だった。断りかけたが、この雨だ。自らにやましいことがないのを示す気持ちで頷いた。
「よろしくお願いします」
 助手席に座った。車に乗っているのは山海のみだ。
「仕事中ですか?」
「いえ、プライベートですよ。ちょっと買い物がありましてね」
 大手の郊外型店舗の名を山海はいった。
「最近バナナ書店に行かれましたか?」
「いえ」
「火事になりましてね。電気系統のトラブルでね。ところで、ヴァーチャロイドは家庭内の電気系統のコントロールができるのはご存知ですよね? 来須さんのお宅もそうですか?」
 祐介は頷いた。
「バナナ書店には、あなたが手にされた以外にも、ヴァーチャロイドがいたらしい。自分はそれが犯人だと思っています」
「証拠はあるんですか?」
「いえ、ただの勘です。鑑識が隅から隅まで調べてますが、ほとんど何も残っていませんから。ただ、あなたが持っているヴァーチャロイドにも同じ機能が備わっているのを憶えておいてください」
「そんな事」
「そういえば家こちらでしたよね」
 山海は祐介のマンションの方を指さした。
「調べたんですか?」
「一応ですよ」
 山海はメモを差し出した。
「まあ、こんな時にタクシー代わりにも使ってくださいな」
 助手席が開いた。

 数分と立たずにマンションの前に着いていた。山海の車に乗っていた五分ほどの間会話らしい会話はなかった。したことと言えば、山海に促され、携帯の電話番号の交換をしたくらいだ
「佳奈?」
 カメラに向かって声をかけるが答えはない。
 祐介は電話を取り出した。かけようと着信を確認したところで気がついた。奈結香からの着信はなく、家の電話からの着信しかないことに。先程の電話は佳奈からのものだったのだ。
 電話が鳴った。山海だった。
「なんですか?」
「仮になんですが、ヴァーチャロイドが人を閉じこめた場合、どうすると思いますか?」
「どうしてそれを」
「閉じこめられているのは宇城さんですか?」
 ヴァーチャロイドに関して調べていけば、音声を提供している奈結香にたどり着くのを難しくはないだろう。いや、山海は自分が佳奈に何かをさせていると判断しているのだ。
「『佳奈』は宇城さんを殺すかもしれない」
 山海の声は淡々としていた。祐介は苦笑した。佳奈は無害な存在だ。手も足もないのに殺せるわけはないのだ。
「山海さん、『佳奈』はソフトにすぎないんですよ。ワードとかウィンドウズみたいなもので、プログラムですから」
 そういいながら何か大切なものを失った気がした。佳奈がもういなくなってしまったようなそんな気持ち。
「ソフトウェアだって人を殺す。考えてみてくれ。信号機が町中で狂ってしまえば事故が多発する。同じことだ。『佳奈』が意図的に、障害を起こせば、結果として、人は死ぬんだ」
 山海の声には今までにない必死さがあった。祐介は息を飲んだ。
 今の世界、電子制御されていないものの方が少ない。そこに悪意が介在すれば人を傷つける事もあるかもしれない。
 しかし、悪意は人間のもの。ソフトウェアそのものに悪意はあるのだろうか。
「それはプログラムの問題で、『佳奈』は関係ない」
「『佳奈はプログラムの集積』。さっき、その口から出た言葉です。プログラムの問題なら、『佳奈』が人を殺す事もあるとは思いませんか?」
 祐介は言葉を失った。
「今ならまだ近所にいますからすぐいけますが?」
 答えずに電話を切った。
 壊すつもりで扉に体当たりをかますと、先程まで動くことのなかった扉はあっさりと開いた。
 玄関には靴が一足置かれていた。フェミニンなデザインな靴は見覚えがあった。奈結香のものだ。
 居間に入った。
 違和感があった。まるで部屋の中のものが半分になってしまったようなそんな印象。しかし、目に映るものはいつもと同じだ。
 いつの間にか奈結香が立っていた。いや、テレビの画面に奈結香が映っているだけだ。いや、それは佳奈だった。少し幼い感じを受けた容姿は変わり、頭身も姿も奈結香そのままだ。
「来須くん」
 だぼだぼのシャツとショートパンツを履いたが奈結香が後ろに立っていた。
「ごめん。服とか借りた。濡れていてどうしようもなくて」
「何かあった?」
 その目は佳奈の映った画面を見ている。奈結香は祐介を小突いた。
「もうこんなの作って。私そっくりじゃない」
「いや、これは。ごめん」
 どうして佳奈が姿を変えたのか、奈結香の前に姿を見せたのか分からないが
「この声も懐かしい。これお蔵入りになった最初の仕事のだから、話しかけられた時は驚いたよ。」
「何て話しかけられたの?」
「え。あ、うん」
 奈結香は照れたように顔を下に向けた。
「『佳奈はパートナーになってくれますかって?』」
「答えは」
 奈結香は顔を上げ、祐介にキスをしてそっと離れる。
「変な告白だけど、悪くはなかったよ」
 祐介は奈結香を、いや佳奈を引き寄せた。

 ムーンリバーが聞こえた。
 目を開けると横にいたはずの奈結香はいない。奈結香は出窓に腰掛けて小さな声で歌っていた。
 邪魔したくなくて、静かに寝台から降りた。寝室から出て、部屋にいってパソコンを立ち上げる。
 潮騒が聞こえた。海を背景に佳奈はいた。奈結香の姿ではなく、最初に祐介の設定した姿だ。佳奈は波打ち際で遊んでいたが、祐介に気付いて顔を上げた。
 祐介は思わず目が逸らした。
「君、私はもう旅に出る事にしたから、これはお別れの挨拶」
「どうして」
 理由など分かっていたのに聞かずにはおられなかった。
「本物の佳奈がいれば仮想の私は必要ないから。私はもう必要ないの」
 素早くファイルをチェックした。ソフトの設定を見れば、基本的なところを残っていたが、これまでの記録はほとんどなくなっている。この答えているように思える佳奈も、もう抜け殻のようなものなのだ。
「たまにはムーンリバーを聞いて、私を思い出してくれると嬉しいな」
 佳奈の足下に波がかかる。そのたびに姿は薄くなっていく。
 佳奈はムーンリバーを歌い始めた。ささやくような声がやがて絶え、佳奈の姿も消えていた。
 最初に佳奈はなんと言っていたか。
『私たちはあなたが幸せでいてくれるためのパートナーとして作られました』
 自分がいると、祐介の幸せを邪魔する。佳奈はそう考えたのだ。
 部屋が半分になってしまったような思いは、錯覚ではなかった。彼女はいたのだ。それが、手に取れないヴァーチャルのもの、綿菓子のように跡形もなく消えてしまうようなものでも。
「ありがとう佳奈」
 祐介は言った。海の果て、消えた佳奈に向かって。
 
posted by 作者 at 08:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 短編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月20日

よろこぶ鞄 #フォロワーさんからタイトルもらって文章書く で氷泉から貰った奴で

 鞄が意識を持ったのは、店先のショーウインドだった。自分と同じような、あるいは全く違う鞄たちは次々と売られていく。
 気づけば1年が過ぎ、流行も代わり、ショーウインドから、店先のワゴンに置かれた。
 それでもまだ買い手がつかず鞄は悲しい思いを抱いていた。もう同じ頃に扱われていた鞄はいな。
「蹄鉄のマーク・・・じゃあ、これでいいだろ」
 乱暴に鞄は連れ出され、女の子手の中におさまっていました。綺麗なかわいい女の子。
 鞄はこんな人に買われて、一緒に道行けたら、何と幸せな事だろうと思いました。
 しかし、鞄は女の子の家に持って行かれても連れ出されることはありませんでした。そう女の子の欲しかったのは鞄に似た、でも鞄の新しい流行をとりいれたものだったのでです。
 鞄はクローゼットの中に押し込まれました。悲しくて鞄は眠ることにしました。
 乱暴に鞄は連れ出されました。中にぎゅうぎゅうにものを入れられ、きつく口をしめられます。
 鞄は思いました。もう寂しくない。だって、こうして持ってもらえたんだから。使われなかった鞄はついに待望のたくさんの入りきれない荷物を入れて、女の子とおでかけできたのです。
 鞄がやってきたのは海です。
 乱暴に鞄は海に投げ込まれます。あれ、そう思っている間に鞄は沈んでいきます。 でも鞄は幸せでした。
 女の子とずっと一緒にいられると思ったからです。女の子の綺麗な顔を詰め込んだまま、鞄は水底へ
posted by 作者 at 21:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 掌編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。