2009年01月04日

いつか雨の日




 

 このまま、やまなければいい。
 窓から見えた、くすんだ空を見て思ったのは生まれて初めてだった。雨雲に覆われた夜空の中に、とぎれるように隙間が見え、その向こうに星が見える。
 空を見たままの僕の袖を彼女が引いた。
「止まなければいいって思っている」
 僕は頷いた。

 窓から見える空は暗く厚い雲に覆われていた。
 明日は県大会だ。実績を残そうというのなら、最初の勝負所だ。
 小学校は運動会の競技に順位をつけないところも多い。参加する事に意義があるような虚偽で、飾られる。
 学年があがり、中学生にもなればそれが嘘なのはわかる。加えて部活の選手になれば、建前としては掲げるものの誰も信じはしない。 まして、うちの学校は、学校の名をあげるという目的で、体育科を作り、場所から選手を集める事によって、甲子園に出場、各種のスポーツ大会で入賞し、全国大会常連となっている学校なのだ。
 勝てばほとんど無試験での進級や、スポーツ振興を掲げている進学先といった未来がかかっている。
 でも、試合で実績が残せなければ、さらにケガをして選手生命が絶たれたら、現状も維持できない。
 まして僕は今、学校の寮に特待生扱いで住んでいる。学費も生活費も、選手としての実績故に生きている。事故で両親のいない僕にはもう帰るところもない。
 だから試合には万全をつくさなくてはならない。試合に出るための道具は、もう身体の一部と思えるくらい準備はできている。コンディションは、試合に備えて最高になるように調整してきた。もう、することと言えば、休むことくらいだ。
 しかし、まだ時刻は七時。寝るには速すぎる。テレビを見て、余計な知識を入れるのは避けたい。
 そうだ。
 空は、いつ雨になってもおかしくはなかった。雨は嫌いだが、試合の日の雨はもっと嫌いだった。
 フローリングの床に、街頭で配っているティッシュ、ペンケースを出した。貧乏性の為に捨てられないゴム紐を置いた。てるてる坊主を作ることにした。子供の頃に作ったきりだから、いびつで、願いを叶えてくれるように思えなかった。サインペンで顔を書いても同じ事だった。
 作り直すか。一瞬、熱くなった頭を直ぐに冷やす。どちらにせよ暇つぶしとはいえ、長々とするのはあまりよくはない。
 てるてる坊主をつるそうと窓に近づくと、雨が降っている。窓を開けると、金木犀の香りがした。
 香りの元を探すと、庭先の金木犀が橙色の小さな花を咲かせている。
 木陰に誰かいた。
 街路灯の薄明かりの中、小さな人影は女の子のようだった。
 空を見ると雨は強さを増していくように思えた。
 傘を持っていないのか。
 てるてる坊主を下げ、窓を閉めた。
 入れた夜気の中に、金木犀のあまい香りが忍んでいる。その匂いを感じると外の女の子が気になった。
 窓から外を見れば雨は強くなっていた。
 傘を持って外に出た。
 先程までと同じく金木犀の側に女の子はいた。
 上から見ていたよりも、幼い。小学生くらいだろうか。染めているのか、まっすぐな髪は亜麻色をしている。
「傘ないの?」
 女の子は首を横に振った。手には子供には大きいと思えるようなレースのついた傘を持っている。
「ママを待っているの鍵落としちゃって」
「ママはいつ帰ってくるの」
 女の子は首を傾げた。
 こんな風に、僕も待っていた。帰らない両親を。
 いや、きっとこの子のママは帰ってくる。僕とは違うはずだ。でも、終わりがあるかどうかはともかくここで待っている間、辛い事だろう。
「良かったら、あの部屋にくれば。少なくともここよりは暖かい」
 女の子は頷いた。

「お招きありがとうございます」
 部屋に入るとどこかのパーティーにでもきたように女の子は裾を手で上げ、挨拶をした。
 子供が見ても、大人が見てもおもしろくないような殺風景な部屋の中を女の子は見渡した。
 部屋にあるものは洗面台を兼ねた小さなキッチン、テレビとベッド。とったトロフィーと盾。壁際には読み終わった本と、机が置かれているくらいだ。
 女の子が見たのは窓際のてるてる坊主だった。
「わたしも作っていい?」
 僕が頷くと、女の子は床に置いてあるティッシュをとった。床に座り込んで、小さくTrick or treatの歌を口ずさみながら、ティッシュをむしり始めた。
 もしかしてお菓子を欲しいのかと思いながら、キッチンに立った。お菓子らしいものはなくカロリーメイトくらいしかない。あとはお湯を沸かしてティーパックの紅茶を出すことにした。
 壁際に畳んであったちゃぶ台を開き、その上に紅茶とカロリーメイトを運んだ。
 てるてる坊主はできていた。ペンケースから出したマーカーを使ったせいで、黒と黄色に塗られたそれはハロウィーンのカボチャ大王のようにも見えたが。
「どうぞ」
「いただきます」
 女の子は礼儀正しく頭を下げると、そのまま紅茶を飲み、カロリーメイトを口にいれた。
 一心不乱で食べる様子は、野良猫にエサをあげている気分になった。
 女の子は食事を終えて、顔を上げた。
「お兄さんは弓を撃つ人?」
「ああ。どうして」
「トロフィー」
「明日も、試合なんだ」
「それでてるてる坊主」
 女の子はいった。
「戦うの?」
「そういう弓じゃないんだよ。スポーツ」
「そうなんだ」
 僕の前に女の子の顔があった。何かにおうのか嗅いでいる。
「それなら間違いかな」
 女の子は声を上げた。
「雨が止んだ。私、いくね」
 女の子は立ち上がり、さっさと外に出て行った。
 玄関にいって外を見ると、女の子は背の高い、女の人と歩き出したところだった。
 よかった。
 嬉しく思いながら、二つの姿が消えるまで見ていた。

 雨が降っている。
 雨の滴は、暖かな部屋の中から見ている分にはそれなりにきれいなものだ。しかし、外につるしてあるかぼちゃ大王のてるてる坊主は風に揺られ寒そうだ。
「もっと降ってくれよ」
 むしろ今日のうちに降りきって、明日の朝には雲などなくなっていればいいと思う。
 明日は試合だ。
 順調に市内の大会を優勝し、明日は県大会だ。それで優勝して初めて、実績らしい実績として認めてもらえる。それが、終わればいよいよ全国大会にコマを進める。
 晴れてくれればいい。
 そう思っていると咳が出た。一度では終わらず、止まった頃には身体中が痛くなっていた。カゼをひいたようだ。
 薬を飲んで横になった。
 ドアがノックされた。
「誰だ」
 そう口に出してから、仕方なく立ち上がる。まだ熱が下がっていないせいか、目の前に霞がかかっているようだ。足がふらついて壁に寄りかかるようにして進んだ。
 ドアを開けると冷たい風が吹き込んできていた。そして女の子が立っていた。
 手には大きなバスケットを持っている。
「こんばんわ」
「いらっしゃい。でも、」
「具合悪いのでしょ。元気が出る物を持ってきたからちょうどいいわ。それに寒いから」
 女の子は背後をちらっと見た。吹き込んでくる風がこれだけ寒いのだから外はもっと辛いことだろう。
「どうぞ」
「ありがとう」
 女の子は小さく頭をさげて、部屋の中に入った。荷物を置いて、電気ポットでお湯を沸かし始めた。
「少し熱すぎるかな」
 女の子は荷物を開いた。中にはティーセットが一式綺麗に入っている。
「ピクニックの時に使うの」
 今日の天気には随分不似合いな明るいイメージが伝わった。
 熱のせいで、まだ気分が悪い。立っていられずベッドに腰掛けた。
 女の子はちゃぶ台を広げ、チェックのテーブルクロスをひき、カップやソーサーを用意している。さらにこれでもかとばかりにスコーンやドーナツを積み上げている。
「身体にいい紅茶なの」
 ベッド脇まできた女の子はカップを差し出した。
「ありがとう」
 受け取ったカップの中の紅茶は普通の紅茶より赤みが薄く杏色に近い物だ。口に入れると柔らかい感じがした。
「身体になじみやすいの」
 女の子はじっとこちらを見てくる。
「確かに何か紅茶よりもいいほうじ茶飲んでいるみたいだ」
「最近、体調悪いでしょ。これはそういうときに飲むとおいしいの」
「カゼはひいているけどね」
 女の子は小さく笑みを浮かべた。 
「解らないみたいね」
「何が?」
「今、どれくらい体調が悪いのか。死にかけているんだよ」
「まさか」
 少し腹立たしくなった。明日は大切な試合なのに、こんなことを言う女の子をどうして家に入れたのか。腹立たしくて立ち上がったところでふらついた。
「ね」
「ただのカゼだよ」
「強情ね」
 女の子は人差し指を一本たてて、僕の眉間をついた。やじろべえでも押すような力なのに、ベットに倒れていた。
「ね。私みたいな女の子に押し倒されちゃうくらい、弱っている」
 カゼが悪化したのか力は本当に入らなくなっていた。それとも、あの紅茶に何か入っていたのだろうか。もしカゼなら明日の試合はもう。
「どうしてこんな」
 悔しいと思った気持ちが顔に出たのか、女の子は哀しそうな顔をした。
「そんなに出たいなら力を貸してあげる」
 女の子を倒れている僕にかがんでくる。その手が僕の頬に触れた。外にいたせいか手は冷たかった。最初は水が流れているかと思った。彼女の手は冷たいだけで、水など零れていない。でも、冷たいものが身体を流れていった。それは身体の中の熱とぶつかって消えていく。
「これで勝てるよ」
 女の子は身体を離した。
「このドーナツもおいしいよ」
 女の子はちゃぶ台の側に座って、ドーナツを食べ始めた。
 僕はというとまだ倒れたままだった。
 女の子の食べている音が小さくなっていく。視界も暗くなっていく。これはいったい何なんだろう。
 
 雪が降っていた。
 窓から見える外は一面の銀世界。昨夜から昼過ぎまで降っていた雪は、家の屋根を白に染めていて、どこかの延々と続く山脈のようだ。
 身体を起こして外を見ようとも思ったが億劫になって止めた。
 冬が近づくに連れて、身体は重くなっていた。
 高熱が、そして微熱が繰り返し訪れた。まともに身体は動かなくなっていた。病院に行っても理由はわからなかった。
 ちょうど冬休みに入った事から、薬を飲んで、そのまま部屋の中で休むことにした。
 幸い、県大会は優勝した。残る全国大会は明日だ。もう実績は残しているから、これで来年、自分にかかる予算は確保されている。
 幸いベッドからでられなくても、できることはある。僕は目を閉じて、的を思い浮かべた。念じた的に思惟の矢を放つイメージトレーニングは悪い事ではない。
 どれだけイメージトレーニングを続けたろうか。全国大会にいけばそれほどの結果を残さなくても、いいのにそれでも続ける自分が滑稽だった。
 あれだけ糧を得るのが理由と思いつつも、弓を弾き、矢を放つことで、望んでいる。僕は結局、アーチェリーが好きなのだ。
 ドアでベルがなった。
 起きる気力もなく、僕はそのままにしていた。暫く続いたが、今度は窓の方で音がした。小石が窓に向かい投げつけられている。それも無視していたが、音は少しずつ大きくなる。
 いい加減に我慢しきれずに窓を開けて下を見る。
 日は暮れていたが雪の白さで明るい。
雪の中、女の子は立っていた。窓に当たったのは雪玉だったらしく、女の子の周りだけ雪が散らかっている。
「開けて」
 僕は窓を閉めて、できるだけ手早く、ドアに近寄って開いた。
 熱があったせいで時間がかかったせいで、もう女の子はドアの前に立っていた。
「ね、死にかけていたでしょ」
 女の子は僕の手を取った。前、額に感じたよりもひどく冷たい。水のように感じたそれは、今度は指先から、掌、手首を通って身体に中に流れていく
 熱が治まっていくのが解った。めまいは消え、周りの物もはっきりと見える。
「これは」
 前は偶然かと思ったが、そうではない。この女の子は何かを知っている。いや、自分よりもどうして僕の身体をしっているのか。
 女の子はちゃぶ台を出すと前きた時に置いたままになったバスケットからティーセットを取り出して用意を始めた。そして新たに持ってきたドーナツを置いている。すっかり手慣れたもので、お湯まで沸かし始めている。
「最近、テレビ見ている?」
 首を横に振った。女の子はテレビをつけた。
「外は誰もいなかったよ。みんな怖いんだね」
 テレビをかけると、盛んに風邪を特集しているのが解った。
 風邪という病気はない。だから風邪と呼ばれるが、似た症状をした何か解らないものが猛威をふるっているらしい。結局、最後は高熱が続き死亡する。途中、重度の譫妄状態に陥る。ただ、その風邪にかかって回復するものは、熱のせいか人が変わったようになるという。
 ウイルスや病原菌といった自然だけではなく、薬品やテロなど人為的な原因、そして宇宙人の仕業まで、あげないものがないほど様々な話が出ていた。
 最初はまじめに聞いていたがばからしくなってテレビを消そうとすると、「あなたは神を信じている?」、女の子はいった。
「神さまはいると思う」
 絶対者としているとすれば、彼は随分と意地の悪い存在だろう。少なくとも自分にとって早々と両親を奪った神は信頼に値しない。
「では神の愛は?」
「それが愛なら歪だな。人を不幸にして成長させようなんて」
 女の子は頷いた。
「信じるか信じないか知らないけど、死んじゃうよ」
「なんだそれ?」 僕の言葉を聞いて女の子は目を伏せた。
「流行っている病はね、人の中にある退化した感覚器をよみがえらすの。無理矢理、閉じられた世界への感覚を得る。そうなった人間は、変質して人で無くなる事で生存できるの。でも、変質できない人間もいる。それは知りながら認めないものはどうなると思う?」
「どうなるんだ?」
「死ぬの。あなたみたいに」
 こともなげにいう女の子に僕は笑うしかなかった。
 人は必ず死ぬのは分かっている。直ぐに帰ると笑顔でいった両親も帰ってこなかったから。
「でもね、私と一緒にくれば、大丈夫だから」
「どうしてそんなことをいうんだ」
「あなた強いから。きっと私を守ってくれるわ」
 女の子はお湯が沸いたのを確かめて紅茶の用意を始めた。
「前もいったけどアーチェリーは武術じゃないよ」
「『古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや?』」
「呪文?」
「『名人伝』っていうの。しらないかな」
 頷くと女の子はため息をついた。
「年があけるまでに心を決めて。二月まで持つかどうかだから」
「わかった」
 さらに女の子は深いため息をつく。
「もしその気になったら、あれを外に逆さに飾っておいて」
 女の子が指さしたのは、ハロウィーンの日に作ったてるてる坊主だった。
「じゃあ、お大事にね。お菓子は置いておくから」
 女の子は立ち上がって一礼すると、そのまま部屋の外に出て行った。
 見送ろうと、窓際から外の景色を眺めた。
 女の子は既に下に降りて手を振っている。手を振り返した。
 足跡が点々と伸びていく。白い雪にまっすぐに。
 違和感があった。
 処女雪に足跡は今ついている。あの子はどうやってここにきたのだろうか。
 
 雨が降っているだ。
 明日は何日だったろう。
 熱が出ていた。今までの熱よりもずっと高く、燃えてしまいそうだった。
 僕はてるてる坊主の束を出して、外に出した。予定は何もないが雨よりは晴れがいい。
 こんな雨の日はどうしても事故にあった事を思い出す。
 帰ってこない両親を朝まで待っていたあの日。
「雨止むといいな」
 暗雲を背に揺れるかぼちゃ大王のてるてる坊主は逆さだった。頭の大きなてるてる坊主は意識してつるさないと簡単に回ってしまう。
「これじゃ止むわけない」
 ドアがノックされた。どうにか動いて、ドアを開くと、女の子だった。
「決心はついたんだ」
 雪の日に逆さでてるてる坊主を飾るようにいっていたのを思い出した。
「いやぼうっとしてて」
 ベットに戻ろうとすると足がふらついた。女の子は体を支えてくれた。
「ありがとう」
「座って」
 そのまま支えられベッドに腰掛ける。
「随分とサインを出さないからもう諦めてた」
 前は冗談のように聞こえたそれ。しかし、今は冗談には聞こえない。
「死ぬって言うの」
 叫ぶと思った以上に大きい声だ。体も軽い。
「あれ」
 体が軽い。どうしたんだろう。
「こんなに元気に」
 女の子の直ぐそばに僕はいた。
「ねえ後ろ見て」
 そこには自分の姿があった。
「もう肉体と意識の連結もままならないのよ」
 叫びは声にならない。声を出すこともできないくらい体は消耗していた。
「それくらいもう駄目なのよ。だからね」
 僕は死ぬのだ。
「終わりなんだ」
 女の子は小さく笑う。
「いいえ」
 僕の前に女の子は立っていた。手が頬に触れた。前感じたのと同じ冷ややかなものが伝わってくる。
 今まではこれで元気になった。これからも大丈夫だ。この子がきてくれる限り。
「でも、これで最後」
「どうなるの」
「雨が止むまでの人生を」
 
 このまま、やまなければいい。
 窓から見えた、くすんだ空を見て思ったのは生まれて初めてだった。雨雲に覆われた夜空の中に、とぎれるように隙間が見え、その向こうに星が見える。
 空を見たままの僕の袖を彼女が引いた。
「やまなければいいって思ってる」
 僕は頷いた。
 最後の時間が始まる。
「まだ君の名前聞いてなかった」
「私は橘花。あなたは?」
「僕は」
 自分の名前は何だったか。僕はそう思いながら、彼女の顔を見た。
 小さな女の子。そう思っていた橘花の瞳は夜空のよう。その視線は天から落ちる運命の矢のようだった。
「人生は終わるけど、始まるものもあるから」
 雨が止んだ。
posted by 作者 at 15:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 短編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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