2009年01月24日

夢と死







「もう疲れちゃって、一歩も歩けない」
「休めそうなところもう少しなんだからちゃんと歩きやがれ」
 あたしが大声を出すと小さく泣き声が聞こえた。
 振り返るとあからさま天は泣いているのを必死になってこらえていた。
 私の何倍も大きい癖に、泣くとその童顔はさらに子供じみる。
 赤ん坊じゃあるまいし、泣く以外に意思を伝えられるわけでもないのに、こいつは泣いてばかりだ。
 人通りの無い住宅街。深夜という時間もあいまって、そうして泣いている姿は哀れみすら怯える。
 駄目だ。またこの繰り返しになる。
 あたしはこの生まれてすぐだったというのに、その姿に耐え切れず、自分よりずっと大きなそいつの頭を撫ぜた。
 それが今日までの災難の理由だ。
 懐かれたあたしは仕方なしに一緒にいることになった。
 でも今日は違う。もう歩けないなど、おなかがすいたなどといって、困らせるこのガキを置いて行く事にした。
「あばよ」
 一時間は歩いたろうか。それでも天の泣き声が耳元から離れない。
 もうとっくに天の声の聞こえる距離じゃない。
 気にしているわけないじゃ。だってあたしは。
 そう思っても、こうして聞こえるのは、それだけ気にしているということだ。
「ああ、くそ」
 振り返ると天が少し離れてついてきていた。
「お前一歩も歩けないんじゃなかったのかよ」
「だって、Dと別れたくないもん」
 泣き顔であたしを見下ろす。
「分かったから、しょうがねーな。ついてこいよ」
「ありがとう。やっぱりDは優しい」
 天は笑った。大輪の花の笑顔。
「お前がびーびーなくともっとむかつくだけだ」
「ごめんなさい」
「まったく。でも、まあいいや」
 幸いそれなりに歩いたせいで、目的の公園は直ぐそばだった。
「まったく」
 歩いていくうちに
「今日はここで休むぞ」
 いつもと同じように通り公園に落ち着く事になった。
 公園で休むといっても難しいのだ。例えば、水場があるのは当然。木製のベンチもちゃんとあればよく眠れる。子供向きにコンクリートでできた山とか、洞窟みたいになっていて眠るのに良さげだが、体温が奪われていって寒くて眠れないものなのだ。
 あたし一人はせいぜい二十センチくらいだから、どこかに潜り込めばいいが、天がいるとそうもいかない。
 ベンチにダンボールを敷いて寝床を作る。
「天、あんた」 声をかけると天はもう眠っていた。「こいつ」
 しかし、ちゃんと寝ないで調子でも悪くなられると困るからダンボールを上からかけた。
 そのベンチからは小さな社がみえる。あたしは社の前に歩いていった。
 小さな社で、風雨にさらされているせいかくすんでいて、赤く塗られた屋根を除けば灰色だ。
「一晩かあるいは数日ここで過ごすことをお許しください」
 答えは無いが、何か暖かなものが体に触れる気がした。
 あたしが宿を選ぶ一番の基準は祭られている社があることだ。これで大よその妖からは逃れられる。そういうところでは安心して眠れる。
 続いて人間だ。天の見かけは人間の、それもきれいな娘だからたちが悪い。
 この二つは対処できる。でも、最後に一つだけ対処できないものがある。
 人間よりも、妖怪よりも、何よりも危険なそれ。それの存在を恐れながら、あたしは目を閉じた。
 目を閉じても眠りはくることは無い。眠気がこないのは幸いだった。
 あたしは眠ることはない。眠るだけではない。あたしや天は生来、生きてさえいない。
 かつて天才的な絵描きがいたそうだ。彼女は、精緻な筆を持って、この世ならぬものをキャンバスに残した。
 その作品は多くは、妖怪やモンスターと呼ばれるもので、完成された作品は幻想的で、すばらしい出来映えだったという。
 それだけなら彼女は画家や絵師で名を残すだけでよかった。彼女の描いた多くは本物だった。
 見鬼と呼ばれる能力がある。色と呼ばれる見える世界。空と呼ばれる見えない世界。彼女は本来人が見えない空のものを捉える眼を持っていた。 
 絵の天分と見鬼の力。この二つを兼ね備える事で、彼女は絵に魔物を封じる力を備えてしまった。
 気づいた魔物たちは彼女を襲い、その生命を奪った。そして自分たちを苦しめた代価として、彼女の描いた絵と、彼女の魂を融合させた魔物を作り出した。
 人と魔の存在を持ち、どちらにも属せず、もとが絵であるがゆえに、希薄な似姿。それがあたしたち。
 そして魔物はあたしたちに逃げるようにいった。あたしたちを見つければ八つ裂きにするという言葉を伝えて。
 存在を賭けた鬼ごっこはまだ続いている。
 考え事をしているうちにもう朝がきていた。
 起きて横を見ると、天の姿がない。
 立ち上がって周りを探すがない。
「どこいったの、あのバカ」
 公園を見回り始める。広い公園で、中には植物園や小さな川。ほかにもいろいろな施設がある。
 野外劇場。天は朝靄の中、その舞台で踊っていた。
 天の背に見える翼は靄に光は返しながら美しい。
 天が融合された絵の題名は『天使』だ。普段はそうは思えないが、ガーリッシュな感じの金色の髪とか、やはり天使だ。
「あいつ」
 夢中になって踊っていて、自分の正体を隠すのを忘れている。
 誰かに見られたらどうするんだ。
 そう思って近づくと、拍手と何やらじゃらじゃらと音が響いた。
 人間が観客席にいた。中学生くらいだろうか。ただ、趣味の好悪はおいて、たくさんのアクセサリーをつけている。
 散歩の途中らしくコギーのつながった紐を持っている。
 拍手に答え、天はスカートの裾を上げ、会釈している。
「すごいね、天使みたいだ」
 少年の言葉に、天は笑顔で、
「分かりますか」とのんきに答えている。
「ちょっとまて」
 その少年の前に割り込んだ。少年がほうけているのが分かった。
 それもそうだろう。二十センチくらいの人間。加えて蝙蝠の羽を持った怪物は少なくとも思考を一時停止させる。
 この瞬間だ。
 魅了の呪文。基本かつ絶対的なあたしの邪視。それは少年の頭に忍び込み命じる。
「あなたはあたしたちの事を好き。だからできる事すべてしてくれる」
 答えは無い。
 邪視が強すぎで壊れることがあるという。幸い、あたしはしたことがないが、今回はそうだろうか。
 そう思ったが、少年はいった。
「何をすればいいんだい?」
 その言葉にあたしはにんまりと笑った。
「ご飯と寝るところ」
「分かった」
 これで暫くは困らない確信ができた。
「ちょっと待って。その前にモモの散歩がしたいんだ」
 青年はそういうと、コギー、モモは一気に駆け出そうとした。

「ごちそうさまでした」
 天は頭を下げた。
「いえいえ、お粗末さまでした。Dちゃんは足りた?」
「ありがとう十分」
 少年、小田寿善の家に押しかけて三日が過ぎていた。
 家というのは正確ではないかもしれない。そこは十字架こそないが教会であったからだ。
 入るときはびくついたものだが、別に大丈夫だった。
 あたしの魅了が続くのは天日ばかり。あと七日はのんびりできる算段だ。
 魅了の効果がすばらしいのは、矛盾に関してはかかっている当事者が理由を考えついてくれることだ。
 恋愛で夢中の時、欠点ですら理由をつけて愛を語らうのに似ている。
 しかし寿善に関してはそれほど理由はいらなかった。今まで魅了を使った場合家族がいるときは、こっちが悪くなるくらい大よそ家庭が犠牲にされていた。
 寿善に関してはその心配はなかった。恐らく中学生くらいの寿善がこうして一人でいるのは、親がいないそうだ。
 もともと孤児であったのを子供のいない牧師夫婦に引き取られた。もともと年配であった養い親たちは二人とも早々と息を引き取ったという。その後、一人で暮らす事になったという。
 加えて寿善の家は地脈が通じていた。世界には見えない力の流れがある。風水とかでよくいうあれだ。ガイアからもたらされる霊気はあたしたちに空の世界に属するものにとって非常に有益だ。
「一人は少し静かすぎだったから」
 寿善がいうとモモが静かに寄ってきて手を舐めている。
「じゃあ、あたしたちが来て嬉しいんだ」
「ああ」
「わたしも寿善さんと知り合えて嬉しいです」
 天が笑うと寿善も笑顔を返した。
 寿善が用意してくれた食事を食べながら、疑問に思う事があった。
 それを口にすることにした。
「寿善は学校いかないの」
「いいんだ。勉強は。もう大検も持っているしね。少し年があがったら大学を受けることにするよ」
 寿善はそういって養父が残した本を読んでいる。
 寿善は確かにその年齢にしては博識だった。本人の弁を信じるなら、中学程度はどうでもいいのだろう。
 だが、なんとなくいらっとした。
「知っている事と、したことは違いますよ」
 天はそういってモモの散歩以外に外に出ない寿善を引っ張り出そうとした。
「いいんだ。外に出たくない」
 寿善が拒むのであきらめたようだった。その代わり本を読んでいる時に常にそばにいるようだった。
 それはちょっとばかりいらっときた。
 どうも、天とずっと一緒にいすぎたせいで、愛着がわいているようだ。
「変なの」
 あたしは苦笑する。
「何が?」
 誰もいないといっていたのにそこに寿善はいた。
 手には養父は残したという羊皮紙にラテン語のつづられた古めかしい本。題名は『屍食経典偽』と読めた。どう見ても普通の教会にはない。
「魔法使いにでもなろうっていうの?」
「Dちゃんは読めるんだね」
「そりゃね。DはデヴィルのDですから。魔法書くらい読めますよ」
「今までは馬鹿にしていたんだけど、Dの存在を考えると、この手の本はあながち嘘ともいえない気がするから読んでみようかと」
「ふ〜ん。まあ本なんて役に立たないものよ」
 そういいつつあたしは慌てていた。もし寿善が魔法使いになってしまったらこの時間は直ぐに終わるだろう。
 そう考えてから苦笑する。七日程度では何も習得できないはず。もし習得できるようなら寿善は天才だ。
「ごはんできました」
 天だった。
「あんたそんなことできたの」
「覚えました」
 天はいった。
 キッチンにいくと、それなりにおいしそうな食事が用意されていた。
 こんがりと狐色のトースト。トマトの入ったオムレツ。コールスロー。オレンジジュース。
「寿善の為に作りました」
「ありがとう」
 寿善は礼をいいながら顔を赤くした。移ったように天の顔も赤くなる。
 二人はよく似ていた。
「二人ともそのトマトみたいに顔赤くして」
 そういうと二人は笑った。
 永遠に続けばいい。そんな風に思うのは生まれて初めてだった。

 魅了が効果を持つ時間を考えると気が滅入った。
 最初に自分のこの力に気づいたときはどれだけの時間効くのか分からなかったから、あっさり一週間をすごした。
 先ほどまでにこにこしていた相手が不意に化け物を見るような目で、まああたしは化け物だけれど、自分に何をしたか叫び始めた。
 その後は、魅了が切れる前に消えた。あのときの男がどうして叫びはじめたのか。操られた心の不確かさ、その間にしたことの記憶なのかは分からなかったけれど、楽しい事ではなかったはずだ。
「寿善はどうなるかな」
 寿善は自分や天をどんな目で見るだろうか?
「Dちゃん」
 後ろには寿善が立っていた。
「君はデヴィルなんだよね」
「そうよ。契約してあげましょうか?」
 あたしは結構本気でいった。そうすれば魅了がとけてもどうにかなるかもしれない。
「メフィストフェレスのようにはいかないけど」
「契約なんてしないよ。ゲーテのファフスト博士みたいに、最後に神様に助けて貰える見込みは無いしね。本来の伝説のように引き裂かれるのがオチだ」
「ちぇ、この善き羊め」
「まあ名前に善もつくしね」
 寿善は真顔になった。
「出て行かないで欲しい」
「え」
 あたしは声をあげて笑った。
「小悪魔なあたしの魅力に負けたと。答えは日曜まで待って」
「悪魔の矜持? 安息日にわざと働こうなんて」
「まあ、そんなところ」
 その頃には魅了も切れる。その上で寿善がどういうか。どうなるか。それが分からないと答えられない。
「あれ天は?」
「モモと散歩。僕が本読んでいたらモモが散歩いきたがって」
「その組み合わせ、どっちかというとモモの方に主導権がありそうね」
 鋭い泣き声が聞こえた。モモだった。モモを連れて行ったはずの天の姿は無い。
「どうしたの?」
 モモの綺麗な紅茶色の毛に赤黒いものがついている。それは血だった。
「モモ」
 モモはこちらが以上を悟ったのが分かったようで、そのまま駆け出した。
 モモのたどり着いたのは公園だった。そこに作られた親水の為の一角に天が倒れていた。
「天」
 あたしが倒れている天の体を揺すると目を開ける
「あいつにあいました。太子です」
 人間よりも妖怪よりも何よりも危険な存在。
「くそ」
 太子。あたしと天を追い回す男だ。
「家に運ぼう」
「分かった」
 寿善は天を抱き上げた。それで初めて分かったようだ。天の軽さに。
「これ」
「太子って奴に存在の何割かもってかれてる」
「分かった」
 寿善は頷いた。

 天をベッドに寝かせた。その脇に寿善は座り、足元にはモモが控えている。
 太子が近くにいたらここは危険だ。あいつに襲われた連中が、まったく存在を消されてしまった事を覚えている。
「大丈夫だから」
 寿善はいった。
 確かに天は随分安定してきている。その理由は、寿善の想いを受けて、天が回復しているのだ。加えてここの地脈は回復に必要な精気を集めてくれる。
 あたしたちは空即是色の生き物だ。空、見えないその要素が、色すなわち現実に影響をもたらす。
「あんたのおかげ。あんたの天への想いが回復させているの」
「大丈夫っていったのはそうじゃないよ。二人とも守るから」
 魅了の能力はこうも人を強くするのか。そう思った瞬間、胸が痛い。
 辛いと思ってしまっているのに気づいた。
「ごめん」
 それしか言葉がでてこなかった。寿善は笑った。
「だいじょうぶだから」
 
 天を襲った相手。
 太子。魍魎の継嗣。不死者。彼に関するうわさが渦巻いた。
 敵対者には容赦なく呵責な振る舞いに出るという。寿善をそれに巻き込むことはできない。
 あたしで勝てるだろうか。
 あたしたちは元になった彼女の記憶の一部を含んでいる。
 太子は彼女が最初に封じた存在だ。彼女は人間の子供と思って描いた彼。
 彼は百王子と呼ばれる自然界に棲む精霊だった。人に描かれる事で彼は人に似た何かになった。そして彼女に恋をしたという。その妄執で太子はあたしたちを追うのだ。
 普通に考えれば太子には勝てない。
「にげよう」
 あたしがえさになってここから離れて太子を遠くへおびき出せばいい。
 ただ、それには準備が要る。何より、寿善の気持がどうなるかだ。
 寿善の養父がどんな人間だったか分からない。しかし、その手の筋の人間なのは間違いない。ただの牧師のはずはないのだ。
 家捜しているうちにたどりつい阿地下室にはさまざまなものが置かれていた、
 骨董か、ガラクタか。美しいか醜いのか。雑多に置かれたそれらの品物は一つの目的を持って作られていた。
 霊的武装。呪詛。あるいは魔よけ。そうしたさまざまな用途を持つそれ。
 しかし、あたし自身の能力を増すのはそう多くは無かった。
 なんていっても、デヴィルは人に害なす存在だ。
 あたしが選んだのは青銅の剣。銀で象嵌の施されたそれは人間にとっては多少大きいナイフだがあたしには両手で持ち上げなくてはいけない大剣だ。
「それは動かすなって父さんにいわれていたんだ」
 もっていこうとすると寿善にとめられた。
「悪い。ちょっと必要だから。ちゃんと返すから」
 寿善は息を吐いた。
「それを使って何をするの?」
「天をああしたやつをぶちのめしにね」
「一緒に行くよ」
「寿善が天を見てくれているからいくのに、それじゃ駄目でしょ」
「そうか」
 寿善は頷いた。
「じゃあ、ちょっといってくるから」
 あたしは夜の街に出た。
 氷の欠片のような蒼い月が出ていた。
 いつもは隠している気配を全開にする。それに従うように背中の蝙蝠の羽根が大きくなって月の光を返す。この剣は本当にすばらしい。回りから力を自然と集めてくる。
 目的にしていた公園の中を歩き始める。
 歩いていると一瞬だが貫かれた気がした。文字通りの鋭気。貫かれた気がした。誰かがあたしに狙いをつけたのが分かる。
 鋭気の方向には月があった。
 月がもたらす影が今夜は濃いと思った。もっとも濃い影を地面に落すのは一つの人影だった。
 あたしの記憶はその影の正体を知っていた。
「王子」
 名を呼ばれた時、こみ上げてきたのは懐かしさだった。
 これは記憶。あたしとは関係ない。
「あんたを殺す」
 太子の髪がゆらゆらと生き物のようにゆれ、闇に消えていく。
 太子に向かい飛び込んだ。
 剣に触れた太子は飛びのいた。
「白銀造象剣」
 なかなかの業物だったようだ。
「知っているなら、さっさと逃げれば。そしたら今日は見逃してあげる」
 太子は向かってきた。その矢のような一撃を交わす。触れてもいないのに体が一気に重くなる。力が削り取られていた。
 これが太子。あたしたちの天敵。
 太子は立ち止まってあたしから奪ったものを見ている。
 それは光の塊に見えた。精気。オド。あるいはアソッド。エネルギーの塊。
「足りない」
 太子はあたしを見た。
 これでいい。太子はあたしを獲物として定めた。だからこのまま逃げてしまえばいい。
 あたしは逃げ道を思い出しながら背を向けた。そうして逃げ切って、天から引き離せば成功だ。
 全力で離れたはずだった。しかし、いつまでも太子との距離をとれない。これでも身を隠して、その探索に時間をとらせることもできない。
 どうしよう。
 そう思った時だ。足元の木陰が盛り上がった。
 太子の髪が木陰から飛び出る。
 まさか。
 記憶がよみがえった。そう、この太子の髪は影と同化し不意に現れる。こんな影ばかり多い中では、腹の中に入り込んでしまったようなものなのだ。
「く」
 ここまでか。
 両手足に髪が巻きつく。そこから気を吸われている。
 太子はゆっくり近づいてくる。
 あれしかない。
 手元にある剣に力を送り込み一気に炸裂させる。太子の広い攻撃範囲があだになるはずだ。
 思い出すのは不思議と天の顔ばかりだった。
 剣に一気に力を込めた。
 剣が許容できるであろうものよりも大きな力。それは一気に刃に亀裂を入れた。
「死ね」
 あたしは叫んだ。

 公園全体が炎に包まれていた。
 燃えるその中で陽炎のように揺らめく影はその力を失っていく。
 子供といっていい姿があった。それが太子だった。初めて炎の中で見える顔。
 はっきりと思い出していた。
「郁守くん」
 影はあたしを見た。幼い表情だった。
「橘花」
 懐かしさがこみ上げてきた。どうして自分の前から消えたのか。わたしへの気持はなんだったのか。そんな問いが浮かんだが、もう出てこない。
 これはあたしのものじゃない。至王子橘花という死んだ少女のもの。
 逃げなきゃ。そう思った時には首に太子の手がかかっていた。
「どうして自爆なんてする」
「うっさいな。あいつを幸せにしたいからにきまってるでしょ」
 死ぬ前くらい素直になることにした。
 天も好きだが、寿善の事もすきなのだ。二人で幸せになってくれればなおいいんだが。
 太子の動きが弱まった。
 太子はあたしの体を放り投げた。残っている力で必死に立ち上がる。
「何すんの」
 その間に太子の姿は消えていた。
 とにかくあたしは生きていた。
 生きているのか。
 体が動かない。死ぬ気で放ったのだから当たり前か。
 太子が手傷を負ってくれれば本当にいいんだけど。
 そう思いながら気づくと地面に横たわっていた。
 顔を舐めるのはモモだった。
 天と時といい今といい、本当にこいつは賢い。
 そう思いながら目を閉じた。

 目を開けると天の泣き顔があった。
「どうしてDはそんな無理するんですか」
「頼りにならないんだからしょうがないでしょ」
 いつものように憎まれ口を叩いてみた。半泣きになってくれればちょっとは安心だ。そう思うと、天は涙を拭いた。
「わたしもっと頼りになるようになる」
 いけないあたしは天がしっかりしようと考えてしまうくらい末期なのだ。太子とあって生きていたのだからそれくらい当然か。
「できればもうちょい地脈に近いところにしてもらえるかな。地下室とか」
 あそこなら静かに楽に消えていける気がした。
「Dちゃん」
 寿善の顔が見えた。
「そういえばあんたに借りたの、ぼろぼろになっちゃった」
「生きていてくれてよかった」
「死ぬわけ無いじゃない」
「もう一週間も目を覚まさなかったんだよ」
 目を一週間。魅力の継続時間はとっくに過ぎている。
「ちょっと待って。あたし一週間も寝てたの。どうして、あたしを怒らないの」
「何が?」
 寿善は不思議そうな顔をした。
「魅了したじゃない。あなたはあたしたちの事を好き。だからできる事すべてしてくれるっていったでしょ」
「初対面にしては変なことを言うと思ったんだけど、あれ呪文だったんんだ。てっきりそういうアピールかと思って」
 寿善には魅了がかかっていなかったようだ。それなら、ここ数日の彼がしてくれていたことは本当に彼の善意だったのだ。
「ごめん」
 謝ると寿善は笑った。
「気にしないで。義父さんが死んでから本当にさびしかったから嬉しかったんだ」
 まだ消えられない。この人のいい無垢な少年が、せめて立ち直るまで、存在を続けよう。

 一月が過ぎ、二月が過ぎた。そうして一年あまりが過ぎた。
 天は少ししっかりして、前ほどあたしを頼らなくなった。
 寿善は学校に行くようになった。天のおかげだった。毎日お弁当を作り、寿善に渡し、学校に行くように促した。今まで逃げ場所だった家が逃げられなくなったせいで仕方なく通いだしたらしいが、習慣というのは恐ろしい
 平和な時間だった。
 だからあたしは出かけることにした。あたし自身の平和の為に。
 太子と戦った時からずっと彼女の、至王子橘花の記憶が思い出された。
 それが自分のものでないのを確かめるために、彼女の記憶の場所を訪ねることにした。
 一緒に行きたがる天に首を横に振る。
「だって、寿が帰ってきて二人ともいなかったら嫌だろ」
 そういうと天は、「少し待っていて」。
 仕方なさそうにお弁当と、一応と剣を差し出した。
 橘花の記憶はもう存在しないと思われる古い街並みだったが、よく神社が出てきた。
 大神宮とその名前はいった。
 店構えは変わってしまっていたが、街並みは変わっていなかった。
 その記憶のままにたどりついた大神宮は変わっていなかった。昔は自由に入れた場所に柵が設けられていたが、入れないことはない。
 神社の中には鎮守の森があった。その中には池があるはずだった。そこで橘花は太子と別れたのだ。
 記憶と同じく、池はそこにあった。池には亀が日差しの中でくつろいでいる。
 子供が一人立っていた。一際濃い影を見なくては、彼がそうだとは気付かなかったろう。それだけ幼い姿だ。
「太子」
 太子は呼ばれて困ったような顔をした。
「どうしてきたんだ」
「理由を聞きたかった。どうしてあなたがわたしたちを狙うのか」
「橘花を甦らせたい」
「死んだ人間は甦らない」
「いや彼女の肉体はあの日のまま眠っている」
 太子は池を指差した。
 暗い水の底で揺れている何かが見えた。数枚の絵がイーゼルに置かれ飾られている。だが、何も置かれていないイーゼルの方がずっと多い。その空白のイーゼルが作られたあたしたちの総数なのだろう。
 絵に取り囲まれるように眠っている振袖姿の少女がいた。その顔は天にそっくりだった。
 至王子橘花。あたしたちの存在の原点。
「橘花に足りないのは魂だけだ」
「あたしたちを殺して魂を回収するのが目的なの」
「ああ」
 橘花なら原型のあたしならきっとこういったはずだ。
「そのために郁守くんは傷つくんでしょ。そして誰かを傷つける。それなら止めて」
「橘花ならそういうと思う」
「あたしの魂も奪う?」
 答えは無い。
「郁守くん」
「もう僕の前に現れるな。次は生かしてはおかない」
 太子の名に相応しい。嵐のような力を感じた。
 あたしは背を向けた。
「さよなら」
「さよなら郁守くん」
 木々が風になびく。その音は子供の泣き声に聞こえた。

 血の臭いがした。 
 屋敷に入った瞬間に分かった。
 何かがあったのだ。モモが倒れている。幸い息がある。これなら治せる。
 鋭い痛みが手に移った。あたしの治療は傷の移動に過ぎない。しかし、これでモモが生きるのならたいしたことはない。
「モモ、何があったの」
 モモは走り出した。
 家の中では天が襲われていた。
 獣を思わせるそれは天に襲い掛かり体を切り裂いていた。赤い衣をまとっているように見えるのは血か。

「離れろ」
 あたしは剣を抜いて切りかかった。獣は倒れる。しかし、それは一体ではなかった。
 部屋の角から沸き立つように獣は現れる。
 そうだ。どうして忘れていたんだろう。鬼ごっこの鬼は、太子だけではないことに。
 戦わなくてはいけない。
 向かってくる獣を切り伏せる。
 だが、倒しても倒しても数は減らない。
 違う。これは意味がない。
「どうしたんだ」
 寿善だった。
「来ちゃダメ」
 獣は寿善に襲いかかる。
 ダメだ間に合わない。そう思った時、寿善の趣味の悪いアクセサリーが光を発して獣を防いでいる。
 あれはお守りだったのだ。それであたしの魅了も防いだのだろう。
「こいつらを使っているの探す」
 寿善は外に飛び出した。
 大丈夫だろうか。そう思っても、外に出ようとするあたしの前に獣が立ちふさがる。
 獣たちが動きを止めた。一斉にあたしに向かって飛びかかる。
 一体を切り伏せ、二体目の攻めを交わし、三体目を飛び上がりながら切り裂いた。そして四体目があたしの羽を切り裂いた。
 床に転がる。あたしに獣たちがのしかかる。涎があたしの身体にかかる。
「やられるか」
 剣に力を込めるとのしかかる獣の頭を柄で潰した。
 獣たちが声をあげる。それは断末魔の声だったのか、粘液となって床に飛び散った。
 あたしは倒れた。
 部屋の血とも粘液ともつかない液体で汚されきっていたが、もう立っていられなかった。
 その液体の中で倒れたあたしは溺れ死ぬかもしれない。翼は殆どちぎれて飛ぶこともできはしない。
 天も寿善もいないのならそれでいいかもしれない。
 天の血まみれの体が動いた。
「だいじょうぶ?」
 そんな心配できるときではないだろうに天は当たり前のようにいう。
 翼が大きく光を放っている。
 天はあたしを抱き上げた。
 寿善が倒れていた。そこにも何かいたらしく粘液の染みが残っている。
 寿善を天は支え、やさしく壁に寄りかからせた。
 それだけなのに天の身体は湯気のように汗をかいていた。
「止めろ。お前が死んじゃうだろ」
「もう私はダメなの」
 天のわき腹は大きく抉れていた。血も出ない存在の破壊。
「だからDは生きて」
「ダメだ」
 天はあたしを抱き上げた。暖かいものがあたしの中に流れてくる。
「今までありがとう。寿善を助けてあげて」
 天は消えた。天があたしの中に溶けていくのが分かる。
「ダメだ」
 目から涙が出た。とまらない涙のせいでゆがんだ視界。
「消えないで天」 
 寿善が立ち上がるのが見えた。彼の身を飾る悪趣味なアクセサリーが壊れて散っていた。
「天は」
「あたしを助けて」
 寿善は頷いた。
「契約してほしい」
「何を願うの」
「天を甦らせたい」
 あたしは頷いた。
 きっと、あたしの中に存在は残っている天の魂。これを使えば甦らせらせる。
 郁守くん、あたしも同じだったよ。
 太子がしていることと同じことをしようとしている。自分を殺して他者を害して、目的を果たす。
「今日から善を捨てる。一緒に行くのは神ではなく、悪魔である君だ」
 これから何をしても彼の願いをかなえよう。だって、あたしは悪魔なのだ。
 けれども、今だけは、泣こう。
 甦ることはない無垢を思って。
 
 
posted by 作者 at 19:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 短編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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