2011年11月07日

雪華花洛



 身分を隠し、領土を視察していた昴国の太守が、道中一人の青年に出会ったのは、寒波が大陸を襲った年の事であった。
 幸い寒波は昴国まで至る事はないようだが、田畑はいつもより多く霜がかかっている。収穫には響かぬようで太守は安堵の息を吐いていた
 そんな中、民に混じり、昴国には珍しい蒼い瞳の青年がおり、思わず声をかけた。
 青年は名を北家辰己といい、花洛の私塾で学んでいたが、寒波で先生が具合を悪くし、塾を畳むことしたので、旅をしているのだという。
 花洛は千里あまり離れた遠地であり、太守の甥も住んでいた事もあり、興味を持って話しかけた。
 青年が何を学んだかと問うと経世の学であるという。昴国で出世を願えば、経世などではなく、儀礼や法令、文章といったものであるから、太守は不思議に思い尋ねた。
「どうしてそのようなものを学ばれるか。栄達されたいのなら、そのようなものを学ばれても、試験にはうからぬし、故郷に錦を飾るのも難しかろう」
 青年は少し考え込むと、
「そういう事は考えた事はありませんでした。ただ、どうせ学ぶなら、人の為になることがいいと思ったのです」
 太守は青年に道行く草原を見ながら尋ねた。
「この草原を拓こうと思うのだがどうだろう」
「この地は草があって、それが根を張ることで土を固めています。耕すのは向かないかと」
「では鉄をとるのはどうだろう」
「この地では、鉄のたぐいは無理かと思います。もし、何か殖産をされたいのでしたら、牧畜がよいかと」
 そのような会話がいくつもあり、青年の博覧な事を知った太守は大いに気に入り、仕官する気はないか誘ったが、あまり乗り気ではないないらしく、首を縦には振らなかった。
「では、しばらく我が家に滞在するのはどうだろうか」
「それなら。あの犬もいるのですが構いませんか」
「ああ、構わんよ」
 青年は食客として、太守の屋敷に住む事になった。
「姓名を聞いていいだろうか」
「北家辰己ともうします」
 辰己は、昼間は与えられた一室に居ることが少なく、犬の相手をしているか、庭の一角を借り、鉢植えにした草花を育てていた。様々な種類で、ほとんど見慣れぬものだった。美しいものも多かったが地面に這いつくばるように咲く花、赤子のような身をつける木、見ていると懐かしい人を思い出す草。
辰己は鉢植えが育つと、どこかに持って行き、同じ草花があることはなかった。
 しかし、夜ともなれば、太守や、同じような食客が尋ねると歓談し、その際には珍しい茶や酒を振る舞うなど吝嗇ではなかったので、誰にでも懐かれた。
 そんな辰己の居室には、書物と寝具だけが置かれ、無用のものは何も無かった。
 季節は冬が終わり春にかかろうとしていた。
 取っ替え引っ替えだった草木は、いつの間にか幾つかの種類に定まっていた。
 彼は頻繁に出かけるようになり、屋敷には週に一日二日いる程度になってしまった。
 ある日、太守のもとに、甥が訪れ、宴席が開かれた。
 甥は、辰己を見ると、驚きを隠さなかった。
「浄眼児」
 太守は驚きの理由を尋ねようとしたが、様々な客に、甥を紹介するのに忙しく、宴席で尋ねる事は出来なかった。
 夜になり、太守は甥と二人になったので、驚いた理由を尋ねた。
「花洛で何度か見たのです」
「彼は半年あまり食客としてここにいる」
「本当ですか」
「ただ、その話は興味がある」
 甥は話し始めた。

 花洛の寒波は叔父上もご存知と思います。あれはひとつの祟りによるものだと、街に住むものは申しております。
 花洛は街ができた時から、一柱の神がいるといいます。それは石神で、一見、ただの石に見えるといいます。
 ただ、その石神は毎年、街の中で場所を変えるのです。誰かが運ぶのではありません。季節が移り変わるように、石神は、様々な石を渡り歩くのです。
 花洛は、名の如く、花の多い街ですが、その花は石神に対する捧げ物だといいます。花がある限り、神は満足していると。
 寒波の訪れた日、石神のある屋敷で女が殺されました。血で汚された事に起こった石神が寒波を起こしたというのです。加えて寒波によって花は枯れ、ますます広がりました。
 その頃から、花洛で鉢植えの花を配る男がおりました。
『浄眼児』と呼ばれました。青とも緑ともつかない不可思議な瞳。それが彼なのです。その花で石神が怒りを沈めたように寒波は終わり、私は花洛を出て、昴に戻ってきたのです。
 太守にとり甥の話は合点がいくところと、いかぬ所があった。
 鉢植えの減る理由と、最近まで花洛にいたということだ。花洛から昴国まで千里あまり。どう馬を飛ばしても、一月近くはかかるはずだ。辰己はよく外出していたが、そんなに長く姿が見えないことは無かった。
 太守は、辰己の室を訪れた。
 辰己は眠っておらず太守がくるのを待っていたようだった。どう切り出したらいいかと思う太守に向かい辰己は自ら口を開いた。
「私は天幇の一員です」
 天幇とは、仙術、不可思議な術を操るものの一派であるのを太守は知っていた。だが、実際眼にする事は初めてだ。それなら一日千里あまり駆けるのも、仙術と思えば納得ができる。
「花洛では執行として、男を見張っていました。男の名は紗見耕法、花洛の西に広がる竜沙に住む紗族の出身の祭司です。耕法は花洛の一角にある屋敷に住み、精霊の秘儀に関わる試みを日夜行っていました」
「それが寒波を起こした本当の原因なのかね」
 頷く辰己に、太守はうすら寒いものを覚えた。そのような男が一人だけで、国を揺るがすかもしれぬものを災厄を招いた事に。ただ、それを止めようとした天幇の執行もまた同じくらい恐ろしい。天幇のものが城一つを壊して見せたり、湖一つを消したという話も耳にしていた。
 太守は辰己の眼に、心の揺れを見た。それは辰己がついぞ見せた事がない、人間らしい顔だった。その顔は太守に落ち着きを取り戻させた。
「私は君よりずいぶん年長だ。よければ話してみないかね。それで迷わずに済むことができるようになるかもしれぬ」

















 北家辰己は紗見耕法の屋敷の監視を続けてひと月あまりが過ぎた。屋敷の生垣の隙間から白い犬が飛び出してきた。
 微笑ましく見ていると、「まって」と声があがった。犬に遅れ、屋敷の門から一人の少女が追いかけてくる。
 竜沙の人間らしい数多の色で飾られた薄手の衣装。鮮やかだがそれは真冬に着るには少し寒そうだった。少女は子犬を抱き上げると何かから逃げるように静かに走り始めた。
 不思議と少女の白い頬は走っても走っても赤みを増す事は無かった。
 屋敷を監視しなくてはいけないものの、気になった辰己は少女を追いかけていった。
 少し離れた路地裏で少女は歩みを止め、置かれたかがり火花の鉢植えを見ていた。そして一度だけ屋敷の方を見てから違うほうに向かい歩き出したが、すぐに蹲まってしまう。
 吐く息の白さが穏やかさを失って荒くなる。
 辰己は思わず少女に歩みよった。少女は足音に気付いたのか辰己の方を見た。
 役目を逸脱している。そう思っても辰己の眼は少女に引き寄せられていた。
 どこか遠くを見ているような瞳があった。それは人を不安にさせる目の輝きだった。目を離している間に消えてしまいそうな輝き。
「しっかりしてください」
 少女は辰己を見ると、立ち上がり笑窪を見せて笑ったが、蒼白で辰己を却って不安にさせた。
「経世塾の北家辰己といいます。どこの奥向きかは存じませんが、もしよろしければお送りします」
 名乗った塾の名は花洛で一、二を争う有名な私塾で、良家の子息が多く通っている。辰己の言葉に少女は少し考えたようだった。
「紗見曜ともうします」
 紗見曜を抱き上げた。肉の薄い軽い体だったが、熱は高い。
 屋敷に向かうと、侍女が探しに出ている。
「よろしくおねがいします」
 侍女に託し、帰ろうとした辰己を侍女は引き止めた、そのまま客間に通された。
 逸脱も甚だしい。そう思いながらも辰己は覚悟を決めて、部屋の中を見回した。
 部屋の中は飾り気がないというか質素で、花を飾るのを生きがいとしている花洛の家にしては珍しいものだった。まして竜沙の民は、草花を喜ぶという話を聞いたことがあった。
「待たせたかな」
 客間の扉が開き、一人の男が入ってくる。


 曜が着ていたのと同じ竜沙の民の衣装をまとった様は、男にしては華やかだ。顔は目鼻立ちがはっきりしており、精霊の秘儀を司る人間というよりは、族長のような風格がある。
 辰己は立ち上がると、文士らしく胸に手をあてて一礼した。
「妹が世話になった。私は紗見耕法。竜沙の紗族のものだ」
「北家辰己ともうします」
「その姓からすると異国の人間かね?」
「はい。こちらの経世塾に留学して学んでおります」
「お互いに異人というわけだ。」
 耕法は笑った。
「妹は身体が弱くてね。哉、あの子犬ばかりが相手で。それで自分の身体の事も考えず、外に追いかけて行ってしまったのだろう」
 耕法は鷹揚に笑った。
「手短な礼ですまんが、仕事の途中で。今、繊細な所なので直ぐに戻らなくてはならない」
「耕法さまはどんな仕事を。もしかしたら、手伝える事があるかもしれません」
「秘密だ。まだ本当に途中だからな。だが、成功すれば多くの民が救われるはずだ」
 耕法のまなざしは真摯だった。
「それはすばらしいですね。己の学ぶ経世塾の教えもそうです。」
「経世済民だな。小利を考えるよりも、大きな幸福の為に全ての術はある」
 辰己は強く頷いた。それは辰己自身も常に感じている事だ。
 天幇は救える力を持ちながら飢饉や洪水の時でも力を出すことはない。天幇が執行人を介入させるのは術の乱用がされたときだけだ。だが、進んで善を行う事もない。言うなれば善用も悪用も天幇の法からすれば同じということだ。
「心配事か?」
 考え込む辰己に、耕法は淡い微笑を浮かべながら見つめた。
「もしよければ妹に会いに来てやってくれないか?」
「己でよければ」
 辰己の答えに耕法は大きく笑った。
「そうか。任せたぞ」
 街を歩く足は軽かった。
 紗見耕法はよい人物であるように思えた。見張るという事にくさくさしていた事もあるだろう。
 任からすれば正直なところ誤っているのも分かっている。それでも過ちを犯した事よりも、見張るという行為から外れたせいで辰己の心は軽かった。




 辰己が屋敷を再訪したのは三日後の事であった。
 今回は紗見曜の部屋に通された。屋敷の中は何の暖もないように肌寒かったが、二階にある曜の部屋はさらに寒かった。暖炉で燃える火があるというのにそれはただあるだけでまったく部屋の暖かさに関与していないようであった。
 哉だけが元気よく床を走り回っているだけで中は静かだ。
 寝台で身体を起こし、曜は辰己を見つめた。
「すいません。寒いでしょ。私、精霊の祝福を受けていて冷たいのです」
 呪いではないかと思ったが、竜沙のような砂漠ならそれは祝福といっていいだろう。
「いえ。己の生国も寒いですから」
「国はどちらなのですか?」
「天津島です」
 東方の海に浮かぶ小さな島を思い出しながら辰己は言った。
「天津の方がこちらにいらっしゃるなんて珍しいですね」
「そうですね。天津の住人は自分の国に誇りを持っていますから、外で学ぶべきものはないと思っている。でも、国にはここまでのものはないですから」
 辰己が差し出したのは小さな宝玉のような白い玉蘭の束だった。
「花を見るというと、樹木の花が中心で、こういう鉢植えはあまり作らないですしね」
 曜は花束を受け取ると笑窪を見せた。
「きれいな花」
 曜は玉蘭に顔を寄せてその僅かな花の香りを楽しんだ。
「この屋敷は花が無いと思いまして」 
「兄は花が嫌いなのです」
 曜は目を伏せた。
「竜沙の人は緑や花を尊ぶ。そんな話を聞いた事があります」
「この花洛で咲く花がきらいなのです」
「どうしてですか?」
 発した問いの答えのような沈黙に辰己は。
「私たちの故郷はこの花洛から三日程のところにある羽流です。兄が子供だった頃、旱魃が続き、花洛の水を分けて貰えば助かったようですが、花にやる水がなくなると断られたそうです。今もそのために」
 確かにこの街では妙に思えるくらい花が絶える事はない。それがとある廟に関わる伝説であるのを辰己は知っていた。
「でもこの街の花はきれいです。哉を追いかけて外に出たときに思いました。どうしてこの街にこんなにたくさんの花があるのか不思議になります」
「この街の神は若い女性で花が好きという伝説があるんですよ」
「あなたに会った時、その廟に行くところだったんですが、その話は知りませんでした」

「廟に行かれるのなら案内いたしますよ。ちょうど今日は花祭りの日だからたくさんの店もでていますよ」
「本当ですか? 嬉しい。辰己さまとご一緒なら兄も何も言わないと思います」
「耕法殿がですか?」
「ええ。辰己さまの事を気に入られたようです」
「そうですか」
 自分が心から笑っていることに気付いて辰己は驚いた。
 役目の為。そう思っていたはずなのに曜や耕法を好ましく思っている自分がいた。
「こうして出かけたのは久しぶりです」
 紗見曜の言葉に辰己は頷いた。
 大勢の参拝の人々に混じり二人は廟を回っていた。
『天后廟』とその廟の名はいった。西から伝わったというその女神は月の女神であり世界を支配する女神だという。眠っている間はどこにでもあり人々の小さな幸せを支えるが、目覚めると大きすぎる力が集まり大きな災いになるという。だからこそ彼女が愛している花の香りで眠りに落ちているように、人々は花を捧げる。
 参拝の人々は実に多かった。
 辰己や曜のように一見紘土の民と変わらないものから、見かけからこの大陸のものでないものも多く見られた。でも、人々はみな一様に花に微笑み、神に花をささげた。
 花の香のするそこは、冷たい空気の中でも春のようであった。
 花を愛する女神の話は嘘ではないようで多くの花が飾られている。
 冬の外気に触れたせいか曜の頬が珍しく赤みを持っていた。
「お願いもできたし、いい思い出もできました」
「これから何度でもいけますよ」
 曜は小さく笑った。
 二人はそのまま帰路についた。人気のない道で二人は黙ったままだ。
 言葉を発してしまえば何か失われてしまう。そんな気がして辰己は口を開かなかった。
 曜は立ち止まり辰己の顔を見つめた。
「大丈夫ですか?」
 出会った時の事を思い出し辰己は曜の顔を見る。しかし曜の顔は相変わらず白いものの苦しげな様子は見えない。
「こうして外に出るのは本当に稀なのです。辰己さまとあったあの日も哉がいなければきっとでなかったと思います」
「身体を大切しないといけませんから」
「ええ。でも、家から外をじっと見ているだけの日々はどこか悲しかったものです」

「これからどこにでもいけますよ」
「兄のしていることはもう少しで終ります」
「え?」
「ずっと家を見てらっしゃいましたね」
 辰己の顔に驚きが浮かんだ。
「できることといったら家の中から外を眺める事くらいでいつの頃からか、あなたに気付きました。考えてみればすぐ思い当たりました。兄の事ですね。辰己さんは花洛の役人ですか?」
 言葉でならいくらでもつくろえる。そう思っていたが、曜の目にもう囚われていた。
「天幇の執行です」
 答えを聞いた曜の顔が曇る。
 執行は恐ろしい噂を持っている。一軍を相手に傷一つつかずに勝ち抜いたもの。城一つをまるまる消し去ったもの。それを思い出しているのだろう。
「兄のしようとしているのは天を操るものですが、それは水がないで、亡くなった人々をもう作りたくないからです」
「いい事ですね。術は本来そうしたものだと思っています。少しでも人を幸せにできる力です。耕法殿は正しいと思います」
 曜は嬉しそうに笑った。
「水不足は去年も起こっています。今年も起これば、もう紗族は終わりでしょう。今この街に滞在しているのも交渉の為です。もし譲って貰えなかったら兄は何をするかわかりません。でもわたしには止められません。だからもし何かあったら止めてください」
「何かなんてきっとないです。花洛には余裕がある。それに耕法殿の交渉もきっとうまくいます」
「ええ。そうだと信じてます。だからもしの話です」
 辰己は曜の何かを押し殺したようなまなざしに頷いていた。
「良かった。神さまにもお願いしたのですけど、必要なかったですね。辰己さんがいてくれればだいじょうぶに思えます」
 曜は笑った。
 気付けばもう家の前だった。
「今日はありがとう」
 曜はゆっくりと頭を下げた。








 翌朝、街は雪の白に染め上げられていた。いや、白に塗り込められていた。
 花洛の長は、前例がないと、紗族の訴えを退けたのだ。
足が柔らかな雪に沈むのを耐えながら、北家辰己は歩いていた。もし立ち止まれば、身のうちに微かに残る熱は消え、そのまま凍え死んでしまいそうな寒さだった。
 処女雪を踏みにじる中、時折鮮やかな花が舞った。
 数刻前まで街を彩り、花洛と称されるのを当然と思わせた大輪の花々。よく見れば、雪の中、至る所に花が埋葬されていた。
 辰己は花に気をとられる事なく、歩みは変わらない。むしろ早さを増し、気づけば駆け出していた。
 雪に足をとられ、幾度となく転がりそうになりながらたどり着いたのは一件の屋敷だった。
 三階建ての大きな屋敷が立ち並ぶ中で、二階建ての高さは目立つものではない。
 しかし、ここは今、花洛の屋敷の中で、もっとも重要な場所だった。
 空気が冷たさを増している。もし、気の流れを見ることができる、見鬼浄眼であれば、屋敷を中心に寒さが渦を巻いているのを見るはずだ。そして辰己は浄眼を持つものであった。
 雪の中、屋敷の中に続く門は直ぐに見つかった。いつもなら馬車の出入りする大きな扉は凍りつき、またその重さのため、百貫の重さを持って動くことはなかった。
「どうする」
 辰己の視界の隅に黒く動いているものが見える。それは一匹の子犬だった。犬は辰己を見つけると大きく尻尾を振りながら飛び込んできた。辰己も腕を広げて犬を抱き上げる。
「哉」
 辰己の声に犬はか細い声で答える。腕を伝わってくる熱は弱い辰己に伝わってくる。
「しっかりしろ。お前の主人はいるのか?」
 犬は一声あげると、辰己の腕から飛び降りる。
 門に向かい吠え掛かる様子は中にいる主人を思うものか必死であった。
 凍りつき動かぬ扉。
『人界において、術を濫りに使うこと許さず』
 幾人もの師から教えられてきた言葉が木霊する。
 辰己の手が白銀の光に包まれる。小さく「斬妖索」と口訣を唱える。辰己の手からのびた光は白銀の光刃と化して走ると、扉は両断されていた。



 門をぬけ直ぐに庭園が現れた。そこは街中において辺境を思い楽しむような純粋な庭ではなかった。黒い巨大な方形の石が並んでいて、ここもまた雪に埋もれつつあった。そこにあるのは自然ではなく、人の意思の絡む、巨大な仕掛けのようだ。辰己の浄眼を通してみれば、その仕掛けによって、気の流れが変わり、雪を招いているのは明らかだ。
 哉が大きく鳴いた。風が大きく吹いた。降り積もった雪が舞い上がり、風に散る中、眼を閉じて、一人の少女はいた。庭園の装飾であるかのように柱と同じ黒に染まり、一体化しつつある体。
 雪が吹き荒れる。冷気が全身を包むように厳しい。花洛を包む凍気の源は彼女だった。精霊の祝福といっていたその力は、大きな呪いとなっていた。
「曜」
彼女は目を開けた。
「来てくれると思っていました」
 雪華は止む事無く降り続いている。
 辰己は岩に触れた。
 岩はそうして手を触れてもまったく動くことはなかった。それだけでない。触れた先から辰己の腕が氷に包まれ始める。
「くっ」
「これは消えてしまった神の業なのです。兄が思っていたよりもずっと強かった。もうわたしを飲み込み止まる事もない」
 辰己は紗見曜を見た。
「兄も気づいて止めようと思ったのですがもう間に合いませんでした」
 曜の眼に悲しみが灯った。その目の先には紗見耕法が息絶え、雪の中に埋もれている。
「できるでしょこれを止めること」
 雪を止めるためには、この狂った神の道具のもっとも弱いところを壊さねばならない。
「できない」
 雪が降り始めてまだ一晩。それでも花洛は死んでしまったように静かだった。これが半日も続けば花洛は息絶えるだろう。
「分かっているでしょ。この花の街を喪いたくない」
 辰己には壊すべきところが分かった。弱いところはただ一つ。生身である曜の体だけだ。
「廟に二人でいきましたね」
 曜の目が楽しげに細まった。
「あの時たくさんの人たちを見ました。兄は、街とか国を相手にしているつもりだった。でも違うのです」
「曜」
「あの人たちを守ってください」
 先程まで元気だった哉の動きが止まった。
 辰己の手が白銀の光を見せる。「斬妖索」と口訣と共に白銀の刃が曜の身体を切り裂く。石柱が砕け散った。
 降る結晶が少しずつその数を減らし、雪へと変わっていく。
 辰己は雪の中に埋もれた曜を抱き上げた。僅かなぬくもりが辰己に感じられた。祝福も呪いもなくなった本当のぬくもり。
「力がないから」
 曜は辰己を見た。どこか遠くを見ていた眼が今は辰己だけを見ている。
「ありがとう」
 曜は笑窪を見せて笑った。ぬくもりは彼方に消え去っていった。
 涙が零れ落ちた。出会ってまだ数日しかたっていない、それでも好きだったと分かった少女。
 このまま自分も雪に埋もれてしまいたかった。哉が吠える。激しい声は辰己を叱咤するようだ。
「そうだな。でも、もう少しだけ」
 

 太守は話を聞き終えると耐え難い眠気を覚え、辰己の許を去った。
 愛するものを仆した辰己の行いを義侠の士だと簡単に賞賛する事もできずに、何か彼の重荷を除けるものを探したが見つかることはなかった。
 太守は起きると、側付のものより、辰己からと書物を渡された。開けば、昴の地にあった経世済民の方法が細かく記されていた。
 直ぐに辰己の室に出向いたが、室内はひっそりとして、人の姿も、物の姿も無かった。
posted by 作者 at 00:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 短編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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