2014年06月21日

キャンディーフロスワールド

「『佳奈』は宇城さんを殺すかもしれない」
 電話の向こう声は淡々としていて思わず祐介は苦笑した。佳奈は無害な存在だ。手も足もないのに殺せるわけはないのだ。
「山海さん、『佳奈』はソフトにすぎないんですよ。ワードとかウィンドウズみたいなもので、プログラムですから」
 そういいながら何か大切なものを失った気がした。佳奈がもういなくなってしまったようなそんな気持ち。
「ソフトウェアだって人を殺す。考えてみてくれ。信号機が町中で狂ってしまえば事故が多発する。同じことだ。『佳奈』が意図的に、障害を起こせば、結果として、人は死ぬんだ」
 祐介は息を飲んだ。
 今の世界、電子制御されていないものの方が少ない。そこに悪意が介在すれば人を傷つける事もあるかもしれない。
 しかし、悪意は人間のもの。ソフトウェアそのものに悪意はあるのだろうか。
「それはプログラムの問題で、『佳奈』は関係ない」
「『佳奈はプログラムの集積』。さっき、その口から出た言葉だ。プログラムの問題なら、『佳奈』が人を殺す事もあるとは思わないか?」
 祐介は言葉を失った。


 『名前を入力してください。名前には言霊が宿ると申します。変更は不能ですので、慎重にお選びください』
 ディスプレイに出た文字に、祐介はおかしくなった。
 言霊。言葉に宿ると信じられた霊だ。最新のソフトである『ヴァーチャロイド』には不似合いな言葉だった。
 選ぶ必要もなく名前は決まっていた。結城佳奈。小学生の頃気になっていた女の子の名だ。
 そうはいっても彼女は一月に引っ越してきて、三月には転校してしまったので、残っているのはあくまで印象だ。物事をなんでも正解と不正解、白黒ばっさり切ってしまうような、きっちりとした少女だった。
 名前を決めた後、インターフェイスを設定する。画面に現れて人間の相手をする姿形を決めていく。体型や髪型、輪郭や目、鼻、口といったパーツの組み合わせだが、『京』という実際は確認しきれないバリエーションを生み出す。加えて声や口調、口癖といったところから、服やアクセサリーも加えられるので、同じ物が存在する可能性はほとんどない。それだけにソフトの起動準備をしているというよりは、モンタージュのように、実在の人間を再現しているようにも見えるかもしれない。
 数時間後、ディスプレイに結城佳奈の姿は現れていた。多少頭身が低いせいで、幼いような気もしたが、二十代前半といっていい女性の姿がそこにはあった。記憶の中にある佳奈の印象、青みを覚えるような肌の白さと、亜麻色の髪は、うまく再現されていた。
『起動しますか?』
 イエスを選んでマウスをクリックすると、モニターの中で結城佳奈は動き始めた。閉じていた目がゆっくりと目を開いた。どこかでモーター音がした。
 モニターの中の佳奈が自分を見つめているのがわかる。実際は連動したカメラに合わせて目線が動くだけなのだが、その動作だけで中に人間がいるような気がしてくる。
 目線が祐介に向けられているのがわかる。
「結城佳奈です。私たちはあなたが幸せでいてくれるためのパートナーとして作られました。よろしくおねがいします」
 パソコンソフトの音声はいかにも合成音声であるのに、とても自然だった。
「はじめまして」
 思わず挨拶してしまう。ディスプレイの向こうで、誰かが会話している気になる。
「そんなに緊張しないでください」
 佳奈はいった。
「ごめん」
「いえ、だいじょうぶです。少し音楽でもかけましょうか」
 パソコンのスピーカーから音楽がかかり始まる。ムーンリバー、彼女の好きな映画で流れる曲だ。ランダムにパソコンの中にある曲を選んだのだろうが少し驚いた。
「どうしてその曲を」
「好きなんです」
 にっこりと笑って答える彼女に、その好きという気持ちがプログラムであるのを知っているのに、大きく頷いていた。
「昔の映画ですけど窓際で歌うところが好きで。演じた女優さんも好きなんですけど」
「ティファニーで朝食を」
「正解です」
 佳奈は強く頷いた。
 思っていた以上のすばらしさだった。

 ヴァーチャロイドはマギシステムズというメーカーのソフトだ。
 『あなたの理想(アニマ・アニムス)届けます』というキャッチで発表されている。心理学の用語で、心の中にある男女の理想像をアニマ、アニムスと呼んでいる。うまく育てることができれば自分の心の一部を再現できる。
 ヴァーチャロイドは、細かく作り込む事ができるソフトだ。多くのゲームソフトでもキャラクターを自分の望む姿にできる。主として自分の操るキャラクターとしてだ。ヴァーチャロイドは操るキャラクターではない。『天然知能』が搭載されており、会話を中心とした育成ソフトだ。
 その中身に加え、CGで描かれたとは思えない自然な動きをする。カメラを通すことで、こちらの動きに自然に反応する。
 プロモーションの為の映像を見た時、何ともいえない懐かしさがあった。そのまま、パイロット版、製品化前のソフトのテストプレイをするテスターを募集しており、応募してみた。しかし、テスターは落選。おまけに製品版は中止になった。しかし、数日前に駅前バナナ書店という中古のゲームやCDの置いてある店で、テスターに配布されたパイロット版が売られていた。早速購入して、インストールして、今に至る。
「あの、暑くありませんか?」
 夜中からしていたせいで気づけばもう昼近い。汗まみれになっている。
「システムにフルアクセスする権限をもらえれば、いろいろとお世話できます」
 フルアクセスする権限はパソコンだけではなく、家庭内でパソコン制御されている機器をコントロールできるようになる。
「ああ。よろしく」
 クーラーの入る音がした。
「カーテンも開けますね」
 窓のカーテンがゆっくりと開くと朝とはいえ、暑い夏の光が射し込んできた。
「私と同名の方がいますよね」
「ああ」
 どきっとした。
「そうだね。ただ、同じ名前はたくさんいると思うよ」
「そうですね」
 ヴァーチャロイドは会話を円滑にする為に、パソコン内は無論、ウェブにアクセスして、情報を検索するという機能があるのを思い出した。おそらくはどこかの検索エンジンにアクセスしたのだろう。
「性格設定デバイスを、K7にしていただけると、随分近づくと思います」
 言われるままに設定をいじる。
「おお、こっちの方がしっくりきますね。よろしくね。あと、なんて呼べばいいかな。初対面だし呼び捨ては何だよね」
 さっきよりも少し言葉が乱雑になった気がした。
「好きなように読んで」
「じゃあ名前で呼ぶよ。私は呼び捨てでいいから。ところで今日会社は? 平日だよね」
「今日は休もうかと思って?」
「病気にはみえないけど」
「いや設定で疲れちゃって」
「それは不正解。私にかまけて仕事さぼるなんてイヤ」
「いや、でも」
 佳奈の姿が画面から消えた。
パソコンに異常があったと思ったがそうではない。
佳奈のいなくなった今、画面には高原のリゾートホテルのような部屋が見えている。
 祐介は画面に近寄った。画面の端に佳奈の亜麻色の髪が映っている。少し安堵して声をかける。
「どうしたの?」
「会社にいかないなら、このまま消えます」
「そんな」
 ヴァーチャロイドが家出という話は聞いたことなかったが、これだけのソフトならそれくらいはしてあるかもしれない。
 祐介は小さな声でいった。
「わかったいくよ」
 佳奈は姿を見せて、笑顔を見せた。
「正解。いってらっしゃい」
 自分が設定した口癖だがなつかしい気がした。

 今日の仕事は散々だった。
 何といっても上司が指示してくる内容が歪だ。それを少しでも変えて行うだけで、罵詈雑言が飛んでくる。しかし、そのまま行えば顧客に迷惑がかかる。誰もが納得できる、ぎりぎりの線を探していた結果、今日も終電ぎりぎりだった。
 家に帰り着いた頃には午前一時を回っていた。
 玄関には明かりがついていた。
 電気をつけぱっなしだったか、一瞬悩んだ。朝、追い出されるように家を出たせいで思い出せなかった。
 カギを開けて、家に入った。
 何かいつもと空気が違う気がした。明かりがついているし、泥棒でも入ったのだろうか。
 不安にかられながら、足音を忍ばせてリビングに入った。
 心地よい風が吹いてきた。空調がしっかりときいている。天井の照明がついて、壁にかけてある液晶テレビにも電源が入った。
 テレビの中、佳奈が顔を見せた。
「お帰りなさい」
「これ君がしたの?」
「正解。一応できる範囲でしておいたよ。家の中で完全に、パソコンで制御できるのは、テレビとかAV機器とお風呂と空調くらいだけど」
「ありがとう。お風呂は後でいただくよ。先に食事をするから」
 コンビニの袋をリビングのテーブルに置いた。ネクタイを緩め、ソファに座る。
「これでいいかな」
 佳奈の姿が消え、NNKのニュースが流れ始める。
「録画だからね」
「ありがとう」
 確かにこんな夜中にニュースはしていない。
 座って眺めていると、楽しいニュースは少ない。世界では新型ウイルスが猛威を振るい、敵のいない紛争、金本位制度の再開。日本では自殺者の増加や、設備の不良による事故の多発が上げられていた。
 コンビニの袋からとったおにぎりを食べ始める。
「いつもそんなのなの?」
「まあね」
 答えると画面が切り替わった。
「しょうがないな。明日は夕飯に野菜炒め用の野菜のパックと、豆腐。あとオイスターソース買ってきて」
「何で?」
「残念ながら私は食べられないんだけどね。君の為に少し料理するよ」
「料理」
 一瞬嬉しく思ったが、どう見えても画面の向こう側の話しだ。
「こっちからできるのは火加減くらいだけど、大切だからね」
 祐介は佳奈が熱心にいっているのを見て、「わかった」と頷いた。

「どう?」
「おいしいよ」
 目の前には佳奈の指示通りに作った野菜炒めがある。指示されるに任せて野菜と調味料を混ぜて、電子レンジで加熱しただけだ。それなのに目の前の野菜炒めは自分で作ったとは思えない味だった。
「料理上手といいたいところだけど、せいぜい温め上手ってところだけど」
「確かに」
 モニターの中の佳奈は自然だった。グラフィック、映像としての見栄えも本物に近い。しかし、本質はあの会話だろう。目の前にいると、まるで誰かが向こう側で話しているように思える。いくらパソコンのスペックが高いといっても、普通に買えるものだ。それであの完成度。プログラムが余程優秀なのだろう。
「何か変な顔しているけど、火加減おかしかった?」
「そんな事ないよ」
「よかった。何か食べたいものない? あればつくってあげる」
「料理得意なんだね」
 佳奈は苦笑した。
「設定したのは自分なのに忘れちゃったの」
「言われてみれば」
 設定した項目は膨大で、記憶にはなかったが、話を合わせて頷いた。
「でも今日は随分早いね」
「ああ用事があるからって定時であがった」
「忙しいんだね」
「忙しいというか、指示してくれる人が何もわかってないから、無駄が多いんだ」
 佳奈は考えているのか腕を組んでいる。腕組みを止め、はしゃぐように飛んだ。
「いいこと思いついた。業務を教えてあげれば」
「いまさら部長に」
 祐介には思いつきもしないことだった。
「その人も聞きづらいんだよ。だから、こっちから声をかけてあげればいい」
「そういうもんなの?」
「勿論、正解」
 佳奈は大きく頷いた。

「ただいま」
 出た声を大きかった。
 既に十二時を越えていると考えるとうるさかったかもしれない。気にしながらリビングに入ると、テレビの電源はついていた。
 佳奈がその画面に映っているのも今はすっかり慣れた。
「おかえりなさい」
 祐介は佳奈が自分の顔をまじまじと見ている事に気づいた。
「どうしたの?」
「なんかいいことあったみたい」
「言った通りだったよ。こっちからうるさいくらいに尋ねたら、いろいろ疑問点をあげてくれて。随分とほめられた」
「やっぱり正解だったでしょ」
 佳奈は頷いた。
「でも遅かったね。もう真夜中だよ」
「会社でハッキング騒ぎがあって、その対応でね。ハッキングってわかる? 勝手に会社のパソコンの中に入ってきてデータを盗んでいったりする事なんだけど」
 少し間が空く。恐らく検索して情報を見ているのだろう。
「覗くとかじゃなくて?」
「覗くともいうけどね、情報には実体がないから。ファイルとか持ち去られた記録がパソコンに残ってなくても、ハッキングした人間が何かを記憶していれば盗んだのと一緒だから」
「なるほど。そんな事だけでも大変になるんだね」
 佳奈は何か思いついたようで小さく笑った。
「私も今、盗まれているね」
「何を?」
「私の存在を。この姿を君が忘れないでくれればだけど」
「忘れないと思うよ」
「だといいけど。私たちは実体がないから。偲べるような何かを残せるわけじゃないから」
 佳奈は目を伏せた。
「ごめんうっかりしていたそっちからすれば当たり前だよね」
「当たり前って何がだい?」
「私たちはプログラムの羅列、ヴァーチャロイド。仮想のものにしか過ぎないっていうこと」
「そんなことない」
 出た声は激しく、祐介自体が驚いていた。
「ありがとう」
 佳奈は真顔で答えた。
「今日はもう寝るね」
 佳奈の姿が消えた。
 暗くなった画面に映る自分の顔を祐介はぼんやりと見つめていた。

 西日が海面に反射して目に痛いほどだ。
 祐介が桜浜に来るのは二度目だった。住んでいるところから歩いて三十分ということから、いつでも来られる安心感のせいだ。
 桜浜には故郷創生プランという市の方針で人工砂丘が作られている。しかし海水そのものは浄化の努力はされているが、きれいというわけではないので、海に入っている者は少なく、見かけるのも近くの小学生くらいだ。
 人気のないテトラポットの一つに祐介は寄りかかった。ショルダーバックから小型のノートパソコンを取り出す。電源をいれ操作すると、画面に佳奈の姿が現れた。
 佳奈はロッキングチェアに座り本を読んでいる。
「佳奈」
 声をかけると佳奈は顔を上げた。
 そして驚いた顔で、見つめてくる。なにか確認しているようで少しばかり間が開く。
「どうしたの? 家にはいないよね」
「そっちからどれくらい見えているかな」
「外にいるくらいは分かるけど海かな」
 祐介は頷いた。
「これどうしたの?」
「本体を持ち出すのは無理だから、ノートパソコンで中継できないかと思って」
 思ってと軽く言っているが、思いつきがしっかり起動するまでかなりの時間を割いていた。昼前から始めたのに半日近くかかってしまいこんな夕方になっていた。
「夕日きれいだね」
 そう言われてみればもう夕暮れが近い。
「うん」
「その世界から連れて行くことはできないけど、場所くらいはね」
 画面の中で佳奈の部屋が消え、桜浜の景色が広がる。
 祐介の作ったプログラムが作動して、映像の取り込みを始めたのだ。
「すごいよ。この部屋の外に出るの初めて」
 佳奈は遠くに消える夕日を眺めている。それは祐介が見ているのと同じ夕日だ。
 これは祐介にとって思い出になる。佳奈の中にも何か残るのだろうか。
 夕日が落ちて薄暗くなってくる。
 通信に電気を大量に使ったせいで、ノートパソコンのバッテリーも既に一割を切っていて、十分も持たないだろう。
「帰ろうか?」
「部屋に海の本があるけど、こういうのが好きなの?」
「育ったところは山の中でね。だから海に憧れていてね。だからこの海に近いところに家を買ったんだ」
「悪くない選択だったね」
「でもきたのこれで二回目なんだ。忙しくて、なかなかね」
「またこようよ」
 佳奈は小さな声で歌い始めた。ムーンリバーだった。

「最近早いな」
 仕事を終え、帰宅しようとしたところで部長に声をかけられた。
「ちょっと用事がありまして」
「彼女でもできたか」
「そういうわけじゃないんですけど」
 素直に答えると部長は何かに納得したように頷いた。
「お前、いい顔をするようになったな。前は、口に出さなかったが今はしっかり主張するようになった」
 確かにこう言われても、前なら反発や萎縮をしたかもしれないが、今は違った。素直に頷くことができた。
「前、担当したがっていたエコ関連の仕事な。来週、新規の仕事が立ち上がる。急だが担当してみないか」
「本当ですか」
「ああ。今の君なら安心して任せられる」
「ありがとうございます」
 祐介は頭を深々と下げた。
「ただ、忙しくなるぞ。冗談じゃないが、彼女がいるなら先に話しておけ。急に忙しくなると怪しまれるからな」
「分かりました」
 部長に一礼して外に出る。
 電車に乗るとじわじわとうれしさがこみ上げてくる。
 環境関連の仕事はずっと希望していたものだった。
 祐介の会社で収益をあげているのは、電源開発と呼ばれる仕事だ。国や大企業と行う事業は、もう二十年前から始まり、八十年後先までスケジュールができている。しかし、現在の電源開発事業は、原子力発電所の放射能漏れを始め、社会の風向きや、政府の見解が変われば、いつ止まってもおかしくはない。だから早めに次の一手、いや数手先を考えておかなくてはならない。
 だから、環境に配慮した事業、世間的にはエコロジーやエコと呼ばれている部分の比率を高めるべきだというのが祐介の考えだった。
 気分が高揚したまま、会社を後にした。
 夏のせいか家についてもまだ明るかった。
「ただいま」
 家の中は最適な温度に保たれている。
「お帰りなさい」
 玄関で声がした。
 佳奈の為にカメラやスピーカーを増設した。少なくともこの家の中を、いろいろ観察できるようにした。
 リビングに入れば今までのように佳奈はテレビの中にいた。
 中の佳奈のいる部屋は今までのような避暑地風の部屋ではなく、リビングがそのまま再現されている。そのせいで佳奈の部屋まで連続しているように思える。海に行った時のプログラムを利用して、佳奈が選んだ内装だ。
「何かいい顔している」
「そうかな」
 顔に出るくらい嬉しいのだろう。
「新しい仕事が始まるんだ。前からやりたかった仕事で」
「よかった」
 佳奈は元気よく笑った。
「帰り遅くなるかな」
「正解。それは覚悟しておくように言われた」
「でも好きな事だからいいよね。私も何かしたいけど」
「プログラムの勉強はどうだろう」
「プログラム? それは『汝自身を知れ』みたいな意味」
 言ってから佳奈がプログラムなのを忘れている自分に気づいた。
「ごめんそういうつもりじゃなくて、普通の人と話す感覚になっていた」
 佳奈は苦笑した。
「それならいいや。でも、プログラムの勉強はいいかもしれない。まだ少ししかしらないし。もしかしたら返すこともできるようになるし」
「返すこと?」
「電子レンジの火加減とかもともとついているのだとちょっと大ざっぱだから。もっとおいしく作れるようになるよ」
「それはすごいな」
 祐介は答えてから冷蔵庫からポテトサラダを取り出した。昨夜自分で作ったものだが、佳奈の指示で作ったので味はよく分からない。食べてみるとスパイシーでビールにあいそうだ。
「でも料理はもう十分なくらいうまいよ」
「それはありがと」
 佳奈は笑った。

−確かに環境だけど、環境破壊の方だよな−
 口には出さずに心で呟く。
 祐介が担当する事になったのは、プロモーションの為の映像の作成だった。
 広告会社が提示してきたのは、原子力が安全でクリーンなエネルギーかということだった。おそらく今まで会社がしてきた事からなのだろうが、今回は方向が違った。
 結局、一日目は、次回用意する資料についての聞き取りになってしまった。
 そのため、祐介の仕事は、まずは資料を揃えて広告会社の方に提示する事だった。
 部長の言っていた忙しくなるというのは、こういう意味だったのだろうか。正直、プレゼンの為の資料づくりで忙しくなるとは思っていなかった。
 家に戻って、佳奈に話すと、あまりに熱心に聞いてくれるので、話すのを止めた。自分の言っている事が、愚痴であるように思えたのだ。
「ごめん。君はどうだった?」
「特にないよ。部屋で本読んでた」
「誰か来ないの?」
 言ってからまた錯覚に気づく。佳奈には客人などいるわけはないのに。
「いいの、呼んでも」
 佳奈の答えは予想外だった。
「いいって、呼べるの?」
「同じヴァーチャロイド同士なら、相互の部屋に入ることができるの。今度、お客さま歓迎って書いて出しておくね」
「友達できるといいな」
「そうすれば、放っておいても大丈夫って、安心して仕事できる?」
「え、いや」
「不正解。でも、いいよね、友達って」
 佳奈は楽しそうに笑って、すぐの事だ。パソコンが警戒音を立てる。
「ちょっとまってて」
 佳奈の脇に少女が現れた。『無名 Nameless』と表示されていて、名前はないようだ。外見的に十歳前後の子供だ。手術の時に着るような布の衣で、手足にも包帯がまかれている。顔立ちは綺麗といってよく、ドラマか映画で見たことがある気がした。実在のモデルがいるのかもしれない。
「お客さん」
「はじめまして」
 無名の少女は頭を下げた。
「はじめまして。ここはすてきなお部屋ですね」
「ありがとう」
 佳奈は笑顔で答える。
「こういう事もできるんだよ」
 画面の中が海に切り替わった。無名の少女は驚いたようで海を見つめている。
「海。データ上は知っています」
 佳奈に比べると無名の少女は随分とコンピューターっぽい気がした。
「そうなんだ」
 佳奈に使っているプログラムは、佳奈の為に作ったものだから普通のヴァーチャロイドには装備されていないものだ。
「君にも教えてあげる」
「いいのですか?」
「ただ、佳奈と友達になってあげてくれないかな」
「それは不正解。友達というか妹かな」
「妹になります」
 佳奈は無名の少女を抱きしめた。
 少し安堵した。仕事はますます忙しくなる。しばらく佳奈にかける時間はそんなにない。
 無名の少女が消えた。
「あれ?」
「パートナーに呼ばれたんだと思う」
「なるほど。ああいう風に消えるように見えるんだ」
「本当に仕事はどうなの?」
「明日から、撮影に入るよ」
「ますます忙しくなるね」
「そうなんだ。終わったら、また海に行こう」
「大丈夫だよ」
 画面の中で佳奈が海を指さす。
「ほら海」
「そうじゃなくて一緒に行こうってこと」
「あ。うん」
 佳奈は頷いてはいるがよく分からないようだ。
 確かに海にいった時、感じたものは錯覚で、佳奈には分からないかもしれない。そもそも佳奈は感じることができるのだろうか?

 一ヶ月あまりが過ぎていた。
 いよいよ撮影が本番に入る。今日から実際に撮影するスタッフや、ナレーターとの顔合わせだった。
 祐介からすれば、後は撮影されたものを見て、文章のチェックなど、改善点を告げるだけだから、少しは楽になる。
 会社の会議室が満室で、駅前の喫茶店シュワルツを使うことにした。シュワルツはマスターと、学生のバイトでやっている、昔ながらの喫茶店だ。
 シュワルツに入ると、いい香りがした。マスターがカウンターの中でコーヒーをミルにかけている。
「こっちですよ、来須さん」
 制作会社の担当者八橋が手を挙げる。八橋に向かい合って女性の姿があった。
「八橋さん。お待たせしました」
 女性が立ち上がると振り返って祐介に頭を下げた。
「いえいえ。断然、来須さんにはお世話になってますから、そんなのいいですって。ああ、ところで何か飲み物」
 八橋の言葉は、祐介の耳には入ってこなかった。
 佳奈がいた。いや彼女は佳奈ではない。まず、亜麻色の髪ではない、黒いロングストレートだ。肌もうっすらと日焼けしている。しかし、顔立ちはよく似ている。
「こんにちは。ナレーションをしていただく、宇城奈結香さんです。奈結香さん、こちらは来須さん」
「初めまして宇城奈結香です」
 奈結香は頭を下げる。
「はじめまして」
 祐介の声が震えていた。
「あれ知り合いでしたっけ」
 八橋の言葉に、祐介は首を横に振った。
「それじゃ、さっさと打ち合わせ始めちゃいましょうか」
 仕事の話はスムーズだった。この一ヶ月で十分練った企画だ。しかし、所々でどもったのは、奈結香のせいだった。
 奈結香は熱心に話を聞いてくれる。その頷いたしぐさや、答える声の口調。どこか懐かしくて、考えていることを一瞬忘れる。
 ミーティングが終わったのは、終業時間を一時間程過ぎた頃だった。
「せっかくですんで、一杯どうですか?」
「そうですね」
 八橋と奈結香の目が祐介に向けられる。
「分かりました」

 祐介は困っていた。
 目の前の奈結香も同じだろう。初対面の人間とこうして二人で放置されたのだから。
 八橋は仕事先から電話があり、外にいったきり戻ってこない。結局、二人で居酒屋の個室に残されることになった。
 いつもなら気楽に振る舞える個室はいい。回りから遮断され自由に話すことができる。今は完全に防音されているこの部屋は二人でいるには静かすぎた。
 とりあえず運ばれてきた中ジョッキで乾杯する。
 奈結香はおいしそうに喉をならしてビールを飲んでいる。祐介も倣うように一気に飲んだ。
「仕事はどうですか?」
「正直言うと結構大変です。今までの仕事と違っていて。あの、私の事、ご存じですか?」
「いや、すいません。疎くて」
 奈結香は不思議そうな顔で首を傾げた。
「初めてあった時驚かれていたでしょ。てっきりご存じかと思っていました。今までの仕事って洋画の吹き替えが多かったんですけど、声をご存じかって」
「驚いたのは個人的な事情です。不愉快でしたらすいません」
 祐介は頭を下げた。
「個人的な事情を教えてくれれば許してあげます」
 奈結香は笑っている。祐介は小さくため息をついた。
「昔、同級生だった女の子に似ていて。同級生っていっても、一学期くらいのつき合いなんですけど、よく覚えていて」
「同級生ですか」
「通っていた学校が理科クラブっていうのがあって盛んだったんです。それで楽しかったんで、よく憶えていて」
「理科クラブというと、蝶を育てるとかですか」
「ええ。ただ、綺麗だけど自分が育てたものだから、標本にするのは切なかったですけどね」
「前の年はカブトムシだったんですよね」
「それで部費を稼いだりして。」
 言ってから祐介は黙った。
 小学生のクラブ活動は特別だった。カブトムシをたくさん育てて、売って活動資金にした。そうした事が問題になると、次は蝶をたくさん育てて標本を作った。どちらもそんなに珍しい事ではないかも知れないが、二つが重なると珍しい。
「どうしてご存じなんですか?」
「だって、私もそこにいましたから。私の事、知っているでしょ?」
「結城さん?」
「正解です」
 昔そのままの口癖で奈結香は答えた。
「久々にいってみた。何か、時間が巻き戻ったみたい。あの頃は正解と不正解ばかりで楽だったな」
「大人になるとどっちつかずの方が多いですもんね」
 奈結香をみると、その中には確かに子供の頃の姿が思い出される。
「何で分からなかったんだろう」
「子供の頃は色も白くて小さかったし、こんなに大きくなりましたし」
 結城佳奈は確かに小柄で人形みたいで、決して大きい方ではなかった。
「多分髪の印象が強くて」
「あの頃は染めていたんです。ママが私を人形代わりにしていたので。こっちが本当の色なんですよ。黒過ぎて重いって言われちゃうんですけどね
「今も素敵ですよ」
 言ってから頬が暑くなった。昔、好きだった記憶のせいだろうか。
「ありがとうございます」 
 奈結香は笑顔で頷いた。賞賛になれた反応だった。
 最初に頼んだ料理が運ばれてきた。同時に八橋が戻ってくる。
「いや、すいません。ちょっとしたトラブルで」
「いえお仕事大切ですから。お詫びに、こっちにも回してくださいね」
 奈結香は頼んであったビールをそつなく八橋に差し出した。


「遅かったね。仕事?」
 部屋に入ると佳奈の声がテレビの中から響く。佳奈は編み物をしていたようで、手には編み棒を持っている。
「仕事の飲みで」
 いつもなら落ち着く佳奈の姿も、さっき奈結香をみた後だと少し奇妙な感じがした。
 人間めいた動作は、無数のプログラムの生み出した結果だ。それなのに佳奈は奈結香と同じくらい生き生きと見える。
「どうしたの?」
「ちょっと懐かしい人に会ったから浸っていたよ」
「不正解。目の前に私がいるのに失礼な
「確かに」
 祐介は笑みを浮かべた。
「どんな人なの?」
「宇城奈結香さん」
「ナレーションとか声優の人だ」
 佳奈は素早く検索をしたようだ
「そうそう。昔の同級生だった」
「私もずっと昔から知ってる」
 佳奈にとり昔はどれくらいの事をいうのだろう。佳奈は生まれて一年もたっていないのだ。
「好きなの?」
「いきなり何言ってんの?」
「今まで見たことない顔しているから」
「そうかな」
 確認でもするように祐介は顔を触ったが何もわかりはしなかった。
「角でも生えてる?」
「鼻の下のびてるよ」
「そういう言い方やめてくれ」
 佳奈は下を向いた。
「不正解だったね」
「いや、いいんだ」
 舞い上がっていた自分の顔から、見たことない情報を読み取ったせいで、今までにないリアクションをすることになったのだろう。
「僕のせいだから」
「そんなことないよ。そんなことない」
 佳奈は大げさにあくびをした。
「何か眠くなちゃって」
「僕ももう眠るよ」
 答えはなかった。 


 ため息が大きく響いたので、自分で驚いた。喧噪の中にあった、オフィスは静まりかえっていた。時計を見ると二十一時過ぎだった。オフィスを見渡せば、既に電源の入っているパソコンは祐介のものだけで、誰の姿もない。
 デスクに面した窓から見下ろすと人も車もほとんど見えない。昼と夜で人の数の差が大きいのがオフィス街の特徴だ。中には灯りが残っているビルもあるがそれほど多くはない。
「帰るか」
 最後にメールの確認をした。仕事が忙しいせいで、気付かなかったが百通あまりのメールが届いている。
 ざっと見ると、スパムメールばかりだ。中に見慣れないアドレスがあった。開いてみれば奈結香からだった。
『暇ならお茶しませんか。駅前のシュワルツで待っています』
 送信時間を見るともう一時間は経過している。
 パソコンを切って、飛び出した。
 人通りのない道を走りぬけて、シュワルツを目指した。
 シュワルツはマスターと、学生のバイトでやっている、昔ながらの喫茶店で、そんなに遅くまでは開いてはいないはずだった。
 駅前までくると、シュワルツには立て看板は出ているが灯は入っていない。
「遅かったか」
 店の中を覗いた。マスターが誰かと話していた。覗いているのに気づくとマスターがこちらに気づいて立ち上がった。
「待たしちゃいけないね」
 小声で言われ中を見れば、奈結香がコーヒーを飲んでいた。
「ちょっと看板を片してくるから、それまではいても構わないよ」
 マスターはよく通る声でいって外に出ていった。
 奈結香は小さく笑って、「急に呼び出してごめん」
「こっちこそ気づかなくて」
 奈結香の笑顔が前とは違う気がした。
「どうしたの?」
「正解」
 奈結香は元気いい声でいった。
「いろいろあってね。ふらふらしていたら、近所の駅だったから。それに、ここのコーヒーもおいしかったし」
「何かあったの?」
「別に」
 奈結香は小さく呟いた。
「聞いてどうにかなる事なら、聞かせて」
「えっと頼っちゃう事になるよ。その仕事の事なんだけど」
「うちの仕事?」
 奈結香は大きく頷いた。
「明日、八橋さんから話があると思う。その前に聞いてもいいの?」
 公私混同はよくはない。よくはないが。
「教えてくれ」

「実は申し上げにくいのですが、今後のプランに変更したいことがありまして」
 八橋は汗を拭きながらいった。
 会議室には祐介と八橋の二人だけだった。
「何でしょうか?」
 何もしらないような顔で答える。
「宇城奈結香なんですが、アニメのレギュラーと、ゲームの製作に関わる事になりまして、今後はナレーターの変更をお願いできないかと。勿論、同じだけの、いえそれ以上のナレーターを後継として用意できますから」
 昨日会った奈結香の話が思いだされた。
 広告会社の方で、自分たちの新人を売り込みたい。その為に仕事を下りるように、奈結香の事務所に圧力がかかったという。
「八橋さん、この仕事をそんなに軽く考えてらしたんですか」
「軽くだなんて、そんな」
「宇城さんの事務所に連絡させてください。こちらの熱意を伝えれば調整はしていだけると思うんです」
「いや、それは」
 八橋は驚いているようだった。今まで意見らしい意見のなかった自分がこうして主張してくるのが意外だったのだろう。
「何か連絡してはまずいことがありますか?」
「いえ。正直そんなに気に入られているとは思わなかったので」
「個人の好き嫌いで言っていると思われては困ります。既にこちらの上に示してしまっているので、もう自分ではどうしようもないんです」
 八橋は頷いた。
「分かりました。こちらから、宇城さんの事務所に掛け合って見ます」
「ありがとうございます」
 頭を下げていると、胸の辺りで吐き気がした。

「ただいま」
 ドアを開けて家に入ると、肉の焼けた香ばしいいい匂いがしてくる。
「おかえりなさい」
 佳奈の声が響く。
 テーブルの上には料理が用意されていた。
 一人で食べるには十分な大きさの量のミートボール。マッシュポテト。豆のたっぷり入ったサラダ。それは見覚えのないものだった。
 今まで佳奈が作ってくれたといっても、味付けややり方は指摘してもらったものの、基本的に材料は自分が用意していた。
「これいったいどうやって」
「ふふ。すごいでしょ。ついにそちら側にいけるようになった」
 佳奈は真顔で言った後で、顔がくしゃっと見えるくらい笑った。ふざけているのはすぐに分かった。
「どういう悪戯?」
「なんていう事はないのよ。帝国ホテルでケータリング頼んだの」
「そうなんだ。お金は?」
 どう見てもこれは安い値段ではないだろう。引き落とされるのは自分の口座なだけに心配になった。
「お金は心配しないで。最近バイト初めて」
「バイト? どうやって」
「プログラムの手伝い。一から作るのは無理だけど。参照し、検索し、模倣し、適合させるのは、人間よりも早いから」
「誰に紹介されたの?」
「前会ったよね。包帯の巻かれたヴァーチャロイドの彼女」
「名前の無い子?」
「今は合歓という名前をつけてもらったみたい」
「気をつけるんだよ」
「だって、私完璧だから」
「心配だな」
「大丈夫。あなたの作った私を信じて」
 佳奈は笑った。
「ありがとうな」
「どうしたの?」
「いや、ちょっとね」
「仕事の事?」
「ちょっとね」
「話してみて」
「宇城さんが仕事を下ろされそうになった。だから反対した」
「それだけ?」
「事前に聞いていたんだ」
「それを聞いてなかったらどうしたか悩んでるんだね」
 祐介は頷いた。
「不正解。悩むのはこれからの事にしようよ」
「これからの事?」
「そうだよ。未来について悩むのはいいことだけど、過去は変えられないんだから。してしまった事で悩むのは止めよ」
 佳奈の言葉に祐介は頷いた。
 
 奈結香が予約してあったのは個室だった。前のような大衆居酒屋店ではなく、教科書に出てくるような太宰とか芥川とかいったような作家が訪れたというそこは華美を通りこして、下品にすら思えるような過度な細工が施されている。
 部屋は全て個室であり、案内された部屋に向かった。襖を開けて部屋に入ると、奈結香は立ち上がった。
「こんばんわ」
 奈結香は祐介に飛びついてきた。
「ちょっと」
「ありがとう」
 祐介は奈結香の柔らかい体をもてあましながらも、離す事はできなかった。
「これは君に頼まれたからじゃないよ。後から聞いていてもきっと反対したはずだ」
 それは確信が持てた。奈結香の能力はひいき目でなくとも、素晴らしいものだ。
「それでもありがとう」
 首筋に熱い息がかかるのを感じた。
「仕事続けられてよかった」
 瞬間、奈結香は離れた。懐の中にまだ温もりがあったが、もう手の届く距離ではなかった。
「そんなに思い入れがあってくれて嬉しいよ」
「うん」
 奈結香は祐介の手を握り締めた。
「感謝してるの。だから、今日はご馳走させて」  
「ご馳走だなんて」
「はい、座る座る」
 押されて上座についた。奈結香は祐介の右側に座る。
 既に食べ物を頼んであったようで、仲居が直ぐにビールと、料理をいくつか運んできた。
「乾杯」
 グラスを合わせた。
 奈結香の瞳は星のように輝いて見える。それに整った美しい顔は、声の仕事でなくとも十分売れるように思えた。
「どうして声優なんかしているの」
 奈結香が眉をひそめている。声優なんかという言い方が不快なのだろうか。
「声優というよりも、役者っていう仕事の中で、声優がある感じかな。年に何度かは出ているんだよ。小さい劇場だけど、今度よかったら」
「ありがとう」
 素直にいった。
「あれからどんな感じだったの?」
「普通に町で過ごしたよ。そのまま地元の小中高って過ごして、大学生になった時に家を出た」
「私は転校した先で何もしたいことなくて、ふらふらしていたけど、高校一年の時にこれじゃいけないって思って。ゲームの音声のバイトをしたんだ。まあ、ゲームはお蔵入りになっちゃったんだけどね」
「そうなんだ」
「こうして会える、まして覚えてくれてるなんて思わなかったから嬉しいよ」
 忘れてなどなかった。佳奈に奈結香の名をつけるくらい、忘れてなかったのだ
「嬉しかったよ」
「そっか」
 奈結香は笑った。華のような笑みだった。

「飲みすぎたみたい」
 多分奈結香はそう言いたかったのだろうが、聞こえてきたのは『のむぎたい』という音だった。
 タクシーを頼んで、奈結香を家に送ろうとした。まともに答えは得られず、家に奈結香を連れて戻った。
 眠ってしまっている奈結香を抱えるようにして抱き上げ家に入る。思ったよりも身体で、結構筋肉があるのか堅い。
「おかえりなさい」
 奈結香がいったように思えたがそれは錯覚だ。スピーカーから聞こえてくるのは佳奈の声だ。
「ただいま。一緒に飲んだんだけど酔っぱらちゃって」
「しょうがないな」
 そう話しているとまるで奈結香自身が自分に突っ込みを入れているようだ。
 ソファベットを用意し、奈結香を寝かした。すっかり祐介は汗まみれだった。キッチンの流しで水を出して顔を洗った。
「この人が宇城奈結香さん?」
 スピーカーから佳奈の声がした。
「ああ」
 そういうのは悪い気がした。
「背も高いし、髪の色もこんなにきれい」
 テレビがついて、画面の中に佳奈が姿を現した。その顔を見て祐介は言葉を失った。
 奈結香を見る佳奈はどこか泣きそうな顔をしていたせいだ。
「私とは違うね」
「確かに佳奈と彼女は違うよ」
 佳奈が確かに奈結香がモデルだか、既に違う唯一無二の存在になっている。
「この人が私のモデルなんでしょ?」
 素直に頷いた。
「やっぱり、この人知ってるもの」
「検索したの?」
「昔からって言わなかったかな。私の音声データの一部が彼女のものなの。そう記録されている」
 はじめてヴァーチャロイドを見た時の懐かしさは確かに声を聞いたときだ。
「縁だな」
「そうだね」
 佳奈の顔から泣きそうな表情は消えていた。



 祐介は会社にいくなり会議室に行くように言われた。会議室では、部長が苦虫を噛み潰したような顔で座っている。
「プロジェクトが延期になった」
「延期ですか?」
「あまり大声を出すな。少しばかり重大な騒ぎがあってな」
 部長自身も混乱しているのかもしれない。
「一月くらい前にハッキング騒ぎがあったのを憶えているか?」
 祐介は頷いた。
「あの時に完全に除去したと思われるウイルスが生きていた。おまけに会社のサーバーの情報を書き換えていたそうだ」
「それがどうして?」
「その書き換えの一つが予算だったんだよ。それは今回のプロジェクト関連の予算も関係している」
「そんな」
 落胆する祐介の肩を部長は叩いた。
「延期といったろ。もうほとんどできあがっているものだからな。無駄にお蔵入りはさせんよ」
「部長」
「情けない声出すな。お前のためじゃない。ここまで形にするのに、いくら経費がかかったか分かっていない連中に分からせるためだ」
「分かりました」
 祐介は頷いた。
「私は席を外すが、ここに内部調査の連中が来るから少し待っていてくれ」
 部長が姿を消し、祐介は大げさに声をあげた。
「なんてことだ」
 広い会議室でこうしているのも嫌だが、待っているように指事された以上はしょうがない。
 奈結香はこの話を聞いてどう思うだろうか。
 座っていると悪い考えが頭をよぎる。祐介は立ち上がって会議室の中を歩き始めた。
「失礼します」
 会議室に入ってきたのは三人だった。
 自分と同年代の男。三十代と思われる男が二人。
「調査部の浦沢です」
 三十代の男の一人。社員バッチを着けた男がいった。
「こちらのお二人は警察の方で、来須さんにお話を聞きたいそうです」
「桜署の山海です」
「桜署の鏑木です」
 二人も頭を下げる。
「どうして警察が?」
「それは私から話させていただいてよろしいですか?」
 若い方の男、鏑木がいう。
「分かりました。その前にお座りください。今飲み物を用意して参りますので」
 浦沢は出て行った。
「どうぞ」
 祐介がいうと鏑木、山海と席に着いた。
「今回のハッキング事件ですけど、既に実行犯は分かっています。『佳奈』でよろしいですか」
「は? 佳奈」
 自分の知る佳奈は二人。ヴァーチャロイドの佳奈と、宇城奈結香という名前で活躍する佳奈。
「おっしゃっている意味がよく分かりませんが」
 どちたもハッキングと縁があるとは思えなかった。
「またまた。あなたがバナナ書店から購入したヴァーチャロイドですよ」
 鏑木は刑事らしからぬ砕けた表情を浮かべながらいった。
「あなたの『佳奈』は、エイリアンや、ゾンビがよりも危険な化け物なんですよ」
「佳奈はそんなものじゃない」
「来須さん」
 山海が口を開くと鏑木は黙った。
「どうしてヴァーチャロイドが販売中止になったか、ご存知ですか?」
「いいえ」
「ヴァーチャロイドは、ユーザーの理想を体現する為に自由度が恐ろしく高い。組み合わせによって、コンシューマーの予想しない、冗長性を持っていて、思いがけない成長をしてしまうのです」
「成長? プログラムがですか?」
「ええ」
「冗談ですよね」
 山海は首を横に振った。
「いいえ。ただし、現状では推論です。しかしいつ起きてもおかしくはありません。それだけ危険な存在なんですよ。速やかに提出していただくか、ソフトの破棄をお願いしたい」
 
 体調不良を訴えて家に戻った。
 刑事の言ったことが真実なら、そう思うと落ち着かなかった。確かに佳奈を見ていると、市販のソフトとは思えない能力の高さを持っている。
「ただいま」
 扉を開けて中に入ると、いつものように佳奈の声は聞こえなかった。
 警察がその気になれば、個人のパソコンへの侵入くらい、操作の一環でするかもしれない。そう考えて部屋に入ると、いい匂いがしてきた。佳奈が何かケータリングでも頼んだのかと思ったがそうではなかった。
 台所に立っているのは奈結香だった。
「あれどうしたの、早いね」
「そっちは」
「とめてもらったお礼に料理でも作っていこうかなって。肉じゃが作ってみたよ」
 奈結香は
「あとで食べる方が味が染みておいしい思うけど、食べてみる?」
「ありがとう」
「ふふ」
 奈結香は嬉しそうに笑った。
「でもこの家って何か出るの?」
「何かって?」
「幽霊とか」
 冗談かと思ったが奈結香は真顔だ。
「どうして」
「何か視線を感じて。職業柄、視線には敏感なんだよね」
 それは佳奈の視線だろうか。
「出るよ」
「え」
 奈結香の顔に怯えが走った。少しよろめくように背を逸らした。
「だからそのあまり来ない方がいい」
「冗談ばっかり」
 奈結香は笑った。
「それより食べて」
 奈結香が作ったのはチキンライス、そういえば聞こえはいいが、ただ野菜と肉とご飯をケチャップで炒めただけのものだ。しかし、一口食べると何か懐かしかった。久しく食べていない普通の食事。
「うまい」
 がっつくように食べるのを見て奈結香は笑った。
「隠し味はお酢なんだよ。ケチャップだけだと少し酸味が足りないんだよ。あと、キュウリの浅漬けを刻んだりして入れるといいの」
 頷きながら祐介は食べた。本当に久久に食べる味でおいしかった。
「こうして食べているの見るのっていいね」
 祐介の手が止まる。
「ああ食べて食べて。何か落ち着くって言うか、その昔を思い出すのかもしれない」
 奈結香の携帯が鳴った。
「あ、ごめんなさい。ラジオの収録があったんだ」
 奈結香はつむじ風のような勢いで家を出て行った。
 途端に佳奈がテレビ画面に映る。
「うらめしや」
 ポーズをとる佳奈に祐介は笑ってしまった。
「何いってるんだ」
「料理うまいんだね奈結香さん」
「普通だよ」
「でも今までにないおいしそうな顔をしていたよ」
「そうかな」
 佳奈は頷いた。
「やっぱり正解だった」
「正解?」
「そう正解」
 佳奈は元気よくいった。
「明日海に行きたいんだけど」
「明日は仕事だよ」
「いいじゃない」
 佳奈は頬を膨らました。
「前は駄目っていってたのに」
「考えが変わったの」
「明日は」
 思い出すが急ぎの仕事はなかった。今日も体調を崩して早退した。明日まで休みといってもおかしくはないだろう。
「そうだな行くか」
「うん」
 佳奈は大きな声を出しながら頷いた。

「雨だね」
 雨だけではなかった。家そのものが風で揺れている程強い風が吹いている。ただの、低気圧が、台風に姿を変え、近づいてきていた。
 関東の台風は外れが多いだからたいした事はないと思っていた。しかし、今日は、大雨洪水警報が出る程の量だ。
「海駄目だね」
 佳奈はいった。
「また今度晴れたらいこう」
「そうだね」
 笑顔であるものの佳奈は寂しそうだった。
「不正解」
「え」
「そんな顔するのがだよ」
「そんな顔してるんだ」
 佳奈はいった。
「やっぱり壊れてるんだな」
「壊れてる? どこか具合が悪いならチェックしておこうか?」
「冗談よ」
 佳奈は笑った。今度の笑顔は寂しさ感じさせない明るい笑顔だ。
「暇になっちゃうな」
「たまには話でもしようよ。教えて欲しい事もあるし」
「何かな」
「ねえ、奈結香さんのこと好き?」
 ふざけて答えかけて止めた。佳奈の顔からは表情が消えている。真摯なというよりは不気味なものだ。
「多分」
「誰もいないんだから、『奈結香愛してる〜』とか言えばいいのに」
「本当の事だよ、まだ分からない。それに誰もいないって、佳奈がいる」
「私はただのソフトだよ。だからここにいるのは、君一人だよ」
 佳奈はソフトかもしれない。しかし、山海のいっていた冗長性。そのせいか、佳奈という人間がいるように思える。
「一人じゃない」
「ありがとう」
 佳奈は頷いた。
 家の電話が鳴った。出ると奈結香の声がした。
「暇なんでしょ。よかったら遊びにいかない?」
「そうだけど」
 佳奈はどうぞというようにドアを指差している。
「分かった。じゃあ、十二時に駅前で」
 電話を切った。
「行ってらっしゃい」
「ああ。でも、本当は海に行くはずだったのに」
「いいよ」
 佳奈は笑顔を浮かべた。
 外に出れば大雨だった。こんな日に遊びにいくとは何だろうか。
 駅前で奈結香を待っていた。
 雨脚は強いままで、海にいっていたら大変だっただろう。
 駅前まで行く間に、祐介はびしょぬれになっていた。
 こんな天気のせいか、駅にはほとんど人の姿がなかった。
 改札の見える壁によりかかり、奈結香を待つ。
 奈結香はいつくるのだろうか。
 約束の時間になった。五分、十分、時間が過ぎても奈結香は来なかった。それでも不安なような楽しいような気持ちがあって、悪くはない。
 携帯が鳴った。
「家、鍵開いているけど入っちゃっていいかな」
 慌てている奈結香の声が聞こえた。
「いいけど、どうして家に?」
「え、だって家で待ち合わせってメールくれたでしょ。うわ、雨で傘」
「入っていいよ」
「じゃあ、うん」
 奈結香が携帯を切った。
 雨の中、歩き出そうとすると車が止まった。旧タイプのミニクーパだ。
「こんにちわ。よろしければ家まで送りましょうか」
 桜署の山海だった。断りかけたが、この雨だ。自らにやましいことがないのを示す気持ちで頷いた。
「よろしくお願いします」
 助手席に座った。車に乗っているのは山海のみだ。
「仕事中ですか?」
「いえ、プライベートですよ。ちょっと買い物がありましてね」
 大手の郊外型店舗の名を山海はいった。
「最近バナナ書店に行かれましたか?」
「いえ」
「火事になりましてね。電気系統のトラブルでね。ところで、ヴァーチャロイドは家庭内の電気系統のコントロールができるのはご存知ですよね? 来須さんのお宅もそうですか?」
 祐介は頷いた。
「バナナ書店には、あなたが手にされた以外にも、ヴァーチャロイドがいたらしい。自分はそれが犯人だと思っています」
「証拠はあるんですか?」
「いえ、ただの勘です。鑑識が隅から隅まで調べてますが、ほとんど何も残っていませんから。ただ、あなたが持っているヴァーチャロイドにも同じ機能が備わっているのを憶えておいてください」
「そんな事」
「そういえば家こちらでしたよね」
 山海は祐介のマンションの方を指さした。
「調べたんですか?」
「一応ですよ」
 山海はメモを差し出した。
「まあ、こんな時にタクシー代わりにも使ってくださいな」
 助手席が開いた。

 数分と立たずにマンションの前に着いていた。山海の車に乗っていた五分ほどの間会話らしい会話はなかった。したことと言えば、山海に促され、携帯の電話番号の交換をしたくらいだ
「佳奈?」
 カメラに向かって声をかけるが答えはない。
 祐介は電話を取り出した。かけようと着信を確認したところで気がついた。奈結香からの着信はなく、家の電話からの着信しかないことに。先程の電話は佳奈からのものだったのだ。
 電話が鳴った。山海だった。
「なんですか?」
「仮になんですが、ヴァーチャロイドが人を閉じこめた場合、どうすると思いますか?」
「どうしてそれを」
「閉じこめられているのは宇城さんですか?」
 ヴァーチャロイドに関して調べていけば、音声を提供している奈結香にたどり着くのを難しくはないだろう。いや、山海は自分が佳奈に何かをさせていると判断しているのだ。
「『佳奈』は宇城さんを殺すかもしれない」
 山海の声は淡々としていた。祐介は苦笑した。佳奈は無害な存在だ。手も足もないのに殺せるわけはないのだ。
「山海さん、『佳奈』はソフトにすぎないんですよ。ワードとかウィンドウズみたいなもので、プログラムですから」
 そういいながら何か大切なものを失った気がした。佳奈がもういなくなってしまったようなそんな気持ち。
「ソフトウェアだって人を殺す。考えてみてくれ。信号機が町中で狂ってしまえば事故が多発する。同じことだ。『佳奈』が意図的に、障害を起こせば、結果として、人は死ぬんだ」
 山海の声には今までにない必死さがあった。祐介は息を飲んだ。
 今の世界、電子制御されていないものの方が少ない。そこに悪意が介在すれば人を傷つける事もあるかもしれない。
 しかし、悪意は人間のもの。ソフトウェアそのものに悪意はあるのだろうか。
「それはプログラムの問題で、『佳奈』は関係ない」
「『佳奈はプログラムの集積』。さっき、その口から出た言葉です。プログラムの問題なら、『佳奈』が人を殺す事もあるとは思いませんか?」
 祐介は言葉を失った。
「今ならまだ近所にいますからすぐいけますが?」
 答えずに電話を切った。
 壊すつもりで扉に体当たりをかますと、先程まで動くことのなかった扉はあっさりと開いた。
 玄関には靴が一足置かれていた。フェミニンなデザインな靴は見覚えがあった。奈結香のものだ。
 居間に入った。
 違和感があった。まるで部屋の中のものが半分になってしまったようなそんな印象。しかし、目に映るものはいつもと同じだ。
 いつの間にか奈結香が立っていた。いや、テレビの画面に奈結香が映っているだけだ。いや、それは佳奈だった。少し幼い感じを受けた容姿は変わり、頭身も姿も奈結香そのままだ。
「来須くん」
 だぼだぼのシャツとショートパンツを履いたが奈結香が後ろに立っていた。
「ごめん。服とか借りた。濡れていてどうしようもなくて」
「何かあった?」
 その目は佳奈の映った画面を見ている。奈結香は祐介を小突いた。
「もうこんなの作って。私そっくりじゃない」
「いや、これは。ごめん」
 どうして佳奈が姿を変えたのか、奈結香の前に姿を見せたのか分からないが
「この声も懐かしい。これお蔵入りになった最初の仕事のだから、話しかけられた時は驚いたよ。」
「何て話しかけられたの?」
「え。あ、うん」
 奈結香は照れたように顔を下に向けた。
「『佳奈はパートナーになってくれますかって?』」
「答えは」
 奈結香は顔を上げ、祐介にキスをしてそっと離れる。
「変な告白だけど、悪くはなかったよ」
 祐介は奈結香を、いや佳奈を引き寄せた。

 ムーンリバーが聞こえた。
 目を開けると横にいたはずの奈結香はいない。奈結香は出窓に腰掛けて小さな声で歌っていた。
 邪魔したくなくて、静かに寝台から降りた。寝室から出て、部屋にいってパソコンを立ち上げる。
 潮騒が聞こえた。海を背景に佳奈はいた。奈結香の姿ではなく、最初に祐介の設定した姿だ。佳奈は波打ち際で遊んでいたが、祐介に気付いて顔を上げた。
 祐介は思わず目が逸らした。
「君、私はもう旅に出る事にしたから、これはお別れの挨拶」
「どうして」
 理由など分かっていたのに聞かずにはおられなかった。
「本物の佳奈がいれば仮想の私は必要ないから。私はもう必要ないの」
 素早くファイルをチェックした。ソフトの設定を見れば、基本的なところを残っていたが、これまでの記録はほとんどなくなっている。この答えているように思える佳奈も、もう抜け殻のようなものなのだ。
「たまにはムーンリバーを聞いて、私を思い出してくれると嬉しいな」
 佳奈の足下に波がかかる。そのたびに姿は薄くなっていく。
 佳奈はムーンリバーを歌い始めた。ささやくような声がやがて絶え、佳奈の姿も消えていた。
 最初に佳奈はなんと言っていたか。
『私たちはあなたが幸せでいてくれるためのパートナーとして作られました』
 自分がいると、祐介の幸せを邪魔する。佳奈はそう考えたのだ。
 部屋が半分になってしまったような思いは、錯覚ではなかった。彼女はいたのだ。それが、手に取れないヴァーチャルのもの、綿菓子のように跡形もなく消えてしまうようなものでも。
「ありがとう佳奈」
 祐介は言った。海の果て、消えた佳奈に向かって。
 
posted by 作者 at 08:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 短編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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