2010年10月26日

寒い夜 風の音に思い出すお話



 あるところに美しい女御がおりました。
 帝のご寵愛を受け、都一の佳人の名をほしいままにしておりました。
 しかし、市井の人はその姿を見ることもなく、かぐや姫や乙姫のように、物語の如くその姿を思うだけでした。
 それは朝廷に仕えるものも同じ事で、内裏の奥深くにいらっしゃる女御を見ることはありませんでした。
 庭師の翁もその一人でした。
 翁は官職こそない身でありましたが、その腕は確かなもので、見識がないものでも、仕事を見れば見事さに、翁の手による物であると一目でわかったといいます。

 まだ夜も明けきれぬある朝の事です。翁は思っていたよりも早く落ちてきた霜に、庭の様子を見に出仕して参っておりました。
 幸い庭の草木は日頃からの丹精か、欠ける事なく美しい姿を見せています。
 安心したせいか先程まで感じていなかった寒さが、翁の身に染みてまいります。 
 翁は四阿の一つで寒さをしのぐ事にしました。
 四阿には先客がおりました。しかし骨の髄まで染みる寒さに翁は気付くことはなかったのです。
 翁は小さく声を漏らしました。
 雨意雲情の後なのでしょう。細い腰が着崩れた衣の内側から見え、翁は見てはならぬものを見たと、すばやく身を翻しました。
「だれぞ」
 いらっしゃたのは女御でございました。

 内裏の庭が俄かに荒れ始めました。いえ、庭師の数は多く、そんな事はあるわけはありません。
 しかし精彩がなくなったのは誰の眼にもわかるものでした。
 女御もそれに気付かれ、官女の一人に尋ねますと
「庭師の翁が病だとか」
 官女はそう申しますと何やら用事があると離れていきます。
 いつまでも庭はどこか精細を欠いたままでした。思い切って女御は尋ねました。
「恋患いと聞いております」
 その答えは自分のあさましい姿を見て懸想していると、女御には思われたのでございます。

 翁は部屋で転がっておりました。
 おきていれば女御の事が思い出され、眼を閉じればまぶたの裏に姿がありありと見えます。
 女御の天女のようなお姿が離れないのです。
「失礼いたします」
 翁のところに届けられたのは一つの包みでした。あけてみれば鼓が一つ。
「この鼓の音が聞こえましたら、女御は四阿にお姿をお見せするとのことでございます」
 翁は喜びながら四阿に赴き、鼓をたたきました。鼓から漏れる音は鈍くとても女御のいらっしゃる奥まで聞こえるとは思えませんでした。
 翁は自分のたたき方が悪いのだと、再び鼓をたたきます。しかし、その鼓は皮がしっかりと張っておらず決してならないものだったのです。
 それでも翁は一心に鼓を叩きます。いつまでも鼓とは思えない鈍い音が響いておりましたが、いつの間にか小さくなり、静まりかえりました。

 女御の様子が物狂いだと思われるようになったのは霜が毎朝、庭を白く飾る頃でございました。
 すきま風の音や、風が戸を揺らす音。そんな音を聞く度に鼓の音がするとおっしゃるのです。
 女御が物狂いになったと噂されるようになったのはそれからでございます。
 ある夜の事、小雪のちらつく中、女御は庭を歩いておりました。
 冬になったということもありましたが、翁の世話をすっかりうけなくなった庭は荒涼としております。
 女御は四阿にこられました。
 四阿では鼓を叩くものがおります。それは鼓を鳴らしている翁の姿でした。
「やっとこられました」


 女御の亡骸が見つかったのは冬の朝でございました。その側には
叩き続けて亡くなった翁の鼓が転がっておりました。
 歪んだ美しさともうしますのか、死しても女御は美しくあられました。
posted by 作者 at 05:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 掌編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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