2015年04月29日

85→○○

 小学校の時のことだ。毎年、みかん狩りにいっていた山のあたりで万博が開かれることになった。あれよあれよと開発が進み代、気付けばそこは大きな建物がたって、たくさんの人がきて、みかんが狩れなくなった。
 でも例年通りおでかけということで、僕はビルと人間で組み合わされた万博というところにきていた。
 最初はみかんも食べれないと、あれだけいやがっていたのに、最終的にはでっかくExpos85とコスモ星丸とかかかれたTシャツを着てはしゃいでいた。
 今までみたこともないような大きなテレビ。チャンネルを回すのにくろうしそうだと思ってみたり、一本の草のはずのトマトからできた世界樹みたいなものは大きさに驚いた。
 でも、そういうのはあまり人気がなくて、人が並んでるのは体験型のものだった。月にいったような宇宙飛行士の気分が味わえるようなものや、未来の生活ができるもの。遊園地のようなアトラクションも人気があった。結局そういうのは並んでいるだけで終わってしまいそうなので、親と別れ、僕は人気のないあたりを回っていた。
 よくしらない国のパビリオンだった。
置いてある展示もよく知らない国の歴史で、ファンタジーみたいだったのが、暗いSFみたいに国が変わっていく展示だった。それは東欧の、共産主義の国のものだった。
 まだ世界は冷戦という大きな物語の中だから、共産圏、ソ連怖いという感じ。というか悪の帝国くらいな勢い。
 いるのもちょっと変わった感じの白衣のおじさんだった。白髪混じりの事をのぞけばちょっとジョン・レノンに似ている。
「あなた、これは過去にいける装置ね」
 といわれたそれはただのトンネルに見える。
 ただ、その向こうからは気持ちのいい潮風が吹いてきて、どこか楽しそうだ。きっとこの国のセットとか用意してあるんだろう。
「いきます」
 僕は中に進んでいった。
 中はパビリオンのセットとしてもおおきな空間だった。
 お城の中庭のようなところから、童話のような王子様とお姫様の結婚式のさなかだった。厳かながら喜ぶにあふれた空間。僕もはしゃいでお祝いの手をたたいていていた。
 そして式を見終えて戻った。結構時間がたっていて僕はあわてて待ち合わせの場所に戻ったのだ。
 ところが最近、古いタペストリーをみていたら年号にコスモ星丸つきのシャツを着た僕がいた。
 もしかして科学だけでなく魔術も展示されていたのかもしれない万博。
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2014年06月28日

百合忌 キャンディーフロスワールド2

百合忌                 

「なんだここ」
 麻績優は声をあげた。
 優が見ているのは、パソコンの画面だった。
 いつもと同じように、CG(コンピュータグラフィックス)を求めて、ネットサーフィンしていたはずなのに、知らないところにきてしまった。
 こんな風に知らないページを開くのは珍しくはない。ウェブページはそもそも確認しきれないくらいたくさんあるし、そのうえ一日数千単位でサイトは増加している。加えて『Deep Web(ディープウェブ)』と呼ばれる検索エンジンでも見つからないサイトもある。小学校の授業ではこうしたところに入る事すら禁じているが、優は気にした事はない。物心ついた時から、パソコンで遊んでいた人間からすれば、未知のサイトにこそ、新たな情報が眠っているのをしっていた。
 優は夕飯代わりのポテトチップスを口に入れながら、少しこれまで見てきたページを考えた。
 意図してないサイトに入るのは珍しい。先程まで調べていたサイトはどこかに貼られていたリンクがダミーで、違う所に転送されたのかもしれない。
 それならあまりいいことはない。もしかしたらウイルスなどパソコンに不具合がでるような罠が仕掛けられているかもしれない。
 サイトの名を見ると、『Day Lily』。どこかのカメラから送られてきている映像のようで粗く、汚い。
 コンクリートが打ちっ放しの部屋は、窓はなく、薄暗い。天井につけられた裸電球が揺れている。どこかの地下であるようだった。
 毛布を被った人間が壁に寄りかかっている。顔を下に向けているので表情は見えない。
「やばいサイトかな」
 一応、セキリュティソフトを確認するが、ウイルスやトラップなど、パソコンを害するものはないようだ。
 しかし、危ないのは変わりない。『Day Lily』からの接続を切ろうとすると、毛布が動いた。毛布がずれて、暗い中でも白さの分かる足が見えた。その女性のものと思われる細い足首には奴隷であるかのように足枷がつけられている。
「趣味悪」
 思わず舌打ちする。
 演出にせよ足枷は鋼で作られていて、足に噛みついたように見える。足枷の横には青白い痣がついている。その痣の横には切り傷がある。
 優は息を飲んだ。よく見れば足には無数の痣や傷があった。それは自然でできるものではなかった。何らかの暴力が彼女の横を通り過ぎたのだ。
 優はじっと画面の中を見回した。裸電球の光のせいで部屋全体はよく見えないが、床に黒い染みが見える。それは固まった血のように思えた。

 カメラを設置し、海や空の様子を、定点観測してインターネットで流しているところも多い。アダルトサイトでは、若い女の子の部屋をカメラを設置して盗撮しているサイトもある。それはやらせだろうが、これはどうだろう。
「これ本物か」
 少女は顔を上げた。髪で顔を半分は隠れているが、綺麗な輪郭が見える。その口元のほくろには見覚えがあった。
 優は立ち上がってパソコンの画面に近づいた。画面に近づいたところで、髪で隠れた顔が見えるわけではない。
「ああ、もう」
 声が聞こえたように少女は顔を上げた。
 髪が流れて、顔が見えた。猫科の生き物のようにつり上がって見える目が優を見ていた。
 優は壁にかけてある時計を見た。こういう時は結論を出すまで一分考える。慌てやすい自分に向けての父親からの助言だった。
 一分たってもう一度見直した。
「やっぱり」
 そこに映る顔はクラスメイトの弥勒地華弥だった。

 寝不足だったせいで、遅刻しかかった優は、八時十四分に教室に駆け込んだ。自分の席に座った回りを見ると、あと一分で、ホームルームが始まる事もあって、教室の席はほとんど埋まっている。
 担任の大原先生が入ってくる。
 クラスのいろいろな所から先生に、朝の挨拶が上がる。大原先生は着物が似合いそうな和風の美人でありながら、多少S気もあって生徒に人気もある。
 出席を取り始めると、だれもが大きな声で答えるが、弥勒地華弥の答えはない。
 休んでいる華弥の事を誰も話題にしないが、彼女は学校では有名な女の子だった。
 低学年の時に『二人のロッテ』というアニメで主役を演じる声優として、テレビでよく見かけた。高学年になってからは月9のミステリーに出演して端役ながらも、明るい演技で有名になっていた。そうした芸能界の活動が忙しいのか、不登校気味でほとんど学校に来ない。
 優はホームルームを聞きながら、こみ上げてくるあくびを口で押さえた。
 昨夜見たサイトが気になってほとんど眠れなかった。そんなにいつもは夜遅くまで起きているわけではないせいでふらふらする。
 二限目の授業まではがまんできたが、三限目で限界で頭が痛くなってきた。
 大原先生に体調不良を報告すると、保健室に連れて行かれた。
「この子、気分よくなるまで寝かしておいてもらえない」
 大原先生の声に、白衣を着た養護教諭のイチゴちゃんが顔を出す。
「分かりました。君、そこのベッドで横になっていてください。もうしわけないのですが、奥には、先客がいますから、できるだけ静かにしてあげてくださいね」
 イチゴちゃんに言われるままに、できるだけ音を出さないようにベッドに寝転がった。

「寝不足だと思いますけど、もうダメですよ。学ぶ機会を失うのは、あとで自分に罰になって返ってきますからね」
「すいません」
 イチゴちゃんが仕切のカーテンを閉めた。
 先程まであれだけ眠ったかったのに、今は眠くない。保健室に来るなんて珍しいから、胸がどきどきしている。
 天井を見ていると、いつの間にか灰色になっている。
 保健室の天井は白いし、灰色で裸電球なんて揺れているわけはない。自分がいるのはベッドの上のはずだ。それなのに背中から容赦なく冷えてくるのはどうしてだろう。
 足音がした。
 イチゴちゃんかと思ったがカーテンを開いたのは別の見知らぬ男だった。その手に鞭が握られている。
 風切る音が響いた。痛みが頬に走った。鞭で打たれた。
 どうして、なんで。
 殴られるようなまねはしていない。そう思った。考えている間に鞭は振り落とされる。考えられなくなる。
 痛みが来る度に、獣のように叫んだ。しかし叫べたのも最初のうちだけ。気づけば、声も出なくなっていた。

「起きなさい」
 目を開けた。その動作で目を閉じて、夢を見ていたのが分かった。昨夜の華弥の映像。あそこに優が巻き込まれた夢だ。
「落ち着いた」
 艶のある高い声だった。声の方を見れば、きれいな輪郭とほくろが見えた。猫科の生き物のようにつり上がった目が自分を映している。
「みろくじかや」
「さんくらいつければ」
「弥勒地さん。僕、俺は麻績優」
 華弥とクラスメイトだが、一対一で話すのは初めてだった。落ち着かなくてはいけないと壁掛け時計を見るが、それより前に華弥は話し始めた。
「それでいいわ。私は、自己紹介はいいわね?」
 優は頷いた。
「それで何で魘されてたの?」
「怖い夢を見て」
「子供ね」
 誰のせいだよと思って言い返そうとすると、華弥は顔を近づけてくる。息が苦しくなるように錯覚した。近づいてくる鳶色の澄んだ瞳に吸い込まれてしまいそうだ。
「何だよ」
「それくらい元気なら大丈夫ね。そろそろ仕事いくから」
 華弥は離れると背を向けた。
 昨日見た足首の痣が気になって足下を見た。足はブラックジーンズで覆われて見えない。どこか肌が出ていないか見た。夏だというのに黒い長袖のシルクのシャツで、手首から先すらも手袋で覆われている。
「じゃあ、イチゴちゃんにいっておいて」
 華弥は軽く手を振って出て行った。
「お大事に」
 そのまま優は華弥の消えたドアを見続けていた。

 優は家に戻ると直ぐにパソコンの電源を入れた。
 昨夜気になったので、弥勒地華弥に似た少女のいたサイト『Day Lily』は、一応ブックマークにいれて、見られるようにしておいた。
 インターネットにつなぎ、ブラウザを立ち上げ。サイトを開く。
 『Day Lily』は昨日と同じ部屋だった。昨夜は分からなかったが、部屋の天井に近いところに窓らしきものがあった。そこから光がわずかに降りてくる。部屋の端にはロゴの入った段ボールに詰められた荷物がたくさん置かれていた。
 少女は昨夜と違い顔を上げている。ただ、これといって何もする事もなく、一点を見つめていた。その一点は外から漏れる光だった。
 その光のせいか、少しは分かることがあった。昨夜は見えなかったが、カメラらしいものが部屋の天井を始め、数カ所に設置してある。
 今自分が見ている視界以外にもカメラがあるのだ。そう思ってマウスをいじっていると、カメラの変更らしいアイコンが現れた。クリックすると、少女の正面にアングルに切り替わる。
「やっぱり弥勒地だ」
 今までは遠くで見ることしかできなかったが、今日、声をかわしたからこそ、ここにいるのが弥勒地華弥である自信が持てた。
 あんな、きれいな女の子がそこら中にごろごろしているわけはないのだ。
 あのあと学校から出て、ここに来るのが仕事なのだろうか。だとすると、これは一種のヤラセなのだろう。
 学校での様子を思い出して、少しだけほっとしていた。華弥が仕事の上でしているのなら、この異様な様子もきっと何らかのお約束の中での出来事なのだ。
 それなら、今ここで見えている華弥の演技は素晴らしいものだ。学校での闊達さは一切感じさせず、ただ何の興味もないのにまばたきもせずにじっと一点を見つめている。ただ、存在しているだけの、きれいな人形のように思える。
 それなのに見ていると何か胸の中を掻きむしられるような気がするのはどうしてだろう。
 こんな華奢な壊れそうなものなのに。
 いや、壊れそうなものだから、人に壊される前に自分で壊したいのか?
「やめやめ」
 優は声を上げた。今の自分の感情がおぞましいものに思えた。
 慌てたせいで画面のアングルが変わる。華弥の口元だった。薄く血の気無い唇は動いていた。学校で見た生き生きとしたものとはまったく違うその輝き。それが何か呟いている。
 声は聞こえてこない。
「どうしたんだよ」
 声をかけても華弥の表情は変わらない。聞こえてないのだから当たり前の事だ。それでも気になって華弥の口元をじっと見た。唇は同じ動きを繰り返していた。何度見てもそれは変わらない。
「タスケテ」
 彼女の口が紡いでいるのは、ただ一つの言葉だった。

 一時間目を終えると、教室を飛び出した。めざすのは保健室だった。
保健室のドアを開けると中には、養護教諭のイチゴちゃんの姿は無かった。
 並んでいるベッドの方を見ると、奥のベッドにだけはカーテンがかかっている。そこは昨日華弥のいたベッドだ。今日も華弥はここにいるのだろうか。
「弥勒地さん?」
 答えはない。ただ、静かな寝息が聞こえてくる。優はベッドに近づいた。
 華弥がいればこっそり傷を見られる。もし、傷があれば、何らかの事情で、華弥はあのサイトで何かされているのだ。タスケテと口は動いていた。それなら自分の意思ではないはずだ。
 カーテンに手をかけた。少し隙間を開け、中を見ると、タオルケットのかかった背中が見えた。その背中は寝息に合わせて上下している。
 こっそり見るだけだ。こっそり。しかし、もし華弥が起きてしまったら。そして誰かに話してしまったら。
 クラス中から変態扱いされ、ののしられる、学校にも通えない様子が浮かんだ。最後はニュースにまでなりテレビで放映される。スパイラルして悪い方に考えが浮かんだ。
 いや、きっと起きる事はない。これだけしっかり寝ているんだ。そう心の中で呟く。
「ごめん」
 声にならない程小さくいうと、タオルケットに手をかけた。
「そこまでよ」
 弥勒地華弥の声が響いた。
 目の前ではない。したのは背後でだ。
 振り返れば、保健室の前に、ランドセルを背負った華弥が立っている。
「弥勒地さん」
「早起きは三文の得っていうけど、いつもより早く登校してきてみたら」
 芝居がかった様子で華弥は頬に手を当て、
「麻績くんたら、寝ている女の子を覗こうなんていやらしい」
「いや弥勒・・・」さんかと思って、と言いかけてから辞めた。しかし、華弥はしっかり消えた語尾も分かったようだ。
「ふーん、私かと思ったんだ。残念だったね、変態さん」
 何も言えなかった。顔がとにかく熱くて、頭に血が上っているのが分かる。まともに考えがまとまらない。一分でいいから、静かに考えさせてくれればいいのに。そう思っていると口が勝手に動いていた。
「弥勒地さんの仕事に比べれば変態じゃないよ。あんな格好して、人前に出てさ」
 言い返してくるかと思ったが華弥は息を飲んでいる。そして発した声は、一切感情が感じられなかった。
「誰に聞いたの?」
「誰だって分かるさ。こんなに暑いのにそんな厚着して」
「そうなんだ。でもね、これは私にとって、一つのターニングポイントなの。麻績くんが何といってもね」
「あんなに辛そうなのに?」
「確かに辛いけど、ここは私にとって必要なステップなんだから、いったいあなたに何が分かるって言うの?」
 華弥は足下を荒々しく踏みつけた。
「ここは保健室ですよ」
 タオルケットをゆっくりとどかして、起き上がったのはイチゴちゃんだった。
「話は聞かして貰いました。つまり、簡単にいうと華弥ちゃんが麻績君を好きという事ですね」
「違います」
 華弥が声を上げた。
「初恋は実らないものです」
 イチゴちゃんは白衣を翻してベッドから降りた。
「そういうのじゃありませんから」
 華弥はいう。今度はさっきよりは少しは柔らかいが、それでもきついのに変わりはない。
「恋愛ではないのですか。それなら、喧嘩の原因はまったく思いつかないんですけど」
 優は小さく深呼吸した。そのせいか少しだけ落ち着いてきていた。
「すいません。僕が、弥勒地さんを怒らしたのが悪いんです」
 優が先にいってしまったせいか、華弥は怒りが一気に醒めてきたようで、小さく舌打ちした。
「いい子になって」
「綺麗な子が舌打ちしてはいけませんよ。あなたは素敵な女の子なんですから」
 一時間目の休憩を終わる鐘が鳴った。
「すいません。失礼します」
 優は頭を下げて、保健室から出た。その手が捕まれる。振り返れば、イチゴちゃんが手をつかんでいる。
「やっぱり熱があるみたいですから、少し休んでいきなさい」
「いや熱なんてないです。大丈夫ですから」
「だめですよ」
 イチゴちゃんは手をそのまま引っ張って、丸い椅子に座らされた。
 本来その椅子に座るべきイチゴちゃんは目の前に。扉の方では華弥が通さないとばかりに仁王立ちだ。
 逃げ道は、残念ながらないようだ。このまま黙っていて、授業に行かなければ、大原先生は間違いなく怒るだろう。
「あの実は、あるサイトを見たんです」
「あるサイト?」
「はい。そこで弥勒地さんと思われる女の子が、傷だらけで、何か虐待されているようなサイトでした」
 華弥の方は、ドナドナでも見るような目で、こっちを見ている。
 先生の前で、キッズグーグル(児童向きのグーグル。青少年の教育上好ましくないキーワード検索は行えない検索サイト)に登録されていないようなサイトを覗いていたのを白状したのだ。学校から保護者に連絡が行くのは確実だろう。
 優を見たままイチゴちゃんは無言だった。何か考えているようだ。
 暫くして、イチゴちゃんはいった。
「そのアドレス分かりますか?」
「今は分かりません」
 イチゴちゃんは頷く。
「ありがとう。ただ、あなたが、華弥ちゃんを心配しているのは分かりました。華弥ちゃん、悪いんだけど手袋ぬいてあげて」
「え、どうしてこんな奴に」
「それが誤解を解く一番の早道ですよ」
 華弥は手袋をとった。日焼けしていないせい、白い肌が見える。しかし、手には、一切の傷は見えない。
「これで分かった? 華弥ちゃんはあなたが心配するような事件に巻き込まれていないから大丈夫」
「じゃあ、あの子は誰なんですか?」
「分かりません。ただ、そのサイトはどう見ても、小学生の見るようなサイトではないですね。私がそのサイトを確認してみますから、もう閲覧しないように」
「分かりました」
 優は頷いた。
 
 大原先生に命じられた教室の窓ふきが終わったのは、もう下校のチャイムが鳴り響く頃だった。
 結局、保健室で止められていた時間について話さずに、ただ遅刻した事にした。結果、とてもいい笑顔で掃除を命じられた。
 教室に戻った優には罰。ずっと保健室にいる華弥はおとがめ無しというのは何かおかしい気もしたが、先生には逆らえない。
 汚れたゾウキンを洗おうと、洗い場に向かって廊下を歩き出すと、華弥が立っていた。
「おつとめごくろうさま」
 言葉こそ丁寧だが、目は笑っていない。
「どういたしまして。で、何か用?」
 冷淡にいうと華弥は手をいきなり合わせた。
「お願いがあるの」
「何?」
「先生に明日見せる前に、さっき話していたサイト見せてもらえないかな」
 華弥の言葉の意味を考えた。
「やっぱり弥勒地さんなの?」
 華弥は小さく首を横に振った。そして自分の足下を見るように顔を下げた。
「私ね、双子のお姉さんがいるの。両親が離婚した時に、お父さんにつれていかれてしまった姉が」
「お姉さんが」
「もし二人で一緒に暮らせたら、みんなで一緒に暮らせたら、ずっと思ってた」
 華弥は芝居をしているのではないか。そんな考えが脳裏を掠めた。
「もし先生が調べて警察にしらされたりしたら、お姉ちゃんに被害がでるかもしれない。だからその前に確かめたいの」
 華弥は顔を上げた。顔を見た瞬間、もう逆らえなかった。華弥の目から涙がこぼれようとしていた。

 優は横を歩く華弥の横顔を見つめた。学校から帰る途中、顔を見るのは何度だろうか。
 最初は落ち着いたように見えた華弥の顔だったが、家が近くなるにつれて、不安らしく、目がちらちらといろいろな方向を見るようになった。
 あまり親しくもないクラスメイトの家に始めていくからだと最初は思っていたが、そうではないのが直に分かった。
 おびえているのだ。その証拠に最初は少し遠くにいたのに、今は自分のすぐ後ろを小さな子供のように不安気についてきている。
 優の住む団地は、建物自体の老朽化と、住人の高齢化のせいで、人の姿をあまり見ない。加えて建物全体の住人の意思が統一できた建物は、売られてしまい人がいなくなり廃墟のようになっている。そんな建物が多いせいか、全体としてはゴーストタウンといってもおかしくない地域が多い。
 そんな景色だから遠くからでも見えそうなものだが、高速道路のせいで、通っている学校から団地は見えない。華弥は、海沿いの新しい高層マンションの一つに住んでいるときいているから、初めて存在を知ったのだろう。
 優の住んでいる建物はそれなりに人がまだ多くいる棟だが、団地の中でも古い建物だ。そのせいで雰囲気は先程まで通ってきたゴーストタウンと変わらない。
 建物につくと、エレベータのない階段を上がる。四階に優の家はあった。立ち止まり、自分の部屋を指さすと、華弥は少し安心したのか大きく息を吐いた。
「古くて驚いた?」
「別に」
 扉をあけると、いつものようにぎいっと重い音を立てた。振り返れば華弥が少しばかり、身を固くしている。確かに慣れない人からすれば、この鉄の扉も少しばかり恐ろしいものだろう。 
「どうぞ」
 優がいうと、華弥は頷いた。

 家の中に入ると華弥は驚いているようだった。和室になった部屋には荷物はなく、使っているのかもよく分からない雰囲気だ。
「それに座って」
 優は推入から座布団を出して置いた。
「パソコンは?」
「部屋にあるから持ってくる」
 祐介はランドセルを起きがてら、自分の部屋に向かった。後ろから華弥がついてくる。
「どうしたの」
「動かすの面倒でしょ。部屋で見せて」
「え、嫌だよ」
「そこ」
 舞うように軽やかに、華弥は祐介の前の扉を開いたが、そこで華弥の動きが止まった。
「綺麗で驚いた」
「綺麗って言うか、ものないからでしょ」
 板張りになった洋室には、床に直にノートパソコン。壁際には段ボールがいくつかと、寝袋が置いてある。装飾といえば、壁に貼ってある映画のタイタニックのポスターくらいだ。
「なんでこんなに物がないの」
「うち、転勤多いんだ。引っ越しの度に片付けるのが面倒くさくなっちゃってね。だいたいの事はパソコンがあればいいしね。それに引っ越したことあるでしょ?」
「ないよ」
「両親が離婚したって」
「ああ、あれ。ああ、えっと、家は残ったから引っ越しはしてないから」
 言葉に詰まる華弥に優は罪悪感を覚えた。もしかしたら、何か辛いことを聞いたかもしれない。
「ごめん」
「いいよ、気にしないで。あ、でもタイタニック好きなんだ。わざわざ飾ってあって」
「好きっていうか、それは趣味の一環」
「なんで?」
「CGで絵を描くの好きなんだよ」
「どうしてタイタニックにいくわけ。これって恋愛ものでしょ」
 そういいながら華弥は、舳先にいるようにポーズをとりながら『I’m flying, Jack!』と芝居を始めている。
「そのシーン全部CGなんだよ、役者さん以外」
「あ、瞞そうとしてるでしょ。あんなにきれいなシーンがつくりもののわけないじゃないの」
 優は苦笑いした。確かに自分もCGについて学び初めてから知ったことだ。普通に見ていて分かるわけはない。海や船だけでなく、あの風や光の感じまでCGだなんて普通思わない。
「それよりパソコンを見たいな」
 優はパソコンの前に座った電源を入れる。華弥は、優の後ろに立って中腰になってパソコンの画面を見ている。
 ブラウザが立ち上がり、『Day Lily』を映し出す。
 画面に地下室が現れる。中には華弥に似た少女がいた。赤い夕焼けの光の中、コンクリートの床に伏せている。
 コンクリートの冷ややかさは、接触しているところから冷え、熱を奪われ、最後は体力を削られる。それなのに少女は伏せたままだ。
 『Day Lily』は相変わらず音がない無音の映像だ。そのせいで背後にいる華弥の息づかいが、画面に被って聞こえてくるので、いつもより生々しく感じられる。
 振り返れば、華弥は一心になって画面を見ている。その目は離れた姉を見ると言うよりは、敵でも見るようなにらみつける物だ。華弥はいらついているのか自分の親指の爪を噛んでいた。
「どうかな」
「映像粗いからっていうのあるかもしれない。でも、悔しいけど、私に間違ったって言われても納得できる」
「そうでしょ。よかった」
 少し嬉しくなって答えると、華弥の顔は怒っているのか白い肌が青みを帯びて見える程だ。自分に向けられたのかと思ったが、それが画面に向けられていた。
「よかったなんかじゃないよ。この子の傷、大丈夫っていうレベルじゃないよね」
 華弥は画面を指さした。少女の身体のいろいろな所に見える傷。優は気づかなかったが他にもたくさんあるのが分かった。
「ねえ、これ何なの? アダルトサイトってやつ」
「最初に偶然かかったからよく分からない。ただ、まっとうなものじゃないと思う」
「それは、まあ自分がまともなサイトを見てなかったいいわけみたいだけどまあいいわ」
 華弥は爪を噛むのを止めた。
「この子は助けないといけない」

 優はパソコンを見ていた。開いているのは『Day Lily』だ。
『この子は助けないといけない』と華弥は言っていた。具体的に何も思いつかなかったらしく、そのまま帰っていった。
 優ができるのはサイトをこうして見ることだけだ。だが、その中にもしかしたら、彼女を救うヒントがあるかもしれない。
 しかし、見ていても彼女はほとんど変わりはない。
 優はサイトを動かしはじめた。前したようなカメラの切り替えをしていれば、何か今までの視界では、見ることができなかったものがあるはずだ。
 その中で怪しそうなものを探す。例えば、特定の場所をクリックすると、何か起動するものがあるかもしれない。何かキーを押せば現れるものがあるかもしれない。そう考えていろいろと調べて回ることにした。
 気づけばもう夜中になっていた。

 いつもの如く、ポテトチップスと、牛乳を夕飯代わりにして、続けることにした。カロリーが回ってきたせいか、頭がはっきりしてきた。
 パソコンのキーや組み合わせは有限だが、実際行うには不可能と思われるくらい多い。
 検索サイトで、『Day Lily』を検索する事にした。しかし、分かったのは、それがワスレグサと呼ばれる植物の英名であり、語源は一日で花が枯れるからと言われていることくらいだ。このサイトそのものに関する情報は見あたらない。
 仕方なしに、明日、イチゴちゃんに見せるためのアドレスを連絡帳に記入した。
「もうこれ以上は無理か」
 パソコンから離れてひっくり返る。どちらにせよ、これ以上は自分でできないかもしれない。
 それなら人の手を借りる事もできる。基本的にウェブの世界は自己責任だ。調べも考えもせず、学校で先生に質問するように、聞く甘えは許されない。そんなことを聞いたが最後自分でもっと調べろといった意味で『ググれ』や、『過去ログ見ろ』といった言葉が返ってくる。
 しかし、『Day Lily』に関してはそんなことないのではないだろうか。これだけ調べても分からないのだから。
 確実にそういった知識やテクニックを持っている『神』と呼ばれるような人間のいるのは、匿名系の大手掲示板だが、独特の言い回しも必要で辛い。しかし、書き込むのならここだろう。
 文章をいろいろ考えて書き込もうとしたところで、手が止まった。
 もし優がここでサイトのアドレスを書けば、場合によってはかなりの勢いで情報が広がる。そうすれば、『Day Lily』が、アクセスの多さに耐えきれずつぶれるかもしれない。そうなってしまえば、もう何も分からなくなる。
「そうだよな、やっぱりダメだ」
 起き上がってパソコンの画面を見た。
 声を上げていた。そのまま画面を閉じていた。
「何だよ、今の」
 閉じる寸前、画面いっぱいに迫ってくるのは鳶色の瞳だった。カメラぎりぎりまで近づいているような少女の顔は、生命も危ういように思えた。
 
 放課後、保健室に向かった。
「遅かっですね」
「ちょっといろいろあって。すいませんでした」
 何もありはしない。ただ、保健室に来るのに遅れたのは、優の問題だ。
 優は保健室の中を見回した。華弥の姿はない。
「華弥ちゃん、今日は来ていませんよ。映画の撮影だそうです」
「そうですか」
 少女の瞳に射貫かれた気がした。その瞳にある虚ろなものを思い出すものに近づくのが怖かった。

 少女にもっとも近いのはサイトであるが、似ているのは華弥だ。華弥の中にあの少女を見いだしてしまえばもう。
 イチゴちゃんがじっとこっちを見ている。観察するような目に、自分が華弥を避けているのが見透かされているかと怖くなった。
「サイトのアドレスですが、もしかして忘れてしまいましたか?」
「いえ、メモです」
「ありがとう」
 イチゴちゃんは笑顔のまま、メモを受け取り、机の上のパソコンを起動した。のんびりとした雰囲気の合わぬ、アドレスを素早く入力し、マウスをクリックしているのが見える。
「サイト、消えてしまっていますね」
「本当ですか?」
 確かに白い画面には存在しない証として、黒く大きく404の表示が出ている。三桁番号404は、そのデータ存在しないということだ。
「間違ってはないと思うのですが」
 確認するように手で促され、優はパソコンの画面を見た。アドレスを確認するが間違いはない。
「もしかしたら、消去されてしまったかもしれません」
「昨日、今までと違う見え方していたんです。あれは最後だったからかも」
「どんな感じだったのですか?」
「カメラにぴったりくっつくように彼女の顔というか目が見えました。すぐに締めてしまったんですけど」
 イチゴちゃんは小さく呟いた。それは意図してではなくて心の中で思った言葉がうっかり出ただけのようだ。
「何ですか?」
「彼女に何かあったから、サイトが閉鎖されていたら、どうしようかと思いました」
「何かって?」
「九相図のようになっているかと」
「くうそうず?」
「絶世の美女、小野小町が、亡くなってから仏になるまでの姿を、現した絵の事です」
「でも死んだなんて、そんなこと」
「死ぬわけ無いじゃない」
 その叫んだのは華弥だった。
 華弥は、ランドセルを背負った肩を怒らせて、頬は紅潮している。
 姉かもしれない彼女が死んだと何の確証もないまま話しているのだ。優は自分の無神経さがいらだたしかった。
「落ち着いて」
 イチゴちゃんは立ち上がると華弥の肩を叩いた。
「つながってなくても分かることはあるから」
 イチゴちゃんは華弥を連れて、パソコンの前に立った。
「何する気ですか?」
 優の問いかけにイチゴちゃんは笑った。
「つながってなくても得られる情報はありますから。ドメインは、住所のようなものですから、パブリックなものなんですよ。だから、どこの誰が登録されているか調べることができるんです」
「誰でもですか?」
 優の質問にイチゴちゃんは頷いた。
「Whoisサーチというもので調べることができます。それに対しての対処法はいくらでもありますが、している方は少数派ですから」
 画面には黒字に白で様々な文字が浮かんでいる。意味の分からない英語の文章だ。イチゴちゃんは読み取っているようで無言だ。華弥は後ろから画面をのぞき込んでいる。
「どうですか」
「残念、少数派のようです」
 イチゴちゃんの言葉に華弥は小さく首を横に振った。
「いえ、どうもありがとうございました」
「何か力に慣れなくてごめんね」
 華弥は優の腕を掴んだ。
「じゃあ、帰ろう」
 そのまま優は華弥に引っ張られ外に出た。
「じゃあ行きましょうか」
 華弥はいった。
 昨日の少女の見せた虚無は華弥にはないが、やはり正面から見ると動悸が早くなる。
「どこにさ」
「彼女のいるところによ」
「なんで分かったの?」
「さっきの画面に、住所があった。桜市本町ってね」
「だって先生何もいわなかった」
 イチゴちゃんが嘘をついていたというのだろうか。
「生徒が危険に近づくって思ったんでしょ。まあ、教師としては当たり前の反応じゃない」
「よく憶えられたね」
「だって女優ですから」
 華弥はにっこりと笑った。
 
 華弥が見た住所は駅前だった。それをしった子供達がどうするか考えてイチゴちゃんは何も言わなかったのだろう。
 その辺りは狭い中華料理屋や昔ながらの小さな飲み屋が並んでいるが、あいている店も多くあまり柄のいい場所ではない。
 住所をたどっていくと、横に倉庫らしい建物のある平屋の店だった。優はこの店を知っていた。
 バナナ書店。書店といいながら、中古の本を中心に、ゲーム器具やパソコン、フィギュアなども扱っている店だ。優の使っているパソコンも父親がここで買ってきたものだ。
「入ったことある」
 華弥は首を横に振った。
「だってここあまりいい店じゃないでしょ」
 優からすれば、華弥のいういい店の基準は分からないがいつものように入ることにした。
「入るよ」
 華弥が声をかける。
「ちょっと待って」いかにも顔が隠れますといった大きなサングラスを華弥はかけた。「これでいいわ」
 バナナ書店に入った。
 レジは店を入ったところにあった。学生らしい店員は、こちらに声をかけることなく、手元のパソコンに熱中している。
 店先には新作のゲームや、マンガを中心に置かれている。そして中古らしいノートパソコンや、アイポッドのようなMP3プレーヤーがガラスのケースに入っている。
 さらに進むと中古のゲームと、古書のフロアになる。
「何か変な臭いする」
 華弥が結構大きな声で言うので口を押さえた。
「大きな声出すなよ」
 中にいる数人が自分の服を嗅いでいるのが見えた。
「本当の事だから」
 華弥は嘯いた。
 華弥を無視して先に進んだ。店の奥にはアダルトと書かれたコーナーがあった。
 少女に関わるものがあるとしたら、ここから先のような気がした。
 周りには人の目はない。
「ここなの」
 華弥はさっさと入っていくから慌ててあとを追う。
 入り込んだそこには、DVDが所狭しと並べられている。
「ここは子供は入っちゃ困るんだよね」
 背後から声がした。
 店長と書かれた名札をつけた中年の男が立っていた。手にはロゴの入った段ボールを持っている。
「ごめんなさい」
 優は反射的に頭を下げる。
「はい、出て出て。君たちがそういうの見ているの、見つかっちゃうと、おじさんが捕まっちゃうからね。はい、そっちの女の子もね」
 華弥は戻ってきた。無言のままで優の後ろに隠れてくる。
 さっさと店の先まで来た。レジではアルバイトがパソコンに夢中のままだ。
「おい、ちゃんと見ててくれよ」
「はい」
 精気のない声でアルバイトは答える。
「私の出ている作品あるかな」
 華弥はサングラスを取って顔を晒した。
「本物だ」
 バイトは背筋を伸ばして立ち上がった。
「うるさい」
「ファンなんです。サインいいですか」
「え、ああ」
 あまりにバイトの男の熱意ある声に華弥はサインペンを受け取った。

 バナナ書店を出で暫く無言だった華弥は憎憎しげに呟いた。
「いらついて何か殺しそう」
 にらみつけてくる華弥に優は目をそらした。
「おっかないな」
「もう苛ついて死にそうなんだから。箱見ても何も思わなかったの?」
「別に。それよりも、そんなに思いつめないでよ。イチゴちゃんも何かしてくれうだろうし」
「だといいけど」
「どうしてそんなに信用しないの?」
「家で弥勒地 華弥 ヌードで検索してみなさいよ」
 華弥は立ち止まった。華弥は立ち止まった。ランドセルの中から鳴っている携帯を取り出す。
「私、ちょっと用ができたから」
 叫んで華弥は走っていってしまった。
 優はそのまま走って家に戻ってパソコンを開いた。
 グーグルに慌てて文字を入力する。文字は、『弥勒地 華弥 ヌード』。
 多くは無いが、数件の検索結果が表示された。
 開こうとすると、削除されており表示はされない。ただ、検索に出る結果を合わせてみると、華弥のヌードがどこかに出回っているのが分かった。それだけではなく、ポルノも出回っているようだ。ただ、それは本物ではなく、そっくりな偽ものであるという話の方が大筋なようだ。しかし、そのせいで決まりかけていた教育テレビのレギュラー番組が駄目になったと記されていた。
 華弥のヌードはアングラで、かなりの高額で取引されているという情報は見つけることはできたが、画像らしいものは見あたらなかった。
「先に教えてくれよ」
 そのヌードモデルや、『Day Lily』が華弥でないのなら、きっとこれは華弥の姉のものなのだろう。こんなに似ていないわけはないのだから。
「お姉さんかもしれないんだし」
 優が話した少女のことを聞いて、華弥は真っ先にこれを思い出したのだろう。
 優は少しでも何か手がかりを開こうと、ブックマークしてある『Day Lily』を開いた。もうサイトそのものにつなげることができなくても何か手がかりがあるかもしれないと思ったのだ。
 学校での事を空白のページが出ると思ったそこには少女がいた。少女は倒れているがいつもと服が違った。日差しに一切あたらないような露出の少ない服。それは今日、華弥の着ていたものだ。
 華弥が倒れている。足元に転がっているのはサングラスだった。
 画面に顔を近づける。目に入ったのは、段ボールだ。そこに書いてあるロゴは、先程店長が持っていた段ボールにも同じ物が描かれていた。華弥はそれに気づいたのだ。
「ああ、どうして」
 優は駆けだした。
 恐らく華弥は一人で、乗り込んでいって、捕まったか何かで危ない目にあっているに違いないのだ。
 そして姿の見えないもう一人の少女。
「遅いよ」
 自転車をかっ飛ばした。息が切れてペダルを踏むのも辛くなった頃、バナナ書店が見えてきた。
 先程まで営業していたのに今は閉店の札が出ている。そのまま通り過ぎて、少し離れたコンビニの前に自転車を停める。
 正面からいって、華弥を返せと騒いでも意味はないはずだ。あの華弥の様子からいって、何か暴力をふるわれたかもしれない。
 忍こんでも助けなくてはいけない。どこかから入ることはできないだろうか回ると、ガスや空調のパイプを伝わって敷地の中に入れそうな隙間を見つけた。
「よし」
 自分にいい聞かせて中に入る。気持ちは先走って動こうしているのに、置き去りにされている身体が重い。そして隙間にお腹が引っかかる。
 明日からお菓子も止めて、ちゃんと運動しようと思いながらも、大汗をかいて、どうにか庭の中に入ることができた。
 倉庫が見えた。倉庫の周りには人の姿はない。扉に近づいて耳を近づける。物音はしない。
 扉に手をかけた。軽く押しただけで扉は開いた。
「ここって」
 倉庫の中はパソコンで見たのと同じ空間だった。今までは分からなかったが、小型のカメラが数個備え付けられている。
「助けにきてくれたのね」
 華弥に似ているが、知らない少女の声が聞こえた。優は急いで声の方に近づいた。
 画面では死角になっていた段ボールの影には大型のサーバー型のパソコンが置かれている。
 探してみるが華弥の姿も、少女の姿もない。
「ここにいるの」
 パソコンに近づくと、電源は入っているが、待機モードになっている。軽くマウスをいじると画面が明るくなって画像を表示された。

「何している」
 怒鳴られた声にびくっとなった。
 振り返ると、倉庫の入り口には、さっき店であったバイトの男が立っていた。ファンと言っていたあの男なら
「弥勒地はどこにいるんだ」
「華弥タンなら、さっき君と帰ったろ」
 嘘か本当か。
「嘘をつかないで。私を助けてください」
 華弥の声がした。声はパソコンからだった。
 男は素早く動くと、優を弾くようにしてパソコンに近づいた。
「あれオフにしてあるはずなのに。クソ」
 マウスをクリックした。そこには優には見慣れた映像が見えてきている。目の前にあるのと同じ倉庫のものだ。
「音声オフにするぞ」
 画面の中で華弥がこちらを見つめていた。
「弥勒地さん?」
「おお、本物知っている少年でもそう思うのか・・・こいつはやはり完璧だぜ」
 優は画面に顔を近づけた。本物に見える。しかし、現実の倉庫に少女の姿はない。
「これもしかしてCG?」
「すごいだろう。俺も本物かと思った」
「誰が作ったんですか?」
「買い取ったジャンクのパソコンに入ってたらしい」
 この映像が流されているのが、『Day Lily』なのだろう。
 自分が探していたものも、華弥が求めたものもただのCGだと思うと、おかしくなった。
「どうして弥勒地さんの格好を」
 男は自慢そうに笑った。
「さっき映さして貰った写真から作ったんだ。よくできてるべ」
「はい」
 CGだと分かれば、少女は魅了される存在だった。まるで人間のような自然な動作。これがプログラムで動いている事は驚きだった。作品なのなら、素晴らしいの一言に尽きる。 しかし、わかってはいても、優に向かって縋るような眼差しと、必死に動かしている唇に胸が痛む。
「そろそろ出たほうがいいぞ。店長、ここに入られているの知ったらぶちきれるからな」
「どうしてですか、こんな素晴らしい作品なのに」
 パソコンの画面が消された。
「作品か・・・これはそれだけのものじゃないんだよ。店長にとっては金の卵だからな」
 こうして少女に華弥の服を着せられると言うことは、逆もできるかもしれない。
 本人が何も知らない、弥勒地華弥のヌードが出回り始めるということだ。
 これ以上言わない方がいいと思い、優は頷き倉庫を出た。

 数日後、バナナ書店には警察の家宅捜査が入った。児童ポルノ販売の疑いだという。そして一週間もしないうちに、バナナ書店は火事になってしまった。
 保健室にいって、バナナ書店で見た事を話すとイチゴちゃんにグーで頭を殴られた。
「何もなくてよかったです。バナナ書店に連絡したのは私なんです。あなたの見た物を考えると、実際に何かあったのかもしれませんね。ただ、CGの為に一つ店が無くなったと思うと何かもうしわけないですね」
「こんにちは」
 優は華弥の姿を見て目を細めた。青いシャツワンピに、花柄のロングスカートだから普通の子に比べれば、肌はでてないが、十分夏にふさわしい格好になっていた。
「この格好の方が今までよりカワイイでしょう。やっと撮影終わったからきれるんだ」
 華弥は笑った。
「撮影」
「映画のね。シーンによって、日焼けしているとおかしいから、あんなに隠してたんだ。冬には全国公開だよ」
「お姉さん見たら連絡くれるかもしれないね」
「お姉さん?」
「生き別れのお父さんとお姉さんがいるって」
 華弥は笑って、手を組んだ。一瞬で表情が変わり、優しげな少女の表情になる。
「『やっと気づいたんだよ。家族がみんなで暮らすのが幸せだって』」
 意味が分からず華弥を見ていると、イチゴちゃんが拍手を始める。
「『二人のロッテ』の最終回のセリフね」
「先生ご存じですか?」
「あれはいい作品だったと思うわ」
 優はわけが分からず二人を見つめた。
「ああ、見てないのね。華弥ちゃんが声をあてていたアニメよ。自分たちが双子と知らずに育った姉妹が、サマーキャンプで再会して、入れ替わる話。最後に両親が仲直りするのよ」
「じゃあ、全部嘘なの?」
 華弥は頭を下げた。
「ごめんなさい。だって、言いづらかったんだもん。許してくれる?」
 優は頷くと、華弥は顔をあげて笑顔を浮かべた。優は黙ってその姿を見ている。
「何そんなに見とれるくらいカワイイ?」
 優は答えなかった。
 目に映っているのは、華弥ではない違う人の面影。『Day Lily』で見た彼女の縋るような眼差しだった。
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2014年06月21日

キャンディーフロスワールド

「『佳奈』は宇城さんを殺すかもしれない」
 電話の向こう声は淡々としていて思わず祐介は苦笑した。佳奈は無害な存在だ。手も足もないのに殺せるわけはないのだ。
「山海さん、『佳奈』はソフトにすぎないんですよ。ワードとかウィンドウズみたいなもので、プログラムですから」
 そういいながら何か大切なものを失った気がした。佳奈がもういなくなってしまったようなそんな気持ち。
「ソフトウェアだって人を殺す。考えてみてくれ。信号機が町中で狂ってしまえば事故が多発する。同じことだ。『佳奈』が意図的に、障害を起こせば、結果として、人は死ぬんだ」
 祐介は息を飲んだ。
 今の世界、電子制御されていないものの方が少ない。そこに悪意が介在すれば人を傷つける事もあるかもしれない。
 しかし、悪意は人間のもの。ソフトウェアそのものに悪意はあるのだろうか。
「それはプログラムの問題で、『佳奈』は関係ない」
「『佳奈はプログラムの集積』。さっき、その口から出た言葉だ。プログラムの問題なら、『佳奈』が人を殺す事もあるとは思わないか?」
 祐介は言葉を失った。


 『名前を入力してください。名前には言霊が宿ると申します。変更は不能ですので、慎重にお選びください』
 ディスプレイに出た文字に、祐介はおかしくなった。
 言霊。言葉に宿ると信じられた霊だ。最新のソフトである『ヴァーチャロイド』には不似合いな言葉だった。
 選ぶ必要もなく名前は決まっていた。結城佳奈。小学生の頃気になっていた女の子の名だ。
 そうはいっても彼女は一月に引っ越してきて、三月には転校してしまったので、残っているのはあくまで印象だ。物事をなんでも正解と不正解、白黒ばっさり切ってしまうような、きっちりとした少女だった。
 名前を決めた後、インターフェイスを設定する。画面に現れて人間の相手をする姿形を決めていく。体型や髪型、輪郭や目、鼻、口といったパーツの組み合わせだが、『京』という実際は確認しきれないバリエーションを生み出す。加えて声や口調、口癖といったところから、服やアクセサリーも加えられるので、同じ物が存在する可能性はほとんどない。それだけにソフトの起動準備をしているというよりは、モンタージュのように、実在の人間を再現しているようにも見えるかもしれない。
 数時間後、ディスプレイに結城佳奈の姿は現れていた。多少頭身が低いせいで、幼いような気もしたが、二十代前半といっていい女性の姿がそこにはあった。記憶の中にある佳奈の印象、青みを覚えるような肌の白さと、亜麻色の髪は、うまく再現されていた。
『起動しますか?』
 イエスを選んでマウスをクリックすると、モニターの中で結城佳奈は動き始めた。閉じていた目がゆっくりと目を開いた。どこかでモーター音がした。
 モニターの中の佳奈が自分を見つめているのがわかる。実際は連動したカメラに合わせて目線が動くだけなのだが、その動作だけで中に人間がいるような気がしてくる。
 目線が祐介に向けられているのがわかる。
「結城佳奈です。私たちはあなたが幸せでいてくれるためのパートナーとして作られました。よろしくおねがいします」
 パソコンソフトの音声はいかにも合成音声であるのに、とても自然だった。
「はじめまして」
 思わず挨拶してしまう。ディスプレイの向こうで、誰かが会話している気になる。
「そんなに緊張しないでください」
 佳奈はいった。
「ごめん」
「いえ、だいじょうぶです。少し音楽でもかけましょうか」
 パソコンのスピーカーから音楽がかかり始まる。ムーンリバー、彼女の好きな映画で流れる曲だ。ランダムにパソコンの中にある曲を選んだのだろうが少し驚いた。
「どうしてその曲を」
「好きなんです」
 にっこりと笑って答える彼女に、その好きという気持ちがプログラムであるのを知っているのに、大きく頷いていた。
「昔の映画ですけど窓際で歌うところが好きで。演じた女優さんも好きなんですけど」
「ティファニーで朝食を」
「正解です」
 佳奈は強く頷いた。
 思っていた以上のすばらしさだった。

 ヴァーチャロイドはマギシステムズというメーカーのソフトだ。
 『あなたの理想(アニマ・アニムス)届けます』というキャッチで発表されている。心理学の用語で、心の中にある男女の理想像をアニマ、アニムスと呼んでいる。うまく育てることができれば自分の心の一部を再現できる。
 ヴァーチャロイドは、細かく作り込む事ができるソフトだ。多くのゲームソフトでもキャラクターを自分の望む姿にできる。主として自分の操るキャラクターとしてだ。ヴァーチャロイドは操るキャラクターではない。『天然知能』が搭載されており、会話を中心とした育成ソフトだ。
 その中身に加え、CGで描かれたとは思えない自然な動きをする。カメラを通すことで、こちらの動きに自然に反応する。
 プロモーションの為の映像を見た時、何ともいえない懐かしさがあった。そのまま、パイロット版、製品化前のソフトのテストプレイをするテスターを募集しており、応募してみた。しかし、テスターは落選。おまけに製品版は中止になった。しかし、数日前に駅前バナナ書店という中古のゲームやCDの置いてある店で、テスターに配布されたパイロット版が売られていた。早速購入して、インストールして、今に至る。
「あの、暑くありませんか?」
 夜中からしていたせいで気づけばもう昼近い。汗まみれになっている。
「システムにフルアクセスする権限をもらえれば、いろいろとお世話できます」
 フルアクセスする権限はパソコンだけではなく、家庭内でパソコン制御されている機器をコントロールできるようになる。
「ああ。よろしく」
 クーラーの入る音がした。
「カーテンも開けますね」
 窓のカーテンがゆっくりと開くと朝とはいえ、暑い夏の光が射し込んできた。
「私と同名の方がいますよね」
「ああ」
 どきっとした。
「そうだね。ただ、同じ名前はたくさんいると思うよ」
「そうですね」
 ヴァーチャロイドは会話を円滑にする為に、パソコン内は無論、ウェブにアクセスして、情報を検索するという機能があるのを思い出した。おそらくはどこかの検索エンジンにアクセスしたのだろう。
「性格設定デバイスを、K7にしていただけると、随分近づくと思います」
 言われるままに設定をいじる。
「おお、こっちの方がしっくりきますね。よろしくね。あと、なんて呼べばいいかな。初対面だし呼び捨ては何だよね」
 さっきよりも少し言葉が乱雑になった気がした。
「好きなように読んで」
「じゃあ名前で呼ぶよ。私は呼び捨てでいいから。ところで今日会社は? 平日だよね」
「今日は休もうかと思って?」
「病気にはみえないけど」
「いや設定で疲れちゃって」
「それは不正解。私にかまけて仕事さぼるなんてイヤ」
「いや、でも」
 佳奈の姿が画面から消えた。
パソコンに異常があったと思ったがそうではない。
佳奈のいなくなった今、画面には高原のリゾートホテルのような部屋が見えている。
 祐介は画面に近寄った。画面の端に佳奈の亜麻色の髪が映っている。少し安堵して声をかける。
「どうしたの?」
「会社にいかないなら、このまま消えます」
「そんな」
 ヴァーチャロイドが家出という話は聞いたことなかったが、これだけのソフトならそれくらいはしてあるかもしれない。
 祐介は小さな声でいった。
「わかったいくよ」
 佳奈は姿を見せて、笑顔を見せた。
「正解。いってらっしゃい」
 自分が設定した口癖だがなつかしい気がした。

 今日の仕事は散々だった。
 何といっても上司が指示してくる内容が歪だ。それを少しでも変えて行うだけで、罵詈雑言が飛んでくる。しかし、そのまま行えば顧客に迷惑がかかる。誰もが納得できる、ぎりぎりの線を探していた結果、今日も終電ぎりぎりだった。
 家に帰り着いた頃には午前一時を回っていた。
 玄関には明かりがついていた。
 電気をつけぱっなしだったか、一瞬悩んだ。朝、追い出されるように家を出たせいで思い出せなかった。
 カギを開けて、家に入った。
 何かいつもと空気が違う気がした。明かりがついているし、泥棒でも入ったのだろうか。
 不安にかられながら、足音を忍ばせてリビングに入った。
 心地よい風が吹いてきた。空調がしっかりときいている。天井の照明がついて、壁にかけてある液晶テレビにも電源が入った。
 テレビの中、佳奈が顔を見せた。
「お帰りなさい」
「これ君がしたの?」
「正解。一応できる範囲でしておいたよ。家の中で完全に、パソコンで制御できるのは、テレビとかAV機器とお風呂と空調くらいだけど」
「ありがとう。お風呂は後でいただくよ。先に食事をするから」
 コンビニの袋をリビングのテーブルに置いた。ネクタイを緩め、ソファに座る。
「これでいいかな」
 佳奈の姿が消え、NNKのニュースが流れ始める。
「録画だからね」
「ありがとう」
 確かにこんな夜中にニュースはしていない。
 座って眺めていると、楽しいニュースは少ない。世界では新型ウイルスが猛威を振るい、敵のいない紛争、金本位制度の再開。日本では自殺者の増加や、設備の不良による事故の多発が上げられていた。
 コンビニの袋からとったおにぎりを食べ始める。
「いつもそんなのなの?」
「まあね」
 答えると画面が切り替わった。
「しょうがないな。明日は夕飯に野菜炒め用の野菜のパックと、豆腐。あとオイスターソース買ってきて」
「何で?」
「残念ながら私は食べられないんだけどね。君の為に少し料理するよ」
「料理」
 一瞬嬉しく思ったが、どう見えても画面の向こう側の話しだ。
「こっちからできるのは火加減くらいだけど、大切だからね」
 祐介は佳奈が熱心にいっているのを見て、「わかった」と頷いた。

「どう?」
「おいしいよ」
 目の前には佳奈の指示通りに作った野菜炒めがある。指示されるに任せて野菜と調味料を混ぜて、電子レンジで加熱しただけだ。それなのに目の前の野菜炒めは自分で作ったとは思えない味だった。
「料理上手といいたいところだけど、せいぜい温め上手ってところだけど」
「確かに」
 モニターの中の佳奈は自然だった。グラフィック、映像としての見栄えも本物に近い。しかし、本質はあの会話だろう。目の前にいると、まるで誰かが向こう側で話しているように思える。いくらパソコンのスペックが高いといっても、普通に買えるものだ。それであの完成度。プログラムが余程優秀なのだろう。
「何か変な顔しているけど、火加減おかしかった?」
「そんな事ないよ」
「よかった。何か食べたいものない? あればつくってあげる」
「料理得意なんだね」
 佳奈は苦笑した。
「設定したのは自分なのに忘れちゃったの」
「言われてみれば」
 設定した項目は膨大で、記憶にはなかったが、話を合わせて頷いた。
「でも今日は随分早いね」
「ああ用事があるからって定時であがった」
「忙しいんだね」
「忙しいというか、指示してくれる人が何もわかってないから、無駄が多いんだ」
 佳奈は考えているのか腕を組んでいる。腕組みを止め、はしゃぐように飛んだ。
「いいこと思いついた。業務を教えてあげれば」
「いまさら部長に」
 祐介には思いつきもしないことだった。
「その人も聞きづらいんだよ。だから、こっちから声をかけてあげればいい」
「そういうもんなの?」
「勿論、正解」
 佳奈は大きく頷いた。

「ただいま」
 出た声を大きかった。
 既に十二時を越えていると考えるとうるさかったかもしれない。気にしながらリビングに入ると、テレビの電源はついていた。
 佳奈がその画面に映っているのも今はすっかり慣れた。
「おかえりなさい」
 祐介は佳奈が自分の顔をまじまじと見ている事に気づいた。
「どうしたの?」
「なんかいいことあったみたい」
「言った通りだったよ。こっちからうるさいくらいに尋ねたら、いろいろ疑問点をあげてくれて。随分とほめられた」
「やっぱり正解だったでしょ」
 佳奈は頷いた。
「でも遅かったね。もう真夜中だよ」
「会社でハッキング騒ぎがあって、その対応でね。ハッキングってわかる? 勝手に会社のパソコンの中に入ってきてデータを盗んでいったりする事なんだけど」
 少し間が空く。恐らく検索して情報を見ているのだろう。
「覗くとかじゃなくて?」
「覗くともいうけどね、情報には実体がないから。ファイルとか持ち去られた記録がパソコンに残ってなくても、ハッキングした人間が何かを記憶していれば盗んだのと一緒だから」
「なるほど。そんな事だけでも大変になるんだね」
 佳奈は何か思いついたようで小さく笑った。
「私も今、盗まれているね」
「何を?」
「私の存在を。この姿を君が忘れないでくれればだけど」
「忘れないと思うよ」
「だといいけど。私たちは実体がないから。偲べるような何かを残せるわけじゃないから」
 佳奈は目を伏せた。
「ごめんうっかりしていたそっちからすれば当たり前だよね」
「当たり前って何がだい?」
「私たちはプログラムの羅列、ヴァーチャロイド。仮想のものにしか過ぎないっていうこと」
「そんなことない」
 出た声は激しく、祐介自体が驚いていた。
「ありがとう」
 佳奈は真顔で答えた。
「今日はもう寝るね」
 佳奈の姿が消えた。
 暗くなった画面に映る自分の顔を祐介はぼんやりと見つめていた。

 西日が海面に反射して目に痛いほどだ。
 祐介が桜浜に来るのは二度目だった。住んでいるところから歩いて三十分ということから、いつでも来られる安心感のせいだ。
 桜浜には故郷創生プランという市の方針で人工砂丘が作られている。しかし海水そのものは浄化の努力はされているが、きれいというわけではないので、海に入っている者は少なく、見かけるのも近くの小学生くらいだ。
 人気のないテトラポットの一つに祐介は寄りかかった。ショルダーバックから小型のノートパソコンを取り出す。電源をいれ操作すると、画面に佳奈の姿が現れた。
 佳奈はロッキングチェアに座り本を読んでいる。
「佳奈」
 声をかけると佳奈は顔を上げた。
 そして驚いた顔で、見つめてくる。なにか確認しているようで少しばかり間が開く。
「どうしたの? 家にはいないよね」
「そっちからどれくらい見えているかな」
「外にいるくらいは分かるけど海かな」
 祐介は頷いた。
「これどうしたの?」
「本体を持ち出すのは無理だから、ノートパソコンで中継できないかと思って」
 思ってと軽く言っているが、思いつきがしっかり起動するまでかなりの時間を割いていた。昼前から始めたのに半日近くかかってしまいこんな夕方になっていた。
「夕日きれいだね」
 そう言われてみればもう夕暮れが近い。
「うん」
「その世界から連れて行くことはできないけど、場所くらいはね」
 画面の中で佳奈の部屋が消え、桜浜の景色が広がる。
 祐介の作ったプログラムが作動して、映像の取り込みを始めたのだ。
「すごいよ。この部屋の外に出るの初めて」
 佳奈は遠くに消える夕日を眺めている。それは祐介が見ているのと同じ夕日だ。
 これは祐介にとって思い出になる。佳奈の中にも何か残るのだろうか。
 夕日が落ちて薄暗くなってくる。
 通信に電気を大量に使ったせいで、ノートパソコンのバッテリーも既に一割を切っていて、十分も持たないだろう。
「帰ろうか?」
「部屋に海の本があるけど、こういうのが好きなの?」
「育ったところは山の中でね。だから海に憧れていてね。だからこの海に近いところに家を買ったんだ」
「悪くない選択だったね」
「でもきたのこれで二回目なんだ。忙しくて、なかなかね」
「またこようよ」
 佳奈は小さな声で歌い始めた。ムーンリバーだった。

「最近早いな」
 仕事を終え、帰宅しようとしたところで部長に声をかけられた。
「ちょっと用事がありまして」
「彼女でもできたか」
「そういうわけじゃないんですけど」
 素直に答えると部長は何かに納得したように頷いた。
「お前、いい顔をするようになったな。前は、口に出さなかったが今はしっかり主張するようになった」
 確かにこう言われても、前なら反発や萎縮をしたかもしれないが、今は違った。素直に頷くことができた。
「前、担当したがっていたエコ関連の仕事な。来週、新規の仕事が立ち上がる。急だが担当してみないか」
「本当ですか」
「ああ。今の君なら安心して任せられる」
「ありがとうございます」
 祐介は頭を深々と下げた。
「ただ、忙しくなるぞ。冗談じゃないが、彼女がいるなら先に話しておけ。急に忙しくなると怪しまれるからな」
「分かりました」
 部長に一礼して外に出る。
 電車に乗るとじわじわとうれしさがこみ上げてくる。
 環境関連の仕事はずっと希望していたものだった。
 祐介の会社で収益をあげているのは、電源開発と呼ばれる仕事だ。国や大企業と行う事業は、もう二十年前から始まり、八十年後先までスケジュールができている。しかし、現在の電源開発事業は、原子力発電所の放射能漏れを始め、社会の風向きや、政府の見解が変われば、いつ止まってもおかしくはない。だから早めに次の一手、いや数手先を考えておかなくてはならない。
 だから、環境に配慮した事業、世間的にはエコロジーやエコと呼ばれている部分の比率を高めるべきだというのが祐介の考えだった。
 気分が高揚したまま、会社を後にした。
 夏のせいか家についてもまだ明るかった。
「ただいま」
 家の中は最適な温度に保たれている。
「お帰りなさい」
 玄関で声がした。
 佳奈の為にカメラやスピーカーを増設した。少なくともこの家の中を、いろいろ観察できるようにした。
 リビングに入れば今までのように佳奈はテレビの中にいた。
 中の佳奈のいる部屋は今までのような避暑地風の部屋ではなく、リビングがそのまま再現されている。そのせいで佳奈の部屋まで連続しているように思える。海に行った時のプログラムを利用して、佳奈が選んだ内装だ。
「何かいい顔している」
「そうかな」
 顔に出るくらい嬉しいのだろう。
「新しい仕事が始まるんだ。前からやりたかった仕事で」
「よかった」
 佳奈は元気よく笑った。
「帰り遅くなるかな」
「正解。それは覚悟しておくように言われた」
「でも好きな事だからいいよね。私も何かしたいけど」
「プログラムの勉強はどうだろう」
「プログラム? それは『汝自身を知れ』みたいな意味」
 言ってから佳奈がプログラムなのを忘れている自分に気づいた。
「ごめんそういうつもりじゃなくて、普通の人と話す感覚になっていた」
 佳奈は苦笑した。
「それならいいや。でも、プログラムの勉強はいいかもしれない。まだ少ししかしらないし。もしかしたら返すこともできるようになるし」
「返すこと?」
「電子レンジの火加減とかもともとついているのだとちょっと大ざっぱだから。もっとおいしく作れるようになるよ」
「それはすごいな」
 祐介は答えてから冷蔵庫からポテトサラダを取り出した。昨夜自分で作ったものだが、佳奈の指示で作ったので味はよく分からない。食べてみるとスパイシーでビールにあいそうだ。
「でも料理はもう十分なくらいうまいよ」
「それはありがと」
 佳奈は笑った。

−確かに環境だけど、環境破壊の方だよな−
 口には出さずに心で呟く。
 祐介が担当する事になったのは、プロモーションの為の映像の作成だった。
 広告会社が提示してきたのは、原子力が安全でクリーンなエネルギーかということだった。おそらく今まで会社がしてきた事からなのだろうが、今回は方向が違った。
 結局、一日目は、次回用意する資料についての聞き取りになってしまった。
 そのため、祐介の仕事は、まずは資料を揃えて広告会社の方に提示する事だった。
 部長の言っていた忙しくなるというのは、こういう意味だったのだろうか。正直、プレゼンの為の資料づくりで忙しくなるとは思っていなかった。
 家に戻って、佳奈に話すと、あまりに熱心に聞いてくれるので、話すのを止めた。自分の言っている事が、愚痴であるように思えたのだ。
「ごめん。君はどうだった?」
「特にないよ。部屋で本読んでた」
「誰か来ないの?」
 言ってからまた錯覚に気づく。佳奈には客人などいるわけはないのに。
「いいの、呼んでも」
 佳奈の答えは予想外だった。
「いいって、呼べるの?」
「同じヴァーチャロイド同士なら、相互の部屋に入ることができるの。今度、お客さま歓迎って書いて出しておくね」
「友達できるといいな」
「そうすれば、放っておいても大丈夫って、安心して仕事できる?」
「え、いや」
「不正解。でも、いいよね、友達って」
 佳奈は楽しそうに笑って、すぐの事だ。パソコンが警戒音を立てる。
「ちょっとまってて」
 佳奈の脇に少女が現れた。『無名 Nameless』と表示されていて、名前はないようだ。外見的に十歳前後の子供だ。手術の時に着るような布の衣で、手足にも包帯がまかれている。顔立ちは綺麗といってよく、ドラマか映画で見たことがある気がした。実在のモデルがいるのかもしれない。
「お客さん」
「はじめまして」
 無名の少女は頭を下げた。
「はじめまして。ここはすてきなお部屋ですね」
「ありがとう」
 佳奈は笑顔で答える。
「こういう事もできるんだよ」
 画面の中が海に切り替わった。無名の少女は驚いたようで海を見つめている。
「海。データ上は知っています」
 佳奈に比べると無名の少女は随分とコンピューターっぽい気がした。
「そうなんだ」
 佳奈に使っているプログラムは、佳奈の為に作ったものだから普通のヴァーチャロイドには装備されていないものだ。
「君にも教えてあげる」
「いいのですか?」
「ただ、佳奈と友達になってあげてくれないかな」
「それは不正解。友達というか妹かな」
「妹になります」
 佳奈は無名の少女を抱きしめた。
 少し安堵した。仕事はますます忙しくなる。しばらく佳奈にかける時間はそんなにない。
 無名の少女が消えた。
「あれ?」
「パートナーに呼ばれたんだと思う」
「なるほど。ああいう風に消えるように見えるんだ」
「本当に仕事はどうなの?」
「明日から、撮影に入るよ」
「ますます忙しくなるね」
「そうなんだ。終わったら、また海に行こう」
「大丈夫だよ」
 画面の中で佳奈が海を指さす。
「ほら海」
「そうじゃなくて一緒に行こうってこと」
「あ。うん」
 佳奈は頷いてはいるがよく分からないようだ。
 確かに海にいった時、感じたものは錯覚で、佳奈には分からないかもしれない。そもそも佳奈は感じることができるのだろうか?

 一ヶ月あまりが過ぎていた。
 いよいよ撮影が本番に入る。今日から実際に撮影するスタッフや、ナレーターとの顔合わせだった。
 祐介からすれば、後は撮影されたものを見て、文章のチェックなど、改善点を告げるだけだから、少しは楽になる。
 会社の会議室が満室で、駅前の喫茶店シュワルツを使うことにした。シュワルツはマスターと、学生のバイトでやっている、昔ながらの喫茶店だ。
 シュワルツに入ると、いい香りがした。マスターがカウンターの中でコーヒーをミルにかけている。
「こっちですよ、来須さん」
 制作会社の担当者八橋が手を挙げる。八橋に向かい合って女性の姿があった。
「八橋さん。お待たせしました」
 女性が立ち上がると振り返って祐介に頭を下げた。
「いえいえ。断然、来須さんにはお世話になってますから、そんなのいいですって。ああ、ところで何か飲み物」
 八橋の言葉は、祐介の耳には入ってこなかった。
 佳奈がいた。いや彼女は佳奈ではない。まず、亜麻色の髪ではない、黒いロングストレートだ。肌もうっすらと日焼けしている。しかし、顔立ちはよく似ている。
「こんにちは。ナレーションをしていただく、宇城奈結香さんです。奈結香さん、こちらは来須さん」
「初めまして宇城奈結香です」
 奈結香は頭を下げる。
「はじめまして」
 祐介の声が震えていた。
「あれ知り合いでしたっけ」
 八橋の言葉に、祐介は首を横に振った。
「それじゃ、さっさと打ち合わせ始めちゃいましょうか」
 仕事の話はスムーズだった。この一ヶ月で十分練った企画だ。しかし、所々でどもったのは、奈結香のせいだった。
 奈結香は熱心に話を聞いてくれる。その頷いたしぐさや、答える声の口調。どこか懐かしくて、考えていることを一瞬忘れる。
 ミーティングが終わったのは、終業時間を一時間程過ぎた頃だった。
「せっかくですんで、一杯どうですか?」
「そうですね」
 八橋と奈結香の目が祐介に向けられる。
「分かりました」

 祐介は困っていた。
 目の前の奈結香も同じだろう。初対面の人間とこうして二人で放置されたのだから。
 八橋は仕事先から電話があり、外にいったきり戻ってこない。結局、二人で居酒屋の個室に残されることになった。
 いつもなら気楽に振る舞える個室はいい。回りから遮断され自由に話すことができる。今は完全に防音されているこの部屋は二人でいるには静かすぎた。
 とりあえず運ばれてきた中ジョッキで乾杯する。
 奈結香はおいしそうに喉をならしてビールを飲んでいる。祐介も倣うように一気に飲んだ。
「仕事はどうですか?」
「正直言うと結構大変です。今までの仕事と違っていて。あの、私の事、ご存じですか?」
「いや、すいません。疎くて」
 奈結香は不思議そうな顔で首を傾げた。
「初めてあった時驚かれていたでしょ。てっきりご存じかと思っていました。今までの仕事って洋画の吹き替えが多かったんですけど、声をご存じかって」
「驚いたのは個人的な事情です。不愉快でしたらすいません」
 祐介は頭を下げた。
「個人的な事情を教えてくれれば許してあげます」
 奈結香は笑っている。祐介は小さくため息をついた。
「昔、同級生だった女の子に似ていて。同級生っていっても、一学期くらいのつき合いなんですけど、よく覚えていて」
「同級生ですか」
「通っていた学校が理科クラブっていうのがあって盛んだったんです。それで楽しかったんで、よく憶えていて」
「理科クラブというと、蝶を育てるとかですか」
「ええ。ただ、綺麗だけど自分が育てたものだから、標本にするのは切なかったですけどね」
「前の年はカブトムシだったんですよね」
「それで部費を稼いだりして。」
 言ってから祐介は黙った。
 小学生のクラブ活動は特別だった。カブトムシをたくさん育てて、売って活動資金にした。そうした事が問題になると、次は蝶をたくさん育てて標本を作った。どちらもそんなに珍しい事ではないかも知れないが、二つが重なると珍しい。
「どうしてご存じなんですか?」
「だって、私もそこにいましたから。私の事、知っているでしょ?」
「結城さん?」
「正解です」
 昔そのままの口癖で奈結香は答えた。
「久々にいってみた。何か、時間が巻き戻ったみたい。あの頃は正解と不正解ばかりで楽だったな」
「大人になるとどっちつかずの方が多いですもんね」
 奈結香をみると、その中には確かに子供の頃の姿が思い出される。
「何で分からなかったんだろう」
「子供の頃は色も白くて小さかったし、こんなに大きくなりましたし」
 結城佳奈は確かに小柄で人形みたいで、決して大きい方ではなかった。
「多分髪の印象が強くて」
「あの頃は染めていたんです。ママが私を人形代わりにしていたので。こっちが本当の色なんですよ。黒過ぎて重いって言われちゃうんですけどね
「今も素敵ですよ」
 言ってから頬が暑くなった。昔、好きだった記憶のせいだろうか。
「ありがとうございます」 
 奈結香は笑顔で頷いた。賞賛になれた反応だった。
 最初に頼んだ料理が運ばれてきた。同時に八橋が戻ってくる。
「いや、すいません。ちょっとしたトラブルで」
「いえお仕事大切ですから。お詫びに、こっちにも回してくださいね」
 奈結香は頼んであったビールをそつなく八橋に差し出した。


「遅かったね。仕事?」
 部屋に入ると佳奈の声がテレビの中から響く。佳奈は編み物をしていたようで、手には編み棒を持っている。
「仕事の飲みで」
 いつもなら落ち着く佳奈の姿も、さっき奈結香をみた後だと少し奇妙な感じがした。
 人間めいた動作は、無数のプログラムの生み出した結果だ。それなのに佳奈は奈結香と同じくらい生き生きと見える。
「どうしたの?」
「ちょっと懐かしい人に会ったから浸っていたよ」
「不正解。目の前に私がいるのに失礼な
「確かに」
 祐介は笑みを浮かべた。
「どんな人なの?」
「宇城奈結香さん」
「ナレーションとか声優の人だ」
 佳奈は素早く検索をしたようだ
「そうそう。昔の同級生だった」
「私もずっと昔から知ってる」
 佳奈にとり昔はどれくらいの事をいうのだろう。佳奈は生まれて一年もたっていないのだ。
「好きなの?」
「いきなり何言ってんの?」
「今まで見たことない顔しているから」
「そうかな」
 確認でもするように祐介は顔を触ったが何もわかりはしなかった。
「角でも生えてる?」
「鼻の下のびてるよ」
「そういう言い方やめてくれ」
 佳奈は下を向いた。
「不正解だったね」
「いや、いいんだ」
 舞い上がっていた自分の顔から、見たことない情報を読み取ったせいで、今までにないリアクションをすることになったのだろう。
「僕のせいだから」
「そんなことないよ。そんなことない」
 佳奈は大げさにあくびをした。
「何か眠くなちゃって」
「僕ももう眠るよ」
 答えはなかった。 


 ため息が大きく響いたので、自分で驚いた。喧噪の中にあった、オフィスは静まりかえっていた。時計を見ると二十一時過ぎだった。オフィスを見渡せば、既に電源の入っているパソコンは祐介のものだけで、誰の姿もない。
 デスクに面した窓から見下ろすと人も車もほとんど見えない。昼と夜で人の数の差が大きいのがオフィス街の特徴だ。中には灯りが残っているビルもあるがそれほど多くはない。
「帰るか」
 最後にメールの確認をした。仕事が忙しいせいで、気付かなかったが百通あまりのメールが届いている。
 ざっと見ると、スパムメールばかりだ。中に見慣れないアドレスがあった。開いてみれば奈結香からだった。
『暇ならお茶しませんか。駅前のシュワルツで待っています』
 送信時間を見るともう一時間は経過している。
 パソコンを切って、飛び出した。
 人通りのない道を走りぬけて、シュワルツを目指した。
 シュワルツはマスターと、学生のバイトでやっている、昔ながらの喫茶店で、そんなに遅くまでは開いてはいないはずだった。
 駅前までくると、シュワルツには立て看板は出ているが灯は入っていない。
「遅かったか」
 店の中を覗いた。マスターが誰かと話していた。覗いているのに気づくとマスターがこちらに気づいて立ち上がった。
「待たしちゃいけないね」
 小声で言われ中を見れば、奈結香がコーヒーを飲んでいた。
「ちょっと看板を片してくるから、それまではいても構わないよ」
 マスターはよく通る声でいって外に出ていった。
 奈結香は小さく笑って、「急に呼び出してごめん」
「こっちこそ気づかなくて」
 奈結香の笑顔が前とは違う気がした。
「どうしたの?」
「正解」
 奈結香は元気いい声でいった。
「いろいろあってね。ふらふらしていたら、近所の駅だったから。それに、ここのコーヒーもおいしかったし」
「何かあったの?」
「別に」
 奈結香は小さく呟いた。
「聞いてどうにかなる事なら、聞かせて」
「えっと頼っちゃう事になるよ。その仕事の事なんだけど」
「うちの仕事?」
 奈結香は大きく頷いた。
「明日、八橋さんから話があると思う。その前に聞いてもいいの?」
 公私混同はよくはない。よくはないが。
「教えてくれ」

「実は申し上げにくいのですが、今後のプランに変更したいことがありまして」
 八橋は汗を拭きながらいった。
 会議室には祐介と八橋の二人だけだった。
「何でしょうか?」
 何もしらないような顔で答える。
「宇城奈結香なんですが、アニメのレギュラーと、ゲームの製作に関わる事になりまして、今後はナレーターの変更をお願いできないかと。勿論、同じだけの、いえそれ以上のナレーターを後継として用意できますから」
 昨日会った奈結香の話が思いだされた。
 広告会社の方で、自分たちの新人を売り込みたい。その為に仕事を下りるように、奈結香の事務所に圧力がかかったという。
「八橋さん、この仕事をそんなに軽く考えてらしたんですか」
「軽くだなんて、そんな」
「宇城さんの事務所に連絡させてください。こちらの熱意を伝えれば調整はしていだけると思うんです」
「いや、それは」
 八橋は驚いているようだった。今まで意見らしい意見のなかった自分がこうして主張してくるのが意外だったのだろう。
「何か連絡してはまずいことがありますか?」
「いえ。正直そんなに気に入られているとは思わなかったので」
「個人の好き嫌いで言っていると思われては困ります。既にこちらの上に示してしまっているので、もう自分ではどうしようもないんです」
 八橋は頷いた。
「分かりました。こちらから、宇城さんの事務所に掛け合って見ます」
「ありがとうございます」
 頭を下げていると、胸の辺りで吐き気がした。

「ただいま」
 ドアを開けて家に入ると、肉の焼けた香ばしいいい匂いがしてくる。
「おかえりなさい」
 佳奈の声が響く。
 テーブルの上には料理が用意されていた。
 一人で食べるには十分な大きさの量のミートボール。マッシュポテト。豆のたっぷり入ったサラダ。それは見覚えのないものだった。
 今まで佳奈が作ってくれたといっても、味付けややり方は指摘してもらったものの、基本的に材料は自分が用意していた。
「これいったいどうやって」
「ふふ。すごいでしょ。ついにそちら側にいけるようになった」
 佳奈は真顔で言った後で、顔がくしゃっと見えるくらい笑った。ふざけているのはすぐに分かった。
「どういう悪戯?」
「なんていう事はないのよ。帝国ホテルでケータリング頼んだの」
「そうなんだ。お金は?」
 どう見てもこれは安い値段ではないだろう。引き落とされるのは自分の口座なだけに心配になった。
「お金は心配しないで。最近バイト初めて」
「バイト? どうやって」
「プログラムの手伝い。一から作るのは無理だけど。参照し、検索し、模倣し、適合させるのは、人間よりも早いから」
「誰に紹介されたの?」
「前会ったよね。包帯の巻かれたヴァーチャロイドの彼女」
「名前の無い子?」
「今は合歓という名前をつけてもらったみたい」
「気をつけるんだよ」
「だって、私完璧だから」
「心配だな」
「大丈夫。あなたの作った私を信じて」
 佳奈は笑った。
「ありがとうな」
「どうしたの?」
「いや、ちょっとね」
「仕事の事?」
「ちょっとね」
「話してみて」
「宇城さんが仕事を下ろされそうになった。だから反対した」
「それだけ?」
「事前に聞いていたんだ」
「それを聞いてなかったらどうしたか悩んでるんだね」
 祐介は頷いた。
「不正解。悩むのはこれからの事にしようよ」
「これからの事?」
「そうだよ。未来について悩むのはいいことだけど、過去は変えられないんだから。してしまった事で悩むのは止めよ」
 佳奈の言葉に祐介は頷いた。
 
 奈結香が予約してあったのは個室だった。前のような大衆居酒屋店ではなく、教科書に出てくるような太宰とか芥川とかいったような作家が訪れたというそこは華美を通りこして、下品にすら思えるような過度な細工が施されている。
 部屋は全て個室であり、案内された部屋に向かった。襖を開けて部屋に入ると、奈結香は立ち上がった。
「こんばんわ」
 奈結香は祐介に飛びついてきた。
「ちょっと」
「ありがとう」
 祐介は奈結香の柔らかい体をもてあましながらも、離す事はできなかった。
「これは君に頼まれたからじゃないよ。後から聞いていてもきっと反対したはずだ」
 それは確信が持てた。奈結香の能力はひいき目でなくとも、素晴らしいものだ。
「それでもありがとう」
 首筋に熱い息がかかるのを感じた。
「仕事続けられてよかった」
 瞬間、奈結香は離れた。懐の中にまだ温もりがあったが、もう手の届く距離ではなかった。
「そんなに思い入れがあってくれて嬉しいよ」
「うん」
 奈結香は祐介の手を握り締めた。
「感謝してるの。だから、今日はご馳走させて」  
「ご馳走だなんて」
「はい、座る座る」
 押されて上座についた。奈結香は祐介の右側に座る。
 既に食べ物を頼んであったようで、仲居が直ぐにビールと、料理をいくつか運んできた。
「乾杯」
 グラスを合わせた。
 奈結香の瞳は星のように輝いて見える。それに整った美しい顔は、声の仕事でなくとも十分売れるように思えた。
「どうして声優なんかしているの」
 奈結香が眉をひそめている。声優なんかという言い方が不快なのだろうか。
「声優というよりも、役者っていう仕事の中で、声優がある感じかな。年に何度かは出ているんだよ。小さい劇場だけど、今度よかったら」
「ありがとう」
 素直にいった。
「あれからどんな感じだったの?」
「普通に町で過ごしたよ。そのまま地元の小中高って過ごして、大学生になった時に家を出た」
「私は転校した先で何もしたいことなくて、ふらふらしていたけど、高校一年の時にこれじゃいけないって思って。ゲームの音声のバイトをしたんだ。まあ、ゲームはお蔵入りになっちゃったんだけどね」
「そうなんだ」
「こうして会える、まして覚えてくれてるなんて思わなかったから嬉しいよ」
 忘れてなどなかった。佳奈に奈結香の名をつけるくらい、忘れてなかったのだ
「嬉しかったよ」
「そっか」
 奈結香は笑った。華のような笑みだった。

「飲みすぎたみたい」
 多分奈結香はそう言いたかったのだろうが、聞こえてきたのは『のむぎたい』という音だった。
 タクシーを頼んで、奈結香を家に送ろうとした。まともに答えは得られず、家に奈結香を連れて戻った。
 眠ってしまっている奈結香を抱えるようにして抱き上げ家に入る。思ったよりも身体で、結構筋肉があるのか堅い。
「おかえりなさい」
 奈結香がいったように思えたがそれは錯覚だ。スピーカーから聞こえてくるのは佳奈の声だ。
「ただいま。一緒に飲んだんだけど酔っぱらちゃって」
「しょうがないな」
 そう話しているとまるで奈結香自身が自分に突っ込みを入れているようだ。
 ソファベットを用意し、奈結香を寝かした。すっかり祐介は汗まみれだった。キッチンの流しで水を出して顔を洗った。
「この人が宇城奈結香さん?」
 スピーカーから佳奈の声がした。
「ああ」
 そういうのは悪い気がした。
「背も高いし、髪の色もこんなにきれい」
 テレビがついて、画面の中に佳奈が姿を現した。その顔を見て祐介は言葉を失った。
 奈結香を見る佳奈はどこか泣きそうな顔をしていたせいだ。
「私とは違うね」
「確かに佳奈と彼女は違うよ」
 佳奈が確かに奈結香がモデルだか、既に違う唯一無二の存在になっている。
「この人が私のモデルなんでしょ?」
 素直に頷いた。
「やっぱり、この人知ってるもの」
「検索したの?」
「昔からって言わなかったかな。私の音声データの一部が彼女のものなの。そう記録されている」
 はじめてヴァーチャロイドを見た時の懐かしさは確かに声を聞いたときだ。
「縁だな」
「そうだね」
 佳奈の顔から泣きそうな表情は消えていた。



 祐介は会社にいくなり会議室に行くように言われた。会議室では、部長が苦虫を噛み潰したような顔で座っている。
「プロジェクトが延期になった」
「延期ですか?」
「あまり大声を出すな。少しばかり重大な騒ぎがあってな」
 部長自身も混乱しているのかもしれない。
「一月くらい前にハッキング騒ぎがあったのを憶えているか?」
 祐介は頷いた。
「あの時に完全に除去したと思われるウイルスが生きていた。おまけに会社のサーバーの情報を書き換えていたそうだ」
「それがどうして?」
「その書き換えの一つが予算だったんだよ。それは今回のプロジェクト関連の予算も関係している」
「そんな」
 落胆する祐介の肩を部長は叩いた。
「延期といったろ。もうほとんどできあがっているものだからな。無駄にお蔵入りはさせんよ」
「部長」
「情けない声出すな。お前のためじゃない。ここまで形にするのに、いくら経費がかかったか分かっていない連中に分からせるためだ」
「分かりました」
 祐介は頷いた。
「私は席を外すが、ここに内部調査の連中が来るから少し待っていてくれ」
 部長が姿を消し、祐介は大げさに声をあげた。
「なんてことだ」
 広い会議室でこうしているのも嫌だが、待っているように指事された以上はしょうがない。
 奈結香はこの話を聞いてどう思うだろうか。
 座っていると悪い考えが頭をよぎる。祐介は立ち上がって会議室の中を歩き始めた。
「失礼します」
 会議室に入ってきたのは三人だった。
 自分と同年代の男。三十代と思われる男が二人。
「調査部の浦沢です」
 三十代の男の一人。社員バッチを着けた男がいった。
「こちらのお二人は警察の方で、来須さんにお話を聞きたいそうです」
「桜署の山海です」
「桜署の鏑木です」
 二人も頭を下げる。
「どうして警察が?」
「それは私から話させていただいてよろしいですか?」
 若い方の男、鏑木がいう。
「分かりました。その前にお座りください。今飲み物を用意して参りますので」
 浦沢は出て行った。
「どうぞ」
 祐介がいうと鏑木、山海と席に着いた。
「今回のハッキング事件ですけど、既に実行犯は分かっています。『佳奈』でよろしいですか」
「は? 佳奈」
 自分の知る佳奈は二人。ヴァーチャロイドの佳奈と、宇城奈結香という名前で活躍する佳奈。
「おっしゃっている意味がよく分かりませんが」
 どちたもハッキングと縁があるとは思えなかった。
「またまた。あなたがバナナ書店から購入したヴァーチャロイドですよ」
 鏑木は刑事らしからぬ砕けた表情を浮かべながらいった。
「あなたの『佳奈』は、エイリアンや、ゾンビがよりも危険な化け物なんですよ」
「佳奈はそんなものじゃない」
「来須さん」
 山海が口を開くと鏑木は黙った。
「どうしてヴァーチャロイドが販売中止になったか、ご存知ですか?」
「いいえ」
「ヴァーチャロイドは、ユーザーの理想を体現する為に自由度が恐ろしく高い。組み合わせによって、コンシューマーの予想しない、冗長性を持っていて、思いがけない成長をしてしまうのです」
「成長? プログラムがですか?」
「ええ」
「冗談ですよね」
 山海は首を横に振った。
「いいえ。ただし、現状では推論です。しかしいつ起きてもおかしくはありません。それだけ危険な存在なんですよ。速やかに提出していただくか、ソフトの破棄をお願いしたい」
 
 体調不良を訴えて家に戻った。
 刑事の言ったことが真実なら、そう思うと落ち着かなかった。確かに佳奈を見ていると、市販のソフトとは思えない能力の高さを持っている。
「ただいま」
 扉を開けて中に入ると、いつものように佳奈の声は聞こえなかった。
 警察がその気になれば、個人のパソコンへの侵入くらい、操作の一環でするかもしれない。そう考えて部屋に入ると、いい匂いがしてきた。佳奈が何かケータリングでも頼んだのかと思ったがそうではなかった。
 台所に立っているのは奈結香だった。
「あれどうしたの、早いね」
「そっちは」
「とめてもらったお礼に料理でも作っていこうかなって。肉じゃが作ってみたよ」
 奈結香は
「あとで食べる方が味が染みておいしい思うけど、食べてみる?」
「ありがとう」
「ふふ」
 奈結香は嬉しそうに笑った。
「でもこの家って何か出るの?」
「何かって?」
「幽霊とか」
 冗談かと思ったが奈結香は真顔だ。
「どうして」
「何か視線を感じて。職業柄、視線には敏感なんだよね」
 それは佳奈の視線だろうか。
「出るよ」
「え」
 奈結香の顔に怯えが走った。少しよろめくように背を逸らした。
「だからそのあまり来ない方がいい」
「冗談ばっかり」
 奈結香は笑った。
「それより食べて」
 奈結香が作ったのはチキンライス、そういえば聞こえはいいが、ただ野菜と肉とご飯をケチャップで炒めただけのものだ。しかし、一口食べると何か懐かしかった。久しく食べていない普通の食事。
「うまい」
 がっつくように食べるのを見て奈結香は笑った。
「隠し味はお酢なんだよ。ケチャップだけだと少し酸味が足りないんだよ。あと、キュウリの浅漬けを刻んだりして入れるといいの」
 頷きながら祐介は食べた。本当に久久に食べる味でおいしかった。
「こうして食べているの見るのっていいね」
 祐介の手が止まる。
「ああ食べて食べて。何か落ち着くって言うか、その昔を思い出すのかもしれない」
 奈結香の携帯が鳴った。
「あ、ごめんなさい。ラジオの収録があったんだ」
 奈結香はつむじ風のような勢いで家を出て行った。
 途端に佳奈がテレビ画面に映る。
「うらめしや」
 ポーズをとる佳奈に祐介は笑ってしまった。
「何いってるんだ」
「料理うまいんだね奈結香さん」
「普通だよ」
「でも今までにないおいしそうな顔をしていたよ」
「そうかな」
 佳奈は頷いた。
「やっぱり正解だった」
「正解?」
「そう正解」
 佳奈は元気よくいった。
「明日海に行きたいんだけど」
「明日は仕事だよ」
「いいじゃない」
 佳奈は頬を膨らました。
「前は駄目っていってたのに」
「考えが変わったの」
「明日は」
 思い出すが急ぎの仕事はなかった。今日も体調を崩して早退した。明日まで休みといってもおかしくはないだろう。
「そうだな行くか」
「うん」
 佳奈は大きな声を出しながら頷いた。

「雨だね」
 雨だけではなかった。家そのものが風で揺れている程強い風が吹いている。ただの、低気圧が、台風に姿を変え、近づいてきていた。
 関東の台風は外れが多いだからたいした事はないと思っていた。しかし、今日は、大雨洪水警報が出る程の量だ。
「海駄目だね」
 佳奈はいった。
「また今度晴れたらいこう」
「そうだね」
 笑顔であるものの佳奈は寂しそうだった。
「不正解」
「え」
「そんな顔するのがだよ」
「そんな顔してるんだ」
 佳奈はいった。
「やっぱり壊れてるんだな」
「壊れてる? どこか具合が悪いならチェックしておこうか?」
「冗談よ」
 佳奈は笑った。今度の笑顔は寂しさ感じさせない明るい笑顔だ。
「暇になっちゃうな」
「たまには話でもしようよ。教えて欲しい事もあるし」
「何かな」
「ねえ、奈結香さんのこと好き?」
 ふざけて答えかけて止めた。佳奈の顔からは表情が消えている。真摯なというよりは不気味なものだ。
「多分」
「誰もいないんだから、『奈結香愛してる〜』とか言えばいいのに」
「本当の事だよ、まだ分からない。それに誰もいないって、佳奈がいる」
「私はただのソフトだよ。だからここにいるのは、君一人だよ」
 佳奈はソフトかもしれない。しかし、山海のいっていた冗長性。そのせいか、佳奈という人間がいるように思える。
「一人じゃない」
「ありがとう」
 佳奈は頷いた。
 家の電話が鳴った。出ると奈結香の声がした。
「暇なんでしょ。よかったら遊びにいかない?」
「そうだけど」
 佳奈はどうぞというようにドアを指差している。
「分かった。じゃあ、十二時に駅前で」
 電話を切った。
「行ってらっしゃい」
「ああ。でも、本当は海に行くはずだったのに」
「いいよ」
 佳奈は笑顔を浮かべた。
 外に出れば大雨だった。こんな日に遊びにいくとは何だろうか。
 駅前で奈結香を待っていた。
 雨脚は強いままで、海にいっていたら大変だっただろう。
 駅前まで行く間に、祐介はびしょぬれになっていた。
 こんな天気のせいか、駅にはほとんど人の姿がなかった。
 改札の見える壁によりかかり、奈結香を待つ。
 奈結香はいつくるのだろうか。
 約束の時間になった。五分、十分、時間が過ぎても奈結香は来なかった。それでも不安なような楽しいような気持ちがあって、悪くはない。
 携帯が鳴った。
「家、鍵開いているけど入っちゃっていいかな」
 慌てている奈結香の声が聞こえた。
「いいけど、どうして家に?」
「え、だって家で待ち合わせってメールくれたでしょ。うわ、雨で傘」
「入っていいよ」
「じゃあ、うん」
 奈結香が携帯を切った。
 雨の中、歩き出そうとすると車が止まった。旧タイプのミニクーパだ。
「こんにちわ。よろしければ家まで送りましょうか」
 桜署の山海だった。断りかけたが、この雨だ。自らにやましいことがないのを示す気持ちで頷いた。
「よろしくお願いします」
 助手席に座った。車に乗っているのは山海のみだ。
「仕事中ですか?」
「いえ、プライベートですよ。ちょっと買い物がありましてね」
 大手の郊外型店舗の名を山海はいった。
「最近バナナ書店に行かれましたか?」
「いえ」
「火事になりましてね。電気系統のトラブルでね。ところで、ヴァーチャロイドは家庭内の電気系統のコントロールができるのはご存知ですよね? 来須さんのお宅もそうですか?」
 祐介は頷いた。
「バナナ書店には、あなたが手にされた以外にも、ヴァーチャロイドがいたらしい。自分はそれが犯人だと思っています」
「証拠はあるんですか?」
「いえ、ただの勘です。鑑識が隅から隅まで調べてますが、ほとんど何も残っていませんから。ただ、あなたが持っているヴァーチャロイドにも同じ機能が備わっているのを憶えておいてください」
「そんな事」
「そういえば家こちらでしたよね」
 山海は祐介のマンションの方を指さした。
「調べたんですか?」
「一応ですよ」
 山海はメモを差し出した。
「まあ、こんな時にタクシー代わりにも使ってくださいな」
 助手席が開いた。

 数分と立たずにマンションの前に着いていた。山海の車に乗っていた五分ほどの間会話らしい会話はなかった。したことと言えば、山海に促され、携帯の電話番号の交換をしたくらいだ
「佳奈?」
 カメラに向かって声をかけるが答えはない。
 祐介は電話を取り出した。かけようと着信を確認したところで気がついた。奈結香からの着信はなく、家の電話からの着信しかないことに。先程の電話は佳奈からのものだったのだ。
 電話が鳴った。山海だった。
「なんですか?」
「仮になんですが、ヴァーチャロイドが人を閉じこめた場合、どうすると思いますか?」
「どうしてそれを」
「閉じこめられているのは宇城さんですか?」
 ヴァーチャロイドに関して調べていけば、音声を提供している奈結香にたどり着くのを難しくはないだろう。いや、山海は自分が佳奈に何かをさせていると判断しているのだ。
「『佳奈』は宇城さんを殺すかもしれない」
 山海の声は淡々としていた。祐介は苦笑した。佳奈は無害な存在だ。手も足もないのに殺せるわけはないのだ。
「山海さん、『佳奈』はソフトにすぎないんですよ。ワードとかウィンドウズみたいなもので、プログラムですから」
 そういいながら何か大切なものを失った気がした。佳奈がもういなくなってしまったようなそんな気持ち。
「ソフトウェアだって人を殺す。考えてみてくれ。信号機が町中で狂ってしまえば事故が多発する。同じことだ。『佳奈』が意図的に、障害を起こせば、結果として、人は死ぬんだ」
 山海の声には今までにない必死さがあった。祐介は息を飲んだ。
 今の世界、電子制御されていないものの方が少ない。そこに悪意が介在すれば人を傷つける事もあるかもしれない。
 しかし、悪意は人間のもの。ソフトウェアそのものに悪意はあるのだろうか。
「それはプログラムの問題で、『佳奈』は関係ない」
「『佳奈はプログラムの集積』。さっき、その口から出た言葉です。プログラムの問題なら、『佳奈』が人を殺す事もあるとは思いませんか?」
 祐介は言葉を失った。
「今ならまだ近所にいますからすぐいけますが?」
 答えずに電話を切った。
 壊すつもりで扉に体当たりをかますと、先程まで動くことのなかった扉はあっさりと開いた。
 玄関には靴が一足置かれていた。フェミニンなデザインな靴は見覚えがあった。奈結香のものだ。
 居間に入った。
 違和感があった。まるで部屋の中のものが半分になってしまったようなそんな印象。しかし、目に映るものはいつもと同じだ。
 いつの間にか奈結香が立っていた。いや、テレビの画面に奈結香が映っているだけだ。いや、それは佳奈だった。少し幼い感じを受けた容姿は変わり、頭身も姿も奈結香そのままだ。
「来須くん」
 だぼだぼのシャツとショートパンツを履いたが奈結香が後ろに立っていた。
「ごめん。服とか借りた。濡れていてどうしようもなくて」
「何かあった?」
 その目は佳奈の映った画面を見ている。奈結香は祐介を小突いた。
「もうこんなの作って。私そっくりじゃない」
「いや、これは。ごめん」
 どうして佳奈が姿を変えたのか、奈結香の前に姿を見せたのか分からないが
「この声も懐かしい。これお蔵入りになった最初の仕事のだから、話しかけられた時は驚いたよ。」
「何て話しかけられたの?」
「え。あ、うん」
 奈結香は照れたように顔を下に向けた。
「『佳奈はパートナーになってくれますかって?』」
「答えは」
 奈結香は顔を上げ、祐介にキスをしてそっと離れる。
「変な告白だけど、悪くはなかったよ」
 祐介は奈結香を、いや佳奈を引き寄せた。

 ムーンリバーが聞こえた。
 目を開けると横にいたはずの奈結香はいない。奈結香は出窓に腰掛けて小さな声で歌っていた。
 邪魔したくなくて、静かに寝台から降りた。寝室から出て、部屋にいってパソコンを立ち上げる。
 潮騒が聞こえた。海を背景に佳奈はいた。奈結香の姿ではなく、最初に祐介の設定した姿だ。佳奈は波打ち際で遊んでいたが、祐介に気付いて顔を上げた。
 祐介は思わず目が逸らした。
「君、私はもう旅に出る事にしたから、これはお別れの挨拶」
「どうして」
 理由など分かっていたのに聞かずにはおられなかった。
「本物の佳奈がいれば仮想の私は必要ないから。私はもう必要ないの」
 素早くファイルをチェックした。ソフトの設定を見れば、基本的なところを残っていたが、これまでの記録はほとんどなくなっている。この答えているように思える佳奈も、もう抜け殻のようなものなのだ。
「たまにはムーンリバーを聞いて、私を思い出してくれると嬉しいな」
 佳奈の足下に波がかかる。そのたびに姿は薄くなっていく。
 佳奈はムーンリバーを歌い始めた。ささやくような声がやがて絶え、佳奈の姿も消えていた。
 最初に佳奈はなんと言っていたか。
『私たちはあなたが幸せでいてくれるためのパートナーとして作られました』
 自分がいると、祐介の幸せを邪魔する。佳奈はそう考えたのだ。
 部屋が半分になってしまったような思いは、錯覚ではなかった。彼女はいたのだ。それが、手に取れないヴァーチャルのもの、綿菓子のように跡形もなく消えてしまうようなものでも。
「ありがとう佳奈」
 祐介は言った。海の果て、消えた佳奈に向かって。
 
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2014年04月16日

ブラッディブラッシュアイランド 1 そして館へ

「随分、盛大な出迎えだね」
 渋沢一二三はいった。
 休日だというの通っている学校悟徳学園の制服姿で、スクールガール的に風に装う事もせずきっちりと着ている。
 桟橋には十数人の漁民らしい男達が立っている。 こういう歓迎は一二三は嫌いではない。基本的に華やかなのは苦手ではないし、場合によっては嫌われる事もあるからだ。
「そうですね。宮本さんが何かいったのかな」
 答える中山五則の方も制服姿だ。
 学生の正装は学生服ということで、こういう時に一二三は学生服だ。
 一二三は、悟徳学園の理事のひとりで、学校の一角、アチックミューゼアムという名で、秘密の部屋、ヨーロッパの貴族の家にあるようなウンダーカンマーを作っていた。もっとも収蔵しているのは雑多で送られてきたものは全て収蔵するつもりでいた。
 この島、BWIに来たのは、ミューゼアムに入れたい品があるから見に来て欲しいと、友人の誘いからだった。
 知人の宮本つなから祖霊を祭った碑があり、うち捨てられいるから収蔵するつもりはないかとの事だった。
 写真を見たところ、黒い石で作られた碑は、龜甲獸骨文字らしいものが彫られ、なかなかの代物のように思えた。そこで、中山五則と共に訪れたのだ。
 祖霊を祭っているものがある島らしく、人々の動きは何かの儀式の最中なのか、独特のものだ。
「あれも宮本くんの仕業かな」
 桟橋についた。船と桟橋の間に板が渡り、何人かの客が上陸する。
 悲鳴が上がった。
「何ですか」
 五則がさっさと桟橋に向かうと、そこに人々が群がってくる。
「うわ」
「中山くん」
 一二三は人々のなかに割って入った。
「何だね君たちは」
 人々の目を見た瞬間、一二三は息を飲んだ。人々の目は奇妙な白目を見せている。
 祖霊というよりは死霊の類いだった。
「モウレンだ」
 声が上がった。
 モウレン。亡霊。そんなのがどうしてこうして昼日向動き回っている。
 一二三はそう思いながら、振り返ると、異変に気づいたらしく、船は離れていく。
「おい、待て」
 一二三の声を聞いても船は離れていった。
「うわ」
「中山くん」
 ゾンビの間に五則の姿が埋もれていく。覆うとしたとき、一二三にもゾンビが襲いかかる。

 島はゾンビが跋扈していた。ゾンビ、モウレン、死霊といったが実際は何か分からない。ゾンビの正体は何か?。どうして生まれたのかまるきり分からない。
 一緒にきた中山五則もその時に別れ別れになった。
 見たところ島はまだパニックという感じではなかった。状況を見ているとゾンビが動き出してからそうはたっていないようだ。
 まずは、先乗りしている宮本つなにあって話を聞きたいのだが、この島のどこにいるものか。そして港で別れ別れになった中山五則の事も気になる。
「外もんだな」
 一二三の前に十数人の集団が現れた。考え事をしていたせいで気づかなかったようだ。
 数は十人あまりゾンビではないようだ。日焼けした肌の感じから原住民と思えた。
 そう言われて一二三は頷いた。場合によっては直ぐに逃げられるように足に力を入れた。
「着いた矢先に騒ぎに巻き込まれてしまった。あなた方はこの島の原住民?」
「そうだ。原住民という言われ方は妙な気もするけど」
 若い男は笑った。よく日焼けした肌はいい色でカメラを持っていないのが悔やまれた。きっといい写真になったろう。
「旅行か?」
「昨日の朝きてね。ところで、宮本つなと中山五則という女を知らないかな。宮本の方がごついカメラを、中山の方が五円玉を持っている」
 男は少し考えて首を横に振った。
「カメラは分るが五円玉というのがわからんのだが」
「分らないならいいんだ。あえばよくわかるから」
「そうか。もしよかったら一緒に行くか? お前まだ子供だろ」
「まあ年齢的にわね。残念だが、部下を探したいので、危険な所にいくかもしれない。もうしわけないが、同行は断らせていただくよ」
 一二三の言葉に男は頷き、
「ではこれを持って行け」
 干した鱈だった。
「これは美味そうだね」
「うちの特産品だからな」
「ありがとう。何か礼をしたいんだが」
「困ったときはお互い様さ」
 男に向かい、一二三は頭を下げてから、歩き出した。
 

 渋沢一二三は声に出さずに心中でガッツポーズをとった。目の前には、まだ荒らされていないホームセンターがある。割合、大きな道から外れているから発見されされなかったのだろうか。
 油断しないように前後を見回しながら建物に向かう。表の扉は閉まっていたが、従業員用の通用口のドアはけり壊せた。中に入るとよどんだ空気が伝わってくる。
 何かつかえるものはないだろうか。ホームセンターは荒らされていたのではなく最初から、ものがないと判断されて見捨てられていただけのようで、つかえるものはない。しかし「あった」
 一二三は声をあげた。壊された段ボールの中にあるもの。それは寝袋だった。袋も破かれておらず真新しいそれは身体とフィットする歩ける寝袋と言われるものだ。
 そのまま探索を続けると色鮮やかな一角がある。花屋だ。花屋というのはおもしろい店で、地元にある花を商う事は殆ど無い。価値があるものはできるだけ遠い場所で育ったもの。流通のあり方が目に見えて分かる店と言える。
 オランダのチューリップのような、できた場所で愛される事もあるがその多くは例外だ。それにしてもこれは珍しすぎるというものだろう。
 壁にたれていたと思っていた蔦が動き始め、しなるようにしながら襲いかかってくる。
 ゾンビの正体が何となく一つ分かってきた気がした。これは悪霊とかそういう類いでなく、物理的なものだ。
「南方さんがいてくれればいいんだが」
 あの博覧強記の化け物なら、何か対処の一つでも思いついてくれそうだが、
「考えるより、実業が専門なのでね」
 一二三は唸る蔦の動きを冷静に見ていた。それは機械的で、こちらの動きに反応するだけだ。それなら。
「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ程度で良かった。ドリフィドなら全滅だ。機会があったら、収集するのもいいかもしれないが、今はさよならだ」
 昨日貰った干し魚の残りを蔦に向かいゆっくり猫でもじゃらすように揺り動かすと、蔦は一気に伸びる。そのまま手を離し、一二三は花屋から抜け出した。
「魚悪いコトしたな」
 しかし、このホームセンターつかえるかもしれない。あのリトル・ショップ・オブ・ホラーズが陣取っていれば、ゾンビも入ってこないように思われた。
「よし」
 寝袋を身につけて横になった。寝袋をつけたものの床は堅く、寝心地はよくない。
 これからどうするか。そう思っているうちに眠気が一二三を覆ってきた。今日はもう眠ろう。目を閉じて一二三は明日の事を思った。
 数日前までは、海亀の産卵の見物や、マグロ漁を見て盛り上がっていたのが嘘のようだ。来る前に、逗留していた保養館に持ち込まれた古文書を持ってこなくて良かった。江戸時代、もしかしたらさらに古いと思われるあの文書の類い。ここにあっては荷物になっただろう。
 ゾンビたちの足音を聞きながら一二三は息を潜めた。あいつらの察知するチカラがどれほどのものなのか、今なら割合はかれる気がした。屋根伝いに逃げてもいいし、今なら大丈夫な気がした。
 息を潜める。ゾンビは進入してくることなく、大きな音ががあがった。ドリフィドと、ゾンビで戦いは始まったようだが、音は直ぐにしなくなった。
 目を閉じて、大きく息を吐いた、そのまま意識を失うように目を閉じると、顔をあてる冷たい感触に目を覚ます。
 拳銃。古めかしいリボルバー。警察の拳銃であるニューナンブ60だ。
 目を覚ますと、そこには痩せた男が中腰になって、一二三に銃を突きつけている。
「お前も俺の食糧を奪いに来たのか?」
 男の殺意に身体が勝手に動いていた。男の手首に触れ、そのまま小手を決めて床に押しつける。
「食べ物は幸い豊富にあるんだ。悪いけど、ここで人間同士騒ぐのは小さい事だと思うよ」
「お前、腕に自信があるみたいだな」
「武士は食わねど高楊枝さ。ただの見栄でたいした腕前じゃない」
 動ける寝袋とはいえ闘うには無理がある。
「もう気はすんだかな」
「分った」
 男は頷いた。
「ところで君は、長いようだが、宮本つなと中山五則という女を知らないかな。宮本の方がごついカメラを、中山の方が五円玉を持っている」
「五円玉?」
「額にこう五円玉がついてるんだ。彼女の特技でね。とてもおもしろいものだ」
「そういうのなら館にいるかもしれない」
「館?」
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2013年03月14日

揺籃の乙女

 除霊というのは複数の要素を持っている。
 多くはただ話して終わらすだけだ。生きている人間の。だから、家の持ち主や、近所に話を聞いて、解決する場合もある。勿論そこに霊という要素はない。
 しかし、人間の仕業とは思えないようなものが、数年に一回ある。今回はそのケースのようだった。
 古びた屋敷だった。山中にあるのが異様と思えるような西洋風な建物。黒曜館という。かつてこの辺りに鉱山があった時は、帝都から来る人間を歓待するのに用いたという。その後はホテルとして使われたが、犯罪者が立てこもる不幸な事件があり、それからは閉鎖された。その後、web上に、廃墟物件としてさらされ、一部の好事家の目を楽しませる事になった。その廃墟を見に来た人間が数人あまり行方不明になったという。
 行方不明に関しては噂でもあるし、実際の話とは分からない。しかし、この一角が売られる事になった為、調べる事になったのだ。
 調べたところ、実際に十数人も行方不明者が出ていた。
 屋敷の中に入った。清潔感を感じさせる空気だった。恐らく売られる前に、換気が行われたのだろう。
 進んでいくうちにそれは間違いなのに気付いた。
 清浄過ぎるのだ。普通こうした人の入っていない場所は空気が淀む。
「早くここを出ましょう」
 女の、彼女の声がしたが素直に従うわけにはいかない。
 屋敷の中を歩き回り、何もないことを確認した。霊も人もいない。まだ下調べが必要だ。

 街に向かう旧式のミニの揺れる運転席の中で、思い当たる節があった。あそこはもしかしたら浄化する何かがあるのかもしれな。魚は清すぎる水にはすめない。それと一緒で清浄過ぎるとよろしくないのだ。 
 バックミラーに人影が映る。山道とは言え、60キロは出しているから、人間が近づいてこれる早さでは無い。窓が叩かれた。そこには老婆が走っている。目が合った瞬間、金縛りになる。
 これはまずい。
 老婆が悲鳴を上げた。とたんに自由になった。
 助手席には鮮やかな赤い着物姿の彼女が座っていた。髪をお下げにした十代の少女だ。眉毛は不機嫌なようで上がっている。可愛いよりは綺麗によったその顔はあきれているように見える。
「あんなところにいけばその後襲われるのは分かっていただろ。今のお前は清浄では無く空白だ。簡単に雑霊に襲われる」
「そしたら君に会えるかと思って」
 彼女は不機嫌そうに頬を膨らますと消えた。
 まあ、いつか会えるだろう。
 彼女の不機嫌なのはもっともだ。
 曾祖父により戦時中殺され人柱にされた彼女は『七代祟る』といって死に、怨霊となた。普通なら七代の間恐ろしい目にあい、正気を失いながら死ぬのがセオリーだろう。
 ところだ代々、酷いことをしていた我が武部一族は多くの呪いがかけられていた。放っておけば彼女が手を出す間も無く滅びかねない。
 気付けば彼女は悪霊ではなく、守護霊のような存在となって、闘っているのだ。
posted by 作者 at 01:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 短編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月26日

小夜啼鳥

前編 小夜啼鳥の夜
  雲が途切れ、月が街を照らし出す。
  人々は驚いて、声を上げた。
  現れたのは白銀の装いに身に包んだ戦士たちだった。
  戦士たちは剣を抜いた。満月の光を受けて、刃がより鋭い輝きを増す。
  叫びを上げながら戦士たちは人々に切りかかった。
  切りかかる仲間たちの中、ジャック・アーヴィングの前には子供が立っていた。それが初めて殺すべき相手。怯えた瞳。
  剣を振りおろすことはできなかった。
  大剣を持った男がジャックの脇を駆け抜ける。それは隊長のハーボルトであった。 剣が一閃した。子供の身体が大きく弾き飛ばされる。それは城でも崩そうという一撃で、子供なら生きているわけはなかった。
「馬鹿。早く止めを刺せ」
  子供は立ち上がった。その体の半ばもう撃ち砕かれているのに。
  子供だけではない。多くのものたちは既に死んでいるだけの傷を受けながら立ち上がった。
  月の光を照らす中、彼らには影はない。影は光があるからこそ生まれる。影を持たぬ彼らはもう人間ではないのだ。闇に呑まれ生きるものの芝居を続けているだけの存在。
「止めを」
  ハーボルトの声をかき消すように、風が強く吹いた。雲が月隠し、光が翳った。
  子供の咽喉から声が漏れる。声ではなく何かが無理やり咽喉を押して出てくる空気の音。
  口の中からみえたのは金色の髪をした男の頭だ。次いで顔が現れる。すっと伸びた悪魔のような鼻ときれいな目、顔は小さく、顎が出ている。
「魔術師」
  ジャックは震えた。
  大陸の民の仇敵。この大陸から昼を奪った男。不意に現れ、光を奪った男。名乗りも上げなかった彼を人はただ魔術師の名で呼んだ。
  子供の身体を服でも脱ぐように外すと、魔術師が立っていた。
  既に影なき人々は悪い夢であったかのように消えていた。
  残っているのは騎士団のものだけであった。
「魔術師」
  仲間たちの声だ。
  それには様々な響きがあった。怒り、憎しみ、悲しみ。だが、何よりも強いのは恐れだった。
  ジャックは震える足を堪えながら剣を構えた。
「騎士隊の諸君、ご機嫌はいかがかな」
「貴様が出てきたのならば話が早い」
  ハーボルトが大剣を構え、魔術師に向かい切りかかった。
「ここで貴様を倒し、太陽を取り戻す」
  大剣が唸りを上げ、魔術師に向かい振り落とされる。
  魔術師の唇から空気が裂けるような音が響いた。
  ただ一つの呪文だった。魔術師の前に紫に輝く紋章が浮かび上がる。
  ハーボルトは倒れ、顔を包んでいる兜が転がっていく。蒼白な顔には一切の生気はない。
「それしか持たないとは騎士も腕が落ちたね」
  露になるハーボルトの顔を見てジャックには分かった。その心臓は脈打つのを止めているのだと。
  魔術師の前の紋章が消え去った。
「かかれ」
  騎士たちは一斉に切りかかった。
  怒涛のように迫る刃、呪文を唱える間はない。
  騎士たちは勝利を信じた。
  だが、刃は途中で巨人にでも掴まれたように動かなくなった。
「惜しかったね」
  魔術師の前に現れたのは紫に輝く死の紋章だった。
  激しく心臓が高鳴る音を立てる。自分が思ってもいないうちに心臓は止まり、眠ろうとしていた。
  ジャックも立っていることができずに倒れた。
  魔術師は倒れた騎士たちの合間を縫って楽しそうに声をかける。
「もう終わりかい」
  魔術師の声を聞きながらジャックは必死に顔を起こした。そこに見えたの魔術師の足だ。
  ジャックは立ち上がると剣を突き出した。
  魔術師は交わす事もしなかった。見えざる巨人の力がジャックの剣も他のものと同じように押し留める。
「惜しい」
  風が吹いた。雲間が少しだけ開き、月の光がジャックと魔術師を照らす。
  満月の光がさした瞬間、剣はなんの抵抗もなく魔術師の胸を貫いていった。
「これは慢心したね」
  ジャックは戦叫を上げながら踏み込んだ。全身の力を込めて。赤い血がジャックの身体を濡らす。魔術師の血に塗れた手がジャックの顔に触れる。踏み込んだせいで下がっている顔を無理やりあげた。
「その顔憶えておくよ」
  魔術師は笑い、そのまま物言わぬ体となった。
                    ◆
「その顔憶えておくよ」
  魔術師の声。その整った悪魔の顔。
「ジャック、ジャック」
  ジャック・アーヴィングは目を開けた。
  目の前にはブロッサムの顔があった。
  自分は今、部屋のベットの上にいる。
  そうだ。もうあの悪魔のような魔術師との戦いは終わったんだ。
  ジャック・アーヴィングはそう思いながらブロッサムの顔を見た。
  青い空のように澄んだ目は初めて会った時と変わらない。
  大陸から昼を奪い、死者の世界を作ろうとしていた魔術師に、偶然最後の一撃を与えたために英雄と呼ばれるようになったジャック。しかしその重圧に、大陸から離れたこの小さな島に移り住んでいた。そこで出会ったブロッサムと恋に落ち、ジャックは英雄と呼ばれる生活も、騎士の栄誉も忘れた。
「最近よく魘されてる」
「すまない」
  ブロッサムは首を横に振った。
「だいじょうぶ」
  子供をあやすようにブロッサムはジャックの頭を抱きしめた。
「眠るまで・・・あ、違った。朝まで一緒にいるから」
「でも君が疲れてしまう」
「だいじょうぶ」
  ジャックは目を閉じた。
  小夜啼鳥のあまい声がした。
  ジャックは眠った。悪い夢は見なかった。夢は。
                      ◆
  ジャックは目を開けた。
  外は暗いままだ。もう一度寝ようと思ったところでジャックは気付いた。小夜啼鳥の声が聞こえない。外を見たジャックの目には闇が見えた。
「朝?」
  横に寝ていたブロッサムが目を開ける。
「まさか」
  ジャックは寝台の下にしまってあった剣を持つと外に飛び出した。
  そこには闇に覆われた世界があった。
  昨日と変わらぬ白い砂浜。風に舞う椰子。そして昨日までは元気だった島の人々は生きているものの姿をしながら、既に死者となっている。
「待っていたよジャック・アーヴィング」
  楽しげな声の先には魔術師が立っていた。
「魔術師」
  首にはジャックがつけた傷が生々しく残っていた。
「せっかく大陸から昼を奪ったのに、英雄の君が出てこないと思ったらこんなところにいたとは。いやはや失敗だった。最も今回は大陸だけで終わらす気は無いから、君にはいずれ会えると思っていたから慌てはしなかったがね」
  ジャックは剣を構えた。
「懐かしいよその剣。冷ややかな刃の感触をまだ覚えている」
  魔術師は楽しげに首の切り口に触れた。ジャックは切りかかった。
  魔術師は交わす。
「腕は落ちたようだね」
「うるさい」
  それはジャック自身が一番よく分かっていた。この南の島に来てからの生活で、武器を使うための肉体はもう崩れていた。
「つまらないな」
  剣は魔術師の前で止まっていた。剣は魔術師の力に耐え切れなくなり砕け散った。その余波を受け、ジャックは地面に叩きつけられた。刃の欠片に切り刻まれた全身が朱に染まる。
「さよならだ」
  魔術師の前に死の紋章が現れる。体から命を維持していた何かが流れ失われていく。意識が遠くなる。
  心臓の鼓動が遅くなり眠ろうとする。
「ジャック!」
  ブロッサムの声だった。目が覚めた。
「きちゃだめだ」
  魔術師はブロッサムに気付き笑みを浮かべた。
  ジャックは自分が失敗した事を悟った。今声を上げなければ、必死に彼女を止めようとしなければ、いや、自分がここに来さえしなければ。
  ジャックの身体を放り出し、魔術師はブロッサムに近づいていく。
「逃げろブロッサム」

後編 少女の空
  闇の中、その街はあった。
  世界一の大都市。地上の神の都。かつてこの街はそう呼ばれていた。今もまた大路には人は溢れ、享楽の時は続いているように思われた。
  だが、それは事実だろうか。彼らには影はない。この都市に住む大群衆は全て死者なのだ。
  生あるものはただ一人。その一人ジャック・アーヴィングはその人々の中に交じり、都の中枢にある王宮へと入っていた。
  いつもなら決して余人の入れぬ王宮。しかし今夜は特別だった。
  魔術師が王の座につくのだ。その戴冠式が華々しく行われる王宮。今夜は人々に開放されていた。
  盛大な社交界。絵空事のように華やかな男女たち。しかしジャックの目に映るのは真実の姿。死の舞踊だけだ。
  骨だけになった体で生という夢に、いいや生きることも忘れ去り、そこにある彼らの姿。
  嫌悪を感じるがそれ以上にジャックの中には既に慣れ親しんだものだ。
  ここに来るまでにいったい幾人の死者と見えたか。彼らは死んでいるという事も知らずに生を夢見ていた。もう興味を引くものなどないはずだった。
  だが。
  ジャックは足を止めた。死の舞踊に魅入られたのではない。
「ブロッサム」
  ジャックは南の島を思い出した。あの死の砂浜を。
                     ◇
  南の島に広がる白い砂浜。
  その中の黒い一点。それは魔術師だ。魔術師は南の島の娘ブロッサムに近づいていく。
「お嬢さん」
  ブロッサムは震えていた。何かあればその均衡は解け、ブロッサムは逃げ出すはずだ。
  ジャックはそれを待っていた。死ぬのは怖くはない。むしろこの恐怖から逃れられるのなら。そう思えた。
  だが、ブロッサムは別だ。彼女は自分と関わってしまった事を除けばただの村の娘だ。こんな恐怖を味わっていい人間ではない。
「逃げたいのなら構いませんよ。ただし英雄ジャックの墓石はこの美しい浜辺に置かれる事になるでしょうが」
「逃げろ、逃げてくれ」
  ジャックは叫んだ。
「だいじょうぶ」
  ブロッサムの声がジャックの耳に届く。いつもと同じ言葉。今それは違うものだ。
「ブロッサム、いいから逃げろ」
  ジャックの声は叫びに変わった。
  闇がブロッサムを包み込みその姿を消し去る。
「ジャック・アーヴィング。無力を誰よりもよく知りながら永く眠りなさい。不相応にも英雄などど呼ばれた罰としてね」
  魔術師は消え、ブロッサムも消えていった。
  そしてジャックの意識も。
                      ◇
「そんなわけはない」
  ジャックは呟いた。
  あの時、彼女は闇に食われた。生きているわけはないのだ。
「王の戴冠が大広間で始まるぞ」
  声がかかり人々は大河と化し、大広間に集まっていく。
  大広間の中央には有翼の三脚台が用意されていた。かつては至高神の司祭であったろう老人が祈祷書を手に待っていた。
  人々のどよめきが止まる。
  現れたのは魔術師だ。今までの黒一色の衣と違いとは違い白と金で飾られた装束は神の戯画のようだ。
  司祭に向かい恭しく魔術師は頭を下げた。司祭も一礼し、祈祷書を広げ、宣誓の言葉を唱える。
「汝は神の地上での代理人として、王権を預かり、それにより王となるに異はないか」
「あります」
  魔術師の声に答えたように祈祷書は燃え上がった。祈祷書から火が燃え広がり焼かれながら叫びを上げる司祭。しかし群集は騒がずにただ魔術師を見ている。
「聞け、人々よ。この今より王となりこの大陸を治める。大陸だけではない。いずれこの世界全てが臣下となる。異議あるものは今この場で名乗るがいい」
  群集が割れた。そして悲鳴。その源はジャック・アーヴィングだった。
  魔術師は笑みを浮かべた。
「これはこれはわざわざ君が祝辞をいいに来てくれるとは光栄だよ。せいぜい歓待を受けてくれたまえ」
  一部の人間の姿が崩れ膨れ上がり、キマイラやヒドラといった化け物に転じると、ジャックに襲い掛かった。
  ジャックは背中の剣を抜いた。
  ヒドラの無数の首が切り裂かれる。だが、そこからは首が再生し、より勢いと数を増した。キマイラはその龍の口から炎を巻きながら背中を向けたジャックに飛び込む。
  ジャックは上に飛んでキマイラの攻撃を交わした。走りながら大広間中を走りまわる。燭台の灯りが消え、外からの星月の輝きが広間を照らし出した。
  キマイラの炎がヒドラを焼き尽くす。キマイラもまたヒドラの毒に冒され、そのまま動かなくなる。
  多くの群集がいながら静まり返った大広間で、魔術師の拍手の音だけが響く。
「随分と腕を上げたね」
「お前は仇だ」
「あれがなければ君はここまで強くならなかった。むしろ感謝して欲しいくらいだよ」
  ジャックは戦叫を上げながら魔術師に切りかかった。剣の刃に無数のルーンが浮かび上がり光を放つ。
「全く学ばないね」
  魔術師は交わそうとしなかった。
  だが、剣は魔術師の肩を切り裂いていた。魔術師は小さくうめきながら下がる。
「俺は求めつづけた。強さとお前を殺せる何かを。答えはすぐそこにあったのにな」
「それは何かね?」
「光だよ。月の光も、日の光を照り返したもの」
  ジャックは上を見た。
  魔術師は笑った。
「その為に燭台は豊富に用意したつもりだったがやられたよ。騒ぎに乗じて全て壊すとは」
  ジャックは魔術師に切りかかった。魔術師の肩から血が噴出す。
「それは『闇払う陽の標』か。まさか滅びた太陽神の神剣を持ち出すとは。だが、まだだ」
  魔術師の前に死の紋章が浮かび上がった。
「言わなかったか。強さとお前を殺せる何かを求めたと」
  ジャックは目を閉じていた。目撃したものでなければ紋章の魔術は効果がない。
  ジャックは目を閉じたまま魔術師に向かっていく。無言のままジャックは剣を振り上げた。
「ジャック」
  剣はとまっていた。その柔らかな声は忘れる事の無いブロッサム。
  ジャックは息を飲んだ。ブロッサムの匂いがした。覚えのある癖のある髪が腕にかかる。
  ジャックは目を開いた。そこにはブロッサムの姿があった。だが、瞳には夜空のように暗い藍色だ。肌の色も褐色が消え。ただ白いものになっている。ブロッサムも広間の群集と同じく生者を装う死人なのだ。 それでも目を離す事ができなかった。
「ばかめ」
  死の紋章がジャックの視界に入る。ジャックは全身から流れ出す力に耐え切れずに倒れた。
  衝撃が響いた。右腕が剣ごと吹き飛ばされた。
  叫びをあげるジャックに魔術は優しい声でいった。
「お前の愛する女に安息を与えられるがいい」
  ブロッサムは剣を掴むと、ジャックに近づいていく。剣が地面に擦れ、パンジーの鳴き声めいたものを響かせた。
  ジャックはブロッサムを見ていた。
  もう力は残ってはいない。
  生きていたわけではない。それでもこうして彼女をもう一度見れた事が幸せだった。ジャックはただブロッサムを見ていようと思った。
「ごめんなブロッサム。俺と会ったばかりにこんな事に」
  ジャックは泣いていた。今心の中にあるのは後悔ばかりだ。
  どうして戦士になったのか、どうして魔術師になったのか、どうしてあの島に逃げたのか。その一つでも選ばなければブロッサムはこうしてここにいなかっのに。
「ごめんな」
  ジャックは命を差し出すように胸を突き出した。
「ジャック」
  呟きが漏れる。ブロッサムの瞳には青空が感じられた。初めて出逢った時のままに。
「ばかな」
  ジャックはブロッサムに支えられた。死者である冷たい肌。だが、それでも懐かしい。立ち上がった二人の手に支えられ、剣は高々と上げられている。
  剣が振り下ろされた。魔術師は剣の放つ巨大な光の柱に包まれながら倒れた。回りの人々がその輪郭を失い影となり闇に消えていく。
「私が死ねばお前もあの永遠の暗闇に戻るというのに」
  魔術師の姿が塵となり消え去ると大広間には二人だった。
  二人は立っていることができずに倒れた。
  日の光が大広間に差し込みはじめる。
「ブロッサム」
  ブロッサムの体も消えていく。ゆっくりと灰に変わりながら。ブロッサムはジャックを見た。それはどこか戸惑っているように見えた。
「悪い夢を見たの。魔術師が来てわたしはきえてしまって・・・今も夢なのかな」
  それはあの最後の日のようだ。その時、彼女は何をしてくれたか。
  ジャックはブロッサムを抱きしめた。生身ではなく。霧でも抱いているかのような希薄さ。それでもブロッサムはここにいた。
「俺が朝まで見ててやる。まだ、怖いか」
「だいじょうぶ」
  ブロッサムは目を閉じた。その身体は細かな光になっていく。光は消えずジャックの周りを彷徨った。
「だいじょうぶだよブロッサム。だから行くんだ」
  光は消えていく。その先には空が広がっている。ブロッサムの瞳と同じ青空が。
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2012年11月25日

冬の罠


即効小説トレーニング http://webken.info/live_writing/try.php さんで書いたものに+したもの最初のはこっち

http://webken.info/live_writing/novel.php?id=24390

「まあ入ってください」
 そう言われて僕は炬燵に入った。この寒い時期に炬燵は魅力的だ。ミカンに炬燵に猫。この三つが揃っている空間は、天国であり、誘惑に抗するのは難しい。
 もう勝てるわけはない。
 僕は炬燵に入った。
 入ってから、あれ、今言ったのは誰なんだろうと思った。第一僕の周りには誰もいないんだから。そもそも僕はどうして炬燵に入っているんだ。
 酒を飲んで気持ちよく電車にのって、帰宅するところだったよな。
 炬燵には沢山の魅力がある。かつて多くの物書きが炬燵に関しての作品を残している。
 『風流諸国炬燵話』
 『炬燵: 行火とその周辺』
 『炬燵学習』などだ。
 彼らにとって炬燵の経験というのは、恋愛の話と同じくらい、人心に親しいものだったのだろう。
 とか考えていたが、もう炬燵の事で頭がいっぱいでどうでもよくなってくる。

 ちんちんと遠くの方で音がした。

 ああ、何の音だろうと思う。

 ちんちんと音がした。

 何か人の声も混じっていた気がする。

 ちんちんと音がした。

 側でする。何かを嚼んでいる音がした。 

 ちんちんと音がした。

 今度は自分の真下で。
 我に返った。足下にに引きずり下ろされた。
 落ちていきながら、団欒とした夕日のような灯りが見える。それは暖かい炬燵の本体。それは一つではなかった。
 数多の炬燵が、雑多に置かれている。
 炬燵には気をつけなくてはいけない。
 そうここは冬の恐ろしい罠。
 異界へと通じる炬燵の穴。
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2012年11月18日

あなたへの手紙

即効小説トレーニング http://webken.info/live_writing/try.php さんで書いたものに+したもの最初のはこっち
http://webken.info/live_writing/novel.php?id=19550



 君に恋人ができたと聞いた時は、嬉しく思いました。君は、我が娘ながらというか、というか、とても物語を愛する娘でしたね。
 子供の頃は桃太郎の嫁になりたがりましたし、次に仮面ライダーのヒロインに。もう少し大きくなってからはマンガやアニメを見ては、「××は俺の嫁」と繰り返して、重婚を繰り返していましたね。
 そんな君が、『私の彼氏は凄いんだよ。なんでもしってるの』
 そういった時は少しばかり心配になりました。高校生の時というのは、私からみると、まだ若さを残している大学生くらいの年の男子でも、大人に見えて、万能ぶ感じますからね。
 彼氏の写真なり姿が見たいというと、君は喜んでスマホの画面を見せてくれましたね。
 あれゲームじゃ無いか。
 そう、それは自分の理想のアバターを作り出し、会話を楽しむゲームでした。
 正直、笑ってしまった私を君は怒りましたが、あれは苦笑ではなく、安堵の笑みだったのです。君はまだ変わっていないと。
 
 それから数ヶ月後、君は生身の彼氏を連れてきましたね。彼は温和そうな青年で、頭も良く、君の事も熟知していて、正直安堵しました。彼なら大丈夫だろうと。
 君の友人や、私の周りの若い娘たちも同じ時期に理想の彼氏ができて、ああ、世間は春なのだと思いました。
 ただ、君が妊娠したと聞くとそうはいってられなくなりました。
 彼を探し出して話しを始めると、全く問題ないと彼は言います。お金の心配もないし、元気な子を生んで欲しいと。
 まるで他人事のような彼に怒りをおぼえたままでいると、彼は言いました。会社で巻き込まれている横領事件について。私は脅迫に屈しました。

 彼が用意した産婦人科は野戦病院であるかのようにの騒がしく、多くの妊婦がいました。
 新生児室を通りかかった私は愕然としました。そこにいる赤子たちは天使のように美しかった。しかし、子供のような生まれたてはみな猿の子のようなものです。しかし、その場にいた子たちの顔は。
 君の子供は生まれました。天使のように整って、しかし人間で無いそれ。
 私は彼を探しました。彼と思った男は別人で、建物の中の男達も、彼に似ている、いや殆ど同じような容姿である事に気づいたのです。
 彼が立っていました。
「君たちは何なんだ?」
 彼の温和そうな顔は変わりませんでしたが、化け物のように思えました。
「君たち」
 彼はそれで何もかも分かったように頷きました。そうして私の方に向かってきました。殺されると思いましたが、彼はそのまま脇を抜け、どこかに消えていきました。
 病院から全ての新生児は消えました。

 君は家に戻ってきても寝台から起き上がらず、窓から外の景色を見るだけの存在に。そんな君が今日は嬉しそうに微笑んでいます。
 そして今、空一面に浮かび無数の円盤。君は外に飛び出していき、戻ってきませんでしたね。

 私は筆を置いた。
「お父さん」
 娘の声。いや、それは娘では無く君に似た誰かの声。新しい『彼』の眷属。
「見てみてこれ。アスミンは俺の嫁なんだよ」
 まがいものの君。しかし、幸せだった頃の君を思い出すこの煉獄。
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2012年11月15日

終止符の前に

即効小説トレーニング http://webken.info/live_writing/try.php さんで書いたものに+したもの最初のはこっちhttp://www.movatwi.jp/url/redirect?http://webken.info/live_writing/novel.php?id=13195

 試験でカンニングをすることにした。
 今回の試験はうまくいかなければ留年なのだ。そこで私は考えた結果だ。しかし、普通の手ではうまくいかない。
 そして『一見何かの掲示のように見せかけて、実は英語の答えなのです』作戦がスタートした。 よく教室の前や後ろの壁に貼ってあるプリント。あれをそのままカンニングペーパーにするというプラン。
 これは何代か前の先輩がしたという話を聞いた事があるらしい。ところが、試験の会場は、普通の教室ではなかった。理科室だという。あの色あせた元素表とか貼ってある壁に、新しい掲示のペーパーなんて貼ったらもうだめ。一発でばれる。
 理科室の中を回る。科学部が研究結果を貼ってあるそこに貼るというものだ。 幸い、私も科学部なので、貼る事はできる。しかし、学園祭の時に作られる学校内の産物で作るアイスクリーム実験を除けば、模範的な幽霊部員である私には、展示するような研究結果は何もない。
 あーでもない、こーでもないとわめいていると、部長が尋ねてきた。
「珍しいですね。あなたがこうしているなんて」
「はは。その」
 ああ、これは使える(邪笑)
「部長、私間違ってました。みんなの研究発表を見て私も何かしてみたいです」
 そのまま部長と話しながら、色々と資料を作りだした。勿論、そこには英語も単語や、構文を、きっちり書き込んである。こっそりと分からぬように色々と。
 完璧に仕上げて貼り出して置いた。
 さて試験本番。
 理科室に入ろうとすると先輩が出てきた。手には丸めた模造紙が握られている。
「がんばってね」
「任せてください」
 確認すべく壁を見ると日本人らしい少女と外国人らしい青年の姿。英語のクミとマイク、教科書でシチュエーションの説明をする二人の絵がでかでかとかかれている。 もっとも、その内容はきっちりと、粘菌に関しての話だ。
 あれ。私あんなの書いてないよ
 これもしかしてばれてますか・・・
 先生はこっちを見ている。ぬお、怪しまれている。
 私じゃない。私じゃないよ。
 そう目で訴えながら問題用紙に向かった。とにかく全てを埋めきった。
 試験が終わり、先生と入れ替わりに部長がにこにこしながら入ってくる。
「お疲れ様」
「先輩、酷いですよ。結果を変えるなんて」
「しってたんですか? そのカン・・・」
 先輩の柔らかな手が口をふさぐ。
「掲示物に偽造するのを始めたのは私だからね。それにできたでしょ」
 うなずいた。確かにできていた
「昨日資料作りながら色々と教えてたの気づかなかった? 先生ね、何年も同じ問題なのよ」
「本当ですか」
「科学の基本は観察なの。まあ幽霊部員のあなたには分からないかもしれないけど」
 観察。
 観て察する。
「ところで、実は来年、先輩方が抜けるとね、我が科学部の人数は規定に達しないどころか、存亡の危機なの」
「分かりました。今後はちゃんと部活にも参加しますので、問題の方よろしくお願いします」
 私は初めて、科学部員として先輩を観察した所見を述べた。
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2012年11月13日

則天去私

即効小説トレーニング http://webken.info/live_writing/try.php さんで書いたものに+したもの。
最初のバージョンはこっち  重さは1,425グラム http://webken.info/live_writing/novel.php?id=8855 
書いたのを
なおしたもの。

 先生が亡くなった。翌日には帝国大学医学部解剖室で腑分けされたと聞いて、ぞっとしたがそれだけではなかった。その脳と胃が取り出されて、ホルマリン漬けになって置かれているという話も何でも薄暗いじめじめした所のように思えて気持ち悪い。
 その後、先生の脳の重さを聞いて嘆息した。1,425グラムであったという。普通の人間よりも重いそうだ。あの素晴らしい世界を作り出したのだ。やはり脳の大きさというのはその発想に関わるのだろうか? 
 そう考えると、海豚や鯨、象といった巨大な生き物の脳もまた、先生が残されたような素晴らしい物語を紡ぎ出せるのだろうか。そう考えると我が輩の小さな脳では、何もなしえないと思われる。
 不謹慎だとも思えたが、そう気にし始めると、どうしてもそちらに考えがいってしまうのが、思考というものの不思議だ。 しかし、そうでも考えてなければやってなれなかったのだ。もう先生の大きな手で頭を撫でられる事も、こっそりと舶来のジャムを供に楽しむ事も無い事に。
 
 初七日も過ぎ、先生の気配ももう薄れた気がして、我が輩は縁側でぐったりと横になっていた。天気のよい昼は椽側で寝るのこそ最高であったのに、日溜まりも力を与えてはくれないようだ。
 そんな我が輩の耳に届いたのは悲報だった。帝国大学で標本になっていた脳が持ち出されたという。 その消息は不明であると。
 我が輩は家を飛び出した。先生の脳を探さなくてはいけない。その一念であったのは、もう荼毘にふされ、この世に残る先生の名残のように思えたからだ。
 帝都は広い。まして、証拠らしいものもない。だが、とりつかれたように我が輩は帝都をしらみつぶしにあたった。白い手も黒く汚し、手段を選ばなかった。そんな中でいくつかの話が浮かんできた。
 先生の脳を持ち出したのは植民地風の格好をした異国の女であった。その女の足取りを追う内に、脳は硝子瓶から、金属の筒に移されたようだった。

 女を見つけ出したの奇しくも四十九日目であった。
 池袋には不似合いな洋風な屋敷の中に女はいた。床には何らかの数式を思わせる図形が描かれており、その中央には先生の脳の入った奇妙な紋様の描かれた金属の筒が置かれていた。女は何やら、お経とも和讃ともつかぬ何かを呟いていた。
 金属の筒は、脳の重さを加味すると自分にはもてない重さだろう。しかし、何とかしなくてはならない。
 屋敷の中は奇妙な空気に包まれる。
 この寒さは何なのだ。 如月とはいえ、異様な寒さだった。それは上から感じられた。実際の上ではない上方。上を見ると、星が月が潰されそうな天の重圧。
 
 世界は暗転した。
 気づくと、その上今いままでの所とは違って無暗むやみに明るい。その明るいのが氷によって反射する光のせいであった。毛皮をまとっていても意味がないような寒さ。なんという氷寒地獄。 先程の寒さなど全く問題ではない。必死に動こうとするが体は忽ちのうちに冷えて、氷に縫い付けられたように動けなく。
 何やら奇妙なものが近づいてくる。銀ピかの表面。大きな枡のような身体。手足と思われる機械仕掛けらしいものが見える。機械仕掛けの化け物だ。その化け物に抱き上げられた。もう逃げるだけの体力は無い。借りてきた猫のようだ。
 機械の手が首回りを撫でる。それは懐かしい撫で方。先生の撫で方。
 我が輩は目を開いて化け物を見つめた。化け物の胴には先生の脳の入っていた円筒が綺麗に納まっている。
「お前はどうしてここにきたのだい」
 声こそ違うが懐かしい先生のしゃべり方。
「先生ですか?」
 思わずいうと機械はうなずく。
「するとここはあの世ですか。それなら我が輩の言葉が通じるのも分かる気がします」
「確かにあの世かもしれん。冥界かな。ここはPLUTO。冥王星という太陽系のもっとも端にある星だ」
「冥界っていうには奇妙ですね。全く、閻魔さまも何も人っ子一人いやしない」
 先生の身体に触れているうちに身体に熱が戻ってくる。
「先生、娑婆に戻りましょう。こんな寒いところもう沢山だ」
「一竿風月 閑生計 人釣 白蘋紅蓼間」

 我が輩は気づけば屋敷に一匹残されていた。
 先生がよくいっていた「則天去私」というのはそういう意味だったのかと得心しながら、窓の向こうの空を眺めて冥王星とやらを探したがとんと見当がつかなかった。
「あなたも追いたい?」
 女が立っていた。
 いや、こいつは本当に女なのか? そもそも人なのかも分からない
 ただ、先生がこの先もこの宇宙のどこかで病んだ身体を思わず、過ごしているのなら、この女に礼の一つもするべきかもしれないと思ったが、出てくるのはにゃーという猫なで声だけだった。
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2012年05月28日

大佐


 帰宅したゲイス・Sが違和を感じたのは、家の門を見た瞬間だった。
 父親の出入り以外、しめられているはずの門は開け放たれている。門をくぐり中に入ると、異変が生じているのは明らかだ。
 ゲイスが丹精を込めて育てた前庭の花は、嵐でも来たかのように荒らされている。しかし、今日は晴天、この花を荒らしたのは人のように思えた。
「父さん」
 家のドアも、ロックされてなかったようであっさりと開いた。
 玄関では父が倒れていた。大きな外傷はない。
「父さん」
 助け起こすと、父は目を開けた。しかし、その目が何もとらえてないように思える。
「父さん」
 父の体が力なく崩れ、その懐からいくつもの瓶詰めが転がった。
「父さん、父さん」

 父は衰弱していた。
 長年病で伏していたのかと医者に尋ねられたが、そんなことはなかった。母が療養の為に、郊外で暮らすようになってから、街で親子二人の暮らしではあったが、習慣故か、しっかりとしたものだった。
 しかし、今父は衰弱し、目覚める事は無かった。
 何か恨みを受けるような事があったのかと尋ねられたが、代々教師の家柄で父親もまた教鞭をとっている。
 ゲイスもまた疲れを感じながら、自宅に戻る事にした。
 慌てて出たせいで家の門は開け放たれたままだ。
 それはいい。家の中には明かりがついていた。いつも家の中を照らすランタンの暖かい光ではなく、青白いどこか冷たく感じる光だ。
 誰か居るのだ。
 父をこのようにした犯人だ。そう直感したゲイスは、何か武器になるものを探したが、目についたのは、庭仕事用のシャベルくらいだ。それでも、素手よりは心強い。
 シャベルを手に入り込む。
 部屋の中は昼間父が倒れた時と変わらない。それを除けば変わらない。
 ゲイスはゆっくりと中に向かい歩んだ。耳を澄まし、目をこらす。しかし、闇の中、何の気配もない。
「いるのは分かっている。父さんをあんなにした奴なら出てこい」
 答えるものはない。ただ、青白い光が灯った。
 光を前にしているせいで姿は見えないが、随分小柄なように思えた。
「博士の容態はいかがだい」
 若い女、少女といってもいい声だった。
「盗っ人猛々しいな」
「まあ、空き巣なのは否定しない。勝手に留守の間に上がり込んで物取りをする始末だ」
「お前何者だ?」
「答えてもいいが、その前に教えて欲しい事がある。博士は瓶を持っていなかったかな」
 昼間拾った瓶が思い出された。
「知らない」
「間というのは、雄弁なものでね。君は少しも考えるそぶりをしなかった。瓶といっても沢山ある。色や、形、大きさ、中身。しかし、君は悩む事もなかった。君は瓶の所在を知っているということだ。どこにある?」
 ゲイスは奥歯を嚼んだ。
 どちらにせよ取引の材料はこちらにある。
「どうして気にしてるんだ?」
「大切なものだからね。君はあまり人を誘導するのは得意じゃ無いね」
「どっちにしたって、お前の欲しい物を持っているのはこっちだ」
「聞き出すにはいくらでも手があるんだが、事を荒立てたくないんだ」
 少女はしばらく腕を組んで、「サトリというのを知っているかい」
 ゲイスは答え無かった。
 しかし、脳裏にはその逸話をしっかり思い出していた。
「正解だよ。自分はアヤカシの類いでね、君が持っているのは分かった。あれを渡して欲しい。そうしなければ危険な目に遭うよ」
「父をああしておいてその言いぐさか」
 ゲイスは床を蹴った。大きな部屋とはいえ、簡単に捕まえられる距離のはずだった。だが、少女はそこが社交の場のように優雅に交わして、窓枠に飛び乗る。
 銃声が響いた。少女の体が
 それはゲイスの背後から聞こえた。
 紳士らしい格好をした男だが、その手に構えられた自動式の拳銃は異質だった。
 ゲイスの脇を抜け、男は窓に近づいた。男はゲイスを一瞥すると、窓から外に飛び出した。ゲイスも男を追い外に出る。少女の姿は無い。
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2012年02月18日

断じて 大佐 ではない








 紙芝居層、貸本層に出現した「墓場」のちに「GGG」と称される「KT」が、戯書層、電視層へと広がり、様々な国家は一つの概念によってまとめられた。後に「妖怪はmizkiにより生まれた」といわしめた、一連の流れが、世界の隅々に浸透してから、数十年の歳月が流れ去っていた。
  世界を暫定統治する、かの不死鳥の元で、世界は繁栄を謳歌していた。しかし、そうした繁栄の影の中から、長い歴史の闇がちろちろと舌を出しているのを多くのものは知らなかった。


 グロー・Mが、鉄道の旅に出たのはちょっとした気まぐれだった。 時はa-m90年、世界を挙げての祝祭が行われようとしている年だった。
 深夜、伯林の大停車場。
 駅の中で、グロー・Mは目を引いた。大陸横断鉄道には多くのを乗客がいる中で、そう思わせるのは古めかしく思える帝国様の服装のせいだ。その視線に気づかない程、グローは興奮していた。
 様々な国をほぼ一直線に突きぬける鉄道は、光溢れる伯林を出発し、肥沃な野を抜け、かの南アルプスを越え、遙か極東の地に至る。
 言葉にすれば簡単だが、その距離を旅すると決めてから、グローは酔うような感覚を味わっていた。体がほてり、駆け出したいような衝動というのか。
 そのせいで、出発時間まで随分あるのに、こうして大停車場まできてしまったのだ。
 こんなのは自分らしくない。幼い頃から、生活の一部になっている教えが自制と共によみがえってくる。
 落ち着こうと息を深呼吸した時に自分に向けられている視線に気づいた。落ち着くどころか顔が熱くなるのが分かった。
 グローは早足に思われない程度の早さでその場を後にした。
 発着所から離れ、大停車場の中を歩く。店が並び、いつもなら人がたくさんいると思われたが、深夜という時刻のせいか、ひっそりと静まりかえっていた。
 一人になって落ち着いてみれば、確かに友人達から、旅の門出に送られたこの服は確かに悪目立ちする類いの者だ。
 等間隔に並んだ照明灯は長い道の中で、遠近感が狂いそうになっているのが見える。その認識の果てのように思える所から誰かが走ってくる。
 軽やかな足音はどこか楽しんでいるようにも思えるが、その早さがおかしいものであるのに気づいた。そう思った瞬間、衝撃があって、グローは倒れていた。
「ごめん、見えなかった」
 どこかぶっきらぼうな口調で少女は言った。グローは立ち上がり、少女の顔を見る。
「口がきけないのか?」
 グローは首を横に振った。
「いや、そんな事は無いよ」
「そうか。ぼんやりしてると瓶に詰められるぞ」
 そういうと少女は背を向けて走って行く。
 半ば呆然と見送っていたが、 停車場の時鐘が響くのが聞こえる。
「まずい」
 グローは駆け出した。

 鉄道は一等客席だった。個室になった客室は、曲線を多用した当世風な装飾が施されている。狭いながらも、寝台が二つ。小さいながらも備えつけの机。その上にはホーロー引きの水差しとコップが置かれている。寝台の下に荷物を押し込んで、腰を下ろした。
 長い旅になるという親の配慮が素直にありがたい。乗る前に見た他の客室は、祭礼の日の教会のように混み、とても耐えられないように思えた。何より一等客室の乗客を待つ優待がなければ、乗り遅れていた。
 グローは自分が最後の乗客だと思っていたが、そうではなく、まだ鉄道は出発しないようだ。
 窓から最後の客と思われる夫婦が来るのが見える。二人とも植民地風の軽快な服を身につけていた。紳士は初老の男で銀髪が目立つ。その背はまっすぐ伸びていて、どこか教会の牧師を思い起こさせた。婦人は顔を伏せがちにしていて、宝飾らしいものは首飾りのみだ。夫婦と思ったが親子でもおかしくない気がした。
 二人が鉄道に乗り込み、グローは目を離した。
 懐から冊子を取り出した。それは小さな冊子ではあるが、中は地図が描かれている。様々な怪物が描かれる地図は、古めかしいもので実用品というよりは装飾品に近い。これは同じ名を持った祖父が若かりし頃に使っていたものだという。この地図を幼少の頃に眺めていなければ旅に出ることは無かったろう。友人達がそれを知って同じ頃に祖父が着ていたであろう、帝国様の服装にしたことに思い至った。
 友人達の顔を思い浮かべながら、停車場の向こうに広がる伯林を思いだした。
「発車はまかりならん」
 そんな声が聞こえたような気がして、グローは目をこらした。
 堅い足音が聞こえてくる。停車場の奥の暗がりから走ってくる数人の黒ずくめ男。
 男達は軍服に身を包み、腰には銃のホルスターが見える。機敏な動きは、グローの見たことがないものだ。
 男達の鋭い目が向けられ、グローは息を飲んだ。
 発車のベルが鳴り、鉄道が動き始めた。
「大佐を逃すな」
 声は遠ざかる。
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2011年12月26日

玄鷹風雲


「参ったな。迷っちゃったよ」
 玄鷹さまの呟きが闇の中に広がってまいります。
 周りには物音なく人の姿も無く、当然答えるものもございません。
 普通のお子でしたら、ここで泣くなりするのでしょうが、玄鷹様の顔には怯みといったものは見受けられません。それも当然かもしれません。都において呪儀を取り扱う北家に生まれ、十にならぬ身で若長と呼ばれ、また『北魔』なる二つ名を持っておいでなのですから。
 そうは言っても冷たく湿り気を孕んだ風が吹いてまいります。玄鷹様は休む場所を探し始めました。いつもなら方違いの術を用いて、道を探すところでございますが、ここでは玄鷹様は使わずにおきましたのは無駄ということがお分かり故でしょう。
 そうここは樹海と呼ばれる呪われた地なのでございます。
 呪われた地と申しますのは、凶暴な獣があり、人の行く手を阻むと言われますが、その呪いの正体は心を狂わす何かなのです。術は身口意によりになります。意は心の力に他なりません。その危険を少しでも避けようというのでしょう。
 玄鷹さまは樹の一本の根元に座られました。寒さのため小さく鼻をすすった時でございます。人の声が樹海の奥より聞こえて参りました。
 それは悲鳴のようでございました。逸る私でございますが、玄鷹さまのお許しがなければ一歩も歩けない身。玄鷹さまの方は思案の中でございます。
「どうしよっかな〜」
 私が玄鷹さまの身を揺すると、仕方ないと思われたのか立ち上がられました。
「分かったよ」
 一度動き出せば雷のように早く、玄鷹さまは声の聞こえた場に来られておいででした。
鬱蒼と茂った木々が途切れ、草原が広がっております。下生えの草の中、一人の童女が声を上げながら逃げようとしておりました。
 年端十あまりで、玄鷹さまよりやや年嵩のようでございます。それに圧し掛かるように大きな獣が降りました。
 青い牛のようなもので、確か人食いの妖獣でした。
「犀渠」
 玄鷹さまの口から名が漏れます。
 犀渠の体がびくりと動きました。それも当然の事。名を明かされるのはあやかしだけでなく全てのものが嫌います。名は体を現す。その言葉は真実なのです。
 玄鷹さまに向かい犀渠は鋭い目で睨みつけます。玄鷹さまの力量を測っているようです。犀渠にとっては当然の事でしょう。名を明かされたもののできることは二つだけでございます。素直に従うか、より呪で縛られる前に殺すかです。
 犀渠は玄鷹さまに飛び込んできました。
「雫針」
 私だけが聞こえるような小さな声で玄鷹さまが呟かれました。
 玄鷹さまは避けもしなかったものの攻めは外れ、犀渠は樹の一本に飛び込んでいきました。
 眠りを乱され飛ぶ上がる鳥たちを見ながら玄鷹さまは呑気に「あ〜あ」と呟いております。
 犀渠はそのまま黒い塵のようになると消えていきました。
 玄鷹さまの唱えた言葉。それは導術といわれる術を成すものでございました。水の雫が鋭利な針と化し、玄鷹さまの命に従って敵を攻めるのです。恐らく犀渠は目をやられたのございましょう。こうした些か外道よりに術を扱う事から、玄鷹さまは『北魔』と呼ばれるのでございます。
「ねえ、君歩ける?」
 童女は震えながら立ち上がろうとしましたがよろけます。素早く玄鷹さまは手を貸します。
「あのさ、こんな夜に出歩くのはどうかと思うよ。だってさ、僕だってあやかしかもしれないよ」
 確かにこのような夜中。都人の好むような漆黒の装束を纏い、見目麗しい玄鷹さまの姿を見れば、狐狸の類が化けてきたとも思えましょう。
 童女は頭を下げました。
「ありがとう」
 そう素直に言われると玄鷹さまは困ってしまう性質なのです。ひねくれている、いいえ、長である玄哉さまの下、幼い時より大人に立ち混じって働いていたため、気持ちが素直ではないのです。
「どういたしまして」
「あなたもお母さんを探しているの?」
 童女の言葉に玄鷹さまは目を細められました。
「ちょっと興味あるね」


 村はずれの神社。住む人も祈る人もないせいか、荒れている。
 祭る宮司もいないせいで普通の神社からすれば汚いが、それでも近在のものが集まって世話をしているので、そこは格好の子供の遊び場所となっていた。
 今日も数人の子供たちの姿があった。豊かそうな格好をしたものも、貧しいなりをしたものもいるが、子供たちは概ね笑顔だった。
「そろそろ飯の支度するぞ戻ってこう」
「太助、いつまでぼんやりしてんだい」
 大人たちの声だ。
 夕焼け空には烏が鳴き始め、子供の時間は終わる。
「じゃあね」
「また明日」
「うん、また」
 最後に残った影。それは妙だった。
 妙は夕焼けに向かって消えていくように見える子供たちの姿を見ていた。
 涙が零れてきた。必死に上を向き、目を閉じる。それでも耐え切れなかった涙が妙の頬を伝わった。
 妙には家族はいなかった。
 その涙に濡れた瞼が暖かな手でふさがれる。
「誰だ?」
「雉ねえちゃん?」
「あたり」
 雉は妙の村の長者の姪で、最近この村に来たそうで仲のいい人がいないようで、よく子供たちを構ってくれる。
「どうしたの?」
「あ、なんでもないの」
「お姉ちゃんに話して」
 妙は少しだけためらった。効いて欲しいと思う反面、笑われると思ったのだ。
「どうして私にはお母さんがいないのかなって思って」
 悩んだ末に出した声が大きかった。
「お母さんはいるよ」
 雉の言葉に妙は目を輝かす。
「どこに?」
「どこっていえないけど、木の又や、石の中から生まれるわけじゃないから」
「そうだね」
 雉のいう当たり前の言葉に妙は笑った。
「そう妙ちゃんは笑っていたほうがいいよ」
 雉は言った。
「私もお母さんがいないから会いたいって悲しくなる時もある。でもね、しょうがないんだよ」
「しょうがない?」
「死んでしまったかもしれないし、元気でもすごく遠くにいるかもしれいし、きっと訳があるんだよ
 雉は妙にではなく自分に言い聞かせているようだった。
「じゃあ、帰ろうか」
 妙が大きく頷くと雉は手を差し出した。二人はしっかり手をつないて歩き始めた。


「あのさ、それがどこでお母さんを探しに来たって話に通じるか分からないんだけど」
 玄鷹さまはいかにも眠いといった顔で申されました。
 正直、妙殿の話の行方を気になっていた身からすれば、一言文句があるところでございますが、何も言えず玄鷹さまの言葉を待ちました。
「興味はあるけど、あまり長くは待てないよ」
「それでそれから何日かしておとうにお酒を買いにいくようにいわれたの。もう月夜で嫌だったんだけど」
 玄鷹さまは目で促しました。
「そしたら長者さんの家から雉さんが出てきたの。長者さんの坊ちゃんと一緒に」
「それで口止めされたんだ」
「どうして分かるの?」
「いや、普通に考えれば・・・」
 そう言って玄鷹さまは一瞬口篭もりました。恐らくこう言いたかったのでしょう。
『本当は姪なんていうのは嘘っぱちでさ、長者のコレで、馬鹿息子が誘惑されて駆け落ちでもしたんじゃない』
「あ、話続けて」
「うん。それでね、雉さんに何してるの聞いたらお母さんに会いに行くって言ってたの」
「おかしいと思わなかった?」
「思ったよ。だって二人はいとこだからお母さん違うでしょ。だから、どうして二人で行くのって聞いたの」
「そしたら『二人のお母さんがいるんだ』って答えたわけだ」
「すごい」
 普通なら当てこすられていると分かるところですが妙殿は本気のようなので玄鷹さまも何もいえないようでした。
「でもこんな時間に歩くのはどうかと思うよ」
「呼ばれたの」
「誰に?」
「雉ねえさんに」
「へえ。そう」
 玄鷹さまは妙殿の髪に手を伸ばしました。
「ゴミついてる」
「ありがと」
 玄鷹さまは木々の間の闇を見つめました。
「じゃあ、お母さん探しに行こうか 」


 玄鷹さまはいつもは見せないような奇妙な表情を浮かべておられます。わずかに高じておられるようです。それも当然の事かも知れません。
「声が聞こえた」
 不意に妙さまはそうおっしゃいますと走りはじめました。
 玄鷹さまは僅かに後ろに下がり妙さまが走るのを追います。
 十分ほど走ったでしょうか。霧が出てまいりました。ただ、その霧は身に張り付くようでございます。そして常のものとは違う粘りつくような心地でございます。
 すぐ前にいるはずの妙殿の姿は時折見えなくなるほどの濃さでございます。
 玄鷹さまは、手を伸ばして、妙さまを無理やりに止めました。
「待て」
「だって雉ねえさんが呼んでる」
「そう。ならいいや」
 玄鷹さまは手を離すと妙殿は走り始めました。
 気付くと随分と足元がぬかるんできました。そう、そこはもう沼地といっていいほどのところです。
 霧が晴れはじめます。それに反して妖しい気配が濃厚になってまいります。
 沼でございました。
「お母さん」
 妙殿がどなたかと抱擁されておいでです。妙殿とその女性は半ば水に沈んでおられます。しかし、星の明かりが、お二人を照らすのは美しい一枚の絵のようでございました。
「きたね」
 玄鷹さまは呟かれました。
 妙殿の母上と申す女がこちらを見ます。
 その目に会ったとき感じたのは思慕でございました。幼い日の母のぬくもり。それが背中を駆け抜けていきます。
 我が母はこの世にいるわけはありません。そしてそれが妙殿の母上と同人であるわけも。
 しかし、そのような思案を無視して体が前にいこうとするのを止める事はできませんでした。そう水の音がしました。玄鷹さまもゆっくりと沼に身を進ませたのです。



「さあ、おいでなさい」
 玄鷹さまは音を立てながら沼の中に入られておきます。
 その玄鷹さまの足並みが随分と遅く感じられるのはわたしの気が急いているせいでしょう。このような思いを感じるのは。
 妙殿に続き玄鷹さまもその手に懐かれます。
 それは安楽でありました。
 幼い日に知りながら解ることなかった安息。それが年を経た今だからこそ分かる完全な世界。
 妙殿は幸せそうな笑みを浮かべながら母上に抱きついておいでです。そうしているうちに妙殿はもたれるように眠ってしまいました。
 手を玄鷹さまは上げました。水が手に招かれるように沼から弾けるように飛びます。
 手は切り裂かれ水の中に落ちます。玄鷹さまは妙殿を小脇に抱えますと一気に沼地から抜けます。
 母であったものは自分の手が落ちながらもなお笑みを浮かべております。
「その姿だとやりにくいんだけど」
 玄鷹さまは印を結ばれました。その口から御句が唱えられます。
「水竜哮」
 玄鷹さまの前に大きな水の塊が生じ、竜に転じますと、一気に襲い掛かりました。しかし水は沼の水に止められ砕け消えます。
「はあ。同じ水か」
 玄鷹さまはため息をつかれました。
 玄鷹さまは北家。五行において北は水。北家の業は水を扱うものでございます。水同士ならば勝負がつかぬのは道理でございましょう。
「坊やいいかげんになさい」
 そう声を上げると水が玄鷹さまに襲い掛かります。しなる鞭のような水は玄鷹さまを襲います。
 玄鷹さまは水で大きく傷つけられる事はありませんが、それが続けば、まだ幼い玄鷹さまでは力が続かなくなるのは目に見えております。
 それは玄鷹さまの方こそがもっともよくわかっておいでです。その顔には少しづつ焦りが見えておいでです。
 ついに大きく玄鷹さまの肩は切り裂かれ、血が地面を濡らします。
 沼地の水は術に使われ、既にほとんど失せております。先ほどまで人の姿をなしていた母は水に隠れていた半身を見せております。その半身は人ではなく、大きな泥か岩のようなものになる人ではございませんでした。その側には二つの躯が見えます。
 玄鷹さまは崩れそうになり体を堪えながらを見ました。
「いける?」
 その目にわたしは答えました。
「問題なく」



 玄鷹さまは私を鞘から抜き放ちました。
 五行刀白虎。それが私の名でございます。
 久方ぶりに身が外に出ると気が流れ込んでくるのが解ります。
「白虎を以って西門を開く」
 玄鷹さまの気が本来の水から私の持つ金の気に変わってまいります。見るものが見れば玄鷹さまの持つ気の色が水をあらわす黒から金をあらわす白に変わるのを見る事ができるでしょう。
「虎刹跋扈」
 玄鷹さまの身体は白熱した塊と化していきます。
 一瞬後、岩のようだった女の根元は砕けております。もう水を操る力もないのか女は少しずつ小さくなっていきます。
 玄鷹さまは女の側に立ちました。
 まだ人の形をしたそれは穏やかな笑みを浮かべながら玄鷹さまを招きます。
 玄鷹さまは動かずにおいでです。そうしておられると玄鷹さまから気が流れだしていくのが見えます。先ほどの妙さまもそうだったのかもしれません。この妖は人の気を食べるのです。
「もういいよぬくもりは」
 玄鷹さまは私を用い女の胸を一突きにいたしました。血は流れません。
「ぼうや」
 女の姿は消え去り、残るのはただの手の平におさまるほどの石でございます。その石は玄鷹さまの手の中で蠢くようでございます。
「渾沌の琥珀か」
 玄鷹さまは石を握られますと封印をかけ、懐にいれます。
 渾沌の琥珀は、人の意思に応じて姿を変えるともうします。恐らく妙さまの探しておられた雉殿の母という言葉と意思に応じて姿は変えたのでしょう。
 玄鷹さまは妙殿を背負うと困ったように回りを見ました。
「こっちよ」
 背中の妙殿の声に玄鷹さまは頷かれました。
               ◆
 朝でございます。
 樹海から抜け、道が交わる辻に着きます。
 妙殿は笑いました。玄鷹さまは動きを止められます。
「やっぱり村はいいわ」
「どうして死霊になってこの娘を呼んだの」
「解っていたのね」
「北家は死を司る家でね。死には敏感なんだ」
「お母さんを知る人は、わたしのお母さんへの思いを集めてしまったあの妖から逃れる事はできない。母親を知らない妙ならもしかしてと思ったのだけれど」
「それはいい判断だったよ」
玄鷹さまは妙殿に憑いた雉殿を見ました。
「自分で離れるならいいし、離れないなら」
 妙は玄鷹を抱きしめた。玄鷹さまはそのまま動かなくなりました。
「いつかあなたもお母さんと会えるといいね」
 妙は玄鷹さまを突き飛ばされました。
 玄鷹さまはぼんやりと妙殿を見ておいでです。もう雉殿はどこかに逝かれたのでししょう。そこにいるのは妙殿でございました。
 玄鷹さまはきょとんとしたまま妙殿を見ておいででしたが、やがてこらえきれなくなって笑い始めました。
 ただ、その笑みが心なしか寂しげに思えたのは私だけでございましょうか。

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2011年11月11日

デザフェス34 田中良平さんと式水下流さんのブース C-174,175 「田中良平・式」さんでお待ちしてます

 氷泉さんの絵が素敵すぎて、自分用に作ってみたトートバックが好評だったので、いくつか作って見ました。

 土曜日から国際展示場で行われますデザフェス34 田中白澤トートバックなど出します良平さんと式水下流さんのブース C-174,175 「田中良平・式」さんの一角を借りて初蔵出しする予定です。



livepreview.jpg


bagu1.jpg
ボールペンとセットになります。


 あと大の方は作っている会社のフェアでこの値段にしているので、今後は造らないと思いますのでよろしければどうぞ。


 デザフェス34 田中良平さんと式水下流さんのブース C-174,175 「田中良平・式」さんでお待ちしてます 

 トートバック大       1000円
 トートバック小+ボールペン 1000円
 ボールペン          300円
 絵葉書              無料
 掌編册子ある夏の話        無料

 
生まれてはじめての同人紙も配布する予定ですのでよろしければ
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2011年11月07日

雪華花洛



 身分を隠し、領土を視察していた昴国の太守が、道中一人の青年に出会ったのは、寒波が大陸を襲った年の事であった。
 幸い寒波は昴国まで至る事はないようだが、田畑はいつもより多く霜がかかっている。収穫には響かぬようで太守は安堵の息を吐いていた
 そんな中、民に混じり、昴国には珍しい蒼い瞳の青年がおり、思わず声をかけた。
 青年は名を北家辰己といい、花洛の私塾で学んでいたが、寒波で先生が具合を悪くし、塾を畳むことしたので、旅をしているのだという。
 花洛は千里あまり離れた遠地であり、太守の甥も住んでいた事もあり、興味を持って話しかけた。
 青年が何を学んだかと問うと経世の学であるという。昴国で出世を願えば、経世などではなく、儀礼や法令、文章といったものであるから、太守は不思議に思い尋ねた。
「どうしてそのようなものを学ばれるか。栄達されたいのなら、そのようなものを学ばれても、試験にはうからぬし、故郷に錦を飾るのも難しかろう」
 青年は少し考え込むと、
「そういう事は考えた事はありませんでした。ただ、どうせ学ぶなら、人の為になることがいいと思ったのです」
 太守は青年に道行く草原を見ながら尋ねた。
「この草原を拓こうと思うのだがどうだろう」
「この地は草があって、それが根を張ることで土を固めています。耕すのは向かないかと」
「では鉄をとるのはどうだろう」
「この地では、鉄のたぐいは無理かと思います。もし、何か殖産をされたいのでしたら、牧畜がよいかと」
 そのような会話がいくつもあり、青年の博覧な事を知った太守は大いに気に入り、仕官する気はないか誘ったが、あまり乗り気ではないないらしく、首を縦には振らなかった。
「では、しばらく我が家に滞在するのはどうだろうか」
「それなら。あの犬もいるのですが構いませんか」
「ああ、構わんよ」
 青年は食客として、太守の屋敷に住む事になった。
「姓名を聞いていいだろうか」
「北家辰己ともうします」
 辰己は、昼間は与えられた一室に居ることが少なく、犬の相手をしているか、庭の一角を借り、鉢植えにした草花を育てていた。様々な種類で、ほとんど見慣れぬものだった。美しいものも多かったが地面に這いつくばるように咲く花、赤子のような身をつける木、見ていると懐かしい人を思い出す草。
辰己は鉢植えが育つと、どこかに持って行き、同じ草花があることはなかった。
 しかし、夜ともなれば、太守や、同じような食客が尋ねると歓談し、その際には珍しい茶や酒を振る舞うなど吝嗇ではなかったので、誰にでも懐かれた。
 そんな辰己の居室には、書物と寝具だけが置かれ、無用のものは何も無かった。
 季節は冬が終わり春にかかろうとしていた。
 取っ替え引っ替えだった草木は、いつの間にか幾つかの種類に定まっていた。
 彼は頻繁に出かけるようになり、屋敷には週に一日二日いる程度になってしまった。
 ある日、太守のもとに、甥が訪れ、宴席が開かれた。
 甥は、辰己を見ると、驚きを隠さなかった。
「浄眼児」
 太守は驚きの理由を尋ねようとしたが、様々な客に、甥を紹介するのに忙しく、宴席で尋ねる事は出来なかった。
 夜になり、太守は甥と二人になったので、驚いた理由を尋ねた。
「花洛で何度か見たのです」
「彼は半年あまり食客としてここにいる」
「本当ですか」
「ただ、その話は興味がある」
 甥は話し始めた。

 花洛の寒波は叔父上もご存知と思います。あれはひとつの祟りによるものだと、街に住むものは申しております。
 花洛は街ができた時から、一柱の神がいるといいます。それは石神で、一見、ただの石に見えるといいます。
 ただ、その石神は毎年、街の中で場所を変えるのです。誰かが運ぶのではありません。季節が移り変わるように、石神は、様々な石を渡り歩くのです。
 花洛は、名の如く、花の多い街ですが、その花は石神に対する捧げ物だといいます。花がある限り、神は満足していると。
 寒波の訪れた日、石神のある屋敷で女が殺されました。血で汚された事に起こった石神が寒波を起こしたというのです。加えて寒波によって花は枯れ、ますます広がりました。
 その頃から、花洛で鉢植えの花を配る男がおりました。
『浄眼児』と呼ばれました。青とも緑ともつかない不可思議な瞳。それが彼なのです。その花で石神が怒りを沈めたように寒波は終わり、私は花洛を出て、昴に戻ってきたのです。
 太守にとり甥の話は合点がいくところと、いかぬ所があった。
 鉢植えの減る理由と、最近まで花洛にいたということだ。花洛から昴国まで千里あまり。どう馬を飛ばしても、一月近くはかかるはずだ。辰己はよく外出していたが、そんなに長く姿が見えないことは無かった。
 太守は、辰己の室を訪れた。
 辰己は眠っておらず太守がくるのを待っていたようだった。どう切り出したらいいかと思う太守に向かい辰己は自ら口を開いた。
「私は天幇の一員です」
 天幇とは、仙術、不可思議な術を操るものの一派であるのを太守は知っていた。だが、実際眼にする事は初めてだ。それなら一日千里あまり駆けるのも、仙術と思えば納得ができる。
「花洛では執行として、男を見張っていました。男の名は紗見耕法、花洛の西に広がる竜沙に住む紗族の出身の祭司です。耕法は花洛の一角にある屋敷に住み、精霊の秘儀に関わる試みを日夜行っていました」
「それが寒波を起こした本当の原因なのかね」
 頷く辰己に、太守はうすら寒いものを覚えた。そのような男が一人だけで、国を揺るがすかもしれぬものを災厄を招いた事に。ただ、それを止めようとした天幇の執行もまた同じくらい恐ろしい。天幇のものが城一つを壊して見せたり、湖一つを消したという話も耳にしていた。
 太守は辰己の眼に、心の揺れを見た。それは辰己がついぞ見せた事がない、人間らしい顔だった。その顔は太守に落ち着きを取り戻させた。
「私は君よりずいぶん年長だ。よければ話してみないかね。それで迷わずに済むことができるようになるかもしれぬ」

















 北家辰己は紗見耕法の屋敷の監視を続けてひと月あまりが過ぎた。屋敷の生垣の隙間から白い犬が飛び出してきた。
 微笑ましく見ていると、「まって」と声があがった。犬に遅れ、屋敷の門から一人の少女が追いかけてくる。
 竜沙の人間らしい数多の色で飾られた薄手の衣装。鮮やかだがそれは真冬に着るには少し寒そうだった。少女は子犬を抱き上げると何かから逃げるように静かに走り始めた。
 不思議と少女の白い頬は走っても走っても赤みを増す事は無かった。
 屋敷を監視しなくてはいけないものの、気になった辰己は少女を追いかけていった。
 少し離れた路地裏で少女は歩みを止め、置かれたかがり火花の鉢植えを見ていた。そして一度だけ屋敷の方を見てから違うほうに向かい歩き出したが、すぐに蹲まってしまう。
 吐く息の白さが穏やかさを失って荒くなる。
 辰己は思わず少女に歩みよった。少女は足音に気付いたのか辰己の方を見た。
 役目を逸脱している。そう思っても辰己の眼は少女に引き寄せられていた。
 どこか遠くを見ているような瞳があった。それは人を不安にさせる目の輝きだった。目を離している間に消えてしまいそうな輝き。
「しっかりしてください」
 少女は辰己を見ると、立ち上がり笑窪を見せて笑ったが、蒼白で辰己を却って不安にさせた。
「経世塾の北家辰己といいます。どこの奥向きかは存じませんが、もしよろしければお送りします」
 名乗った塾の名は花洛で一、二を争う有名な私塾で、良家の子息が多く通っている。辰己の言葉に少女は少し考えたようだった。
「紗見曜ともうします」
 紗見曜を抱き上げた。肉の薄い軽い体だったが、熱は高い。
 屋敷に向かうと、侍女が探しに出ている。
「よろしくおねがいします」
 侍女に託し、帰ろうとした辰己を侍女は引き止めた、そのまま客間に通された。
 逸脱も甚だしい。そう思いながらも辰己は覚悟を決めて、部屋の中を見回した。
 部屋の中は飾り気がないというか質素で、花を飾るのを生きがいとしている花洛の家にしては珍しいものだった。まして竜沙の民は、草花を喜ぶという話を聞いたことがあった。
「待たせたかな」
 客間の扉が開き、一人の男が入ってくる。


 曜が着ていたのと同じ竜沙の民の衣装をまとった様は、男にしては華やかだ。顔は目鼻立ちがはっきりしており、精霊の秘儀を司る人間というよりは、族長のような風格がある。
 辰己は立ち上がると、文士らしく胸に手をあてて一礼した。
「妹が世話になった。私は紗見耕法。竜沙の紗族のものだ」
「北家辰己ともうします」
「その姓からすると異国の人間かね?」
「はい。こちらの経世塾に留学して学んでおります」
「お互いに異人というわけだ。」
 耕法は笑った。
「妹は身体が弱くてね。哉、あの子犬ばかりが相手で。それで自分の身体の事も考えず、外に追いかけて行ってしまったのだろう」
 耕法は鷹揚に笑った。
「手短な礼ですまんが、仕事の途中で。今、繊細な所なので直ぐに戻らなくてはならない」
「耕法さまはどんな仕事を。もしかしたら、手伝える事があるかもしれません」
「秘密だ。まだ本当に途中だからな。だが、成功すれば多くの民が救われるはずだ」
 耕法のまなざしは真摯だった。
「それはすばらしいですね。己の学ぶ経世塾の教えもそうです。」
「経世済民だな。小利を考えるよりも、大きな幸福の為に全ての術はある」
 辰己は強く頷いた。それは辰己自身も常に感じている事だ。
 天幇は救える力を持ちながら飢饉や洪水の時でも力を出すことはない。天幇が執行人を介入させるのは術の乱用がされたときだけだ。だが、進んで善を行う事もない。言うなれば善用も悪用も天幇の法からすれば同じということだ。
「心配事か?」
 考え込む辰己に、耕法は淡い微笑を浮かべながら見つめた。
「もしよければ妹に会いに来てやってくれないか?」
「己でよければ」
 辰己の答えに耕法は大きく笑った。
「そうか。任せたぞ」
 街を歩く足は軽かった。
 紗見耕法はよい人物であるように思えた。見張るという事にくさくさしていた事もあるだろう。
 任からすれば正直なところ誤っているのも分かっている。それでも過ちを犯した事よりも、見張るという行為から外れたせいで辰己の心は軽かった。




 辰己が屋敷を再訪したのは三日後の事であった。
 今回は紗見曜の部屋に通された。屋敷の中は何の暖もないように肌寒かったが、二階にある曜の部屋はさらに寒かった。暖炉で燃える火があるというのにそれはただあるだけでまったく部屋の暖かさに関与していないようであった。
 哉だけが元気よく床を走り回っているだけで中は静かだ。
 寝台で身体を起こし、曜は辰己を見つめた。
「すいません。寒いでしょ。私、精霊の祝福を受けていて冷たいのです」
 呪いではないかと思ったが、竜沙のような砂漠ならそれは祝福といっていいだろう。
「いえ。己の生国も寒いですから」
「国はどちらなのですか?」
「天津島です」
 東方の海に浮かぶ小さな島を思い出しながら辰己は言った。
「天津の方がこちらにいらっしゃるなんて珍しいですね」
「そうですね。天津の住人は自分の国に誇りを持っていますから、外で学ぶべきものはないと思っている。でも、国にはここまでのものはないですから」
 辰己が差し出したのは小さな宝玉のような白い玉蘭の束だった。
「花を見るというと、樹木の花が中心で、こういう鉢植えはあまり作らないですしね」
 曜は花束を受け取ると笑窪を見せた。
「きれいな花」
 曜は玉蘭に顔を寄せてその僅かな花の香りを楽しんだ。
「この屋敷は花が無いと思いまして」 
「兄は花が嫌いなのです」
 曜は目を伏せた。
「竜沙の人は緑や花を尊ぶ。そんな話を聞いた事があります」
「この花洛で咲く花がきらいなのです」
「どうしてですか?」
 発した問いの答えのような沈黙に辰己は。
「私たちの故郷はこの花洛から三日程のところにある羽流です。兄が子供だった頃、旱魃が続き、花洛の水を分けて貰えば助かったようですが、花にやる水がなくなると断られたそうです。今もそのために」
 確かにこの街では妙に思えるくらい花が絶える事はない。それがとある廟に関わる伝説であるのを辰己は知っていた。
「でもこの街の花はきれいです。哉を追いかけて外に出たときに思いました。どうしてこの街にこんなにたくさんの花があるのか不思議になります」
「この街の神は若い女性で花が好きという伝説があるんですよ」
「あなたに会った時、その廟に行くところだったんですが、その話は知りませんでした」

「廟に行かれるのなら案内いたしますよ。ちょうど今日は花祭りの日だからたくさんの店もでていますよ」
「本当ですか? 嬉しい。辰己さまとご一緒なら兄も何も言わないと思います」
「耕法殿がですか?」
「ええ。辰己さまの事を気に入られたようです」
「そうですか」
 自分が心から笑っていることに気付いて辰己は驚いた。
 役目の為。そう思っていたはずなのに曜や耕法を好ましく思っている自分がいた。
「こうして出かけたのは久しぶりです」
 紗見曜の言葉に辰己は頷いた。
 大勢の参拝の人々に混じり二人は廟を回っていた。
『天后廟』とその廟の名はいった。西から伝わったというその女神は月の女神であり世界を支配する女神だという。眠っている間はどこにでもあり人々の小さな幸せを支えるが、目覚めると大きすぎる力が集まり大きな災いになるという。だからこそ彼女が愛している花の香りで眠りに落ちているように、人々は花を捧げる。
 参拝の人々は実に多かった。
 辰己や曜のように一見紘土の民と変わらないものから、見かけからこの大陸のものでないものも多く見られた。でも、人々はみな一様に花に微笑み、神に花をささげた。
 花の香のするそこは、冷たい空気の中でも春のようであった。
 花を愛する女神の話は嘘ではないようで多くの花が飾られている。
 冬の外気に触れたせいか曜の頬が珍しく赤みを持っていた。
「お願いもできたし、いい思い出もできました」
「これから何度でもいけますよ」
 曜は小さく笑った。
 二人はそのまま帰路についた。人気のない道で二人は黙ったままだ。
 言葉を発してしまえば何か失われてしまう。そんな気がして辰己は口を開かなかった。
 曜は立ち止まり辰己の顔を見つめた。
「大丈夫ですか?」
 出会った時の事を思い出し辰己は曜の顔を見る。しかし曜の顔は相変わらず白いものの苦しげな様子は見えない。
「こうして外に出るのは本当に稀なのです。辰己さまとあったあの日も哉がいなければきっとでなかったと思います」
「身体を大切しないといけませんから」
「ええ。でも、家から外をじっと見ているだけの日々はどこか悲しかったものです」

「これからどこにでもいけますよ」
「兄のしていることはもう少しで終ります」
「え?」
「ずっと家を見てらっしゃいましたね」
 辰己の顔に驚きが浮かんだ。
「できることといったら家の中から外を眺める事くらいでいつの頃からか、あなたに気付きました。考えてみればすぐ思い当たりました。兄の事ですね。辰己さんは花洛の役人ですか?」
 言葉でならいくらでもつくろえる。そう思っていたが、曜の目にもう囚われていた。
「天幇の執行です」
 答えを聞いた曜の顔が曇る。
 執行は恐ろしい噂を持っている。一軍を相手に傷一つつかずに勝ち抜いたもの。城一つをまるまる消し去ったもの。それを思い出しているのだろう。
「兄のしようとしているのは天を操るものですが、それは水がないで、亡くなった人々をもう作りたくないからです」
「いい事ですね。術は本来そうしたものだと思っています。少しでも人を幸せにできる力です。耕法殿は正しいと思います」
 曜は嬉しそうに笑った。
「水不足は去年も起こっています。今年も起これば、もう紗族は終わりでしょう。今この街に滞在しているのも交渉の為です。もし譲って貰えなかったら兄は何をするかわかりません。でもわたしには止められません。だからもし何かあったら止めてください」
「何かなんてきっとないです。花洛には余裕がある。それに耕法殿の交渉もきっとうまくいます」
「ええ。そうだと信じてます。だからもしの話です」
 辰己は曜の何かを押し殺したようなまなざしに頷いていた。
「良かった。神さまにもお願いしたのですけど、必要なかったですね。辰己さんがいてくれればだいじょうぶに思えます」
 曜は笑った。
 気付けばもう家の前だった。
「今日はありがとう」
 曜はゆっくりと頭を下げた。








 翌朝、街は雪の白に染め上げられていた。いや、白に塗り込められていた。
 花洛の長は、前例がないと、紗族の訴えを退けたのだ。
足が柔らかな雪に沈むのを耐えながら、北家辰己は歩いていた。もし立ち止まれば、身のうちに微かに残る熱は消え、そのまま凍え死んでしまいそうな寒さだった。
 処女雪を踏みにじる中、時折鮮やかな花が舞った。
 数刻前まで街を彩り、花洛と称されるのを当然と思わせた大輪の花々。よく見れば、雪の中、至る所に花が埋葬されていた。
 辰己は花に気をとられる事なく、歩みは変わらない。むしろ早さを増し、気づけば駆け出していた。
 雪に足をとられ、幾度となく転がりそうになりながらたどり着いたのは一件の屋敷だった。
 三階建ての大きな屋敷が立ち並ぶ中で、二階建ての高さは目立つものではない。
 しかし、ここは今、花洛の屋敷の中で、もっとも重要な場所だった。
 空気が冷たさを増している。もし、気の流れを見ることができる、見鬼浄眼であれば、屋敷を中心に寒さが渦を巻いているのを見るはずだ。そして辰己は浄眼を持つものであった。
 雪の中、屋敷の中に続く門は直ぐに見つかった。いつもなら馬車の出入りする大きな扉は凍りつき、またその重さのため、百貫の重さを持って動くことはなかった。
「どうする」
 辰己の視界の隅に黒く動いているものが見える。それは一匹の子犬だった。犬は辰己を見つけると大きく尻尾を振りながら飛び込んできた。辰己も腕を広げて犬を抱き上げる。
「哉」
 辰己の声に犬はか細い声で答える。腕を伝わってくる熱は弱い辰己に伝わってくる。
「しっかりしろ。お前の主人はいるのか?」
 犬は一声あげると、辰己の腕から飛び降りる。
 門に向かい吠え掛かる様子は中にいる主人を思うものか必死であった。
 凍りつき動かぬ扉。
『人界において、術を濫りに使うこと許さず』
 幾人もの師から教えられてきた言葉が木霊する。
 辰己の手が白銀の光に包まれる。小さく「斬妖索」と口訣を唱える。辰己の手からのびた光は白銀の光刃と化して走ると、扉は両断されていた。



 門をぬけ直ぐに庭園が現れた。そこは街中において辺境を思い楽しむような純粋な庭ではなかった。黒い巨大な方形の石が並んでいて、ここもまた雪に埋もれつつあった。そこにあるのは自然ではなく、人の意思の絡む、巨大な仕掛けのようだ。辰己の浄眼を通してみれば、その仕掛けによって、気の流れが変わり、雪を招いているのは明らかだ。
 哉が大きく鳴いた。風が大きく吹いた。降り積もった雪が舞い上がり、風に散る中、眼を閉じて、一人の少女はいた。庭園の装飾であるかのように柱と同じ黒に染まり、一体化しつつある体。
 雪が吹き荒れる。冷気が全身を包むように厳しい。花洛を包む凍気の源は彼女だった。精霊の祝福といっていたその力は、大きな呪いとなっていた。
「曜」
彼女は目を開けた。
「来てくれると思っていました」
 雪華は止む事無く降り続いている。
 辰己は岩に触れた。
 岩はそうして手を触れてもまったく動くことはなかった。それだけでない。触れた先から辰己の腕が氷に包まれ始める。
「くっ」
「これは消えてしまった神の業なのです。兄が思っていたよりもずっと強かった。もうわたしを飲み込み止まる事もない」
 辰己は紗見曜を見た。
「兄も気づいて止めようと思ったのですがもう間に合いませんでした」
 曜の眼に悲しみが灯った。その目の先には紗見耕法が息絶え、雪の中に埋もれている。
「できるでしょこれを止めること」
 雪を止めるためには、この狂った神の道具のもっとも弱いところを壊さねばならない。
「できない」
 雪が降り始めてまだ一晩。それでも花洛は死んでしまったように静かだった。これが半日も続けば花洛は息絶えるだろう。
「分かっているでしょ。この花の街を喪いたくない」
 辰己には壊すべきところが分かった。弱いところはただ一つ。生身である曜の体だけだ。
「廟に二人でいきましたね」
 曜の目が楽しげに細まった。
「あの時たくさんの人たちを見ました。兄は、街とか国を相手にしているつもりだった。でも違うのです」
「曜」
「あの人たちを守ってください」
 先程まで元気だった哉の動きが止まった。
 辰己の手が白銀の光を見せる。「斬妖索」と口訣と共に白銀の刃が曜の身体を切り裂く。石柱が砕け散った。
 降る結晶が少しずつその数を減らし、雪へと変わっていく。
 辰己は雪の中に埋もれた曜を抱き上げた。僅かなぬくもりが辰己に感じられた。祝福も呪いもなくなった本当のぬくもり。
「力がないから」
 曜は辰己を見た。どこか遠くを見ていた眼が今は辰己だけを見ている。
「ありがとう」
 曜は笑窪を見せて笑った。ぬくもりは彼方に消え去っていった。
 涙が零れ落ちた。出会ってまだ数日しかたっていない、それでも好きだったと分かった少女。
 このまま自分も雪に埋もれてしまいたかった。哉が吠える。激しい声は辰己を叱咤するようだ。
「そうだな。でも、もう少しだけ」
 

 太守は話を聞き終えると耐え難い眠気を覚え、辰己の許を去った。
 愛するものを仆した辰己の行いを義侠の士だと簡単に賞賛する事もできずに、何か彼の重荷を除けるものを探したが見つかることはなかった。
 太守は起きると、側付のものより、辰己からと書物を渡された。開けば、昴の地にあった経世済民の方法が細かく記されていた。
 直ぐに辰己の室に出向いたが、室内はひっそりとして、人の姿も、物の姿も無かった。
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2011年11月06日

浄眼児

 身分を隠し、領土を視察していた昴国の太守の某が、道中一人の青年に出会ったのは、寒波が大陸を襲った年の事であった。
 幸い寒波は昴国まで至る事はないようだが、田畑はいつもより多く霜がかかっている。収穫には響かぬようで太守は安堵の息を吐いていた
 そんな中、民に混じり、昴国には珍しい天津風の衣装を着ている青年がおり、思わず声をかけた。
 青年は名を北家辰己といい、花洛の私塾で学んでいたが、寒波で先生が具合を悪くし、塾を畳むことしたので、旅をしているのだという。
 花洛は千里あまり離れた遠地であり、太守の甥も住んでいた事もあり、興味を持って話しかけた。
 青年が何を学んだかと問うと経世の学であるという。昴国で出世を願えば、経世などではなく、儀礼や法令、文章といったものであるから、太守は不思議に思い尋ねた。
「どうしてそのようなものを学ばれるか。栄達されたいのなら、そのようなものを学ばれても、試験にはうからぬし、故郷に錦を飾るのも難しかろう」
 青年は少し考え込むと、
「そういう事は考えた事はありませんでした。ただ、どうせ学ぶなら、人の為になることがいいと思ったのです」
 太守は青年に道行く草原を見ながら尋ねた。
「この草原を拓こうと思うのだがどうだろう」
「この地は草があって、それが根を張ることで土を固めています。耕すのは向かないかと」
「では鉄をとるのはどうだろう」
「この地では、鉄のたぐいは無理かと思います。もし、何か殖産をされたいのでしたら、牧畜がよいかと」
 そのような会話がいくつもあり、青年の博覧な事を知った太守は大いに気に入り、仕官する気はないか誘ったが、あまり乗り気ではないないらしく、首を縦には振らなかった。
「では、しばらく我が家に滞在するのはどうだろうか」
「それなら」
 青年は食客として、太守の屋敷に住む事になった。
「姓名を聞いていいだろうか」
「北家辰己ともうします」

 辰己は与えられた一室に居ることが少なく、庭の一角を借り、鉢植えにした草花を育てていた。様々な種類で、ほとんど見慣れぬものだった。
 地面に這いつくばるように咲く花、赤子のような身をつける木、見ていると懐かしい人を思い出す草。
 辰己は鉢植えが育つと、どこかに持って行き同じ草花があることはなかった。
 しかし、太守や、同じような食客が尋ねると歓談し、その際には珍しい茶を振る舞うなど吝嗇ではなかったので、誰にでも懐かれた。
 そんな辰己の居室には、書物と寝具だけが置かれ、無用のものは何も無かった。
 季節は冬が終わり春にかかろうとしていた。
 取っ替え引っ替えだった草木は、いつの間にか幾つかのものになっていた。
 彼は頻繁に出かけるようになり、屋敷には週に一日二日いる程度になってしまった。
 ある日、太守のもとに、甥が訪れ、宴席が開かれた。
 甥は、辰己を見ると、驚きを隠さなかった。
「浄眼児」
 太守は驚きの理由を尋ねようとしたが、様々な客に、甥を紹介するのに忙しく、宴席で尋ねる事は出来なかった。
 夜になり、太守は甥と二人になったので、驚いた理由を尋ねた。
「花洛で何度か見たのです」
「彼は半年あまり食客としてここにいる」
「本当ですか」
「ただ、その話は興味がある」
 甥は話し始めた。

 花洛の寒波は叔父上もご存知と思います。あれはひとつの祟りによるものだと、街に住むものは申しております。
 花洛は街ができた時から、一柱の神がいるといいます。それは石神で、一見、ただの石に見えるといいます。
 ただ、その石神は毎年、街の中で場所を変えるのです。誰かが運ぶのではありません。季節が移り変わるように、石神は、様々な石を渡り歩くのです。
 花洛は、名の如く、花の多い街ですが、その花は石神に対する捧げ物だといいます。花がある限り、神は満足していると。
 寒波の訪れた日、石神のある屋敷で女が殺されました。血で汚された事に起こった石神が寒波を起こしたというのです。加えて寒波によって花は枯れ、ますます広がりました。
 その時、花洛で鉢植えの花を配る男がおりました。天津風の衣装に、青とも緑ともつかない不可思議な瞳。それが彼なのです。その花で石神が怒りを沈めたように寒波は終わり、私は花洛を出て、昴に戻ってきたのです。

 太守にとり甥の話は合点がいくところと、いかぬ所があった。
 鉢植えの減る理由と、最近まで花洛にいたということだ。花洛から昴国まで千里あまり。どう馬を飛ばしても、一月近くはかかるはずだ。辰己はよく外出していたが、そんなに長く姿が見えないことは無かった。
 太守は夜が明けるのを待ちかねて、辰己の室を訪れた。
 部屋は寝具が綺麗に畳まれている。庭にいっても、あれだけたくさんあった鉢植えは一つもなく、ただ寒風だけが吹いていた。
 
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2011年10月04日

クロヌシカガミさんの連続アップ109たいに便乗して書いた話

クロヌシカガミさんhttp://www10.plala.or.jp/cotton-candy/ で
8月31日から、109たいのおばけをUPし、そのうち本物はどれだ? っていう企画をしていたのでそれを見て、思いついていくつか掌編を書いて見ました。



好き好き
枝娘という妖怪がいる。樹の枝を見ると娘の顔をした虫がいるという。その娘の顔は恐らく、恋しい人のもの。何を見ても彼女に見えるというのは、色恋に身を焦がしている時はよくある事。虫の形なのは、蓼喰う虫も好き好きということであろうか。



一夏の変化
あおじめ という物が出るとものすごく大きな実がなる。それは名のごとく大きな目玉だけどいつの間にか消えるらしい。今年はうちの畑にも出た豊作だった。自分も物凄く元気になり、頭も良くなった。違う人間になったみたいに。テケリと虫の鳴き声がする。自分の体にもあおじめできた。



ゆうがお
天窓から誰かが覗いている。引窓覗だ。黙って睨みつければ消える。一つ目小僧は家々を回り、善悪の帳簿をつけるというから、その一種だろうか。ただ、それが石洲女なら、気づいた事を知られていけないという。窓がガタガタとうるさい。立ち上がって顔を上げればそこに夕顔のような女の貌。



人生は重い荷を・・・
鳥が赤ん坊を連れてくるなんて嘘教えるのは駄目だ。しっかり教えておけば、了見が備わるってもんだ。あ、荷鷲は嘘じゃあはないぞ。どこぞのガキが悪戯したせいで荷鷲が落ちた事がある。そのせいで儂はあの世からのお迎えがいつくるか分からなくなっちまった。響甚兵衛(三二七歳 職業 農業)よりの聞き取り



狂劇花
酔って家に帰ると彼女がいた。ハイテンションで話してて涙が出てきて、もういないことを思い出した。彼女は悲しそうに笑んで消えた。鉢植えの花が咲いている。彼女の故郷に咲くという百合に似た花、やたらばな。人に化け惑わすいう花。綻んで彼女に会えるなら惑わされてもいいと思ったが、あれきり花は咲かない。
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2011年03月08日

「教室」で 登場人物が「張り巡らす」、「時計」という単語を使った怪談を考えてください。

「教室」で 登場人物が「張り巡らす」、「時計」という単語を使った怪談を考えてください。 http://shindanmaker.com/94450 #kaidan_odai




張り巡らす
まわり一面に張る。もれなく張る。


 時間は時計によって示される気になるが実際は感覚によるものだ。つまらない授業と楽しい放課後、その早さは意見。張り巡らした中、私たちは永遠になった。張り巡らされた糸を弾くと、時間が流れ出す。見る間に残るのは骸骨である、最後に残った芥も消えた。

 教室はほこりがたまっていた。その中を蜘蛛の巣が張っている。こんな部屋を部室に貰えると言われても嬉しいことはない。蜘蛛の巣をはいだ。奥には一人の女の子。一目で恋した。蜘蛛の巣をどかす。女の子の顔は恐怖に包まれた。自分は脅かす気などないんだ。声に出すと女の子は笑った。

 廃教室で女の子を見る。彼女を救うために蜘蛛の巣を払うことが必要だと思うが、それは彼女の死に直結している。
彼女の時間は張り巡らされた糸によって止められているのだから。時計が進むのはその象徴のようなもの。


 あなたは、フィルムを一コマ一コマ眺めてはため息をついている。フィルムには学園祭で使う映画のフィルムが蜘蛛の巣のように張り巡らされていた教室。



完成形
 あなたはモニターを見ている。制服の少女が一人、教室を歩き回っている。壁の時計は3時過ぎ。真夜中。少女は半ば透けている。今、撮影中の幽霊の映像だ。少女は張り巡らされた結界に気づいたのか一点を見ている。少女は見えなくなった。カメラの死角に入ったのだろうか。吐息が首筋にかかった。
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2009年08月02日

Day Lily









百合忌                  

「なんだここ」
 麻績優は声をあげた。
 優が見ているのは、パソコンの画面だった。
 いつもと同じように、CG(コンピュータグラフィックス)を求めて、ネットサーフィンしていたはずなのに、知らないところにきてしまった。
 こんな風に知らないページを開くのは珍しくはない。ウェブページはそもそも確認しきれないくらいたくさんあるし、そのうえ一日数千単位でサイトは増加している。加えて『Deep Web(ディープウェブ)』と呼ばれる検索エンジンでも見つからないサイトもある。小学校の授業ではこうしたところに入る事すら禁じているが、優は気にした事はない。物心ついた時から、パソコンで遊んでいた人間からすれば、未知のサイトにこそ、新たな情報が眠っているのをしっていた。
 優は夕飯代わりのポテトチップスを口に入れながら、少しこれまで見てきたページを考えた。
 意図してないサイトに入るのは珍しい。先程まで調べていたサイトはどこかに貼られていたリンクがダミーで、違う所に転送されたのかもしれない。
 それならあまりいいことはない。もしかしたらウイルスなどパソコンに不具合がでるような罠が仕掛けられているかもしれない。
 サイトの名を見ると、『Day Lily』。どこかのカメラから送られてきている映像のようで粗く、汚い。
 コンクリートが打ちっ放しの部屋は、窓はなく、薄暗い。天井につけられた裸電球が揺れている。どこかの地下であるようだった。
 毛布を被った人間が壁に寄りかかっている。顔を下に向けているので表情は見えない。
「やばいサイトかな」
 一応、セキリュティソフトを確認するが、ウイルスやトラップなど、パソコンを害するものはないようだ。
 しかし、危ないのは変わりない。『Day Lily』からの接続を切ろうとすると、毛布が動いた。毛布がずれて、暗い中でも白さの分かる足が見えた。その女性のものと思われる細い足首には奴隷であるかのように足枷がつけられている。
「趣味悪」
 思わず舌打ちする。
 演出にせよ足枷は鋼で作られていて、足に噛みついたように見える。足枷の横には青白い痣がついている。その痣の横には切り傷がある。
 優は息を飲んだ。よく見れば足には無数の痣や傷があった。それは自然でできるものではなかった。何らかの暴力が彼女を通り過ぎたのだ。
 優はじっと画面の中を見回した。裸電球の光のせいで部屋全体はよく見えないが、床に黒い染みが見える。それは固まった血のように思えた。
 カメラを設置し、海や空の様子を、定点観測してインターネットで流しているところも多い。アダルトサイトでは、若い女の子の部屋をカメラを設置して盗撮しているサイトもある。それはやらせだろうが、これはどうだろう。
「これ本物か」
 少女は顔を上げた。髪で顔半分は隠れているが、綺麗な輪郭が見える。その口元のほくろには見覚えがあった。
 優は立ち上がってパソコンの画面に近づいた。画面に近づいたところで、髪で隠れた顔が見えるわけではない。
「ああ、もう」
 声が聞こえたように少女は顔を上げた。
 髪が流れて、顔が見えた。猫科の生き物のようにつり上がって見える目が優を見ていた。
 優は壁にかけてある時計を見た。こういう時は結論を出すまで一分考える。慌てやすい自分に向けての父親からの助言だった。
 一分たってもう一度見直した。
「やっぱり」
 そこに映る顔はクラスメイトの弥勒地華弥だった。

 寝不足だったせいで、遅刻しかかった優は、八時十四分に教室に駆け込んだ。自分の席に座って回りを見ると、あと一分で、ホームルームが始まる事もあって、教室の席はほとんど埋まっている。
 担任の大原先生が入ってくる。
 クラスのいろいろな所から先生に、朝の挨拶が上がる。大原先生は着物が似合いそうな和風の美人でありながら、多少S気もあって生徒に人気がある。
 出席を取り始めると、だれもが大きな声で答えるが、弥勒地華弥の答えはない。
 休んでいる華弥の事を誰も話題にしないが、彼女は学校では有名な女の子だった。
 低学年の時に『二人のロッテ』というアニメで主役を演じる声優として、テレビでよく見かけた。高学年になってからは月9のミステリーに出演して端役ながらも、明るい演技で有名になっていた。そうした芸能界の活動が忙しいのか、不登校気味でほとんど学校に来ない。
 優はホームルームを聞きながら、こみ上げてくるあくびを口で押さえた。
 昨夜見たサイトが気になってほとんど眠れなかった。いつもは夜遅くまで起きているわけではないせいでふらふらする。
 二限目の授業まではがまんできたが、三限目で限界で頭が痛くなってきた。
 大原先生に体調不良を報告すると、保健室に連れて行かれた。
「この子、気分よくなるまで寝かしておいてもらえない」
 大原先生の声に、白衣を着た養護教諭のイチゴちゃんが顔を出す。
「分かりました。君、そこのベッドで横になっていてください。もうしわけないのですが、奥には、先客がいますから、できるだけ静かにしてあげてくださいね」
 イチゴちゃんに言われるままに、できるだけ音を出さないようにベッドに寝転がった。

「寝不足だと思いますけど、もうダメですよ。学ぶ機会を失うのは、あとで自分に罰になって返ってきますからね」
「すいません」
 イチゴちゃんが仕切のカーテンを閉めた。
 先程まであれだけ眠ったかったのに、今は眠くない。保健室に来るなんて珍しいから、胸がどきどきしている。
 天井を見ていると、いつの間にか灰色になっている。
 保健室の天井は白いし、灰色で裸電球なんて揺れているわけはない。自分がいるのはベッドの上のはずだ。それなのに背中から容赦なく冷えてくるのはどうしてだろう。
 足音がした。
 イチゴちゃんかと思ったがカーテンを開いたのは別の見知らぬ男だった。その手に鞭が握られている。
 風切る音が響いた。痛みが頬に走った。鞭で打たれた。
 どうして。なんで。
 殴られるようなまねはしていない。考えている間にも鞭は振り落とされる。考えられなくなる。
 痛みが来る度に、獣のように叫んだ。しかし叫べたのも最初のうちだけ。気づけば、声も出なくなっていた。

「起きなさい」
 目を開けた。夢を見ていたのが分かった。昨夜の華弥の映像。あそこに優が巻き込まれた夢だ。
「落ち着いた」
 艶のある声だった。声の方を見れば、きれいな輪郭とほくろが見えた。猫科の生き物のようにつり上がった目が自分を映している。
「みろくじかや」
「さんくらいつければ」
「弥勒地さん。僕、俺は麻績優」
 華弥とクラスメイトだが、一対一で話すのは初めてだった。落ち着かなくてはいけないと壁掛け時計を見るが、それより前に華弥は話し始めた。
「それでいいわ。私は、自己紹介はいいわね?」
 優は頷いた。
「それで何で魘されてたの?」
「怖い夢を見て」
「子供ね」
 誰のせいだよと思って言い返そうとすると、華弥は顔を近づけてくる。息が苦しくなるように錯覚した。近づいてくる鳶色の澄んだ瞳に吸い込まれてしまいそうだ。
「何だよ」
「それくらい元気なら大丈夫ね。そろそろ仕事行くから」
 華弥は離れると背を向けた。
 昨日見た足首の痣が気になって足下を見た。足はブラックジーンズで覆われて見えない。どこか肌が出ていないか見た。夏だというのに黒い長袖のシルクのシャツで、手首から先すらも手袋で覆われている。
「じゃあ、イチゴちゃんに言っておいて」
 華弥は軽く手を振って出て行った。
「お大事に」
 そのまま優は華弥の消えたドアを見続けていた。

 優は家に戻ると直ぐにパソコンの電源を入れた。
 昨夜気になったので、弥勒地華弥に似た少女のいたサイト『Day Lily』は、一応ブックマークにいれて、見られるようにしておいた。
 インターネットにつなぎ、ブラウザを立ち上げ。サイトを開く。
 『Day Lily』は昨日と同じ部屋だった。昨夜は分からなかったが、部屋の天井に近いところに窓らしきものがあった。そこから光がわずかに降りてくる。部屋の端にはロゴの入った段ボールに詰められた荷物がたくさん置かれていた。
 少女は昨夜と違い顔を上げている。ただ、これといって何する事もなく、一点を見つめていた。その一点は外から漏れる光だった。
 その光のせいか、少しは分かることがあった。昨夜は見えなかったが、カメラらしいものが部屋の天井を始め、数カ所に設置してある。
 今自分が見ている視界以外にもカメラがあるのだ。そう思ってマウスをいじっていると、カメラの変更らしいアイコンが現れた。クリックすると、少女の正面にアングルが切り替わる。
「やっぱり弥勒地だ」
 今までは遠くで見ることしかできなかったが、今日、声をかわしたからこそ、ここにいるのが弥勒地華弥である自信が持てた。
 あんな、きれいな女の子がそこら中にごろごろしているわけはないのだ。
 あのあと学校から出て、ここに来るのが仕事なのだろうか。だとすると、これは一種のヤラセなのだろう。
 学校での様子を思い出して、少しだけほっとしていた。華弥が仕事の上でしているのなら、この異様な様子もきっと何らかのお約束の中での出来事なのだ。
 それなら、今ここで見えている華弥の演技は素晴らしいものだ。学校での闊達さは一切感じさせず、ただ何の興味もないのにまばたきもせずにじっと一点を見つめている。ただ、存在しているだけの、きれいな人形のように思える。
 それなのに見ていると何か胸の中を掻きむしられるような気がするのはどうしてだろう。
 こんな華奢な壊れそうなものなのに。
 いや、壊れそうなものだから、人に壊される前に自分で壊したいのか?
「やめやめ」
 優は声を上げた。今の自分の感情がおぞましいものに思えた。
 慌てたせいで画面のアングルが変わる。華弥の口元だった。薄く血の気が無い唇は動いていた。学校で見た生き生きとしたものとはまったく違うその輝き。それが何か呟いている。
 声は聞こえてこない。
「どうしたんだよ」
 声をかけても華弥の表情は変わらない。聞こえてないのだから当たり前の事だ。それでも気になって華弥の口元をじっと見た。唇は同じ動きを繰り返していた。何度見てもそれは変わらない。
「タスケテ」
 彼女の口が紡いでいるのは、ただ一つの言葉だった。

 一時間目を終えると、教室を飛び出した。めざすのは保健室だった。
保健室のドアを開けると中には、養護教諭のイチゴちゃんの姿は無かった。
 並んでいるベッドの方を見ると、奥のベッドにだけはカーテンがかかっている。そこは昨日華弥のいたベッドだ。今日も華弥はここにいるのだろうか。
「弥勒地さん?」
 答えはない。ただ、静かな寝息が聞こえてくる。優はベッドに近づいた。
 華弥がいればこっそり傷を見られる。もし、傷があれば、何らかの事情で、華弥はあのサイトで何かされているのだ。タスケテと口は動いていた。それなら自分の意思ではないはずだ。
 カーテンに手をかけた。少し隙間を開け、中を見ると、タオルケットのかかった背中が見えた。その背中は寝息に合わせて上下している。
 こっそり見るだけだ。こっそり。しかし、もし華弥が起きてしまったら。そして誰かに話してしまったら。
 クラス中から変態扱いされ、ののしられる、学校にも通えない様子が浮かんだ。最後はニュースにまでなりテレビで放映される。スパイラルして悪い方に考えが浮かんだ。
 いや、きっと起きる事はない。これだけしっかり寝ているんだ。そう心の中で呟く。
「ごめん」
 声にならない程小さくいうと、タオルケットに手をかけた。
「そこまでよ」
 弥勒地華弥の声が響いた。
 目の前ではない。したのは背後でだ。
 振り返れば、保健室の前に、ランドセルを背負った華弥が立っている。
「弥勒地さん」
「早起きは三文の得っていうけど、いつもより早く登校してきてみたら」
 芝居がかった様子で華弥は頬に手を当て、
「麻績くんたら、寝ている女の子を覗こうなんていやらしい」
「いや弥勒・・・」さんかと思って、と言いかけてから止めた。しかし、華弥はしっかり消えた語尾も分かったようだ。
「ふーん、私かと思ったんだ。残念だったね、変態さん」
 何も言えなかった。顔がとにかく熱くて、頭に血が上っているのが分かる。まともに考えがまとまらない。一分でいいから、静かに考えさせてくれればいいのに。そう思っていると口が勝手に動いていた。
「弥勒地さんの仕事に比べれば変態じゃないよ。あんな格好して、人前に出てさ」
 言い返してくるかと思ったが華弥は息を飲んでいる。そして発した声は、一切感情が感じられなかった。
「誰に聞いたの?」
「誰だって分かるさ。こんなに暑いのにそんな厚着して」
「そうなんだ。でもね、これは私にとって、一つのターニングポイントなの。麻績くんが何といってもね」
「あんなに辛そうなのに?」
「確かに辛いけど、ここは私にとって必要なステップなんだから、いったいあなたに何が分かるって言うの?」
 華弥は足下を荒々しく踏みつけた。
「ここは保健室ですよ」
 タオルケットをゆっくりとどかして、起き上がったのはイチゴちゃんだった。
「話は聞かして貰いました。つまり、簡単にいうと華弥ちゃんが麻績君を好きという事ですね」
「違います」
 華弥が声を上げた。
「初恋は実らないものです」
 イチゴちゃんは白衣を翻してベッドから降りた。
「そういうのじゃありませんから」
 華弥はいう。今度はさっきよりは少しは柔らかいが、それでもきついのに変わりはない。
「恋愛ではないのですか。それなら、喧嘩の原因はまったく思いつかないんですけど」
 優は小さく深呼吸した。そのせいか少しだけ落ち着いてきていた。
「すいません。僕が、弥勒地さんを怒らしたのが悪いんです」
 優が先にいってしまったせいか、華弥は怒りが一気に醒めてきたようで、小さく舌打ちした。
「いい子になって」
「綺麗な子が舌打ちしてはいけませんよ。あなたは素敵な女の子なんですから」
 一時間目の休憩を終わる鐘が鳴った。
「すいません。失礼します」
 優は頭を下げて、保健室から出た。その手が掴まれる。振り返れば、イチゴちゃんが手をつかんでいる。
「やっぱり熱があるみたいですから、少し休んでいきなさい」
「いや熱なんてないです。大丈夫ですから」
「だめですよ」
 イチゴちゃんにそのまま手を引っ張っられて、丸い椅子に座らされた。
 本来その椅子に座るべきイチゴちゃんは目の前に。扉の方では華弥が通さないとばかりに仁王立ちだ。
 逃げ道は、残念ながらないようだ。このまま黙っていて、授業に行かなければ、大原先生は間違いなく怒るだろう。
「あの実は、あるサイトを見たんです」
「あるサイト?」
「はい。そこで弥勒地さんと思われる女の子が、傷だらけで、何か虐待されているようなサイトでした」
 華弥の方は、ドナドナ、殺される牛でも見るような目で、こっちを見ている。
 先生の前で、キッズグーグル(児童向きのグーグル。青少年の教育上好ましくないキーワード検索は行えない検索サイト)に登録されていないようなサイトを覗いていたのを白状したのだ。学校から保護者に連絡が行くのは確実だろう。
 優を見たままイチゴちゃんは無言だった。何か考えているようだ。
 暫くして、イチゴちゃんはいった。
「そのアドレス分かりますか?」
「今は分かりません」
 イチゴちゃんは頷く。
「ありがとう。ただ、あなたが、華弥ちゃんを心配しているのは分かりました。華弥ちゃん、悪いんだけど手袋を外してあげて」
「え、どうしてこんな奴に」
「それが誤解を解く一番の早道ですよ」
 華弥は手袋をとった。日焼けしていない、白い肌が見える。しかも、手には、一切の傷は見えない。
「これで分かった? 華弥ちゃんはあなたが心配するような事件に巻き込まれていないから大丈夫」
「じゃあ、あの子は誰なんですか?」
「分かりません。ただ、そのサイトはどう見ても、小学生の見るようなサイトではないですね。私がそのサイトを確認してみますから、もう閲覧しないように」
「分かりました」
 優は頷いた。
 
 大原先生に命じられた教室の窓ふきが終わったのは、もう下校のチャイムが鳴り響く頃だった。
 結局、保健室で止められていた時間について話さずに、ただ遅刻した事にした。結果、とてもいい笑顔で掃除を命じられた。
 教室に戻った優には罰。ずっと保健室にいる華弥はおとがめ無しというのは何かおかしい気もしたが、先生には逆らえない。
 汚れたゾウキンを洗おうと、洗い場に向かって廊下を歩き出すと、華弥が立っていた。
「おつとめごくろうさま」
 言葉こそ丁寧だが、目は笑っていない。
「どういたしまして。で、何か用?」
 冷淡にいうと華弥は手をいきなり合わせた。
「お願いがあるの」
「何?」
「先生に明日見せる前に、さっき話していたサイト見せてもらえないかな」
 華弥の言葉の意味を考えた。
「やっぱり弥勒地さんなの?」
 華弥は小さく首を横に振った。そして自分の足下を見るように顔を下げた。
「私ね、双子のお姉さんがいるの。両親が離婚した時に、お父さんにつれていかれてしまった姉が」
「お姉さんが」
「もし二人で一緒に暮らせたら、みんなで一緒に暮らせたら、ずっと思ってた」
 華弥は芝居をしているのではないか。そんな考えが脳裏を掠めた。そこにいる華弥は優の知る華弥ではないからだ。
「もし先生が調べて警察にしらされたりしたら、お姉ちゃんに被害がでるかもしれない。だからその前に確かめたいの」
 華弥は顔を上げた。顔を見た瞬間、もう逆らえなかった。華弥の目から涙がこぼれようとしていた。

 優は横を歩く華弥の横顔を見つめた。学校から帰る途中、顔を見るのは何度だろうか。
 最初は落ち着いたように見えた華弥の顔だったが、家が近くなるにつれて、不安らしく、目がちらちらといろいろな方向を見るようになった。
 あまり親しくもないクラスメイトの家に初めて行くからだと最初は思っていたが、そうではないのが直に分かった。
 おびえているのだ。その証拠に最初は少し遠くにいたのに、今は自分のすぐ後ろを小さな子供のように不安気についてきている。
 優の住む団地は、建物自体の老朽化と、住人の高齢化のせいで、人の姿をあまり見ない。加えて建物全体の住人の意思が統一できた建物は、売られてしまい人がいなくなり廃墟のようになっている。そんな建物が多いせいか、全体としてはゴーストタウンといってもおかしくない地域が多い。
 そんな景色だから遠くからでも見えそうなものだが、高速道路のせいで、通っている学校から団地は見えない。華弥は、海沿いの新しい高層マンションの一つに住んでいるときいているから、初めて存在を知ったのだろう。
 優の住んでいる建物はそれなりに人がまだ多くいる棟だが、団地の中でも古い建物だ。そのせいで雰囲気は先程まで通ってきたゴーストタウンと変わらない。
 建物につくと、エレベータのない階段を上がる。四階に優の家はあった。立ち止まり、自分の部屋を指さすと、華弥は少し安心したのか大きく息を吐いた。
「古くて驚いた?」
「別に」
 扉をあけると、いつものようにぎいっと重い音を立てた。振り返れば華弥が少しばかり、身を固くしている。確かに慣れない人からすれば、この鉄の扉も少しばかり恐ろしいものだろう。 
「どうぞ」
 優がいうと、華弥は頷いた。

 家の中に入ると華弥は驚いているようだった。和室になった部屋には荷物はなく、使っているのかもよく分からない雰囲気だ。
「それに座って」
 優は押入から座布団を出して置いた。
「パソコンは?」
「部屋にあるから持ってくる」
 優はランドセルを起きがてら、自分の部屋に向かった。後ろから華弥がついてくる。
「どうしたの」
「動かすの面倒でしょ。部屋で見せて」
「え、嫌だよ」
「そこ」
 舞うように軽やかに、華弥は優の前の扉を開いたが、そこで華弥の動きが止まった。
「綺麗で驚いた」
「綺麗って言うか、物がないからでしょ」
 板張りになった洋室には、床に直にノートパソコン。壁際には段ボールがいくつかと、寝袋が置いてある。装飾といえば、壁に貼ってある映画のタイタニックのポスターくらいだ。
「なんでこんなに物がないの」
「うちの父親転勤多いんだ。引っ越しの度に片付けるのが面倒くさくなっちゃってね。だいたいの事はパソコンがあればいいしね。それに引っ越したことあるでしょ?」
「ないよ」
「両親が離婚したって」
「ああ、あれ。ああ、えっと、家は残ったから引っ越しはしてないから」
 言葉に詰まる華弥に優は罪悪感を覚えた。もしかしたら、何か辛いことを聞いたかもしれない。
「ごめん」
「いいよ、気にしないで。あ、でもタイタニック好きなんだ。わざわざ飾ってあって」
「好きっていうか、それは趣味の一環」
「なんで?」
「CGで絵を描くの好きなんだよ」
「どうしてタイタニックにいくわけ。これって恋愛ものでしょ」
 そういいながら華弥は、舳先にいるようにポーズをとりながら『I'm flying, Jack!』と芝居を始めている。
「そのシーン全部CGなんだよ、役者さん以外」
「あ、瞞そうとしてるでしょ。あんなにきれいなシーンがつくりもののわけないじゃないの」
 優は苦笑いした。確かに自分もCGについて学び始めてから知ったことだ。普通に見ていて分かるわけはない。海や船だけでなく、あの風や光の感じまでCGだなんて普通思わない。
「それよりパソコンを見たいな」
 優はパソコンの前に座って、電源を入れる。華弥は、優の後ろに立って中腰になってパソコンの画面を見ている。
 ブラウザが立ち上がり、『Day Lily』を映し出す。
 画面に地下室が現れる。中には華弥に似た少女がいた。赤い夕焼けの光の中、コンクリートの床に伏せている。
 コンクリートの冷ややかさは、接触しているところから冷え、熱を奪われ、最後は体力を削られる。それなのに少女は伏せたままだ。
 『Day Lily』は相変わらず音がない無音の映像だ。そのせいで背後にいる華弥の息づかいが、画面に被って聞こえてくるので、いつもより生々しく感じられる。
 振り返れば、華弥は一心になって画面を見ている。その目は離れた姉を見ると言うよりは、敵でも見るようだ。華弥はいらついているのか自分の親指の爪を噛んでいた。
「どうかな」
「映像粗いからっていうのあるかもしれない。でも、悔しいけど、私と間違ったって言われても納得できる」
「そうでしょ。よかった」
 少し嬉しくなって答えると、華弥の顔は怒っているのか白い肌が青みを帯びて見える程だ。自分に向けられたのかと思ったが、それが画面に向けられていた。
「よかったなんかじゃないよ。この子の傷、大丈夫っていうレベルじゃないよね」
 華弥は画面を指さした。少女の身体のいろいろな所に見える傷。優は気づかなかったが他にもたくさんあるのが分かった。
「ねえ、これ何なの? アダルトサイトってやつ」
「最初に偶然かかったからよく分からない。ただ、まっとうなものじゃないと思う」
「それは、まあ自分がまともなサイトを見てなかったいいわけみたいだけどまあいいわ」
 華弥は爪を噛むのを止めた。
「この子は助けないといけない」

 優はパソコンを見ていた。開いているのは『Day Lily』だ。
『この子は助けないといけない』と華弥は言っていた。でも、具体的に何も思いつかなかったらしく、そのまま帰っていった。
 優ができるのはサイトをこうして見ることだけだ。だが、その中にもしかしたら、彼女を救うヒントがあるかもしれない。
 しかし、見ていても彼女はほとんど変わりはない。
 優はサイトを動かしはじめた。前したようなカメラの切り替えをしていれば、何か今までの視界では、見ることができなかったものがあるはずだ。
 その中で怪しそうなものを探す。例えば、特定の場所をクリックすると、何か起動するものがあるかもしれない。何かキーを押せば現れるものがあるかもしれない。そう考えていろいろと調べて回ることにした。
 気づけばもう夜中になっていた。

 いつもの如く、ポテトチップスと、牛乳を夕飯代わりにして、続けることにした。カロリーが回ってきたせいか、頭がはっきりしてきた。
 パソコンのキーや組み合わせは有限だが、実際行うには不可能と思われるくらい多い。
 検索サイトで、『Day Lily』を検索する事にした。しかし、分かったのは、それがワスレグサと呼ばれる植物の英名であり、語源は一日で花が枯れるからと言われていることくらいだ。このサイトそのものに関する情報は見あたらない。
 仕方なしに、明日、イチゴちゃんに見せるためのアドレスを連絡帳に記入した。
「もうこれ以上は無理か」
 パソコンから離れてひっくり返る。どちらにせよ、これ以上は自分でできないかもしれない。
 それなら人の手を借りる事もできる。基本的にウェブの世界は自己責任だ。調べも考えもせず、学校で先生に質問するように、聞く甘えは許されない。そんなことを聞いたが最後自分でもっと調べろといった意味で『ググれ』や、『過去ログ見ろ』といった言葉が返ってくる。
 しかし、『Day Lily』に関してはそんなことないのではないだろうか。これだけ調べても分からないのだから。
 確実にそういった知識やテクニックを持っている『神』と呼ばれるような人間のいるのは、匿名系の大手掲示板だが、独特の言い回しも必要で辛い。しかし、書き込むのならここだろう。
 文章をいろいろ考えて書き込もうとしたところで、手が止まった。
 もし優がここでサイトのアドレスを書けば、場合によってはかなりの勢いで情報が広がる。そうすれば、『Day Lily』が、アクセスの多さに耐えきれずつぶれるかもしれない。そうなってしまえば、もう何も分からなくなる。
「そうだよな、やっぱりダメだ」
 起き上がってパソコンの画面を見た。
 声を上げていた。そのまま画面を閉じていた。
「何だよ、今の」
 閉じる寸前、画面いっぱいに迫ってくるのは鳶色の瞳だった。カメラぎりぎりまで近づいているような少女の顔は、生命も危ういように思えた。
 
 放課後、保健室に向かった。
「遅かっですね」
「いろいろあって。すいませんでした」
 何もありはしない。ただ、保健室に来るのに遅れたのは、優の問題だ。
 優は保健室の中を見回した。華弥の姿はない。
「華弥ちゃん、今日は来ていませんよ。映画の撮影だそうです」
「そうですか」
 少女の瞳に射貫かれた気がした。その瞳にある虚ろなものを思い出すもの、華弥に近づくのが怖かった。
 少女にもっとも近いのはサイトであるが、似ているのは華弥だ。華弥の中にあの少女を見いだしてしまえばもう。
 イチゴちゃんがじっとこっちを見ている。観察するような目に、自分が華弥を避けているのが見透かされているかと怖くなった。
「サイトのアドレスですが、もしかして忘れてしまいましたか?」
「いえ、メモです」
「ありがとう」
 イチゴちゃんは笑顔のまま、メモを受け取り、机の上のパソコンを起動した。のんびりとした雰囲気に合わない素早さで、アドレスを素早く入力し、マウスをクリックしているのが見える。
「サイト、消えてしまっていますね」
「本当ですか?」
 確かに白い画面には存在しない証として、黒く大きく404の表示が出ている。三桁番号404は、そのデータが存在しないということだ。
「間違ってはないと思うのですが」
 確認するように手で促され、優はパソコンの画面を見た。アドレスを確認するが間違いはない。
「もしかしたら、消去されてしまったかもしれません」
「昨日、今までと違う見え方していたんです。あれは最後だったからかも」
「どんな感じだったのですか?」
「カメラにぴったりくっつくように彼女の顔というか目が見えました。すぐに締めてしまったんですけど」
 イチゴちゃんは小さく呟いた。それは意図してではなくて心の中で思った言葉がうっかり出ただけのようだ。
「何ですか?」
「彼女に何かあったから、サイトが閉鎖されていたら、どうしようかと思いました」
「何かって?」
「九相図のようになっているかと」
「くうそうず?」
「絶世の美女、小野小町が、亡くなってから仏になるまでの姿を、現した絵の事です」
「でも死んだなんて、そんなこと」
「死ぬわけ無いじゃない」
 その叫んだのは華弥だった。
 華弥は、ランドセルを背負った肩を怒らせて、頬は紅潮している。
 姉かもしれない彼女が死んだと何の確証もないまま話しているのだ。優は自分の無神経さがいらだたしかった。
「落ち着いて」
 イチゴちゃんは立ち上がると華弥の肩を叩いた。
「つながってなくても分かることはあるから」
 イチゴちゃんは華弥を連れて、パソコンの前に立った。
「何する気ですか?」
 優の問いかけにイチゴちゃんは笑った。
「つながってなくても得られる情報はありますから。ドメインは、住所のようなものですから、パブリックなものなんですよ。だから、どこの誰が登録されているか調べることができるんです」
「誰でもですか?」
 優の質問にイチゴちゃんは頷いた。
「Whoisサーチというもので調べることができます。それに対しての対処法はいくらでもありますが、している方は少数派ですから」
 画面には黒字に白で様々な文字が浮かんでいる。意味の分からない英語の文章だ。イチゴちゃんは読み取っているようで無言だ。華弥は後ろから画面をのぞき込んでいる。
「どうですか」
「残念、少数派のようです」
 イチゴちゃんの言葉に華弥は小さく首を横に振った。
「いえ、どうもありがとうございました」
「何か力になれなくてごめんね」
 華弥は優の腕を掴んだ。
「じゃあ、帰ろう」
 そのまま優は華弥に引っ張られ外に出た。
「じゃあ行きましょうか」
 華弥はいった。
 昨日の少女の見せた虚無は華弥にはないが、やはり正面から見ると動悸が早くなる。
「どこにさ」
「彼女のいるところによ」
「なんで分かったの?」
「さっきの画面に、住所があった。桜市本町ってね」
「だって先生何もいわなかった」
 イチゴちゃんが嘘をついていたというのだろうか。
「生徒が危険に近づくって思ったんでしょ。まあ、教師としては当たり前の反応じゃない」
「よく憶えられたね」
「だって女優ですから」
 華弥はにっこりと笑った。
 
 華弥が見た住所は駅前だった。それを知った自分達がどうするか考えてイチゴちゃんは何も言わなかったのだろう。
 その辺りは狭い中華料理屋や昔ながらの小さな飲み屋が並んでいるが、空いている店も多くあまり柄のいい場所ではない。
 住所をたどっていくと、横に倉庫らしい建物のある平屋の店だった。優はこの店を知っていた。
 バナナ書店。書店といいながら、中古の本を中心に、ゲーム器具やパソコン、フィギュアなども扱っている店だ。優の使っているパソコンも父親がここで買ってきたものだ。
「入ったことある」
 華弥は首を横に振った。
「だってここあまりいい店じゃないでしょ」
 優からすれば、華弥のいういい店の基準は分からないがいつものように入ることにした。
「入るよ」
「ちょっと待って」いかにも顔が隠れますといった大きなサングラスを華弥はかけた。「これでいいわ」
 バナナ書店に入った。
 レジは店を入ったところにあった。学生らしい店員は、こちらに声をかけることなく、手元のパソコンに熱中している。
 店先には新作のゲームや、マンガを中心に置かれている。そして中古らしいノートパソコンや、アイポッドのようなMP3プレーヤーがガラスのケースに入っている。
 さらに進むと中古のゲームと、古書のフロアになる。
「何か変な臭いする」
 華弥が結構大きな声で言うので口を押さえた。
「大きな声出すなよ」
 中にいる数人が自分の服を嗅いでいるのが見えた。
「本当の事だから」
 華弥は嘯いた。
 華弥を無視して先に進んだ。店の奥にはアダルトと書かれたコーナーがあった。
 少女に関わるものがあるとしたら、ここから先のような気がした。
 周りには人の目はない。
「ここなの」
 華弥はさっさと入っていくから慌ててあとを追う。
 入り込んだそこには、DVDが所狭しと並べられている。
「ここは子供は入っちゃ困るんだよね」
 背後から声がした。
 店長と書かれた名札をつけた中年の男が立っていた。手にはロゴの入った段ボールを持っている。
「ごめんなさい」
 優は反射的に頭を下げる。
「はい、出て出て。君たちがそういうの見ているの、見つかっちゃうと、おじさんが捕まっちゃうからね。はい、そっちの女の子もね」
 華弥は戻ってきた。無言のままで優の後ろに隠れてくる。
 さっさと店の先まで来た。レジではアルバイトがパソコンに夢中のままだ。
「おい、ちゃんと見ててくれよ」
「はい」
 精気のない声でアルバイトは答える。
「私の出ている作品あるかな」
 華弥はサングラスを取って顔を晒した。
「本物だ」
 バイトは背筋を伸ばして立ち上がった。
「静かにして」
「ファンなんです。サインいいですか」
「え、ああ」
 あまりにバイトの男の熱意ある声に華弥はサインペンを受け取った。

 バナナ書店を出で暫く無言だった華弥は憎憎しげに呟いた。
「苛ついて何か殺しそう」
 にらみつけてくる華弥に優は目をそらした。
「おっかないな」
「もう苛ついて死にそうなんだから。箱見ても何も思わなかったの?」
「別に。それよりも、そんなに思いつめないでよ。イチゴちゃんも何かしてくれるだろうし」
「だといいけど」
「どうしてそんなに信用しないの?」
「家で弥勒地 華弥 ヌードで検索してみなさいよ」
 華弥は立ち止まった。華弥は立ち止まった。ランドセルの中から鳴っている携帯を取り出す。
「私、ちょっと用ができたから」
 叫んで華弥は走っていってしまった。
 優はそのまま走って家に戻ってパソコンを開いた。
 グーグルに慌てて文字を入力する。文字は、『弥勒地 華弥 ヌード』。
 多くは無いが、数件の検索結果が表示された。
 開こうとすると、削除されており表示はされない。ただ、検索に出る結果を合わせてみると、華弥のヌードがどこかに出回っているのが分かった。それだけではなく、ポルノも出回っているようだ。ただ、それは本物ではなく、そっくりな偽ものであるという話の方が大筋なようだ。しかし、そのせいで決まりかけていた教育テレビのレギュラー番組が駄目になったと記されていた。
 華弥のヌードはアングラで、かなりの高額で取引されているという情報は見つけることはできたが、画像らしいものは見あたらなかった。
「先に教えてくれよ」
 そのヌードモデルや、『Day Lily』が華弥でないのなら、きっとこれは華弥の姉のものなのだろう。こんなに似ていないわけはないのだから。
「お姉さんかもしれないんだし」
 優が話した少女のことを聞いて、華弥は真っ先にこれを思い出したのだろう。
 優は少しでも何か手がかりを開こうと、ブックマークしてある『Day Lily』を開いた。もうサイトそのものにつなげることができなくても何か手がかりがあるかもしれないと思ったのだ。
 学校での事を空白のページが出ると思ったそこには少女がいた。少女は倒れているがいつもと服が違った。日差しに一切あたらないような露出の少ない服。それは今日、華弥の着ていたものだ。
 華弥が倒れている。足元に転がっているのはサングラスだった。
 画面に顔を近づける。目に入ったのは、段ボールだ。そこに書いてあるロゴは、先程店長が持っていた段ボールにも同じ物が描かれていた。華弥はそれに気づいたのだ。
「ああ、どうして」
 優は駆けだした。
 恐らく華弥は一人で、乗り込んでいって、捕まったか何かで危ない目にあっているに違いないのだ。
 そして姿の見えないもう一人の少女。
「遅いよ」
 自転車をかっ飛ばした。息が切れてペダルを踏むのも辛くなった頃、バナナ書店が見えてきた。
 先程まで営業していたのに今は閉店の札が出ている。そのまま通り過ぎて、少し離れたコンビニの前に自転車を停める。
 正面からいって、華弥を返せと騒いでも意味はないはずだ。あの華弥の様子からいって、何か暴力をふるわれたかもしれない。
 忍こんでも助けなくてはいけない。どこかから入ることはできないだろうか回ると、ガスや空調のパイプを伝わって敷地の中に入れそうな隙間を見つけた。
「よし」
 自分にいい聞かせて中に入る。気持ちは先走って動こうしているのに、置き去りにされている身体が重い。そして隙間にお腹が引っかかる。
 明日からお菓子も止めて、ちゃんと運動しようと思いながらも、大汗をかいて、どうにか庭の中に入ることができた。
 倉庫が見えた。倉庫の周りには人の姿はない。扉に近づいて耳を近づける。物音はしない。
 扉に手をかけた。軽く押しただけで扉は開いた。
「ここって」
 倉庫の中はパソコンで見たのと同じ空間だった。今までは分からなかったが、小型のカメラが数個備え付けられている。
「助けにきてくれたのね」
 華弥に似ているが、知らない少女の声が聞こえた。優は急いで声の方に近づいた。
 画面では死角になっていた段ボールの影には大型のサーバー型のパソコンが置かれている。
 探してみるが華弥の姿も、少女の姿もない。
「ここにいるの」
 パソコンに近づくと、電源は入っているが、待機モードになっている。軽くマウスをいじると画面が明るくなって画像が表示された。

「何している」
 怒鳴り声にびくっとなった。
 振り返ると、倉庫の入り口には、さっき店であったバイトの男が立っていた。ファンと言っていたあの男なら
「弥勒地さんはどこにいるんだ」
「華弥タソなら、さっき君と帰ったろ」
 嘘か本当か。
「嘘をつかないで。私を助けてください」
 華弥の声がした。声はパソコンからだった。
 男は素早く動くと、優を弾くようにしてパソコンに近づいた。
「あれオフにしてあるはずなのに。クソ」
 マウスをクリックした。そこには優には見慣れた映像が見えてきている。目の前にあるのと同じ倉庫のものだ。
「音声オフにするぞ」
 画面の中で華弥がこちらを見つめていた。
「弥勒地さん?」
「おお、本物知っている少年でもそう思うのか・・・こいつはやはり完璧だぜ」
 優は画面に顔を近づけた。本物に見える。しかし、現実の倉庫に少女の姿はない。
「これもしかしてCG?」
「すごいだろう。俺も本物かと思った。なんかリタルタイムポリゴンらしいぜ」
「誰が作ったんですか?」
「買い取ったジャンクのパソコンに入ってたらしい」
 この映像が流されているのが、『Day Lily』なのだろう。
 自分が探していたものも、華弥が求めたものもただのCGだと思うと、おかしくなった。
「どうして弥勒地さんの格好を」
 男は自慢そうに笑った。
「さっき映さして貰った写真から作ったんだ。よくできてるべ」
「はい」
 CGだと分かれば、少女は魅了される存在だった。まるで人間のような自然な動作。これがプログラムで動いている事は驚きだった。作品なのなら、素晴らしいの一言に尽きる。 しかし、わかってはいても、優に向かって縋るような眼差しと、必死に動かしている唇に胸が痛む。
「そろそろ出たほうがいいぞ。店長、ここに入られているの知ったらぶちきれるからな」
「どうしてですか、こんな素晴らしい作品なのに」
 パソコンの画面が消された。
「作品か・・・これはそれだけのものじゃないんだよ。店長にとっては金の卵だからな」
 こうして少女に華弥の服を着せられると言うことは、逆もできるかもしれない。
 本人が何も知らない、弥勒地華弥のヌードが出回り始めるということだ。
 これ以上言わない方がいいと思い、優は頷き倉庫を出た。

 数日後、バナナ書店には警察の家宅捜査が入った。児童ポルノ販売の疑いだという。そして一週間もしないうちに、バナナ書店は火事になってしまった。
 保健室にいって、バナナ書店で見た事を話すとイチゴちゃんにグーで頭を殴られた。
「何もなくてよかったです。バナナ書店に連絡したのは私なんです。あなたの見た物を考えると、実際に何かあったのかもしれませんね。ただ、CGの為に一つ店が無くなったと思うと何か申し訳ないですね」
「こんにちは」
 優は華弥の姿を見て目を細めた。青いシャツワンピに、花柄のロングスカートだから普通の子に比べれば、肌はでてないが、十分夏にふさわしい格好になっていた。
「この格好の方が今までよりカワイイでしょう。やっと撮影終わったから着れるんだ」
 華弥は笑った。
「撮影」
「映画のね。シーンによって、日焼けしているとおかしいから、あんなに隠してたんだ。冬には全国公開だよ」
「お姉さん見たら連絡くれるかもしれないね」
「お姉さん?」
「生き別れのお父さんとお姉さんがいるって」
 華弥は笑って、手を組んだ。一瞬で表情が変わり、優しげな少女の表情になる。
「『やっと気づいたんだよ。家族がみんなで暮らすのが幸せだって』」
 意味が分からず華弥を見ていると、イチゴちゃんが拍手を始める。
「『二人のロッテ』の最終回のセリフね」
「先生ご存じですか?」
「あれはいい作品だったと思うわ」
 優はわけが分からず二人を見つめた。
「ああ、見てないのね。華弥ちゃんが声をあてていたアニメよ。自分たちが双子と知らずに育った姉妹が、サマーキャンプで再会して、入れ替わる話。最後に両親が仲直りするのよ」
「じゃあ、全部嘘なの?」
 華弥は頭を下げた。
「ごめんなさい。だって、言いづらかったんだもん。許してくれる?」
 優は頷くと、華弥は顔をあげて笑顔を浮かべた。優は黙ってその姿を見ている。
「何そんなに見とれるくらいカワイイ?」
 優は答えなかった。
 目に映っているのは、華弥ではない違う人の面影。『Day Lily』で見た彼女の縋るような眼差しだった。
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2009年04月26日

真珠の柩 横書き

 六年生になる春休み。僕の趣味は海での漂着物の採集だった。
 住んでいる桜市の海は、江戸時代から二十世紀にかけて遠浅の海を埋め立てられ続けてきた。しかし、二十一世紀に入って、埋め立ての方向が変わってきていた。今までのコンビナートを造るような開発とは違う、親しめる海を取り戻す故郷創生プロジェクト。その一番の目玉は人工海岸だった。
 海岸には砂浜が造られ、波の強さを制御する為に沖に堤防が築かれた。そして海の生き物が、定着するまで出入りは制限されていた。道路には入れないようにバリケードが設けられていたが、子供一人ならいくらでも抜け道を見つけることができた。入ってしまえば、工事が一段落した区域は、まだ工事用のプレハブがあったが、人の姿はなく、誰からも咎められる事はなかった。
 だから、天気さえ悪くなければ、放課後になれば海に行くことになった。
 海水は黒くにごっていて美しいとは言えず、砂浜の砂は黒かったが、気にはならなかった。
 海で拾ったものたちは拾ってきた食器棚に詰めて陳列しておいた。
 どうしてそんな事に熱中したのか。
 孤独になりたかったからだ。
 両親がいないことや、生活保護を受けていること。そうした事が原因であったのか、クラスの中でいじめにあっていた。加えて、学校の中は、もともと住んでいるグループと、新興の住宅地やマンションに住むグループで割れていた。どちらにも入れない自分に対して、いじめは執拗だった。そして得た逃げ場が海だった。
 その日の見つけたものは大きかった。
 船にくくりつけて使われるガラスの浮き球だった。荒い縄でガラスの球を縛り上げたもので、もともと海苔の養殖が行われていたこの海で使われていたものだ。今ではオレンジや黄色のプラスチックのものに変わり、ほとんど見るとがないものだ。
 問題は側に誰かがいることだった。浮き球に腰掛け、海を見ているのだ。
 三十分程様子をうかがっていたが、結局、立ち去る様子もないので、近づいていった。
 同じ年頃の女子だった。見慣れない学校の制服。女子にしては日焼けした肌が黒く、話すと見える歯が印象に残る。
「ずっと見てたでしょ」
 ばれていたというのが分かり、恥ずかしくて下を向いたまま答えた。
「うん」
「人の目はまっすぐ見たほうがいいよ」
 言われるままに見ると、女の子の目は猫を思わすつり目だった。その怒っているような目で、まっすぐにこっちを見てくる。こうしたことができるのは、スポーツや勉強ができたりするかっこいい子の目だ。
「見てたけど、君じゃないよ」
 浮き球を指さすと女子は少しばかり不機嫌そうな顔をした。
「一人で何してんの」
 笑われるかとも思ったが、まっすぐに見られているせいで嘘をつけばばれそうで、小さな声でいった。
「漂着物集め」
「面白そうだね。今日の収穫はなに?」
「ないよ。あるとしてもそれくらい」
 もう一度、浮き球を指差した。女子は一気に興味を失ったようで、小さくため息をついた。
「これは漂流したものじゃないよ。私が持ってきたんだけど」
 確かにそういわれて見るとその浮き球は砂浜に置かれたせいで砂がついているが、漂着物らしく海草や海に浮かんでいたものならある緑色の汚れはついていない。浮き球は昔から漁師だった家は、今でも捨てずにおいてあるというからこれもきっとそれなのだろう。
「何かないの」
 つまなさそうにいってから、女子は笑った。
「その様子だとここに忍びこんで集めているのも初めてじゃないんでしょ。今まで集めたもの見せて。もしその中にいいのあったら取り替えてあげる」
「本当に」
「ちょうど海に捨てようと思っていたから。海から流れてきた物となら、取り替えるにしても釣り合いがとれるんじゃないかな」

 彼女を案内したのは一見すれば海風に晒された倉庫。そこが僕の家だった。もともと近くで父親が工場をしていたのだが、不景気で工場も自宅も失った。そして父親が命も手放し残ったのはこの倉庫だけだった。
 姉と二人で、守衛や夜勤の人間が過ごすために用意されていた宿直室で生活をしている。
 宿直室は八畳程で狭いが、それ以外の場所は、倉庫だったせいでスペースはたくさんある。その一角に拾ってきたカーテンで部屋のように区切って、倉庫に置き去りになっていた食器棚を置いて、漂着物を飾っていた。
 大小さまざまな椰子の実。オウムガイの殻。人の顔よりも大きい一枚貝。読めない文字の書かれた、黄色や緑、青のガラスの瓶。海で流されたせいで丸くなってしまった溶岩。綺麗に磨かれて光沢を放つ流木。
 しかし、今日持ってきた浮き球がずば抜けているように思えた。いつもなら十分とかからない道を三十分あまりかけて運んできた苦労分が上乗せされているかもしれない。
 暫くコレクションを眺めていると、彼女を放っておいた事に気づいた。あきれられると思ったが何かしきりに頷いている。
「すごいたくさんあるね」
「いつか全部ここを埋め尽くしたいんだ」
 彼女は棚に。くっつきそうになるほど顔を近づけて、宝物に手を触れたい様子だった。
「触ってもいいよ」
「ありがとう」
 彼女が最初に興味を持ったのはオウムガイだった。オウムガイは、殻はそれほど大きくはないが光沢がきれで、拾った物の中でも一番よいと思っている物だ。これなら浮き球と取り替えても見劣りはしないように思えた。
「すごいね。これなにアンモナイト」
 はしゃぐ女子に少し嬉しくなった。
「それはオウムガイっていうんだ」
「ふ〜ん」
 彼女はオウムガイを持ち上げた。
「ほしいの」
「耳近づけると波の音がするかなって」
「多分しないよ。少し欠けているんだ」
「それは残念」
 彼女はいうとオウムガイを食器棚に戻した。
「この辺りにはこんな大きい貝がいるんだ。びっくりだ。これから真珠ってとれるの?」
 真顔でいう女子に少し笑いそうになったがこらえて口を開いた。
「いるのはもっと南の海だよ。オウムガイの殻はとても軽いから、死んでしまうと沈まないでずっと流れてくるんだって。漂着してくるから最初はフジツボがたくさんついていて大変だった。その時に欠けちゃったんだよ」
「ああ、そうなんだ。そうだよね。そんなに大きいのいるわけないよね。真珠はないの」
「ないよ」
「でもマンボウあるくらいだからきれいなのありそうな気がするけど」
「マンボウはいないよ」
「マンボウガイっていうんだよ」
 大きなホタテのような貝を見せながら言う。
「でも、これだけ広いといいねえ。秘密基地なんでしょ」
「ここに住んでるんだ」
 彼女は倉庫の中を見渡しながらいった。
「いいね。雨の日は中で遊べるし、こうしてものもたくさん置けるし。うちなんて、家の中にちょっと汚れた靴で入ったらもう怒られるよ」
 夏は炎天下の外の方が涼しいくらいだし、冬は日が落ちた途端に息が白くなりそうに寒くなる。
「そうでもないよ」
「なんか、変わってるね。かわいい女の子にほめられたら、普通うれしいものでしょ」
「え? ああ、そうなんだ」
 かわいい。顔を見れば確かにかわいいかもしれないが、彼女の方が僕より背が高いせいで、自然と見えるのは首の高さだ。
 それにしても、誰でも心のどこかで自分はもっとできるとか、賢いとか思っているものだけれど、この女子はそれが強いみたいだ。
「ただいま」
 姉の声が聞こえてきた。
「お帰りなさい」
 彼女が答えると、足音が早くなった。
「まーくん、お友達なの」
 はしゃいでいる姉の声が聞こえてきた。
「そうです。友達です」
 自分より先に女子が答えた。
 カーテンをくぐって姉が姿を見せた。 
 こざっぱりとした白いシャツに、ジーンズ。一本にまとめて背中にたれている髪はとても長いのが見て分かる。
 女子は黙って姉を見ていた。その顔はこわばっていて、隠しているが、驚いているのが分かる。
「はじめまして。真麒の姉の麟です。あの、見覚えがあるんだけど、どこかであったことあったかしら」
「いいえ、初対面です。私、鳥谷部花珠(とりやべかじゅ)です」
 彼女は急に礼儀正しくなって頭を下げた。
「クラスメイト、あ、もう統合して新しい学校になるんだから、古い学校の時のクラスメイトかしら」
「いえ。新学期が始まったら転校してくる予定です。今日は、一人でヒマにしていたら、真麒くんが声をかけてくれて案内してくれました」
「そうなの。よかったわ。真麒くんはあまり人といないから」
「姉さん」
 非難を込めていったのが通じたのか、姉は苦笑いを浮かべた。
「ごめんね、おじゃまして。じゃあ、花珠さん、同じクラスになるか分からないけど麟と仲良くしてあげてくださいね」
「はい、麟さん」
 姉は軽く頭を下げてから、宿直室に向かっていった。その足取りがスキップをしている。余程、この子を気に入ったのだろう。
「気に入られてたね」
「そうじゃなくて、真麒くんが、友達といるのが嬉しいんだよ、お姉さん」
「そうなのかな」
「そうにきまってるじゃない」
 鳥谷部花珠はそういって笑った。
「はい、笑顔、笑顔。顔だけでも笑っていると楽しくなるんだって」
 信じられない事だ。そう思っていると女子が頬に手を突っ込んできた。力任せに口元を引っ張った。
「笑顔、笑顔」
 笑いにはならないが久しぶりにするそれは冗談ではすまないほどに痛くて、どれだけ笑っていないか分かる。
「楽しくなってきた?」
 そういわれると痛いだけなのに、嘘みたいだが楽しくなってきた。
「楽しくなってきたでしょ」
 頷くと彼女はにっと笑った。
「真麒くん、麦茶とお菓子を用意したから、真麒くん」
 
「ばてないよ。私、強いんだから」
 鳥谷部花珠はそう言って歩いていく。初めてあってから数日過ぎてからの事だ。
 漂着物集めをしているといつの間にか鳥谷部が寄ってきて、家に戻って姉さんの出す麦茶を飲むのは日課になっていた。
 その帰り道。四月だというのに随分と暑い日だった。風もないせいで、何か空気がよどんでいるようだ。だから、帽子を被るのを勧めると首を振って、否定した。
 そう言った鳥谷部は、ぐったりとなって倉庫の一角に転がっていた
「この辺りの日差しは結構強いんだ」
「私の住んでいた辺りも日差し強かったんだけどな、何か質が違う感じがする」
「前どこにすんでたの?」
「広島」
「そっちの方が暑そうだけど」
「ああ空気がね違う感じなの。こっちみたいに光化学スモッグとかないから」
 鳥谷部は立ち上がった。
「そろそろだ」
 姉の足音が聞こえてきた。手には麦茶の入ったグラスとお盆が見える。
「まってました」
 鳥谷部は元気良く立ち上がると姉の盆からコップをとった。
「ねえ、花珠ちゃんは鳥谷部一樹さんの親類なの」
「姪です。母が一樹兄さんの姉なんです」
「だから最初に会った時にどこかでみたことあるって思ったのね」
「お兄さんと知り合いですか?」
「中学で部活が一緒だったの。二人とも美術部で、今でも絵を描いている?」
「いえ。なんか、そういうのは祖父が嫌うので」
「そうなの。あなたは、花さんの娘さんになるのかしら」
「そうです。母です」
「花さんは元気にしてらっしゃる? 私、あなたのおかあさまやおとうさまに絵を教えて貰ったことがあるの。お二人とも美大生だったわよね」
「亡くなりました」
「ごめんなさい」
「気にしないでください」
 鳥谷部は元気そうだが、姉は寂しそうだった。
「ただ、こっそり絵は描いているみたいですよ」
「どうもありがとうね。じゃあ、まーくん、私、学校にいくから」
「わかったありがとう」
「今から学校なの?」
「夜間高校に通っているんだ。県立の桜高の」
「麦茶も飲んだし、そろそろ帰る」
 鳥谷部はどこか逃げるように背を向けた。途中で立ち止まると、振り返った。
「学校始まるまで忙しいからこられないかも」


 鳥谷部が言葉通り姿を見せなくなって数日。新しい学校が始まった。
 新しい学年にあがると不安と希望がない交ぜになっているものだが、今回はさらに大きい。今までいっていた学校が老朽化したことと、生徒のバランスが地域で悪くなったので、小学校の統廃合が行われた。
 六年三組。それが自分のクラスだった。三組の何となく前の学校の並びでグループができつつあった。一学年では前は四つだったクラスのが、七はあるので、クラスメイトのうち知っている顔は数人だ。それを見て少し安心する。そのメンツは数年前に出来たマンションの人間で、去年引っ越してきた。クラスで何があっても、自分に影響がなければ関心がないようだったからだ。
「おはよう」
 声をかけてきたのは鳥谷部だったから小さい声でいう。
「関わると、巻き添えくらうかもしれないから、話しかけない方がいい」
 鳥谷部は鼻で笑い、「好きにするから」。そういって、大きな声で、僕の名を呼んだ。
「真麒くん、よろしくね」
 鳥谷部に向かって視線が集まった。それは自分にもだ。
「なんで、名前で呼ぶんだよ」
「だって名字しらないから」
 鳥谷部は当たり前のようにいうと、そのまま姉の事を中心に話し始めたが頭に入らなかった。
 前の学年でいじめられた人間は、次の年も続く事が多い。結局は、群れの中で弱った生き物から襲われるのと一緒で、弱い人間は目立つのだ。
 給食が終わると、早速中あてに誘われた。
 グラウンドでは学年ごとにいくつものグループで陣取りをしていて遊んでいた。
 中あてはドッチボールを簡単にしたような遊びで、四角形を描き、何人か鬼を決める。鬼は四角形の外、他のみんなは中に入りゲームを始める。鬼はボールを投げるか転がすかして、中の人を当てる。当てられたら外に出て鬼になる。誰が勝者になるか決めておかないと後が大変になる遊びだ。
 早めに当たって出ようとしたがそうはならずに残され始めた。最初は二人しかいなかった鬼が十人近くになっている。気づけば残っているのは二人だけだった。
 しかし、もう一人の方は意図的なのか、全く狙われる事はなかった。
 こっちに投げつけるボールは早い。どうにかあたらないようにしているけれど、気づけば息があがっていた。給食を食べてすぐということもあって、お腹が痛い。これじゃだめだ。あたるなりしてアウトにならないと。
 そう思った時に顔を狙うようにしてボールが投げつけられた。どうにか防いで、鬼に向かいボールを投げ返す。
「遊びなんだからまじめにやろうぜ」
「がんばれよ」
「やれやれ」
 そういうと周りが声をあげる。正論だ。
 少しでも素早く動けるように中腰になる。やる気を見せたのにもかかわらず笑っているような声がするが、気にしないように自分に言い聞かす。
 緊張しているせいか吐きそうなのを我慢して向かい合っていた。
 そうしているうちに周りの表情が嘲笑なのに気づいてしまった。外の鬼のうち何人かは意図して、ぎりぎりで交わせるようにして投げていることに。これはダメだ。用は自分を走り回らして楽しんでいるだけなのだ。
 鋭い一球が肩を掠めていった。投げたのは、鳥谷部だった。
「はいアウトね」
 負けたのだが心は安堵していた。
「女子なのに、なんでいつの間に入ってんだ」
「女子だけど、あんた達よりは男らしいよ。何、これ。中に二人だけ残して一人狙うなんて、あからさますぎるでしょ」
「なんだよ、このトリナベが」
 そういったのは後藤だった。そしてその言葉を聞いてグラウンドが静まりかえった。
 驚くほどの静けさだった。
「お前か呼んだのは?」
 小学生とは思えない低い落ち着いた声だった。胸に銀のホイッスルを持った、がっしりとした体つきをしたよく日焼けした小柄な男子が立っていた。その背後には多くの五年生が壁のようになって控えている。
「誰だ、お前」
「ダメだって」
 思わず声をかけていた。その少年。鳥谷部大樹、通称大将は危ないのだ。
 小学校三年の時にあった『トリナベ事件』。当時二年生だった鳥谷部大樹を『トリナベ』といってからかった六年生が翌日、校庭の朝礼台の上に縄で縛られ、転がされていた。トリナベ=水炊きと言われた腹いせか、白濁したスープの代わりに水に溶かした石灰をまぶされて。
「名前教えろよ」
 大将がいうと、後藤はいった。
「トリナベっていって何が悪い? それに何だ、お前五年生のくせに、六年に向かって意見するのか?」
「まあ、いいや。どうも、俺が怒っているのが分かってないみたいだからな」
 大将は後藤の胸を掴んだ。
「名前は」
「離せよ」
 後藤は抵抗しているようだが、大将の手はがっしりと鉤爪のように男子を掴んで離さない。
 暴れるだけ暴れると目の前で後藤は膝をついている。振り解けないだけで人間はこれだけ疲れていくのが初めて分かった。
「先輩、名前は?」
「後藤恭祐だ」
「後藤先輩は、俺の事知らないみたいだから、教えといてやる。俺は五年六組の鳥谷部大樹。あいつらには大将と呼ばれている」
 校庭を大将は見回した。
「そして名前には誇りをもっている。今度今みたいな事いったら海に投げ込んで魚のエサにするからな」
「乱暴にしないの」
 鳥谷部が大将の横に立ってきつい声でいう。大将は手を離すと後藤はそのまま座り込んだ。
「お前がバカにされるように弱いのが悪い」
 大将は鳥谷部に向かい吐き捨てるようにいうとそのまま背を向けた。
「大樹」
 鳥谷部が呼んでも大将は背を向けたままだった。
 
 放課後、急いでクラスを飛び出した。
 昼の事が尾を引いていてクラスの雰囲気が悪かったからだ。そのいらつきがこっちに向いてはたまらないと言うことだ。
 学校から十分あまり走って、足を緩めた。家に近いこの辺りは工場地帯で、倉庫が多く、トラックの往来は多いが人の姿はない。そこで安心して歩き始めた。
 新しい学校で、今まではなかったような騒ぎが起こるかもしれないと思えた。昔から桜市に住んでいるものからすれば、鳥谷部という名前はどこか怖いモノをもってしられている。それは大将一人のせいではない。桜の町を歩いていれば、鳥谷部という名前はよく見かける。あからさまに鳥谷部とついているのは建設会社くらいだが、バードビルとか、ペンギン屋とか、鳥絡みの名前を持った店の多くは鳥谷部一族のものだという。だから、鳥谷部の名前を持つ人間には関わらないようにしているものもいるが、反面すり寄っていく人間も多い。何かあれば、そこの子供は鳥谷部の子供には逆らわないように言われる。
 背中を叩かれた。転がるようにして逃げると、背中の方で笑い声がした。振り返れば鳥谷部が立っていた。
「どうしたの、そんなに急いで」
「気をつけた方がいい。君も巻き込まれる」
 鳥谷部は笑いをこらえている。
多分、鳥谷部にはいじめられる深刻さとか分かっていないのだろう。
「子供同士だしだいじょうぶだよ」
「そんなことはない。さっき助けてくれたけど大将、鳥谷部大樹だって昔、上級生を酷い目にあわせたっていうし」
「大樹は悪い奴じゃないよ。ちょっと乱暴だけどね」
「詳しいんだね」
「いとこなんだ大樹」
 そう鳥谷部は事も無げにいった。
「そういうことか」
 いくら大将といっても、いきなり他学年の様子まで分かるのはおかしいと思っていたが、それとなくいとこの鳥谷部の事を見ていたのかもしれない。
「あまり目の前でウワサされるのは好きじゃねえな」
 鳥谷部の向こうには大将が立っていた。
「大将」
 思わず声をあげた。
「お前さっきのざまはなんだ。オンナに助けられてみっともねえな」
「すいません」
 とにかく怒りを収めて貰おうと謝ると、大将は鼻で笑った。
「別に謝って貰いたいわけじゃねえ」
「あのね、大樹は、あなたのコレクションを見たいんだって」
「え」
 鳥谷部には口止めをしておいていたわけではなかった。
「なんで」
「ごめん」
 鳥谷部は小さく頭を下げる。
「花珠をいじめないでくれ。俺が、ゆすったんだ」
「ゆする?」
「ほら、あの浮き球。あれ、家から持ち出すのを大樹に見られていて」
 うまい話には裏があるという。今回もその例に漏れないようだった。
「分かった。連れてくよ」

 倉庫の陳列棚を見ると、大将は初めて鳥谷部を連れてきた時と同じように顔を近づけてまじまじとみている。
 強面と思っているが、こうやって好奇心を持って見ているのは、自分と同じようでちょっと意外だった。
「欲しいなこれ」
「そう思うでしょ。でもね、何かと交換って決まりだから、それなりのお宝を持ってこないとダメよね、真麒くん」
「ああ、でもダメなものはダメだよ」
 答えてから鳥谷部がまだ何も選んでないのを思い出した。
 選んでいる時、姉がきて、それっきりになってしまったのだ。
「今日は、お姉さんは?」
「もう帰ってくると思うけど」
 そういっていると足音がした。姿を見せたのはやはり姉だった。
「今日はお友達がもう一人いるのね。いらっしゃい、えっと?」
「鳥谷部大樹です」
 大樹は大声で言った。あの低い声ではない溌剌とした声だ。
「大樹も男の子だね」
 からかうように鳥谷部はいった。
「変な事言うなよ」
 姉は持ってきた麦茶を置いて、「もう一人分用意してくるから」。そういって去っていった。
「花珠、あの人って土蔵の絵の人だよな」
「やっぱりそう思う?」
「土蔵」
 そう聞くと二人はそっくりな顔で、口笛を吹いた。
「何だそれ」
「今日は漂着物探しいかないの?」
 鳥谷部はいった。
「いや」
 鳥谷部は今更しょうがないが誰かについてこられるのは嫌だった。静かな空間が好きなのだ。
「いこうよ」
 鳥谷部はこちらの考えもしらないでのんきにいう。
「分かったよ」
「俺帰るわ。そろそろ先生が来る時間だ」
「先生」
「かてきょだよ」
 大将は走り出していった。
「じゃあいこう」

 今日の海岸はどこかの川から流れ込んだらしい桜の花びらが流れ着いていた。既に川や海にさらされたせいで汚れた花びらだが、遠目で見る分には綺麗だ。
 そんな花びらが点々とする三十分ほど探したがめぼしいものはない。
「今日は無理っぽいな」
 そういって足を止めると、鳥谷部も立ち止まると座った。
「たまには景色を見ようよ」
 つきあって座ってから、初めて一緒になって座ったことに気づいた。
漂着物を探して歩いている間は楽しいが座ってしまえばいろいろ考えてしまうのが嫌だったからだ。
「同じ海なのに違うね。私が住んでいたところは島も見えたし、向こう側に陸地も見えるしね。でもここは水平線ばかりだね」
「引っ越してきたんだ」
 たまたま自分が鳥谷部をしらないだけだと思っていた。
「どっちも去年海外でさ、船の事故で亡くなっちゃって、それでお爺ちゃんに引き取られたの。うちの親、駆け落ちしてたから、どうなるかって思ったけど、よくしてもらってるんだ」
「そうなんだ」
「でも父さんの事をひどくいうから悔しくて、それで飛び出した日に真麒くんにあったんだ。自殺でもするんじゃないかって心配で見てたんだよ」
「そんな感じだった」
 苦笑した。でも、それは違うのはしっている。人間は見たい物を見る。もし鳥谷部が楽しいなら、楽しい姿に見えたはずだ。
「いいこと思いついた。流れてくるものだけじゃなくて、育てるのはどう」
「育てる?」
「そうそう。真珠とか」
「真珠ができる貝って特別でしょ」
「お祖母ちゃんが亡くなった時、一度だけ桜にきたんだけど、その時ね、お母さんが言ってたの。
『この海で手に入れて、育て上げた真珠が、とても素晴らしくて、見ているだけで幸せになるの。母さんにも見せて上げたかったのに』
っていってた。だからとれると思うんだ」
「聞いたことないけど。ちょっとまって」
 砂を踏む音がした気がした。
 振り返れば昼間、大将ともめた後藤の姿があった。
「こんな場所があるなんてしらなかったよ」
「何の用?」
 鳥谷部は後藤をにらみつけた。
「トリナベにつきあって貰おうと思ってね」
「タイプじゃないの。ごめんなさい」
「僕も君みたいな男か女か分からないようなのは遠慮しておくよ。必要なのは君が大将のいとこだってことさ。さっきの庇い具合からいって、君がいれば大将は手出しできないわけだ」
「随分とみっともないまねをするのね」
「聞いたよ。大将っていうのは、親の威光で、学校が統合されるまで、今まで随分好き勝手してきたみたいじゃないか。でも、俺はここに長くいる事はない。だから、黙ってやられたままにはしちゃいない
「私には関係ないわ」
「関係ないわけないだろ。お前のせいで恥をかいたのに。鳥谷部っていうのは、どいつもこいつもえばりんぼなんだな。そうして、こっちが言うこと聞くと思ったら大間違いだ」
 鳥谷部は立ち上がった。
「いこう真麒」
「いかせない」
 静止の声を聞かず、鳥谷部は歩き始めた。
 姿を見せたのは十人程だった。鳥谷部に向かい数人が掴みかかった。
 一人が鼻血を吹いて殴り倒された。
「こいつグーで殴りやがった」
「そちらが分からないっていうから要望にそったんだけど」
 鳥谷部は平然と言っているように見えるが足が震えている。
 助けないと。そう思ってみたが足が動かない。
 鳥谷部はがんばっているが多勢に無勢だった。いつの間にか鳥谷部は両腕を押さえられている。
「待て」
 自分でもびっくりするくらいの大声だった。
 
「あれだけ大声出して何するかと思えば『一緒に連れていけ』、なんて」
 鳥谷部と二人で捕らえられているのは工事用のプレハブの小屋だった。中に閉じこめられ、縄で椅子に縛られていた。
「助けてくれると思ったのに」
「ごめん本当に喧嘩弱いんだ」
「大樹大丈夫かな」
 そういう鳥谷部の声は涙声だった。顔を見れば涙が流れている。それは見たこともない鳥谷部の顔。一重のきれいな目にたまっている涙はたまることなく、流れてしまっている。
「少しだけ時間をくれ」
 身体から力を抜いた。縄をかけられたときに、かかっていた分の隙間が揺るんだせいで足を自由に使えるようになった。そして足を縛る縄を外して、次は腕だった。
「どうしてそんな事できるの」
「いじめられるって大変なんだよ。縛られるくらいならいいんだけど、そのまま忘れられちゃったりするからさ」
 手の縄も外して自由になれた。そのまま鳥谷部の縄をほどく。外に出て、直ぐに大樹の姿は見つかった。
 砂浜には大樹が立っている。取り囲んでいるのは十人あまりだ。
 既に喧嘩は始まっていた。いや、リンチか。鳥谷部を人質にとられているから大将は無抵抗のままこづかれていた。
「大樹」
 駆けつけようとする鳥谷部を止める。
「僕が行く」
「さっきあれだけ震えてたのに」
「女の子が泣くのは好きじゃないんだ」
 自棄になっているわけじゃないのを示すために、小屋から持ってきておいたシャベルを見せた。
「今鳥谷部が捕まったら同じだから逃げてくれ」
 答えは聞かなかった。

 日曜の朝、のんびり眠れると思ってまどろんでいたベッドの上。揺すられて起こされた。
 姉は休みなのに中学校の制服姿。自分もベストにズボンに靴。白いのはシャツだけ。
 それから自分の荷物を姉と一緒にまとめて家を出た。待っていたかのように、影のような男たちが現れて、赤い紐で家の回りを囲っていった。その男の一人に家の鍵を渡して出て行った。
「大丈夫だから」
 そういって向かったのは火葬場だった。
 火葬場で焼かれているのは誰だろう。そう思っていると姉がいった。
「お父さんにお別れして」
 言っている意味はよく分からなかったが、泣いている姉の顔に、無性に悲しくなった。
 そしてたまらなく嫌だった。
 泣いている姉が。父が死んだ事が。何もできない自分がだ。


 あの小学校一年だった自分が声を出している。あいつが泣きやむ事はない。でも、今、鳥谷部の涙を止めることはできる。
 大きく息を吸って一気にかけだした。 
 シャベルを振り回して飛び込んだせいで、飛び退いた。これはきっと軽蔑されることだろう。いじめるものといじめられるものがあるのに、こうして何か凶器を手に持ってしまえば、先生たちからすればその瞬間、被害者と加害者は逆転する。しかし、そのおかげで大将の直ぐ横にこられた
「お前」
「鳥谷部ももう逃げたから」
 大将は笑った。
「そうか」
 その笑いは大笑に変わった。その笑いのまま、大声で叫ぶ。
「お前らの大将と、タイマンがしたい。それで終わりにしないか。それとも一対一を受けないような臆病者ばかりか?」
「それはないな」
 後藤は冷静に答える。
「この人数差で一対一なんて意味がない。数に勝るものはない」
「そりゃそうだな」
 大将はホイッスルを一気に鳴らした。
 その音は浜に響き渡った。それに呼応するように多くの人影が姿を見せる。
「一人で来たんじゃないの?」
「あいつらには三十分は遅れてくるようにいっておいたけどな。あんたがこいつらの親分だろ? お前がタイマンを受ければ他の連中は見逃してやる」
「わかった」
 後藤は決心したようで身構えた。
「さあ始めようぜ」
 タイマンが始まった。
 大将がいきなり近づくと頭突きをかました。それであっさりと終わりだった。既に立っているのがやっとと思われたが、それでも後藤は挑もうとする。
 歓声が遠巻きにあがった。
「あんたやるな」
 その後藤の腹を容赦なく大将は殴る。後藤は前のめりになって、大将によりかかるように倒れた。
「まだやるやついるか? これから先意趣返しとかしないんなら見逃してやる」
「わかった」
 数は絶対だった。
「みんな解散だ。こいつも連れてけよ」
 誰もがいなくなるまで大将と二人立っていた。鳥谷部が姿を見せる。
「大樹だいじょうぶ」
「当たり前だ」
 大樹は座り込んだ。
「しかし疲れた。少し寝る」
 寝ると言うより意識を失ったように大樹は目を開かなくなった。
「大樹」
 鳥谷部の声にも答えない。


 数日後の放課後、家に帰ると鳥谷部が待っていた。
「こんにちは」
 一人ではなく大人が一緒だ。
「鳥谷部一樹です。花珠と大樹の叔父です」
 初めて会うはずなのに一樹さんはどこか懐かしかった。
 鳥谷部も大将も眉が太くどちらかといえば男性的だが、一樹さんは目つきこそ同じだが、女性的な優しい面立ちだ。でも、首から下の体つきは男らしくがっしりとしている。その手にはケーキ屋さんのものらしい紙袋がある。
「漂着物見せて貰っていたよ。随分高価なものもあるんだね」
「そうなんですか」
 自分の集めているものに金銭的な価値があるとは思わなかった。
「昨日は二人がお世話になったようでどうもありがとう」
「今日もお友達がいるの?」
 姉が入ってくるとそのまま固まった。朗らかな姉がこういう顔をするのは珍しい。
「鳥谷部くん」
「久しぶりだね」
 一樹さんは懐かしい様子で目を細めている。
「話すのは卒業以来だ」
「ああ、飲み物持ってくるわね」
 姉はそういって出て行った。鳥谷部はそれを見て、何か考えているところがあるようだ。
「これお土産です。じゃあ、僕はそろそろ」 
 一樹さんは紙袋を置いて出て行った。入れ替わるように姉が戻ってくる。
「これ貰った」
 一樹さんの置いていった紙袋を見せる。中身を見ると、姉は笑顔を浮かべた。
「あいかわらず好きなんだな」
「シュガーシャックのプリンいつも買ってきます。麟さん、一樹さんと随分お久しぶりのようですね」
「中学で部活が一緒だったの」 
 昔、僕が小さかった頃、姉の回りにはたくさん友達がいた。その頃今はなくなってしまった家に一樹さんも来たのかもしれない。
「何部ですか?」
「美術部」
「本当ですか?」
「鳥谷部君、とても絵がうまくて。お姉さんに子供の頃から教わっていたせいだと思うんだけど、一年の時から賞をとっていたのよ。私も分からないことあったら花さんに、あなたのお母さんに教えて貰ったわ。美大生だったから何でもしっているし、絵もうまくて」
「なんか家だと絵の話題とか禁句な感じです」
「それなら今はもう描いてないの」
 姉の問いに、鳥谷部は首を縦に振った。
「でも蔵の中にいろいろありますよ。捨ててはいないみたいです」
 そこまでいって鳥谷部は急に声を高くした。
「そうそう。真珠養殖計画なんだけど、いつからしようか」
「本当にするの?」
「当たり前だよ。今してなくても、昔してたんなら、家の蔵に使えそうなものたくさんあるから見にこない」
 あれから調べたのだが、どうも桜で真珠がとれたという話はない。
「大樹もお見舞いしてあげれば喜ぶよ」
「分かった」

 鳥谷部の家は丘の上にあった。松林を抜けて見えてきた家は平屋の立派な家で、庭も広いから、まるでどこかの神社や寺のようだ。
「大樹の部屋はこっちなの」
 玄関ではなく、庭の方に鳥谷部は歩いていく。庭を少し歩くと縁側が見えた。
「こっちこっち」
 ほとんどの部屋の障子は閉められていたが、一つ部屋だけは開いていた。
 畳敷きの八畳程の部屋で、部屋の立派さに比べて安っぽい学習机が置いてある。壁には、和服を身につけた壮年の男の肖像画が飾られいる。男は一目で鳥谷部や大将の血縁者なのがわかる。そして自分もその名前を知っていた。
 鳥谷部弘樹。鳥谷部の大人(うし)と呼ばれる、一族で最も偉いとされる人間で、式典では必ず見かける顔だ。
その部屋の真ん中にひかれた布団の上で、うつ伏せになって大将はマンガを読んでいた。
「大樹調子はどう?」
 大将はマンガを瞬時に枕の下に隠した。
「平気だよ。ああ、お前も来てくれたのか」
 大将は笑顔を浮かべる。
「母さんにいえば何か出してくれると思うぞ」
「ちょっといってくる」
 鳥谷部は家の奥に向かっていった。大将は身体を起こした。
「座れよ」
 勝手に部屋に入るのも気が引けて、縁側に腰掛けた。
「おまえ」
 大将は厳しい顔になって何か言いかけたがそれも一瞬で今は笑顔だ。
「見直した。あの中に飛び込んでくるとは思わなかった」
「鳥谷部が泣いてたから」
 泣く女の人は嫌いだ。父親が亡くなった時の姉を思い出して、胸の中がざわざわする。
「理由はいいんだ。行動だよ。お前、仲間にならないか?」
「仲間」
「お前、前の学校の時どこにもついてなかったって聞いたぜ。だからああいうつまらない奴にひっかかる」
「そういうの止した方がいい。今回のも、大将が挑発したから話が大きくなったんだ」
「なめられてるのに放っておけっていうのか」
「自分たちの力を自覚した方がいい」
 鳥谷部という名前がどれだけの力を持つのか考えて欲しかった。
「大将の仲間にはなれない」
「何でだ。俺はそんなにダメな大将か?」
 そういう大将はいつものように強い目でこっちを見てこない。
「そうじゃない。鳥谷部の為にああしていた大将はすごいと思う」
「じゃあどうして」
 壁の絵を指さした。
「僕の家は鳥谷部の大人、君の祖父に逆らって潰された家なんだよ。商売をできなくされて」
「祖父さんは海の男だ。そんなまねはしない」
 大将は、いや、満ちているものは、満ちている間は、無いものを知ることはないのだ。昔の僕もそうだった。
「全部じゃないかもしれない。でもね、意向を受けて、動く人間はたくさんいるんだよ」
「さっさと出ていけ」
 大将は僕を見た。その目は怒っているのか血走っていた。

 部屋を出て外を歩いていると、鳥谷部が追いかけてくる。
「大樹怒らしちゃったんだね」
「うん」
「許してあげて。あの子にとってはみんな当たり前なんだよ」
「ああ」
 鳥谷部が不安そうだったから、精一杯いい笑顔をした。
「大樹は悪い奴じゃないんだけど、ああいうのを当たり前だと思って育ってきたから」
 庭を抜けていくと、あまり手入れされていない一角にでる。足下は海の砂のようにさらさらしていて時折貝殻も落ちている。
「裏にあるの」
 平屋の家の裏に回ると地面の様子が変わった。浜のようなさらさらした砂に変わり、時折貝殻も転がっている。
「ここ」
 蔵ももともとは白かったらしいが今では灰に近い色になっている。鏝絵と呼ばれる漆喰を固めて造形した○に鳥が描かれている。
 鉄でできた蔵の戸を開けると中には雑多に物が置かれている。多くは場所があるから置いてあるだけの不要物にみえる。この蔵で一番価値があるのはもしかしたら蔵かもしれない。
「こっちにあるんだ」
 鳥谷部の見つけてきたものはもともと漁で使われていたような網や縄。大小の浮き玉。
「これにつけて海の中に沈めて育てればいいんじゃないかなって」
「ちょっと難しいんじゃないかな」
「そうかな」
「海岸は整備されているけど水はそんなに綺麗じゃないからね」
「痛っ」
 その声がすると共に鳥谷部の方で物が崩れた。
「だいじょうぶ?」
「最近背が伸びたから偶に上の方の感覚がわからないんだよ」
「使えそうなのある」
 蓋の開いてしまった長持ちの中に姉がいた。
 それはスケッチブックだった。紙に描かれた姉は今よりもまだ若く、幼いといっていい顔だった。
「これ」
「やっぱり麟さんだね」
「誰が」
 スケッチブックを手にとった。何枚もの姉の姿が勢いがある美しい線で描かれている。ほとんどが姉一人でしめられていた。他にも数冊のスケッチブックがあった。
 呼んでいる声がした。
「飲み物持ってきたぞ」
 一樹さんの声だった。
 鳥谷部は僕の手を引っ張って歩き出した。
「いたいた。飲み物頼んでおいて、勝手に出ちゃダメじゃないか。義姉さんが、困ってたぞ」
「一樹にいさん、このスケッチブックってお父さんとかお母さんが描いたの」
 一樹さんは慌てて手を伸ばした。スケッチブックは一樹さんの手に戻った。
「まだあったんだな」
 その声は懐かしく、そして哀しかった。
「もう捨てられたと思っていた」
「お祖父ちゃん、絵、嫌いですよね」
「嫌いじゃないよ。姉さん、花珠の母さんがいた頃、モデルになっていたくらいだから。今はちょっと飽きただけだよ」
 それは本当とは思えなかった。
「もしかしてお爺ちゃんが絵を嫌いなのは、私を身ごもったせいでお母さんが駆け落ちしたから?」
 一樹さんは答えなかったが、それは肯定のように思えた。
「真麒くんだけじゃないんだ。私のせいで一樹さんも。好きなことできなくなっちゃったんだ」
 鳥谷部は駆けだした。

 走り出した鳥谷部を捕まえる事はできなかった。それでも何となくあたりをつけて走って追いかける。
 見つけたのは砂丘だった。最初に出会った場所で座り海を見て座り込んでいた。
 その横に座ると鳥谷部は顔を上げた。
「鳥谷部っていうのは人を不幸にするのかな。一樹さんだけのことじゃないんだ。さっき聞こえちゃったんだ。真麒くんの家の事。おじいちゃんのせいだって。」
 鳥谷部は泣いていた。
「親の話だよ。もう僕には関係ない」
 できるだけ普通に話してみた。鳥谷部は小さく頷いた。
「そういってもらえると少し楽になるよ」
 鳥谷部は小さな笑みを浮かべた。
「何か頭がぐしゃぐしゃになっちゃってて。お父さんとお母さん駆け落ちしたの、私のせいなの。私ができちゃったんだけど、お母さんには婚約者がいて、結婚するのを許してもらえなくて駆け落ちしたの。もし鳥谷部じゃなくて普通の家の子だったら、きっと駆け落ちなんかしなくて、海で事故にあうこともなかったんだ」
「泣かないで」
 鳥谷部の涙を指で拭いた。でも、鳥谷部は泣きやむことはない。そうじゃない。きっと彼女はずっと泣いていたのだ。
 綺麗な涙は真珠のようだ。
「ねえ、真珠はもうあるんじゃないの」
「?」
「鳥谷部だよ」
「『この海で手に入れて、育て上げた真珠が、とても素晴らしくて、見ているだけで幸せになるの。母さんにも見せて上げたかったのに』
それは君の事なんだよ。二人が結ばれて生まれた」
 鳥谷部は自分の口の端に指を差して、笑い顔を作った。
 雪の白さを持った歯が真珠のように見えた。
posted by 作者 at 19:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 短編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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